『辺境の癒やし亭 ~追放された薬師はモフモフたちと静かに暮らしたい~』 作:はくこ
「……で、モフモフが好き、だと?」
グラハムと名乗る熊の獣人の長老は、ごつい腕を組み、唸るような声を上げた。その声は、森の奥深くから響く低音のようだ。焚き火の揺れる光が、彼の顔にごつごつとした影を落としている。周囲の獣人たちは、警戒しつつも、どこか呆れたような、そして珍しいものを見るような目でリオネルを見つめていた。まるで、王都から迷い込んできた奇妙な動物を観察するような、そんな好奇心と不信感が入り混じった視線だ。
リオネルは、もはやヤケ気味だった。喉の奥がカラカラに乾き、心臓がドクドクと不規則なリズムを刻む。だが、彼の瞳の奥には、偽りのない真剣な光が宿っている。この一瞬が、彼の新しい居場所、そしてこれからの人生を決めるのだ。だからこそ、彼は最後の賭けに出た。
「はい! もちろん、王国一の薬師として培った知識と技術で、皆様の病や怪我を癒やすことが第一でございます! しかし、それ以上に……獣人の皆様の毛並みの素晴らしさ、尻尾のしなやかさ、耳の可愛らしさ……! その全てが尊くて! あわよくば、その……モフモフさせていただくことに、並々ならぬ情熱を傾けております!」
彼の言葉は、もはや弁解というよりは、彼の魂の叫びだった。薬師としての誇り、そしてモフモフへの尽きない愛。その両方が、彼の言葉に乗り移っている。
目の前で、フェルは顔を真っ赤にしてグラハムの太い腕の陰に隠れた。彼女の狼の耳はぴくぴくと小刻みに震え、怒っているのか羞恥なのか、灰色の尻尾は地面に叩きつけられんばかりに激しく左右に揺れている。見るからに怒り心頭のようだが、その毛並みのふわふわ感が、リオネルの視線を釘付けにした。
一方、グラハムの隣に立つルナは、赤い瞳を細め、フッと不敵な笑みをこぼした。その笑みは、まるで面白い玩具を見つけた黒猫のようで、どこか残酷さも孕んでいる。彼女の細く白い指が、リオネルが森で採取してきた薬草の籠を軽く叩いた。まるで品定めでもするかのように。
里に重い沈黙が落ちる。焚き火がパチパチと音を立てるだけだ。里の獣人たちは、息をひそめ、グラハムの最終的な判断を待っている。リオネルの心臓は、さらに激しく脈打った。この緊張感は、王都の宮廷で国王に断罪された時とはまた違う、生々しいものだった。
やがて、グラハムは大きく、しかしゆっくりと息を吐き出した。その吐息は、森の空気を微かに震わせるかのようだ。彼の大きな手が、顎に生えた髭を撫でる。
「……信じがたい話だが、お主から悪意は感じられぬ。それに、ワシの目には、お主が本当に薬師であるように見える。その薬草の知識と、人に対する真摯な眼差しは、偽りではなかろう」
グラハムの言葉が、リオネルの耳に届いた瞬間、彼の胸の奥に、凍てついていた何かが微かに温かく溶け出すのを感じた。追放されて以来、初めて心の底から安堵できた瞬間だった。
「しかし、我らの里はよそ者を受け入れぬ掟がある。過去に人間との関わりで、多くの同胞が傷つき、悲劇が繰り返されてきた故にな。だが……お主の持つ薬草は、この森でも珍しいものばかりだ。そして、お主が真にこの里の者たちを癒やす力を持つならば、ワシらはこの里に居場所を与えよう」
「本当ですか!?」
リオネルは思わず声を上げた。その表情は、希望に満ちた子供のように輝いている。グラハムは、そんなリオネルを見て、微かに眉をひそめたが、すぐにその顔を崩してため息をついた。
「ただし、一つだけ条件がある」
「条件……ですか?」
「この里に住むならば、我らに“癒やし”をもたらすこと。その手で里の者たちを助けられると証明するのだ。できねば、追放だ」
「……はい。お任せください!」
こうして、リオネルの“仮住まい”が認められることになった。だが、獣人たちの視線は相変わらず冷たい。特に、モフモフ発言の被害者(?)であるフェルは、完全にリオネルを「変態」扱いし、彼の存在そのものを視界に入れようともしない。
──その証拠に、リオネルがフェルに近づくたび、彼女は「うわ、来ないで!」と叫び、耳を伏せて距離をとる始末だった。
一方のルナはと言えば、妙に距離を詰めてくる。
「ねえ、人間って、本当に変な趣味してるのね」
「い、いやあの、違っ……くはないけど……その……!」
「ふふ、顔真っ赤。あら、意外と純情?」
リオネルはこの狐(実際は猫科らしい)獣人に翻弄されつつも、ようやく手に入れた居場所に、強く決意を固めた。
