ロック・マッチ・ライカーズ!   作:忘旗かんばせ

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第六話

 1

 

「――じゃあ、本当にらいかさんのお友達なんですか?」

「そうだよ、って何回言えば良いんだ?」

 

 所変わって、丸太町。京都御所の程近くにある、ビルの二階のカフェバー。どことなく昭和の香りが漂う、クラシカルで硬派な趣の、落ち着いた店内。おそらくはチークだろうか。重厚な木目が刻まれた、切れ目のない一枚板のカウンターの端に肘をついて、師鬣未熟は座っていた。

 

 隣には――件の誘拐犯。「未遂だろ」なんて文句を垂れる、下品なファッションセンスの大男――五穀寺(ごこくじ)玄黒(くろぐろ)を伴って。

 

「私が未遂に()()()()()んですよ。本当なら、今頃あなたは留置所行きなんですからね。その辺り、もっと自覚を持ってください」

「へいへい。貴女様には頭が上がりませんよ」

 

 全く、泣き虫かと思えばとんだじゃじゃ馬だっつーか――なんて小さく呟く玄黒に、聞こえているぞと睨みを利かせつつ、彼女はマグカップの中身を啜った。意外にも、甘さ強めのキャラメルマキアート。ミルクも多めで、甘党の彼女好みだった。

 

「ここ、一応はバーでもあるはずなんだけどな、カフェとしての方が有名なんだ」

 

 紹介の声を聞いてか、カウンターの向こうで初老のマスターが小さく手を振った。品のいい、フォーマルのバリスタ。その硬派な姿からすれば、このような、ある意味で邪道のメニューが出てくることにも驚くけれど。

 

「で、よ」

 

 意外にもその顔で、コーヒーが苦手だから、と頼んだココアを啜りつつ、男は言った。

 

「何があったんだよ。お兄さんに聞かせてみ?」

「いやです。気持ち悪い」

「なんで俺にそんな当たり強いの……?」

 

 心外、とばかりにショックを受けている玄黒だけれど、しかし冷静に考えてみてほしい。縁もゆかりもない、それどころか自分をいきなり誘拐しようとしてきたダサいファッションの大男に、何故情をかけたいと思うだろうか?

 

「……俺の服装、そんなダサいか?」

 

 未熟は答えなかった。情はなくとも、情けはある。武士だから。今は、帯刀してはいないけど。

 

「まあ、俺のファッションセンスの話はこの際どうでも良いっつーか。だけどさ、泣いてた理由ぐらいは、話してくれないか? こう見えてっつーか、口は硬いんだぜ、俺」

「豆腐に比べたらみたいな話ですか?」

「やだこの子辛辣」

 

 打ちのめされたように胸を抑える。少し罪悪感が湧くが、ぶんぶんと首を振ってそれを追い出した。

 

「そもそも、なんでそんなにも私に構いたがるんですか?」

 

 六町らいかに頼まれた――と。彼は語ったけれど。

 そんな理由だけで、前科が付きそうになってなおも、自分に構おうとするだろうか?

 

「……言っておきますけど、私、髭生えてる人嫌いなんで」

「え、何、剃ってこいって言ってる? もしかして」

「……もし私を()()()()()()()()声をかけたなら、望みはゼロですよと言ってあげているんです」

 

 なんだか自意識過剰な気がして、目を逸らしながら言うことになったけれど。目を逸らした先で、カップの中の泡が、少しずつ萎んでいっている。

 

「ははは、まだそんな心配してたのか? 安心しろよ。俺だって、今更女子高生に惚れるような見境なしじゃ――あるかもしれないけど」

「は?」

「いや、こっちの話っつーか。とにかく、失礼かもしれないが、あんた相手にそんな類の興味はこれっぽっちもわかないね。あんたに構う理由は――」

 

 と。そこで一拍、時間をおいて。

 苦々しく顔を歪め――それでも、彼は正直に言った。

 

「俺も泣き虫だったからだよ」

 

 昔な、昔、と。

 誤魔化すようにココアを煽りつつ、彼は視線を逸らした。

 

「……え、その顔でですか?」

「おうさ、この顔でよ」

 

