薬をひったくった少年は、暫く追いかけていたら捕まえた。
捕まえようと思えば、メルハイムの身体能力ならば即座に捕まえられたであろうが。
ベネットの提案である程度現場から離れた場所で捕まえよう、という提案があったのだ。
煮炊きしていた広場から離れ、入り組んだ路地に入り込んだところで――メルハイムは少年を捕まえた。
「クソ....!離せ、離せよ!」
「離す訳ないでしょう。それは人の物よ」
メルハイムが捕えた少年は、両手を捻られ地面に置かれ
人通りが少ない場所に敢えて追い込み捕まえたのには、当然理由がある。
「それで?何で薬を盗んだんだ?」
「.....」
「黙るならこっちも黙って衛兵に突き出すぞ」
ベネットが冷たく言うと、少年は消え入るような声で呟いた。
「....弟が、ずっと体が弱ってて」
「....」
メルハイムもまた、少しだけ沈痛な面持ちをしていた。
この少年に、聖印は発動していない。
「それで――弟の為に薬を盗んだんだな?」
「.....」
「で?薬を盗んだところで、本当に弟が治るのか?」
「あぁ⁉」
「病の種類はごまんとあるし、それに対応する薬の種類だって同じだけある。君は弟の病についてちゃんと知った上で、それに対応する薬に狙いを定めて奪ったのか?本当にこの盗みで弟が助かると判断したうえで、そうしたのか?」
「.....」
ベネットの問いかけに、少年は黙ったままだ。
「いいか?君の弟にとっての生命線は君そのものだぞ。君が安易な盗みで衛兵に捕まって牢獄行きになれば世話する人間もいない弟は死ぬほかない。それを理解していないとは言わせない」
「それでもそんな安易な方法を君がとった理由を教えてやるよ。君は弟の病を治したいからじゃない。弟が死んだ時に自分の怠惰の所為で死んだと思いたくないからだ」
「いざ弟が死んだときに、自分は精いっぱいやったって自己満足を得るためだろ。安心したいからってだけだろ。確証もないハイリスクな方法に飛びついて、当たり前に衛兵に捕まって。そうすれば言い訳が得られるもんな」
ベネットが並べていく言葉に、メルハイムは驚愕の表情を浮かべている。
先程の人の好さそうな笑みをしていた男が、一転して別の顔をしている。
怒っている。
それは一般的に盗みを働いた人間に対する代物ではなかった。
少年の中にある欺瞞に対して、怒っている。
「だったら.....俺はどうすればよかったんだ!」
「弟の病状をまず究明する事からだろう。必要な薬の種類を把握して。もしかしたら自分の手で揃えられるかもしれない。少し金を貯めれば手が届くかもしれない。そのどれでもなく、高額な薬が必要で手が届かないという事を把握したうえで盗みが必要、と結論付けた上での盗みならまだ理解できる。だがそこまで君は手を尽くしたのか?――君がやるべきだった事はマモルモンを這いずり回ってタダで診察してくれる医者か薬草の専門家を頭を下げて探し回る事だ。そんな都合のいい存在が見つかる可能性は低いが、それでも盗みなんて馬鹿な手に頼るよりも遥かにマシだ」
「.....」
少年は、泣きそうな面構えで――ベネットに向き直る。
「お願いします....弟を診てください」
「はい解りました。君の家に案内してください」
欲しい言葉を得た瞬間、先程の空気は何だったのかと思うほどがらりと雰囲気を変え。
ベネットはべそをかく少年の後を付いて行った。
●
その後の事であるが。
掘っ立て小屋のような少年の家に横たわる彼の弟の診察をしたベネットは、一度広場に戻り隊商から薬草を取ってきて、粉状にすり潰し与えていた。
弱った身体の回復にはまだだが。蒼白だった肉体に確かな血色が戻ってきている。
「――盗んだ相手に謝ってきなさい。あらん限りの全力で。きちんと理由を筋道立てて説明して。蔑まれようが殴られようが、それでも謝り続けるんだ。そこまでしたら、私が仲裁に入ります」
そうベネットに指示された少年は、ひったくりの被害者に、加害者としての謝罪へ向かった。
薬草を取ってきた時点である程度の話をベネットが付けていたのだろう。謝罪を受け取ると”もう二度とこんな事するんじゃねぇぞ”とだけ言い残し、男は去っていった。
少年は、ベネットの隊商の活動の手伝いをすることになった。
「.....」
解らない。
メルハイムは、自分の聖印が段々と解らなくなっていっていた。
あの少年の盗みと。街中で行われている強盗は違うのか。
何故聖印が発動しないのか。盗みという明確な犯罪行為が行われていたというのに。
「――どうかしましたか、メルハイム様」
「あ、いや。う~ん。哲学的な悩みよね。善と悪って何なんだろうって....。今更な悩みだけど」
「おお。本当に哲学的な悩みだ」
「そりゃあね。善悪の判定をする聖印を持っちゃうと。色々と考える事があって。ここ最近、これで反応ないんだ、が結構続いちゃってて」
「あの引ったくりの子とかですか?」
「うん。それと....間違いなく悪人に違いない、って思っていた人に全然反応しなかったり。そんな事ばかりだ」
「ははぁ。そうですか」
「君は、あの少年は悪人だと思う?」
「うーん。まああの時点で犯罪者である事は間違いないんですけど。悪人....ではないかなぁ」
「その心は?」
「犯罪の行使が利己でなく利他の為であること。それ故の葛藤だったり罪悪感の有無。そういう諸々を含めての総合的判断という事で」
「――成程ね。総合的判断....」
そりゃそうだ、と思う。善と悪という二つの境の間には、凄まじいまでのグラデーションがある。それを判断するための絶対の基準など存在しないはずなのだ。
