「――人生において一番業腹な出来事が、今起こっていますわ....」
ああ、と。商人であるアメルダは走馬灯のような感覚を覚えていた。
流れるように、これまで一年かけて積み上げてきた己が軌跡が、脳裏を駆け巡る。
国境線の兵士を買収した。偽の身分証を用意するために大金をかけた。人手を用意し、急ピッチで倉庫を作った。時にライバルの商会を味方につけた権力で捻りつぶし。時にこちらを探ってきた有象無象を叩きのめし。時に都市の有力者の弱味を握り。ひたすらに頑張ってきた。ひたすらに食料を買い漁ってきた。寝る間もなく頑張ってきた。働き続けてきた。
解る。人が必死に努力して積み上げてきて。その成果がようやく実るかもしれない――その瞬間、山積させてきたそれらを崩す。その爽快感に、甘い快感。理解できる。己も、やる側なら心底楽しくて仕方がないだろう。
理解できるからこそ許せない。己が、
今己は、その危機に陥っている。
突如吹き荒れてきた突風が倉庫から運び出した食料を薙ぎ倒さんと叩きつけられている。結界で何とか隊商を守っているが紙一重だ。
怒り。
そう、怒りだ。
貧乏な家。働かない父親。奴隷のような母。侮蔑の目。権力の横暴。
アメルダは怒り続けてきた。怒るエネルギーを、決して絶やすことをしなかった。
借金のカタに売られそうになり、アメルダは何の躊躇いもなく父を蹴り倒し。彼の名義を用いて限界まで金を借りた。その数倍の借金を重ね、当時駆け出しだった武具工の投資を成功させたとき、商いの道を突き進むことを決めた。
怒り続ける事はエネルギーを要する。ずっと怒り続ける事は困難だ。いずれ怒りは鎮火し、諦めという名の灰へ変わっていく。諦めの中、人は自分の心を守っていく。変わらない現実。雨のように降り注ぐ理不尽。諦めという傘を開いて、必死に自分を守る。それがどうやら普通の人間らしい。
アメルダは、そうではない。一度受けた侮蔑も。己に襲い来る理不尽も。全て忘れたことはない。全てに怒り続け、この怒りの炎に油を注ぎ続けた。燃え盛るような炎は、己を歩ませる燃料となった。
忘れるな。決して忘れるな。そして必ずや成し遂げろ。己は理不尽を与えられる側ではない。成るならば、与える側だ。権力の横暴を受ける側ではない。振るう側だ。食われる側ではない。食う側だ。――そして何より。不幸になる側ではない。幸福になる側だ。
今――己に降り注ぐこの理不尽な現実。暴力にさらされ、己が積み上げた努力を崩そうとする漁夫がおり、今まさに己は不幸にならんとしている。
「ふっざけんじゃありませんわ~~‼」
叫べ。
怒れ。
「――皆々方!各隊商に連絡あそばせ!結界の維持の為に、一つどころに集まるようにと!結界の密度を濃くして輸送物の損害を抑えて下さいまし!」
連絡用の人員に素早く声をかけると、アメルダは迷わず森の中を駆け出さんとする。
傍らにいたキャラルシンは、ギョッとした顔でアメルダを見ていた。
「ど、何処に行くんだ!こんな嵐の中!」
「非常事態で隊商の長が引きこもるなんて論外ですわ!わたくしは各隊商の損害を確認し、陣頭指揮を執り行います!」
「そ....そんな!何でそんな事をするんだ!敵も襲ってきている!死んじゃうかもしれないんだぞ!もう十分に儲けたじゃないか....!ここで隠れて、逃げれば....」
「十分に儲けた?――いいこと、キャラルシン様。利益というものは商人にとって一つの価値基準でしかありませんのよ?」
そうしてキャラルシンは――アメルダの目を、見た。