 学生時代は嫌われ者のいじめられっ子で、しょっちゅうトラブル起こしては、屋上に逃げ込んで泣いてたような、どうしようもない弱虫少年だったんだ――と、彼は語る。

 

「まー、なんつーかな。それで、ほっとけないっつーわけ。泣いてるガキを見ると、なんとかしてやりたくなるんだよ。だって、それは――あの時、俺がなんとかして欲しかったから」

 

 言っちまえば、ただの代償行為っつーか――なんてシニカルを気取るように口の端を歪めてみるけれど、それはあまり上手い演技ではなかったと言える。

 

 多分、本気なのだろう。

 本気で、話しているのだろう。

 

 見ず知らずの、ただ泣いていたというだけのガキ一匹を、励ますためだけに――自分の、もっとも弱い部分を。

 

「だから。まあさ。なんつーか。俺に、()()()()()()()()()()と思って、話してみちゃくれないか?」

 

 多分、覚悟が必要な言葉だったのだと思う。

 声の端が、ほんの少し震えたその声を、聞いて。

 未熟は自然と、口を開いていた。

 ぽつり、ぽつりと。カップの中の熱が、手のひらに伝わるのと同じくらいゆっくり、じわじわと。

 

 自分の生い立ちを。

 今日あった出来事を。

 自分の書いた絵のことを。

 突きつけられた現実のことを。

 打ちひしがれた絶望を。

 泣き出しそうなほどの後悔を。

 隠し立てもせず赤裸々に、彼女は話続けた。

 

「――なるほど、な」

 

 と。

 腕を組んで、聞き役に徹していた彼は、未熟が話終わると同時に一つ頷いた。

 

「まず、一つ言いたいことがあるっつーか――」

 

 彼は眼光鋭く切り込んだ。

 

「お前ライカーズのベースなの? え? マジで? 本気で?」

「マジですよ本気ですよなんですか私が獅子堂熟々丸だったらなんか文句でもあるってんですか!」

 

 初手に放たれた疑いの言葉に、思わず憤慨する。

 

「いや、文句っつーか言いたいことならいっぱいあるけど」

「ほぉう。なんですか? 聞いてあげますよ。言ってみたらどうですか」

「ファンです。サインください」

「お、おう……」

 

 喧嘩を買う覚悟で心の太刀を構えた彼女だったけれど、予想外の肩透かしを喰らってたじろぐ。

 

 会話の流れを察してだろうか。気を利かせて店の主人が持ってきた色紙(なぜか二枚。店にも書けと言うことなのか?)に彼女は妙な気分のままサインペンを走らせる。

 

「あ、名前のとこ『玄黒くんへ』でお願いします」

「いやあなた『くん』って歳でもないでしょ」

「なんだとぉ……俺まだ二十四なんだぞ」

「ああ、AKIRA好きなんですか?」

「いやマジマジマジ」

「えっ……」

 

 予想していたよりも十は低い年齢に驚きつつ、彼女はリクエストの通りにサインを書き上げた。

 

「ありがとう。家宝にするぜ」

「恥ずかしいんでやめて欲しいです。……壁にも飾らない!」

 

 いそいそと、儲け物とばかりに店へのサインをせしめた主人がそれを壁に飾ろうとしているのをみて、未熟は鋭く檄を飛ばした。えー、とばかりに白い眉尻が下がるが、無視だ無視。仕方なく、とばかりに彼は壁にかけるのを諦め、代わりに壁際の棚の一番上にそれを飾った。

 

 ……いや、壁に置かれるよりも目立ってないか。

 

 なんでこんな無名のアーティストの、しかもベースなんて微妙なポジションのサインをそうも大きく扱うんだ。

 

「それだけ、ファンがいるっつーことさ」

「……その割には再生数二桁ですよ」

「え?」

 

 いえ、なんでも、と言葉を濁しつつ、彼女は冷めたカップに口をつけ――ようとして、主人が新しいカップと交換する。驚いて断ろうとするも、彼は小さくウィンクをしてそのまま立ち去ってしまった。サインの礼のつもりなのだろうか。そういうつもりで書いたわけではなかったのだが。仕方なく、湯気の立つ新しいカップに口をつける。

 

