夜顔~Yorugao~ 作:夕顔
仕事には対価が支払われる。それは何も、金銭だけに限った話ではない、が今回は金銭の話だ。
「どうするか」
一人暮らしするマンションの居間にて、夜顔はちゃぶ台の前に胡坐をかいて座り込んでいた。
彼が見るのはちゃぶ台の上。置かれているのは、中身が確り詰まった茶封筒。
一つは、鳳家の立食パーティにおける護衛の報酬。
散々に会場を破壊したが、人的被害は星噛が入り込むために成り代わられた執事だけ。客にも怪我などが無かった為に減らされる事無く渡されて、五十万。
もう一つは、その襲撃した星噛からの口止め料兼迷惑料。
その額、百万。補足をすれば、夜顔が請求した訳ではなく、相手側が態々エージェントを立てた上で接触してきて渡された。
一高校生からすれば過ぎた金額だが、生憎と夜顔は一般男子高校生とは少々違う。
金遣いそのものは悪くないが、それはそれとして使う事に躊躇もない。
問題は、その使い道だ。
百五十万程度、大人であれば車の購入資金の一部に充てたり、或いは家のリフォームの一部に充てたりと高額な使い道もある。
だが、夜顔は高校生。仕送りに関しても問題なく、マンションの家賃にしても元の金額よりも
所謂、事故物件。因みに夜顔で入居者は事故が起きて二人目。一人目の方は、入居して一ヶ月程度で出て行ってしまったらしい。
態々そんな部屋に住まずとも、という話だが生憎と死人の一つ二つで揺らぐようなメンタルを夜顔はしていない。
閑話休題
「…………とりあえず、千鶴に何かを買ってやろうか」
星噛からの迷惑料から、万札を五枚ほど抜き取って残りは鳳からの報酬と合わせてベッドのマットレスの下へと放り込む。
自分に使わないのなら、誰かに使う。その中で、夜顔が思い浮かんだのは末の妹の事だった。
小学一年生となった年の離れた妹。夜顔が一人暮らしをすると言い出した際には、珍しくも泣いて引っ付いて離れない事態にまで陥った。
その時は、姉と内弟子と母と夜顔の四人がかりで宥めすかして、言って聞かせて、時々ちゃんと帰って来る事を約束してどうにか治まった。
準備を終えて、スマホから母へとメッセージを送り、返答が返ってきた所で夜顔は部屋を出た。
向かうのは、駅。
切符を買い、乗り込んだ電車は中々の乗車率。
すし詰めとまではいわないが、それでも座席は全て埋まっており。出入り口の近くは、早く降りたい乗客によってまあまあ込み合っている。
座席近くの壁を陣取り、腕を組んで夜顔は壁に背を預けた。
都内の電車で両手を見える位置に置くのは、男性陣としては当然の行動だった。世の中には吊し上げをお小遣い稼ぎ感覚で行う者が居るのだから。
ただ、ある種彼女らへと大義名分を与えてしまう行動をとる者も男性陣に居る事は確かだった。
スマホを弄る気にもならず、車内に視線を彷徨わせていた夜顔は、ふと気が付く。
彼の居る扉の近くから、扉一つ分は挟んだ車両の反対側の扉。
深い藍にも近い紫の髪をポニーテールに纏めた少女と、その少女のすぐ後ろにぴったりと張り付くような近さの男が居たのだ。
男の手は不自然に動いており、少女の方は真っすぐに扉のガラスから外を見ているがその顔色は青白い。
周りは気付いているのか、いないのか。少なくとも、その凶行を止める者は居ない。
「…………」
気付いてしまえば、無視はできない。電車の揺れを気にすることなく、夜顔は壁から背を放すと人垣を縫って目的の場所まで歩き出す。
恐るべきは、その体幹。仮に片足立ちで車内に居たとしても、彼は倒れる事は無かっただろう。
揺らぐ事のない足取りのまま距離を詰め、夜顔は男の腕をとった。
「なっ……ぐっ!?」
「選べ。このままこの腕へし折られて駅員に突き出されるか。それとも、大人しく駅員に突き出されるか」
驚愕の後、苦痛に顔を歪ませる男に夜顔は淡々と告げる。
前にも似たような事があったな、と思わなくも無いが見つけたのだから仕方がない。
自然と、二人のやり取りに注目が集まっていく。そして、腕を掴む夜顔と掴まれた男であるのなら悪い目で見られるのは明らかに後者。
男は男で、振り払おうと藻掻いているのだが、まるで腕に張り付ているかのように少年の手が外れる気配はない。
「くっそ………!」
捕まりたくない。その一心が彼を動かした。
空いていた左手をポケットへと突っ込み、取り出したのは折り畳みナイフ。十徳ナイフと呼ばれるもので、意味のない携帯は法令違反となる。
