「.....」
前領主の屋敷の一部を改装し作り上げられた工房の中。キャラルシンはふんふんと上機嫌そうに下手な鼻歌を歌っていた。
己が身の回りには、何処までも自分を肯定し、褒めてくれる部下ばかり。どんな振る舞いをしても許される。ニコニコと笑みを浮かべて、キャラルシンはヒューイの”お願い”の内容を聞いていた。
そのお願い、とは。隣領のアルムンで流行っている農作物への病の研究と、その病への耐性を持った新種の農作物の開発であった。
――この研究を完成させれば、隣領との交渉材料にできます。
――病への耐性を持つ魔法か、農作物そのものを得る事が出来れば。貴女は間違いなくこの辺境領における英雄でしょう。もしかすると、人類史に燦然と煌めく偉人になれるやもしれません。
――でも、気負う事はありませんよ。私は貴女の力を信じている。貴女が貴女のまま、ただ力を振るって頂ければ、それだけで全てが解決できるという確信がある。共に頑張りましょう。
「ふふ....ふーっふっふっふ!」
端正な顔面に相応しい笑みを浮かべながら、キャラルシンは――ヒューイの言う通り、やりたいようにやっていた。
周囲の人間によしよしされながら。課題として与えられた新種の農作物の作成と、病への対抗策となり得る魔法の開発。
全てを与えられている。
この研究を完成させればきっと自分はそれに相応しいリターンを得る事が出来る。その上、研究を支援してくれるヒューイは自分にとことん優しい。かつてのベルガン王都で研究員をやっていた時には、常に研究が盗まれるか、成果が横取りされないか――そんな余計な心配をしながらの日々だった。そのくせ成果をすぐにでも出せ、と頭ごなしに言われ続けてきた。
今はそれがない。ヒューイは金を出しても口は出さない。即座の成果も求めない。好きなようにやればきっと成果が出せる。ただそう言って、支援だけを与えてくれる。
「ふふ....やりたい事はまだまだあるよ! あ、君!お願いしてもいい!」
「はい、キャラルシン主任! なんなりと!」
ふふ。主任。主任だって。王都でどれだけ研究を成し遂げたところで、この肩書を得るのにどれだけかかるだろうか。万が一にもそこにたどり着いたとして、羨望に満ちた視線を向ける部下を得る事が出来るだろうか。
部下に言葉をかけると「承知しました!」と元気よく返答を行い、にこやかに去っていく。デスクに戻ると常に茶菓子が補充されている。気が利くじゃないか。
ああ。こんなストレスのない環境があるんだ。素敵だ。
「.....」
お願いを聞いた部下は、キャラルシンが自身のデスクに戻ることを確認したのち。貼り付けていた笑みを解除する。
即座にキャラルシンが己にした”お願い”の内容を暗号化された文章にしたため、工房の外にある秘密の投函口に投げ入れる。
その文には、こう書かれている。
――キャラルシン様が、現在貧民街に流通している禁制品の麻薬の研究に興味を示しました。
●
「.....」
――現在の監視対象である商業ギルド代表のアメルダから、メルハイム宛に書簡が届く。
内容としてはマモルモンに駐留するラミアス軍と共同で支援物資のチェックを行ってはどうか、という提案であり、受けてくれるのならばラミアス駐留軍へ赴きメルハイムに交渉をしてほしいという依頼であった。
その書簡にはギルドの代表である”アメルダ・ココルピー”の印が刻み込まれ。もう一枚、別の書簡が包まれている。
――貴女とわたくしの間に因縁がある事は確かでございますが。貴女の人となりは、現在行方不明となっている隊商メンバーのベネット・アイスナーより聞き及んでおります。その上で、信用できると判断いたしました。
――貴女には聖印がある。この禁制品の流入はラミアス駐留軍側から流れている可能性がある。貴女の立場ならば駐留軍に接触が出来るでしょうし、その聖印の力でラミアス側で支援物資に禁制品を紛れ込ませている者を暴けるやもしれません。こちら側の申し出を駐留軍は拒否しました。商業ギルドという怪しげな立場の人間の申し出は受けられない、という理屈を盾に。ならば、奇跡の聖印を持つ勇者である貴女の立場から申し出てほしいのです。
――それで拒絶されるとしてもそれはそれで構いません。そうなればラミアス駐留軍側から物資の流入があるという事がほぼ確定とみていいでしょう。事態は進展し、ラミアス側からの支援物資をいよいよ一般流通しないよう規制する口実となる。
締めに「ではよろしくお願いします」と書かれた書簡を見終わり。その書簡をパーティの皆に見せる。
「――どうする?」
「普通なら受け入れない理由はないの。提案主が、あの時の密売の犯人であるという点に目を瞑れればじゃが」
そう。提案そのものは何処までも合理的なのだが。提案主が信用できない、という一点のみが不安材料である。
書簡にある通り、このアメルダとパーティの間には因縁がある。
メルハイムは書簡に書かれた「ベネット・アイスナー」の文字を見て、一気に気持ちが揺らいできたが。それでも、抵抗がある。
そこに、鶴の一声が響く。
「メルハイム様、受けましょう」
「レイラ様.....」
「私は、彼らが行ったことに納得していません。ですが、その根底にある意思――この現状を打破しようとする意思だけは、心から信じています。彼等は我等と相容れぬ手段は扱います。ですが、目的そのものは信じてもよいと思います。彼等の動きで、間違いなくマモルモンは良い方向に向かっていますからね。この事実は受け入れねばなりません」