「それで……」

 

 ほう、とあたたかい息を吐きつつ、彼女は言った。

 

「どう思います?」

「嬉しいっつーか光栄っつーか」

「いやサインの話じゃないですよ!」

 

 どこまでボケ続けるつもりなんだこの男は。

 

「すまん。ちょっと浮かれすぎたっつーか。まあ、話に関して思うことは――まず」

 

 指を立てて、言う。

 

「そのクロカっつー女は性格が悪い」

「は? 何クロカさんの悪口言ってんですかぶっ殺しますよ」

「えぇ……」

 

 逆鱗に触れた、とばかりに怒りを露わにする未熟に、男は思わず引いた。

 

「クロカさんは完璧な人なんですよ。ご自身も不遇の立場に置かれながら、けれど努力を忘れず、誰よりも他人の痛みを理解し、傷つく人たちに寄り添い、その心の痛みを癒す、歌の天使なんです。誰よりも優しくて、誰よりも素敵な、世界一の歌姫なんです」

「お、おう……そうか……」

 

 その狂信とも言える愛の発露に怯えつつ、けれども彼はさらに切り込む。

 

「まあ、なんつーかさ。だとするなら余計に、すれ違いがあると思うんだよな。それも、相互に」

 

 すれ違い、間違いだらけであることなどは、とうに知っているけれど。

 

 相互に――とは、果たしてどういう意味だろう。

 

「なんつーかさ。俺は、確かに相手の性格が悪いとは言ったけど」

「は?」

「わかってるって、悪かったよ。……まあ、性格はともかく、言い方は悪かったと思う。これはあくまで、俺の感想な? その上で――だからと言って、言ってることが全部出鱈目な悪口だ、とも思えない」

 

 肩をすくめて、彼は言う。

 

「……わかってますよ。私だって、自分がどれほどダメな奴であるかなんて――」

「違う。そういう話じゃなくてさ、なんつーか」

 

 上手い言葉が見つからない、とばかりに、彼は頭を視線を彷徨わせる。

 

「お前は、もっと自惚れて良いと思うんだよ」

 

 自惚れて――?

 言いたい意味がわからなくて、未熟は首を傾げる。

 

「うん。言い換えれば――お前は、自分をもっと大事にした方がいい」

 

 自己愛、なんて、時として悪様に語られることもある言葉だけれども、しかし人が生きる上でもっとも重要かつ基礎的な才能とは、自分を好きになる才能だ。

 

「俺は、お前のことをすげぇ奴だと思う。その年で大人の群れに混ざってバンドやって、おまけに絵も描けて学生としてもちゃんと頑張ってる。三足の草鞋を十分以上に履きこなして、瀟洒に伊達に歩いてやがる。俺にゃあとても真似できないと思うし、それをこなしてるお前はきっと天才なんだろうな、と思う」

 

 反射的に、その褒め言葉に否定の言葉を重ねようとして、けれどそれが間に合うよりも先に。

 

()()

 

 と。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なんて。

 そんなふうに勝ち誇られて。

 思わず、未熟は固まった。

 

「俺、一昨年くらいまでプーだったんだけどさ。今、大学通ってんだよね」

 

 こう見えて。なんて笑って彼は言う。

 

「しかも、聞いて驚け。共命館だぜ共命館」

「……私大じゃないですか」

「なんだ? 喧嘩すっか? お?」

 

 なんて冗談めかして言いつつも、彼は話を続ける。

 

「ま、俺さ。高校出た後、いろんなことが嫌になって、一時期、放浪の旅に出てたんだよ」

「……随分カッコつけて言いますね」

「おうよ、かっこいいと思ってるからな」

 

 どれだけダサいって言われようと。

 痩せ我慢だとしても。

 

「んで、まあ、その旅で人生変わった――なんて言えばもっとかっこよかったんだけど」

「変わらなかったんですか?」

「まあな」

 

 苦笑とともに言って、彼は両手を広げて肩をすくめた。

 

