シャムロックグリーンとの初恋   作:松兄

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俺と沙知の幼稚園時代(出会い) 沙知の初恋

 

 

 それは、今から14年前。俺と沙知が幼稚園の年少の頃だった。

 

 夕方の静かになった幼稚園の教室。お迎えを待つ間、当時の大賀美沙知は今のハツラツとした様子がなく、小さな肩を落としてうつむいていた。

 紺色の園服の胸元をぎゅっと両手で握りしめ、その琥珀色の大きな瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙がたまっている

 

 

こうた(ん?)

 

 その日は康太も迎えを待っており、女の子が泣いていたのを見て声をかける。

 

こうた「どうしたの? となりのくみのこだよね?」

 

さち「え、きみは?」

 

こうた「おれはこうた。かみしろこうた。きみは?」

 

さち「あたしは、おおがみさち」

 

こうた「さちちゃんか……。で、なんでないてたの?」

 

 

 沙知は俯き、話してくれた。

 

さち「おとうさまとおかあさまも、おじいさまとおばあさまも、まわりのおとなたちもね、みんな『沙知ちゃんならできるでしょ』っていうの。いいおうちだから、ちゃんとしなきゃダメなんだって……」

 

 まだ幼稚園の年少。当時の沙知の小さなの背中には、周囲からの「立派な跡取り娘」としての大きな期待が、重いプレッシャーとなってのしかかっていた。

 幼稚園児の沙知にとって、それはあまりにも息苦しく、寂しいものだった。

 

 ポロポロと涙をこぼし始めた沙知の前に、康太は一歩踏み出した。

 

 同じようにぶかぶかの園服を着た小さな身でありながら、康太はぎゅっと拳を握りしめ、沙知の目を真っ直ぐに見つめた。

 

こうた「じゃあ、おれがさちちゃんをまもる! さちちゃんをささえる!」

 

 まっすぐで、迷いのない宣言だった。まだ「守る」や「支える」の本当の意味なんて、お互いに詳しく知らないはずの年齢。

 それでも泣いている女の子を助けたいという一心で放たれたその言葉は、何よりも力強かった。

 

さち「……えっ?」

 

 沙知は驚いて顔を上げた。涙で濡れた長いまつ毛が震える。

 

こうた「さちちゃんがくるしいときは、おれがぜんぶはんぶんこしてあげる。だから、そんなにがんばらなくてだいじょうぶだよ。おれがずっと、さちちゃんのとなりにいるから!」

 

 胸を張って言い切る康太の姿を見て、沙知の瞳にみるみるうちに光が戻っていった。

 

 張り詰めていたプレッシャーの糸が、康太の言葉によって優しく解きほぐされていく。

 

さち「…………うん…………っ!」

 

 次の瞬間、沙知の顔に、いつもの、いや、これまでで一番嬉しそうな笑顔がパッと咲いた。

 涙をいっぱいに溜めたまま、でも口元は嬉しさを隠しきれないように大きく綻び、真っ赤な頬をさらに上気させる。

 

さち「やくそくだよ? ずっと、わたしのとなりにいてね」

 

 まだ小さくて頼りない、だけど今となっては、世界で一番頼もしい男の子の宣言に、当時の沙知の小さな胸は喜びと安心感でいっぱいになっていた。

 

 

 ―――高校生や大学生になっても色褪せることのない、二人の深い絆が生まれた、大切な放課後の思い出。

 

 

 幼稚園のあの放課後、二人が交わした小さな約束。

 

 

 

 それは子供同士の無邪気な誓いにとどまらず、大賀美家という大きな「家柄」の大人たちを巻き込む波紋へと広がってくのに時間はかからなかった。

 

 小さな身でありながら、大賀美家の重圧に潰されそうになっていた沙知を「俺が守る、支える」と言い切った康太の存在は、すぐに沙知の周囲の大人たちが知ることになる。

 

 

 まず反応したのは、大賀美家に長年仕える使用人たちだった。

 