.....そう。そんなものは、本来存在しないはずで。
己が右腕の聖印を見る。
「なら....この聖印は、何を基準に発動しているんだろう」
「.....」
そうポツリと呟いた言葉に、ベネットは少しだけ何かを考えているようであった。
「気になるなら、追求していけばいいじゃないですか」
「え?」
「自分が持っている力に未知なものがあるというのなら、それは判明させるべきだと私は思います。原理原則が解らないものほど、不気味なものはないですから」
「.....」
「私も、可能な限り協力しますから」
原理原則が解らない力は、不気味。
その通りだと思う。
今、己は確かにこの力を――神から授かりしこの聖印を少なからず不気味に思っている。この力は何を基準に働いているのだろうか。
――追求していかねばならない。それは、本当にそうだ。
●
今この瞬間から――ヒューイにとって、確信が走る。
間違いない。
今、この世界においてメルハイムの聖印は――元来のゲーム的仕様である”カルマ”とは別の原理で力が働いている。
善行と悪行が機械的に判断され減算と加算を繰り返すようなもので判断されていない。犯罪行為の裏にある思惑などで数値の変動がある訳ではない。そんな複雑なシステムはゲームで搭載できない。だから――善行と悪行は”結果”で全て区分されていた。善なる結果を導き出せばカルマは下がる。悪なる結果を導き出せばカルマは上がる。
このシステムがそのまま採用されているというのならば。明確な犯罪行為を犯したあの少年には、聖印が反応して然るべきなのだ。だが、そうはなっていない。恐らくは、少年の背後にある利他の意思や、生活苦の背景。そういったものまでも含めて、判定が下されている。
より――聖印の機能が複雑化している。
――いや。最高だ。
ヒューイは、内心――心底、ワクワクしていた。
己が親しんだかつてのゲームの仕様とは、確実に世界は異なる形に変貌している。
あの時。メルハイムと対峙した時に”奇跡の聖印が発動しなかった”という己が導き出した結果は。カルマの加算がされないように細かに立ち回ったが故ではなく、もっと複雑で怪奇な原理で導き出されたのだろう。
あの時得た確信は、やはり正しかった。
この世界は、やっぱり最高だ。
それを理解したのなら、キチンとその原理原則を暴かねばならないだろう。
メルハイム・アトランティア。彼女が持つ奇跡の聖印の正体を。
そんな思考を巡らせていると。メルハイムは――少し、おずおずとした口調で話しかけた。
「――こんな個人的な事に協力してくれる.....って事は。私と貴方は.....友人って事でいいかしら?」
「へ?いや、まあ.....。正直恐れ多いですけど.....」
「ありがとう。それじゃあ――これから私の事はメルハイムでいいわ。様付けは止めて頂戴」
「え?あ、はい」
――いや。正直、探りを入れたいがために友好的な関係を作りたいとは思っていたが。まさかこんなとんとん拍子で好感を得られるとは思っていなかった。
まあ、いいや。都合がいい事この上ないのは事実だ。彼女の聖印の効能を調べるなら、彼女との友好関係の構築は必要不可欠なのだから。
「はい、呼んで」
「....メルハイム」
「復唱」
「メルハイム」
「はいOK」
なんだこのやり取り?
生まれてこのかた――というか前世から――友達いないからこの辺りの距離感ほんとに解らねぇ。
「じゃあ、さっき聞かれたことに答えるね。何で私が騎士団辞めてここにいるのか」
「あ、お願いします」
そうだ。その部分も聞かなければならなかった。
何があって彼女は、聖女と共にいるのか。
「――私の叔父が、騎士団に対する背信行為をしていたの。私の父への暗殺計画を立てていた」
「.....」
知っている。
原作におけるメルハイム・アトランティアは、洗礼の際に奇跡の聖印を授かり。聖印を恐れた叔父に襲われるも、その力で斬り伏せている。
聖印の力で己が悪行が暴かれてしまう事を恐れていたのだ。それが原作での出来事だったはず。
「私の友人がね。その計画を事前に察知して、必死に情報と証拠を集めてその計画を暴いて――逆上した叔父に刺されちゃったんだ」
「――え?」
「その友達に借りが出来ちゃったからね。旅に出るって言うから、付いてきちゃった。――結構単純な理由でしょう?」
そう言うと。メルハイムは――朗らかな笑みを浮かべていた。
●
さて、と。女は呟く。
薄暗い地下にひしめき合っている人間のようなもの。彼等の瞳孔からは光が無くなり、ただ虚空を見ている。
「――ようやく、成功体が生まれましたね。素晴らしい事です」
そう指示を出されると――その瞳孔に光が戻る。
機械的な足取りで一人ずつ、彼等は地下から地上へと出る。
その機械的な足取りは、地上で日の光を浴びると共に――それぞれの歩幅に戻っていく。
歩く場所は、貧民街。
社会から転げ落ちた最果ての場所の場所。地下では生ける屍であった彼等が、まるで日の光に命を吹き込まれたように――表情が戻り、悪態をつきながら地面を蹴り上げるようにして歩いていく。
「彼等の呼称をどう致しましょうか.....ゾンビ?いえ。別に意識がないわけではないですからね。ただ意識を認識する機能がなくなったというだけですから」
うーん、うーん、と唸りながら。女は「まあ取り敢えずゾンビとでも名付けておきましょうか」と呟いた。
「彼等のような存在に対して、――メルハイム・アトランティアの聖印がどう反応するのか。検証する必要がありますね」
女は――まるでフラスコに混ぜ合わせた薬品の反応を見るように。地下から這い出ていく人間の姿を、興味深げに見ていた。