「おい透、さっさと起きろ」
不機嫌そうな声。どちらかと言えば、もう今すぐにでも寝たいというような。寝起きの声よりは低くないけれど、ワガママなんて言ったら確実に怒らせるくらいには低い声が頭上に響く。
起こしてと頼んだ記憶はあるけれど、だからと言って女の子の部屋に無許可で入るのは如何なものか。そう主張しようと、目を開けば、声の主である男の子はやけに優しい目でわたしを見下ろしていた。
いやなんで?
見てても面白くないでしょ。その顔面偏差値してんだから。よっぽど君のが綺麗な顔をしてるよ。以前に女装をしてみないかと提案して、1日口を利いてもらえなくなったことがあるくらいには。あ、頭も撫でないで。尊死する。
「……えな?」
「起きたか?」
「うん、おはよ。絵名くんは朝からイケメンだね」
「起こせって言った割には一人で起きられたじゃん」
さっさと支度しろ、オレは寝る。
そう言い放って、絵名はわたしの部屋を出ていった。誰だ通したの。お母さんか?これからはもっと優しくすることにしよう。
艶のある茶髪に同色の瞳、女の子みたいに綺麗な顔だけど、声は低くて心地良い。絵名は男の子になってもオカンみたいで、頼めば今日みたいに起こしに来てくれる。何度も彰人に頼めよと不満を言われたが、約束を反故にされたことは一度もない。そういうところがカッコよくて好きだった。
東雲絵名・彰人兄妹。
性別は原作から変わってしまっているが、ここがプロジェクトセカイの世界だと気づかせてくれたきっかけの兄妹は、家も比較的近所で未だ交友関係が続いていた。いわゆる幼馴染と呼ばれるこの距離感で、絵名お兄ちゃんの温かみを浴びれるだなんて、わたしは前世で一体どんな徳を積んだのだろう。まぁ一切覚えていないけれど。
前世の記憶は、不思議なほどにほとんど無い。あるのはただ、プロセカのストーリーだけだった。だからストーリーで把握出来る程度のキャラ背景しか知らないし、だからわたしが駄々を捏ねてまで絵名に手を伸ばす理由にもなっている。
わたしという存在があっても、東雲兄妹は変わらなかった。変えられなかったとも言えるかもしれない。何も届かなかった。何も出来なかった。わたしはただ、隣で見ているのが精一杯で、苦しむ2人の背中をさすることしか出来なかったのだ。
多分だけれど、原作で展開されたストーリーにわたしは干渉出来ない。そこに居るはずのない存在だから当然だが、ストーリーには関われないのに、居ないことになっているわけでも無いのが余計に腹が立つ。
どれだけ兄妹に寄り添っても、それじゃ足りなかった。わたしじゃ苦しみを和らげることは出来なかった。
つまるところ、わたしはそこに居るだけの存在。干渉することも出来ず、元から居なかったかのようにはもう振る舞えない。
逆を言えば、どれだけわたしが邪魔をしても元のストーリーは変わらないってことだ。それなら、ストーリーにはなっていないところなら変えられる。例えば絵名が、どれだけ態度で面倒がっていても、わたしに優しくしてくれるように。彰人が、ストリートの世界にわたしを連れ回すように。
「……よし、今日も頑張りますか」
すっかり見慣れた神高の制服を身にまとい、わたしは呟いた。
みんなが傷つき苦しむ未来は変わらないのなら、せめてその裏で安らげる居場所になれますように。
自分勝手でしか無い大義名分を抱いて。
わたしは一先ず、朝だからかテンションの低い幼馴染に挨拶するのだった。
「おはよ、あき!」
「おはよう。朝から無駄に元気だな」
「そういうあきは元気ないね。そんなにお兄ちゃん取られたの悲しいの?」
「そんなわけない」
「今日の絵名ってばね、わたしの頭撫でてたんだよ。また子供扱いなのかなぁ」
「……部屋で?」
「?うん、部屋で。起こしてって言ったから」
「それに気づかないって、透ってホント鈍いよな」
「え何どゆこと??」
「何でも。馬鹿兄貴はしばらく拗らせそうだなって思っただけ」
さっさと行くよ。同じ神高の制服を着た彰人がわたしに背中を向けて歩き出す。黒いパーカーはわたしと一緒に買いに行ったものだ。わたしの方は、絵名と同じマカロンみたいな色のカーディガンを着ている。漫画やアニメでは王道カラーなのに、前世では黒じゃないと目立つクソ仕様だったから着れて嬉しい。
