羽沢先輩がヤンデレ?ハッハッハ、御冗談を 作:コントラポストは全てを解決する
秋が家に泊まる。
研修という建前で取り付けたお泊りの約束。これが職権乱用甚だしいのはつぐみだって理解している。しかし、以前なら職権を乱用してもこんな機会は作れなかった。だからきっと、これはチャンスなのだ。
秋のための来客用布団を取り出し、押し入れの中のくぐもった臭いを消臭剤で取り消す。布団を敷く場所はもちろんつぐみの部屋。
そうして、着々と秋を迎え入れる準備をしつつ、つぐみは鼻歌混じりに昔を思い出していた。
羽沢つぐみという普通の女の子が、荒上秋という総受け犬系ホスト後輩にドップリ沼るまでの記憶を。
つぐみは、昔から取り柄のない普通な自分に悩むことが多かった。
幼馴染達に相談したり、学校の先輩に相談したり、たくさんの紆余曲折を得て、最後には『普通でもなんでも、誰かの助けになれたらいい』と悩みを飲み込む事ができた。だが、それでもふと悩んでしまう事が今でもある……それくらいには大切な悩みだった。
そんな状態のまま高校二年生へと進級した時、実家の店に毎日通い詰めてくるほどの熱心なお客が現れた。
隣町から越して来たらしい、明るく活発で人懐っこい男の子。純粋を絵に書いたような人で、その余りの柔らかい雰囲気は、蘭ですら三日で心根をさらけ出してしまうほど。
そんな彼──荒上秋がやって来てから、つぐみの環境は少し変わった。言ってしまえば秋がアニマルセラピーみたいな役割を担い、皆にパン屋のような穏やかさを持たせたのだ。
対する秋も、毎日かかさずつぐみの店へと足を運んでくれて、巴とラーメンを嗜んでくれて、ひまりとケーキ屋巡りをしてくれて、モカが隠す気疲れを労ってくれて、蘭の不器用さを笑って受け止めてくれて……そうして、周りに温かさを運んでくれて。
『こんな穏やかな日々がずっと続けばいい』……なんて、秋を見る度につぐみは思い馳せるようになった。
そうして、秋のいる日常が当たり前になり、仲が割れるような喧嘩やバンドのような特段特別な出来事もなく、正しく『普通』の名に相応しい日々を送っていた時、つぐみはふと気づいた。
普通や平凡、ありきたり。つぐみの中に竦んでいた悩みの種が、前よりずっと小さくなっていたのだ。
もちろん吹っ切れたわけではない……が、酷く思い悩むほどの物ではなくなっていた。
これも秋といた影響なのか……なんて、大げさだと流しながら笑ったつぐみ。けど、やっぱり気になるものは気になってしまう。だがら、試しに秋へと尋ねてみたのだ。
『ねぇ、秋くん。改まっていうのもくすぐったい話なんだけどさ、いつもありがとね。ここに来てくれて……それで、私の話も聞いてくれて』
『えっ、なんですか突然……引っ越し前の挨拶みたいな事言わないでくださいよ』
『あ、あはは……ごめんね。でもほら、私って普通で、皆みたいに魅力があるわけじゃないからさ。もしかしたら秋くんに変な気遣いさせてたりしてたのかなーって、ちょっと変な杞憂が芽生えちゃっり。あっ、ちゃんと秋くんの気持ちはわかってるよ?』
『はぁ……なるほど……?』
何を言っているのかわからない……秋の顔はそう物語っていた。
『ま、まぁ、悩みというか……今はもう愚痴みたいなものだけど。少し付き合って欲しいなー、なんて。ほら、秋くんにもない?ドラマとかアニメみたいな、派手な出来事を体験したい……みたいな事』
『特に……?俺、あんまり忙しないのは好きじゃないんですよ』
『地味だったり平凡なのが良いの?』
『はい。逆に羽沢先輩は派手な人に憧れていたんですね。知りませんでした』
『やっぱり、個性とか特別……みたいなものはどうしても欲しくなっちゃうからさ』
『羽沢先輩がそう言うなら余り強くは否定しませんが……』
そう、同調するでもなく拒否するわけでもなく、カップに半分ほど残ったコーヒーを見つめながら、秋は語った。
『羽沢先輩には受け入れがたいかもしれませんが、普通って素敵な事ですよ?』
『……そうかな?』
『はい。山も谷も、激しい波のようなブレもない。それが地味というものです。でも、変わらないからこそ、そこには穏やかさが生まれて、その平穏が居場所を作ります』
『えーっと……つまり?』
『今こうして皆がいるのは、羽沢先輩が普通で、変わらないいつも通りで、安心出来る場所だったからだと思うんです。それって、とっても素敵な事だと思います』
いつものワンコっぽい底抜けに明るい笑顔ではなく、見た目にそぐわない、どこか大人びた、穏やかな微笑みを浮かべた秋。つぐみは不覚にもドキッとしてしまった。
『そ、そっか……秋くん、そういう事も言うんだね……』
『あっ……ぃ、いえ、すいません……。落ち込んでるようだったので、何か励みになる言葉をと……』
『えっ、そんな顔してたかな?ごめんね、気遣わさせちゃって』