 そしてその評価は、見事なまでに二つの陣営へと真っ二つに分かれることになった。

 

 

 

 伝統と格式を重んじる古参の使用人や、家柄に盲従する一部の者たち(否定派と命名)は、康太の存在を決して良く思わなかった。

 

使用人『どこの馬の骨とも知れぬ子供が、大賀美家の娘を守るなどと大言壮語を……』

 

 否定派にとって、康太の言葉は不遜極まりない身の程知らずな世迷言であり、沙知の気品を損ねかねない不確定要素として、冷ややかな視線を向けた。

 

 

 

 

 一方で、幼い沙知が日々どれほどの重圧に耐え、笑顔の裏でどれほど孤独な涙を流していたかを間近で見てきた使用人たち(肯定派と命名)もいた。

 彼らは、康太の真っ直ぐな言葉に救われた沙知の嬉しそうな姿を見て、ひそかに胸を熱くしていた。

 

使用人『あのお労しい沙知お嬢様を、あんなにも純粋に笑顔にできるお方は他にいない……』

 

 肯定派は康太を「お嬢様の心を救うかもしれない光」として、深い期待を込めた目で見守るようになる事になる。

 

 

 

 

 

 そして、この状況を最も重く、かつ複雑な想いで受け止めたのは、他ならぬ沙知の両親と祖父母だった。

 

 大賀美家の絶対的な当主である祖父母、そして次代を担う両親。

 彼らは立場上、沙知に厳しく接し、周囲の期待を背負わせる役割を演じざるを得なかった。

 しかし、その血の通った本心では、まだ沙知が幼い身でどれほど苦しみ、傷ついているかを痛いほど理解し、人知れず胸を痛めていた。

 

 我が子を、沙知を縛る家柄という呪縛。

 そこへ突如として現れ、小さな身体で「俺がはんぶんこしてあげる」と盾になった少年。

 

 使用人たちが「不届き者だ」、「いや希望の星だ」と二分して騒ぎ立てる中、大賀美家の前代と現代の夫婦は、静かに言葉を交わした。

 

沙知祖母「まだ幼い子供の言葉、と切り捨てるのは容易いですが………」

 

沙知祖父「うむ。だが、沙知のあの救われたような顔を見てみろ。あの男の子は、我らが課してしまった重荷を、本当に半分背負おうとしているのかもしれん」

 

 激しく反対して引き離すことも、手放しで歓迎して許嫁のように扱うこともしない。彼らが下した決断は、「まずはこの少年を、大賀美家に相応しい男かどうか見定める」ということだった。

 

 

 

 

 これから康太が成長していく中で、大賀美家という大きな壁にどう立ち向かうのか。沙知を本当に支え続けられる強さと器量があるのか。

 

 沙知の両親と祖父母は、厳格な守護者としての冷徹な目と、愛する『娘(孫娘)』の幸せを願う親としての切なる祈りを秘めた目で、康太をじっと観察し始めるのだった。

 

 

 そしてそれから幼稚園の卒業、小学校、と月日が経ち、康太は一度も沙知を一人にしなかった。

 子供の身でありながら、沙知との約束を誠実に守り続けていたのだ。

 

 幼稚園のあの放課後から、季節は何度も巡り、 月日は確かに流れていった。

 

 その長い月日の中で、康太は沙知と交わした 「沙知ちゃんを守る、支える」という約束を、一時たりとも忘れることなく、誠実に、愚直なまでに守り続けていた。

 

 沙知が良い家柄ゆえに周囲から心ない視線を向けられた時、高い壁にぶつかって人知れず俯きそうになった時。いつも彼女の隣には康太がいた。

 

 特別なことを誇るわけでもなく、ただ当たり前のように隣に立ち、彼女の背負う重荷を本当に「はんぶんこ」にして支え続けた。

 その一貫した誠実さと強さは、年を追うごとに本物へと磨かれていった。

 