「ただ利が損を上回ったという結果のみに目を向け満足すれば。いずれ損に天秤が傾いたとき、商いは一気に立て直しが利かなくなりますわ。計画の修正を行うのはいい。途中で損切りする事も必要でしょう。ですが、その判断を――我が身可愛さを”利益が出たから”などという理由で言い換えて逃げ出す方便にしてはならないのです!そうなった時商いは終わりですわ!商人は利益という結果が重要なのではない。利益を出すために最善の過程を踏めたかどうかが何よりも重要なのです。過程にこそ、価値がある。何故ならば、結果は天候のようにあれよあれよとどうしようもなく変わりますが。その中で己が正しく判断ができたかどうかという過程こそは、決して変わりませんもの!」
「人に価値などありませんわ!価値があるのは、その人間が何を生み出したかであってその人間そのものではない!わたくしは商いを行うがゆえに、商人としての価値があるのです。ここで商人をやめてしまえば、わたくしに如何なる価値が残されていると思って!」
「だからわたくしは向かいますわ。何故ならば――わたくしは、商人なのだから.....!」
狂気を怒りに包み込んだ目をもって、彼女は真っすぐに視線を向ける。
そこには――キャラルシンが後生大事に抱える、保身の欲は何一つ無かった。
「キャラルシン様が持つ価値は、貴女様の素晴らしい技術、魔法にあられますわ。だからここで隠れてくださいまし。――ですが、わたくしは行きます」
そうして、吠えるように天へ絶叫を上げると、アメルダは走り出した。
「な....なんでこんな.....嫌だよう。ボクを一人にしないでおくれよぉ.....」
ただ一人残されたキャラルシンは、情けなくそんな事を呟いていた。
●
――やはり。食料の買い占めを行い、密売によって利益を得ようとしていたか。
ここにもまた、怒りを抱えた女が一人。
メルハイム・アトランティア。
ラミアス皇国の将軍の嫡子であり――奇跡の聖印を授かりし、勇者。
彼女の目には、まさしく義憤がある。
飢饉に喘ぐ者たちを尻目に、それを密輸せんとする浅ましさ。
”奇跡”。その聖印は、運命を手繰り寄せる。
悪意を斬り裂き、魔を滅ぼす。業深き意思が強くあればあるほど、聖印は光り輝く。
人を救う光。悪を裁断する刃。神から人へと与えられたその証は――己が利き腕である右腕に宿っている。
「――貴方が、私の相手をしてくれるのね」
眼前に現れたのは、一人の男であった。
その人間は顔を見られたくないのだろう。目元以外をぐるぐると包帯で巻き、その上にフードを深く被っている。
その手には二つの得物がある。左手には短刀。右手には、消火に用いられる分厚い斧。二つともよく鍛えられているが、変哲のない得物だ。
「――お前は、何を目的にここを襲った」
「国境線付近で食料の密輸をしようとした悪党を見逃す必要があると思う?」
「我々はまだ国境線を超えていない。ただ所有している土地の中で保有していたものを外に運び出していただけだが?勝手に人の土地に足を踏み入れたのは、貴様等の方だが?」
「いけしゃあしゃあと――。一年前からこそこそ食料を買い占めていたのは何故?」
「答える必要も義理もないな。ならばこちらの問いに答えてもらおう」
包帯男は、くぐもった声で――淡々と問いを重ねる。
「お前は、私が悪党だからここで襲うのだな」
「ええ。そうね」
「ならば問うが――私が悪党ならば、何故その右腕の聖印は発動しないのだ?」
「――は?」
思わず、メルハイムは――己が右腕を見る。
刻み込まれた聖印は光を失い、陰った紋章だけが月明かりに照らされているのみ。
この聖印は――悪意を、邪な意思を持つものに反応する。
隣のマモルモン領の食料事情を利用し、浅ましく金を稼ごうとしているはずのこの男に――何故か、聖印は反応しない。
義憤が、困惑に変わっていく。
「――どうだ?まだお前は胸を張って己が行動を正しいと許容できるか?少なくとも、聖印は私を悪であると断じていないようであるが」
その困惑に突き刺すように、包帯男はそう呟いた。