『いえ、お気になさらず……あっ、でも!ここが落ち着く場所って言うのはお世辞でもなんでもないですからね!俺、羽沢先輩と一緒にいる時間が心の底から好きですし!!!』
『へっ──!?!?』
そんな情熱的な言葉に心がぐらつき、それからしばらくの間、つぐみは秋の顔が見れなかった。皆からも秋を避けるのをやめたらどうかと言われたので、それはもうあからさまこの上無かったことだろう。
しかし結局、秋が隣りにいないことに寂しさや穴の空いた感覚を感じ、つぐみは秋に居場所を感じていた事を自覚したのだ。
こうして、つぐみは秋への想いに目覚め、恋する乙女街道へと足を踏み入れたのだ。
──結果、彼女はハジけた。
◇
「お客さんとトラブルにならないために、秋くんには女の子との接し方を勉強して貰うよ!」
泊まり研修のためにつぐみの家へと足を運んだ秋。羽沢夫妻に挨拶をしたあと、つぐみの部屋に上がった瞬間、研修が始まった。
「女性との……トラブル……?俺がですか……?」
「秋くん、すごいモテるでしょ?」
「特に……?」
一切無自覚な無頓着顔に、つぐみの心のエンジンはヒートチャージを始めた。もう既に体の奥底から燃え上がりそうな程の熱が湧き上がっている。
「秋くん、日菜先輩と付き合ってるって噂が流れてたの、知ってる?」
「は、初耳です……」
「図書室でいつも仲良く話してる黒髪ロングの先輩が、口下手や無口で有名な事は?」
「えっ、あの本の紹介がすごく上手な先輩がですか……?話し上手すぎて本の紹介を聞くためだけに会いに行く日もあるのですが……まさか口下手だったとは……。知りませんでした……」
「今日のバイトで、秋くん目当てで来たお客さんがいたんだけど、気づいてる?」
「さ、さっぱり……」
「だからこうして研修するんだよ。秋くんは自分の価値を分かってないから」
「な、なるほど……」
納得したような返事をした秋だが、正直自分の価値と言われてもイマイチぴんと来なかった。確かに価値はあるのだろうけど、友達は貴金属やダイヤのように扱うものではない。そう秋は思うのだ。仮にそういう価値があるのなら、秋以外も大事にされてなきゃおかしいと、足りない頭で考えてみる。
「まずね、秋くんは好奇心が旺盛すぎると思うんだ。知らない事とか面白そうな事とかを見つけると、秋くんって後先考えず突っ込んで行くでしょ?」
「だ、駄目なんですか……?」
「駄目じゃないよ。でも、それだけで勘違いして、秋くんを好きになっちゃう人もいるから。そうなると秋くんが危ないの」
「人を好きになるのが危ない事に繋がるんですか……?」
「うーん……分かりやすい言い方をすると……あっ、ヤンデレとか。秋くんを閉じ込めたり、影でこっそり写真を撮ったり、抱えきれないほどの愛情を押し付けたり。秋くんが思っている以上に、愛って難しいんだよ」
「な、なるほど……。でも、それだと俺は一人ぼっちになっちゃいませんか?極端ですか、人と関わらない方が良いって事ですよね?」
「大丈夫だよ。秋くんには私がいるんだから。それに蘭ちゃんに巴ちゃんにひまりちゃんに、モカちゃんだっているんだから」
「皆は大丈夫なんですか……?」
「大丈夫……だと思うけど、怪しいなって思ったら連絡して。私、そういうの得意だから」
「お、おぉ……!」
頼れる先輩に目を輝かせる秋。つぐみの中にある『守らなきゃゲージ』がグングン上がった。純粋すぎる。
「ずっと前から聞きたかったんだけどさ、秋くんって恋とか愛とか、友情の違い……みたいな物って区別ついてる?」
「つ、付いてます!それはもう完璧と言っても過言じゃないほどには!」
「でも、つくしちゃんと距離が近すぎるかなって私は思うよ?」
「つくしーはただの友だちなのですが……」
「秋くん、あれは恋人の距離感だよ」
「あれがですか……?」
到底信じられないと言った顔で秋はショックを受けてしまう。あまりのプレイボーイの素質につぐみはエンジンの吹かしが止まらなかった。
「皆が秋くんに『危機感を持てー』って言った理由、なんとなく伝わったと思うけど、どうかな?」
「わかりました……けど、あれくらい香澄先輩や彩先輩、あとは日菜先輩もして来ますよ……?」
「秋くん、それは秋くんと皆が特殊なだけなんだよ」
「そ、そんな……」
「まあ、当たり前が否定されたらびっくりしちゃうよね」
ショックのあまり、秋はワナワナ震えてしまった。もしかしたら自分はとんでもなくデリカシーのない事を皆にしていたのでは……と、そんな不安が積もりに積もる。
「そんな秋くんに良い提案があります」
「そ、それは……?」
「女の子相手にやっちゃいけない事、私が実践で教えてあげる」
「実践する意味とは……?」
「体で覚えるためだよ。コーヒーの入れ方や料理の作り方と同じ覚え方だし、ちょうど良いでしょ?」
「なるほど……じゃ、じゃあ、やります……!」
やる気のあまり幻覚の尻尾を暴れさせる秋を前にして、つぐみのエンジンはブオンブオンと音を立てていた。魔性のワンコ過ぎる。