「結局、旅に出て、いろんな人に会ってみて――それでも、俺は俺なんだよ。どうしようもなく、弱いままでさ。良い刺激にはなったのかもしれないけど、それだけ。刺激を受けても、反応するものを持ち合わせて無かったんだろうな。多分、旅で変わったとか言えるやつは、元々そういう資質を持ってた、ってだけなんだろう。元々、そういう原石が中に埋まってて――角度を変えてみてみたら、たまたま見つかった、みたいな」

 

 それはある種、残酷な結論だ。結局人間は変われない。なんて、諦めのような真理は、けれど目を逸らし難いほどに真実だ。

 多分、きっと。

 自分もそちら側なのだろう――

 

「だけど」

 

 なんて。

 自分の中に埋没しかけた未熟を、強引に引き戻すように。

 

「気持ちだけは変わったよ」

 

 自分を変えることはできなくても。

 気分くらいなら、変えることができた。

 

「あるいは心持ち、って言えば良いのかな。とにかく、俺は腹が立ったんだ」

「は、腹が立った?」

「うん、そう。『ああ、畜生! どいつもこいつも羨ましい人生しやがって!』ってな」

 

 俺はこんなに大変なのに、お前ら楽しそうに生きてやがって――

 どうしようもなく身勝手で、吐き気がするほど独善的で――けれど、多分。

 生まれて初めて、その時自分を自覚した。

 

「俺って奴は、なんて頑張り屋さんなんだろう、って気付いたわけよ」

「言い方が気持ち悪いです」

「響かないね。俺は俺が好きだから」

 

 声の震えは、あたかもヒビが入ったかのようだったけれど。

 

「とにかくさ。認めてやっても良いんじゃないか、って思えたわけよ」

「何を、ですか?」

「弱い自分を」

 

 弱くて卑屈で、どうしようもなく醜くて――そんな様でも、気張って生きてる自分自身を。

 好きになっても、いいんじゃないか、と。

 

「結局、自分は変われない。弱いままで、どうしようもなくて、だけどだからこそ、それを俺のせいにすることに、なんの意味があるんだろう、って思ったわけよ。俺は、俺のことが嫌いだった。だって俺が弱いせいで、俺はこんなにも不幸なんだから。俺が俺じゃなかったら、もっと幸せに生きられたのに――って」

 

 俺がゲシュタルト崩壊しそうだけど、なんて軽口を挟みつつも。

 

「だけど、それが結局、自分を不幸にしてるのかもしれない、って、思ったんだ。どうせ自分が変わらないなら、変われないなら、そんな自分を、あるがままを確かに認めて、それに正直に生きた方が、よっぽど楽しいんじゃないかって。人に嫌われる自分を、自分でさえ嫌いになっちまったら、世界に味方が誰もいなくなっちまう。こんなにも頑張ってるやつに――それが報いじゃ、悲しいだろう」

 

 だから――好きに生きることにした。

 失敗しても。

 罵倒されても。

 うるせぇ知るかと怒鳴り散らかして。

 自分勝手に、恥知らずにも。

 周りが悪いと喚き散らしながら、我が道を堂々と歩むことにした。

 

「弱い自分の、本当の心に従って、やりたいことをやろうと思ったんだ。大学に行ったのも、それのため。結局、歳のこともあるからさ。厳しいわけよ。周りの目ってやつは。だけど、俺は気にしない。俺は、大学に行ってみたかった。楽しいキャンパスライフってやつを味わいたかった。……もちろん、うまくいかないことの方が、現実には多いわけだけど」

 

 それでも、後悔はない。

 晴れやかにも、そう宣うことができる。

 

「だってさ。すげぇと思わないか? 元々、高校だって、半分ぐらい行けてなかったようなドロップアウト組の俺がだぜ? ブランクありで、私大とは言え、一流大学合格してさ。真面目に通って勉強してんだぜ。こんなすげぇやつ、誇ってやるしかないだろう」

 

 だから、俺はどこまでだって思い上がれる。

 俺はすごい人間なんだ、と。

 誇ったまま、生きていくことができる。

 

「みんなさ、思い上がって生きてんだよ。どいつもこいつも自己中で、身勝手で、どうしようもなく浅ましい。だけどあいつら、幸せそうなんだよ。そんな生き方してるくせに。それは多分――自分のことを、好きだからなんだ」

 