「あ、てかあき。今日小テストだけど、勉強した?」
「……」
「ちゃんと昨日言ったよ?」
「お願い、教えて!!」
「いいよ〜、またデートしようね?」
「するから!奢る!」
「いや別にそこまでされなくてもいいかなぁ」
原作と違って、彰人の素は静かで無駄な交流を避けるような感じだ。まぁ元々も人当たりが良いだけで、自分から友達を作るような子ではなかったような気はする。というか、静かにしていないと絵名の口調が移るせいで、女の子なのに口が悪いから。
でも、猫被りはする。
人付き合いでしないなんて事の方が無理な話だし、そういう彰人も嫌いじゃないから全く気にならない。つつくような性格の悪さも、真反対の純粋さもないしね。
さて、そんな彰人は相変わらず勉強が得意ではないようだった。女の子になったということで、運動能力も全く同じというわけでもないんだけど、赤点ギリギリ常習犯なくらいには体を動かす方が好きらしい。ボーイッシュ女子、悪くない。
「透、普段はそんななのに勉強出来るのずるくない?」
「そんなってなに?」
「……そういう、馬鹿っぽいとこ」
「なんで二言目に罵倒するのかな。透ちゃん傷ついちゃいますよ?」
「マジごめん」
「ギャップって言いたいんでしょ」
「そう。それが言いたかったんだよ」
あきに言われたくないけどね、わたし。
優等生ですって話し方で、勉強は苦手だけど運動は得意。前髪にちょろっとメッシュを入れるくらいには、確かなヤンチャ。
「あなたは綾瀬さんに頼りすぎ、彰人」
校門を過ぎた頃、不意にそんな声が聞こえて振り返る。水色と青の2色の髪色をしている美人さんがこちらを見ていた。
青柳冬弥。性別が変わっても美形はとんでもなく美形らしく、たまに不躾に見てしまうくらい。まぁ冬弥は一切気づかないんだけど。
「おはよう冬弥」
「おはよ、とーや!」
「おはよう。彰人、小テストがあるのは前日から分かっていたのでしょう?それなら対策くらいは出来るはず」
「いや……はい」
「あき、昨日わたしの部屋でゲームしてました〜」
「あっ、おいこら透!!」
「へえ。教えてもらう時間はあったのに、これから綾瀬さんの時間をまだ奪うと?」
氷のように冷えきった声があきを刺す。自業自得でしかない。わたしが勉強出来る理由だなんて、高校生が2週目である事実なんて関係なく、普通にやれば出来る才能の塊として生まれてしまっただけである。そりゃ小テストの前日にゲームするよね。ノッてきたお馬鹿さんは知らない。
「まぁまぁとーや?わたし別に嫌だと思ってないからさ」
「そう?」
「あきってばわたしがいないとなーんにも出来ないからねぇ」
「そっくりそのままお前に返す。絵名やあたしが居なきゃ何も出来ないくせに!」
「正論警察だ!とーや、あきはわたしを必要以上にからかおうとしてる」
「……もういいから、教室に行って早く予習をした方がいいよ」
呆れた声を背中に、なおもギャーギャー騒ぐあき。幼馴染というか、悪友って言った方が正しい距離感。
「ちょっと頭良いからって調子乗るなよ、透。毎朝あたしらに起こしてもらってるくせに」
「あ、あれ本当に起きれないからだと思ってたの?」
「はあ?」
「だって頼んだら、あきも絵名も来てくれるんだもん。優しくしてくれるの嬉しくてつい」
「……もう二度と行かない」
「え〜?じゃあ絵名に頼む。わたし、絵名に撫でられるの好きなんだよね〜」
「……絵名さんも大変だね」
「だろ?こいつ鈍すぎ」
「あきに勉強教えない!」
「はっ、ちょ待って、ごめんって!!」
あぁまたこいつらか。そういう視線を感じながら、あきに手を引かれて教室に向かう。わたしが居なかったから駄目になってたかもしれない彼女に言われたくない。
絵名も彰人も、幼馴染だから手を伸ばせた。冬弥は違う。この世界の冬弥も彰人の相棒だから、友人という距離には居れるけれど。
いやごめん、さすがに自分の行動を美化し過ぎた。わたしね、この世界の絵名の顔、めちゃくちゃ好きなんだよね。
元々美人さんだなぁって思ってたから、それが超がつくイケメンになってもうハッピー。おまけにわたしに優しいと来た。じゃあ甘えない手ないよね!