だからこそです、とレイラは続ける。
「むしろここで我等が信用できないの一点で拒絶してしまえば、彼等は手段を選ぶ事をしなくなる。そうなる事の方が我等にとっていけない。彼等から提示された手段が納得できるものかどうかで受け入れるか否かを決めるべきです」
――レイラはぎゅっと目を瞑る。
つい先ほど、己が聖印が発動した。
「――我等としても、手段を選んでいられない。先程、ビジョンが見えました。このマモルモンの街が.....悍ましい殺戮の舞台となる、ビジョンが」
●
「――貴方が自分から動いてくれるとは珍しいですわね、グリンド様。今日は槍でも降って来るやもしれませんわね。くわばらくわばら」
「アメルダさんよぉ。人間――やっぱり、気合を入れなきゃならねぇ瞬間ってのはあるもんだ」
「へぇ。どういう風の吹き回しですの?」
「俺にとっての女神様たちが....地獄に堕とされているってんだから.....」
「ああ....そういう事ですの.....」
貧民街。
荒れ果てた建造物。ありとあらゆるゴミが散乱した道の中。そのゴミと同じ風情で道脇に打ち棄てられたように横たわる浮浪者の山々。
マモルモン南西にある貧民街の中を、アメルダとグリンドの二人が歩いている。
「クソったれが.....! 俺様の天使を破滅に追い込むおクスリが蔓延しているって話じゃねぇか....!絶対に許せねぇ.....! 見つけ出して、この手で八つ裂きにしてやる.....!」
「まあ頼もしいこと」
グリンド・バーンハルト。
彼は、彼の欲求に素直である。
彼にとって娼館の女たちが麻薬の魔の手により破滅していっているという現状は、許されざることであった。脳内が三大欲求のエンジンに突き動かされているこの男にとって、自分好みの女の危機にはやる気を出さざるを得ない。食欲も睡眠欲も己で解消できるが、性欲だけは相手がいなければ解消できぬのだ。
「とはいえ護衛して頂けるのでしたら貴方以上に相応しい者はいませんわ。さて――調査開始ですわ」
ゴミの山を慣れた足つきで歩きながら、アメルダはじろりと周囲を見る。
見るのは、浮浪者の様子。
横たわっている人間が、空腹やただの虚無感故にそうしているのか。それとも――麻薬の離脱症状に耐える為にやっているのか。それを見極める為に。
麻薬の離脱症状に苦しんでいる者は、目の瞳孔の開き具合や体勢で解る。
「――そこの貴方。話を聞かせていただけない?」
そうして。路上に立っている男を一人捕まえ、金を掴ませ話を聞きだす。
目利きを行う。
人を観察し、話が通じそうで。普段から貧民街の様子に目を光らせているであろう人物を選び、そこに金を使う。
情報を集める。
売人は本当に存在しないのか。麻薬の薬効は本当に報告通りか。支援物資に入り込んでいるという情報は本当か。
ヒューイからの報告の精度を己の目で確かめながら、考える事はただ一つ。
相手の目的は何なのか。
どうやら、敵の目的は金銭的な利益ではないようだ。
情報の集積をしながら、ヒューイはまだ敵の目的にまで辿り着いていない。
思うに、彼は自分で定めた目的から逆算して動く時に真価を発揮する。
要は、攻めの姿勢でいる時に本当の強さを発揮できる人物だ。
彼がその事を自覚しているかどうかはともかく、その考えに基づいて動いている。この事態を受けて、ベルガンの秘密警察を掌握するという手法を選んだのも、彼自身の適性に合っていると思う。ベルガンの秘密警察は、能動的な動きに良くも悪くも反応せざるを得ない相手だ。メルハイムをはじめとするあの襲撃してきた相手も同じ。こちらの行動に反応してくれる相手ならば、つまりは目的を把握し、相手が望むものを理解したその時――ヒューイは強い。
――ご安心下さいまし、ヒューイ様。
――わたくしが貴方様を鬼神にして差し上げますわ。
ならば。今、やるべき事は彼に敵方の目的という動く軸を与える事だろう。
「――見えてきましたわね」
「何がだぁ?」
「敵の目的の一端が」
現在――彼女の足元には、倒れ込む浮浪者が転がっている。
彼等は最初から倒れ込んでいるのではなく。麻薬の離脱症状に苦しみ、暴れていた人間をグリンドに制圧させた相手である。
「麻薬を蔓延させる目的は、その離脱症状が金に結び付くからですわ。離脱症状から離れる為に、更に麻薬を必要とする。この因果関係に利益構造が結びついているのです。麻薬の蔓延で人が苦しむのはただの副産物でしかない」
「ですが。本来更に麻薬を買わせるための手段でしかない離脱症状を与えるだけ与えて、そこで更に麻薬を買わせないというのであれば。この目的というのは――離脱症状により苦しみを与える事が、手段ではなく目的となっている」
「それでいて、一般市民ではなく貧民街に蔓延させている理由の一端も解ってきましたわ。そちらで問題が起これば、事態収束の為に行政側が動かざるを得ないからですわ。貧民街で禁制品が広がる分には”ただの麻薬が蔓延しているだけか”と、どうしても動き出しが遅くなる。禁制品が支援物資に入り込んでいるという情報も、諜報の手が入ってようやく把握した事態でありますし」
なので、と。アメルダは続ける。
「敵にとっての利益構造は金品ではなく――この麻薬による離脱症状の苦痛を”広く”頒布させ”長く”維持する事。そうわたくしは分析いたしますわ」
そう結論付けると――にこやかな笑みを浮かべ、ただ今自身に襲い掛かってきた者に目をやる。
「貴方達には不運の代償を払ってもらいましょう。その離脱症状がずっと長引いた先にあるものを見せてもらいますわ」