 この頃には、大賀美家の大人たちと使用人の肯定派の心は完全に決まっていた。

 

 かつては「見定める」としていた両親、そして厳格だった祖父母も、大っぴらに言葉にこそしないものの、胸の内では確固たる信頼を抱いていた。

 

 使用人たちの二分していた評価は、否定派は頑なだが、肯定派は康太の圧倒的な誠実さを前に、誰もが認めていた。

 

『沙知(お嬢様)を本当の意味で任せられるのは、あの頼もしい少年しかいない』と。

 

 そして、もうすぐ中学校への入学を控えた、春の暖かな日のこと。

 

 使用人の人払いがされた大賀美家のリビングに集まった両親と祖父母の前に、少し緊張した面持ちの沙知が立っていた。

 

 少し大人びた表情を見せるようになった沙知は、胸の前でぎゅっと手を握りしめ、意を決したように琥珀色の瞳を見上げた。

 

沙知「お父さま、お母さま。おじいさま、おばあさま……。あたし、ずっと好きな人がいるんです」

 

 小さな声。だけど、そこには大賀美家の重圧に怯える様子は一切なく、一人の少女としての強い意志が宿っていた。

 

 沙知は、康太への想いを、ついに家族へ打ち明けた。

 

 家柄のしきたりや、周囲の目が味方をしてくれないかもしれないという不安が、沙知の胸をわずかにかすめていた。

 

 しかし、身内から返ってきたのは、沙知の予想を覆す、温かく優しい微笑みだった。

 

 口を開いたのは、かつて厳格に康太を見定めていた祖父―――。

 

沙知祖父「知っているよ。……お前が誰を見て、誰に支えられてここまで大きくなったか、私たちが知らんはずがなかろう」

 

 続いて、母が優しく沙知の肩を包み込むように抱きしめて、言った。

 

沙知母「私たちはね、沙知が康太くんと一緒にいるときが、一番幸せそうなのを知っています。だから……私たちは沙知の恋を、心から応援するわ」

 

沙知「え……?」

 

 沙知は驚きに目を見張った。

 

 厳しい言葉が返ってくることも覚悟していた。大賀美家の重圧を誰よりも知る家族が、まさかこれほど真っ直ぐに、自分の想いを、そして康太の存在を肯定してくれるとは思わなかった

 

沙知父「康太くんなら、大賀美家の娘としてではなく、大賀美沙知という一人の女の子として、沙知をずっと大切にしてくれる。私たちは康太くんを信じているし、沙知の選択を全面的に応援するよ」

 

 

 父親が力強く頷き、祖母も優しく微笑みかける。

 

 

 家族全員からの、これ以上ない心からの応援の宣言―――。

 

 

 

 康太が何年にもわたって積み重ねてきた誠意が、大賀美家の人たちの心を動かした。

 

 自分の家族に認められ、心の底から祝福された沙知の顔に、みるみるうちに光が広がっていく。

 

 張り詰めていた緊張は一瞬で消え去り、涙がじわっと滲む瞳の奥から、心底幸せそうな、とびきり眩しい笑顔がパッと咲き誇った。

 

沙知「…………っ、うん………! ありがとう!!」

 

 

 

 それは、かつて幼稚園の教室で康太の言葉に救われたあの日の笑顔。

 

 けれどそれ以上に、未来への希望に満ちあふれた、世界で一番幸せな少女の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 そして―――、時は現在。沙知は康太の家に遊びに来ていた。

 

沙知「…………ふふっ」

 

康太「ん? どうした?」

 

 突然笑った沙知が気になり聞いてみる。

 

沙知「いや、急に昔のことを思い出してねぃ」

 

康太「昔のこと? なんだよ……」

 

 沙知は康太の目をじっと見つめると、

 

沙知「おーしえない♡」チュッ

 

 そして沙知は康太の首に手を回し抱きつくと、不意打ちで康太の唇を奪ったのだった。

 

 

― つづく ―




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