●
メルハイム・アトランティア。彼女は奇跡の聖印を授かりし勇者である。
彼女の紋章は、悪意や邪悪に反応する。悪との戦いにおいて、必ずや勝利の運命を手繰り寄せる――まさしく勇者の紋章である。
魔王に与する者。犯罪者。そういうものに聖印は反応し、強力な聖属性の属性を勇者に授ける。
この性質のゲーム的な仕様をヒューイは把握していた。
フォウル・ステーラーには、”カルマ”という値が存在しています。この値が高ければ高いほど、プレイヤーは悪党としての扱いを周囲から受けるわけですね。
オープンワールドというゲーム形態は自由度がウリです。自由というのは、行動に対するリターンを得てこそ実感するものです。善行を積み重ねれば称賛を受けたいものですし、悪行を積み重ねれば周囲から恐れられたいのです。その為、善行を上げれば減算され、悪行を積み重ねれば増えるカルマという数値で行動に対するリターンを提示していたわけですね。
そのカルマに極端に影響を受けるのが、このメルハイム・アトランティアというキャラなわけです。
彼女は、聖印によってカルマが高い者に対するパラメータが上がる。極端な悪人プレイをしていると刺客として派遣されます。ただでさえ強敵なのに、カルマによって最大六倍近くステータスが跳ね上がる。最大レベルまでやり込んでも全然敗けれるほど強い。プレイヤーのカルマが最大になった時に対峙せねばならない彼女は、グリンド同様に真正面から対処する事は難しい。
ヒューイは――ここまで、決してカルマを上げないように慎重に行動してきた。
カルマの仕様は本当にオープンワールドというゲーム形態にマッチしていたと思う。自由な振る舞いが許されるゲームだからこそ、その振る舞いに正しい反応をしてもらいたいわけだ。だが、やはりゲーム的な仕様故に、限界がある。
例えば――直接何らかの犯罪行為をしてしまえば当然カルマは上がるが。間接的な方法を用いればカルマは上がらない。殺人は罪だが、敵対NPCへの正当防衛はOK。盗みはNGだが、誰かに盗ませたうえで盗品属性を消したうえで手に入れるのはOK。
例えば。レイラの父親を死なせないために神樹を焼いたわけだが。神樹を直接焼くのはNGだが、襲ってくるグリフィンへ火を放った結果として、グリフィンから樹へ延焼してしまうのは恐らくOKだろう。ヒューイはこれまで、こういうゲームの仕様を用いた細かいテクニックを講じながら――己のカルマを上げないように、直接的な行動を抑えてきた。
とはいえ。転生という過程を踏んでこの世界に生まれたのだ。ゲームの仕様がそのまま残っているとは限らない。普通にこちらの悪意や、邪悪さを判定してくる可能性もある。
そこは普通に賭けだ。
己の内側にあるこの意思が――邪悪と判定されるかどうか。
ヒューイ・ベネディクトは、魔王を倒したい。
そして。原作で用意されたどのエンディングよりもいい結末を見てみたい。
それだけ。ただそれだけだ。その為に手段は選ばないが、この意思だけは正しいと信じている。
原作では魔王側に寝返ったあの三人が普通に生きていくとどうなるかを見てみたい。レイラが予言の子の運命に打ち勝ち長く生きていくのを見てみたい。
この意思の正しさを、信じる。
ゲーム的な仕様も。己の意思も。双方とも、決して邪悪だと判定されない。そう信じる。
だからこそ、己はグリンドを派遣する相手にメルハイムを選ばなかった。
相性ならば、こちらの方が絶対にいいはずだ。
彼女の右腕の聖印は――反応していない。
賭けには、勝った。
「私は私の正しさを信じる。――お前はどうだ、メルハイム・アトランティア!」
さあ。後は、この平凡なスペックでこの勇者を超えるだけだ。
聖印を封じ。そして迷いを与えた。このデバフによって――後は乗り越えられるかどうかだ。