言っておいて行動しておいてなんだけど、まんま女に嫌われる女の典型例じゃん、わたし。だから友達少ないのかなぁ?
「ねー、何回おなじ間違え方すんの。そこはこう覚えるんだって」
「それで出来たら苦労しないんだよ」
「数学でもないのに何が分かんないのさ」
「社会科は暗記科目だよ、彰人」
「てゆーか、期末も小テストもワークから出るんだからやれば対策出来るじゃん」
「もうお前黙って」
「んふふ、そこ正解だよ。あきはすごいねぇ」
「馬鹿にしてる?」
「してないよ〜」
HRまではまだ時間がある。とーやに叱られながらウンウン唸っているあきのために、飲み物でも買ってきてやろう。そう思って教室を出れば、人懐こい笑みを浮かべた男の子がにこやかに笑った。
「おはよう、透」
「おはよ〜、杏。今日もイケメンだねぇ」
「あはは、ありがと。透もカワイイよ」
苦笑も爽やかだ。白石杏。コミュ力お化けの彼は注目を浴びていることも気にせず、心からの賛辞に同じものを返してくる。うーんこれがモテる男の言動か。
「自販機に行くの?」
「うん。あきに差し入れ」
「そっか。オレも行っていいかな?」
「なんか飲むの?」
「そんなとこ」
「……」
「……ホントは、透を一人で行かせたくないなーって」
「いいよ〜、行こ!」
チラりと周辺の生徒を一瞥して、それから杏はわたしの手を引いて歩き出した。いや、これじゃあ一人で行くよりよっぽど周囲の目を集めてる気がするんだけど。
わたしだって分かってるよ。自分で言うのもなんだけど、可愛い自覚がある。でもそれはそれ、杏との距離感が近い方がなんなら目立つ原因である。
「杏さ〜、誰にでもこーゆーことするの?」
「こういうって?」
「手繋いで一緒に」
「誰にでもなんてしないよ、オレは。少なくとも、透以外にはしない」
「……ふぅん。小さいのは身長だけだもん」
「子供扱いしてるわけじゃないんだけどなぁ……」
わたしの身長は154cm。中学の時にすでに成長が止まってしまっていて、なんなら数ミリ縮んだくらいである。そんなわたしと成長期の杏の身長差は20cm弱。デカい奴にはさぞ小さく見えることでしょうけれども。
乾いた笑みを浮かべる杏の隣で、わたしは自販機のラインナップを見つめていた。わたしはいつも紙パックのレモンティーを買っているけれど、今日は売り切れ。仕方ない、ミルクティーも好きだ。
あきはどうしよう。記憶の中の彼女はスポドリや麦茶を飲んでいることが多くて、こういう時に何を選んであげればいいのか頭を悩まされる。
「悩んでるの?」
「うん。あき、何飲んでたっけ」
「いいんじゃない、適当で。透が買ったって言ったら喜ぶでしょ」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
「でもほら、勉強頑張ってるし、ご褒美のつもりだから」
「偉いねぇ」
杏の手がわたしの頭を撫でる。また子供扱いだ。同い年のはずなのに。
「じゃあ、同じものにしてあげればいいんじゃないかな」
「そう?」
「下手にコーヒーとか買って戻った方が拗ねるよ、きっと」
「それもそうだ」
杏の言葉に背中を押され、自分の手の中のものと同じものをもう1つ購入した。そういえばカバンの中にお菓子を入れていたような気がする。一緒に渡せば、きっと顔を逸らしてお礼を言ってくれるんだろうなぁ。
「んふふ、杏が居てくれてよかった」
「どーいたしまして。戻ろうか」
気づけば杏も自分の飲み物を購入していて、わたしの付き添いの建前を用意していた。
「あ、そうだ。今度うちで新しいメニュー出すんだけどさ」
「うん?」
「試食してくれたら嬉しいなーって」