案内されたのは、里の端にある使われていない物置小屋。板張りの屋根にはいくつも穴が空き、壁は苔に覆われ、入り口の扉すらギィィィ……と不気味な音を立てて開いた。
「ここが……僕の……?」
「文句があるなら、出て行ってもらってもいいぞ」
「い、いえ! ありがとうございます!」
埃だらけの床。崩れた棚。作業台も寝床もなく、当然ながら水も通っていない。だがリオネルは、そんなボロ屋を見て、不思議と心が落ち着いていた。
──ここが、俺の“癒やし亭”の原点になるのか。
彼はその場で、ぼろぼろの床に膝をつき、天を仰いでこう言った。
「やってやるぞ……!」
まずは掃除から始まった。
薬草を干す場所を作るため、壊れた棚を解体。作業台を自作し、持ってきた道具を並べる。王都では、施された設備が当然のように整っていたが、今はすべて一から。乾いた木片で火を起こし、水場から桶で水を運び、床板の軋みと戦いながら、彼は作業を続けた。
──その様子を、誰かがずっと見ていた。
「……なんで、あんなに一生懸命なのよ」
それは、遠巻きにこちらを覗くフェルの姿だった。リオネルの背中を見ているその瞳には、警戒心と──ほんの少しの好奇心が浮かんでいた。
「先生! これ、見て!」
朝靄のなか、小屋の裏手で薬草を干していたリオネルのもとへ、フェルが駆け寄ってきた。掌には、小ぶりな根付きの薬草が握られている。赤みがかった葉の縁がギザギザしていて、根元からかすかにミントに似た香りが立ちのぼっていた。
「これは……“癒しの根”じゃないか! どこで見つけたんだ?」
「西の沢のそば。昨日、ルナ姉と一緒に……先生が探してたんでしょ? 匂いでピンときたの」
フェルは得意げに胸を張り、尻尾をぶんぶんと振る。リオネルは、彼女の頭にそっと手を置いた。指先に伝わる毛並みの柔らかさが、朝の冷たい空気の中で、どこか優しさを添えてくれる。
「すごいな、フェル。君は立派な助手だよ」
一瞬、彼女は顔を赤くしたが、すぐに「当然でしょ!」と照れ隠しのように叫んで走り去っていった。その後ろ姿を見つめながら、リオネルは小さく笑う。
──少しずつ、この村に馴染めている気がする。
そんな安堵の中、ルナがふらりと現れる。片手に持っていたのは、何やら古びた羊皮紙だった。
「ねえ薬師さん。面白い話、聞きたくない?」
「また何か情報かい? 今度はどんな“面白い”話かな」
「この森のさらに奥、“黒樫の谷”に、昔の人間たちが使っていた遺構が残ってるって。精霊術と錬金術を混ぜた、禁忌の実験をしてた場所だって噂よ」
リオネルの背筋が、ぞくりと粟立った。それは、まさに王都で彼が追放されることになった原因──“錬金術の越権”と重なる話だった。
「その話……もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
「いいけど、その代わり。今夜、私の部屋で紅茶でも淹れて。猫舌だから、ちゃんとぬるめでね」
そう言ってルナは、くるりと踵を返し、森の方へ消えていく。その背中には、どこか底知れぬ知性と悪戯心が同居していた。
日が沈む頃、小屋の前で焚き火を囲んでいたリオネルのもとへ、グラハムがやってきた。獣人の長老はしばし無言のまま、火の揺らめきを見つめていたが、ふいに口を開いた。
「……お主、まだ何かを隠しておるな?」
リオネルは息を呑んだ。だが、それを咎めるような口調ではなかった。むしろ、その声には静かな観察と、僅かな期待が含まれていた。
「俺は……王都で、禁忌とされた調合法を試してしまった。それで追放された」
「ふむ。だが、それが今の我らにとって毒か薬かは……お主の振る舞い次第ということだ」
そう言って、グラハムは立ち上がると、肩を軽く叩いて去っていった。彼の足音が闇に消えていくなかで、リオネルは胸の奥で小さな決意を固める。
──この村を、守ろう。
それはまだ曖昧で、未熟な誓いだったかもしれない。それでも、確かに灯った小さな炎が、彼の中に残った。
そして──その夜、リオネルの夢の中に、見たことのない森の奥が浮かび上がる。
月光が差すなか、黒い蔓草に包まれた廃墟の中で、何かが目を覚まそうとしていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回はモフモフ好き全開のリオネルと、隠れ里での第一歩を描きました。
次回は、ちょっぴり不穏な気配が忍び寄ります……!お楽しみに!