だが、男は後ろ暗い事に手を染めていた。所謂、半グレの下っ端であったのだ。
閃く刃。その光景に、痴漢被害を受けていた少女は目を見開く。
凶刃が走り――――止められる。
「現行犯だな」
突き出された左手を右手で横合いから掴んで止め、更にナイフの刃を人差し指と親指で摘まむ。そしてすり合わせる様にしてナイフの刃をへし折ってみせた。
まさかの光景に、男は目を見開いた。同時に、目の前の少年が急に得体の知れない存在に見えてくる。
刃の曲がったナイフを握らせたまま、夜顔は電光掲示板を見上げた。
「次の駅で降りるぞ。痴漢と銃刀法違反で警察を呼んでもらう」
「く、くそっ!放せ、化物!!」
「好きに言ってろ」
悪口の一つで揺らぐようなメンタルをしていない。そもそも、
程なくして電車が止まり、扉が開く。
「それじゃあ、俺はこいつを突き出してきます」
「え、あ、わ、私も…………」
「大丈夫。ナイフも持ってたことだし、そっちで十分に引っ立てられますから」
少女が何かを言い募る前に、夜顔は男を引きずって車両を後にした。
駅のホームに出た男は、そこで暴れようとする。
「くそっ!お前、ただじゃ置かねぇ!!」
「はいはい」
「俺のバックには、悪宇商会が付いてんだぞ!?お前なんて、一瞬で――――」
「お前が?星噛が半グレを雇うとは思わないが?」
「…………は?」
「でも、そうか。お前を警察に突き出す理由が増えたな」
淡々と喋る少年に、男は混乱の極致に陥った。
悪宇商会とは、裏社会最大手の人材派遣会社。そのトップは、星噛の人間であり規模的にも裏世界で五本の指に入る規模だ。
裏関係の会社だが、その実態は金さえ貰えば善悪問わずにポリシーも無く仕事を熟す。顧客には政治家やマフィアといった存在が世界中に存在しており表の警察組織が手を出せない存在でもあった。
半グレの下っ端である男は、適当に引っ掛けた女性を利用して活動資金の一部としていた。
そんな折に、彼のリーダーに当たる人物が悪宇商会との繋がりを得たと喜んでいた事を耳にした。
半グレのリーダーがようやっと手に入れた様な伝手を、そのボスを知っているような口調で話すこの子供は何なのか。
彼はただ只管に、運が悪かった。
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不思議な出会いをした。朝比奈まふゆは、今日の出会いを振り返る。
時刻は25時を少し過ぎた頃。パソコンの画面を見つつ、その耳に嵌められたイヤホンからはまあまあに騒がしいやり取りが聞こえていた。
朝比奈まふゆはとある事情から、身体の感覚が鈍い。味覚に至っては真面に機能しておらず、触覚など温感や痛覚といったものまで鈍っていた。
故に昼間、痴漢被害に遭った時彼女は最初分からなかった。
気付いたのは、妙に近い呼吸音を耳にしたから。同時に、男が小声で話しかけてきたから。
――――“こいつは、当たりだ。楽しんでからでも金になる”
ねっとりと張り付くような声とその内容。明晰であったまふゆの頭脳は直ぐに、男が何を言っているのか理解してしまった。
同時に逃げ出そうとしたが、周りは人垣があり走っている電車の中で咄嗟には動けない。
この間に、逃げられない様に場所取りをされた結果、状況は悪くなる一方。
周りも、巻き込まれたくないのか近くの乗客は気付いていていても無視を決め込んでいた。
触られる体も、感覚が鈍い為分かりにくい。だが、まふゆが反撃しない事をいい事にエスカレートし始めていたのは確かだった。
それを止めたのは、見ず知らずの少年。
まふゆの背後で行われた物騒な会話。
(腕の骨、恐らく橈骨と尺骨を握って折る……)
自分の腕に触れてみるまふゆ。
骨折という言葉はあれども、人間の骨というのは存外堅牢だ。少なくとも指の骨や鎖骨など細い骨ならば兎も角腕の骨など人力で折ろうとすればかなりの力が要る。
だが、まふゆの聞いた少年の脅しは違った。
盗み見た時、少年が握っていたのは男の右腕。掴んでいたのは彼の左手だけだった。
「…………」
強靭な手だった。自分の白い手とは全く違う、生命力にあふれた力そのものが具現化されたような手。
凪いだ湖面のようだった少女の心に、ほんの僅かだけ立った小波。
今はまだ、その意味を彼女は知らない。