杏のお家はカフェを経営している。ストリート街にあるからか、絵名からは彰人共々出掛けることを良く思われていない。曰く女の子だけでは危ないから、せめて近くまでオレも行く。眠そうな顔でそれを言われても、着いてきてほしいなんて言えないし。言ってもあきが嫌そうにするし。
「うん、絵名も一緒でいい?」
「絵名さんも?」
「わざわざ試食の話するって、練習の日じゃないんでしょ?一人で行くと心配されるもん」
「あー……過保護過ぎだろ」
ポツリ、ワントーン低い声。聞いた事のない声だったからすぐに顔色を覗けば、すぐに取り繕った笑みを返された。女の子に向けているのと同じ顔。うーん寂しい。
「……オレが送り迎えするんじゃ、ダメかな」
「え?」
「そしたら絵名さんも心配しなくて済むでしょ?」
「杏ってば天才〜☆」
その手があった。そうだ、心配されるなら杏に迎えに来てもらえばいいんだ!それなら一人じゃないし、何より絵名が心配するように男の人に声を掛けられることもない。
「なんで気づかなかったんだろ。お手柄だねぇ杏」
「あー……はは、うん。それオレ以外にやんないでよ?」
「なにが?」
「なんでもなーい」
杏はまた乾いた笑みを浮かべて、杏はわたしの手から飲み物を抜き取った。これがイケメンの行動か。素直に関心しそうになる。
「自分で持つよ?」
「いーのいーの。透の手、小さいんだから」
「小さいかなぁ……?」
比較対象の手が大きいことは度外視か。大人しく杏の隣を歩いて教室に戻る。神高でも1、2を争うイケメンに荷物を持たせているわたし、一体何者なの?そういう視線が刺さってすごく痛い。わたしもそんなつもりじゃなかったんだよ。
「試食っていつ?」
「何時でもいいよ。でも、練習がない日の方がいいな」
「試食なら人が多い方がいいんじゃないの?」
「今度のやつ、オレがレシピを考えたんだよ。だから……他の奴に食われるのは、ちょっと気恥しいっつーか」
照れたように頬をかく杏。恥ずかしながら滅多に料理をすることがないわたしにその感覚は分からない。けど、確かに男の子がスイーツを作るのは可愛くて意外かも。
「じゃあ、杏の何も予定ない日に行く」
「うん、ありがと」
「可愛いね、そういうとこ」
「え?」
「いいじゃんスイーツ男子、わたし好きだよ」
「……オレかわいそ」
絵名もよくカフェに行こうって誘ってくれるんだよね。オシャレな内装に可愛らしいスイーツを一人で、もしくは男の子だけで楽しむっていうのは確かにハードルが高いだろう。
わたしはわたしで、カップルに間違えられて頬を赤らめる横顔も、口いっぱいに頬張ったスイーツに感嘆している顔も、同行者だけが見れる特権はお値段以上というもので、自分から美味しそうなお店をリサーチするくらいである。なので試食は適材適所、わたしに頼んで大船に乗ったつもりでいてほしい。
「じゃあ、持ってくれてありがとね。また放課後」
「うん、また」
杏の手からわたしたちの飲み物を受け取って、とーやの去った教室で唸るあきの元へ戻る。変に観衆の声が大きかったからか、顔を上げた彼女はこちらを見て嫌そうな顔をする。
「あき、ミルクティーでいい?」
「ありがと、助かる。けどお前、注目浴びすぎだろ」
「わたしじゃないよ、杏だよ」
「はいはい、そういうことにしてやる」
あきはわたしからミルクティーを受け取ってストローを開ける。
「……兄妹だねぇ」
「ぶっ飛ばすぞ」
おっとっと。そっくりな横顔だったものでつい零れた言葉は、ギロリと鋭く睨まれてわたしは口を閉ざす。
「どう?とーやのが詳しく教えてくれたと思うけど」
「赤点は免れそう」
「もっと高得点目指しなよ」
「うるさい」
照れ隠しでもなんでもない拒絶の声。まぁ付け焼き刃で点数が稼げたら苦労しないよね。
チャイムが鳴る。さっさと戻れって、目は口ほどに物を言う。あきに促されて席へ戻り、今日も一日学校が始まるのだった。