 大好きな自分の、好きなように生きているからだ。

 自信を持って、堂々と。

 誰に憚ることもなく。

 

「俺は自分が着てる服が、世界一かっこいいと思って着てる。誰にダサいって言われようとも、辞める気はないね。ヒゲも剃らないし、ピアスだって外さない」

 

 俺がやりたいことだから。

 それが――自分の本当の姿だと、心の底から信じているから。

 

「多分、だけど」

 

 少しだけ自信なさげに惑いながら、それでも未熟の目をしっかりと見ながら、彼は言葉を続ける。

 

「その黒歌って女が言いたかったのも、そういうことなんだろうな、って思うぜ」

 

 つまり――

 

「お前は、周りの目なんて気にしなくたって良いんだよ。人に嫌われたって、だからなんだって思えば良い。自分の凄さを、素晴らしさを、美しさを、理解できない馬鹿どもめ、って。堂々と見下して、思い上がって、鼻息荒く生きていけば良いだろうって、そう思ったんじゃねぇのかな」

 

 俺はそいつじゃねぇから、本当のところはわかんねぇけどな。なんて結びに付け加える。

 

「だ、だけど……」

「わかるよ。人に嫌われるってのは、すっげぇ怖いよな。魂の、一番やらかいとこが締め付けられるみたいに痛くなって、息が一つも吸えなくなって、目の前が真っ暗になりそうになる」

 

 だけど――

 

「人に嫌われるなんて、当たり前のことなんだ」

 

 誰だって。

 どうしたって。

 好かれたい人にだって、好かれるとは限らなくて。

 どうしようもなく、嫌われてしまうこともある。

 

 けれど――

 

 人に嫌われたところで、死にやしない。

 

「だから、なんてことのないことなのさ」

 

 そして同時に――

 

「案外、嫌われないもんだぜ」

 

 堂々と生きてる奴は、その方向性がどうであっても。

 嫌われることもあるかもしれないけれど、同じくらい。

 人に、好きになってもらえることもある。

 

「真正面から、ぶつかってみてもいいんじゃないか?」

 

 だってお前は、そんなにもすごい奴なんだから。

 

「お前の絵、さ。写真でだけど、見せてもらったよ」

「だ、誰から――」

「らいか。あいつのことは責めてやんなよ。俺が無理やり頼み込んだようなもんだから」

 

 スマートフォンの画面を見せながら――一瞬映った「見てくれこの絵、すごいと思わないか」なんて受信メッセージを何かの見間違いだろうと努めて無視しつつ――彼は言う。

 

「口を噤んでいるだろう」

 

 色褪せた少女は。

 傷付き、なおも世界を睨みつける。

 歯を食いしばって、耐えたまま。

 

「耐えなくたって、良いと思うぜ」

 

 正直に、なったって良い。

 感情に。

 激情に。

 愛情に。

 自分の心に、正直に。

 

「……私は、どうすれば良いんでしょうか」

「それは、お前が何をしたいのかによるな」

「私は――」

 

 師鬣未熟は考える。己の望みを。弱い自分の、本当の本音を。

 

「私は――クロカさんが好きです」

 

 学校に行けず、家にも帰れず。

 彷徨い歩き、迷い続けた彼女を救った、あの歌を聞いてから、ずっと。

 彼女は、クロカのファンだった。

 だから――

 

「私は――認めてほしい」

 

 浅ましくも、願いを口にする、どうしようもなく思い上がった、自分の心の、正真正銘の本音を。

 

「私の絵が、世界で一番――ライカーズに相応しいってことを」

 

 バーカウンターの片隅で。誰に伝わるというわけでもなくではあるけれど。しかし彼女は確かに吠えた。吠えて見せた。自らが名乗る名の通り――獅子の如くに、気高くも。

 

「そのためには、どうすれば良いと思いますか」

「そうだな――」

 

 目標が確たるものとして固まったのなら、道を示すのは先人の務めだろう。

 

「やっぱりもう一度、本音で話し合うのが一番だろうな」

「……なんか普通じゃないですか?」

 

 思いの外王道というか、地味な答えが返ってきて、なんだか期待外れな気分になった。

 

「アホ。普通なことを普通にこなすってのが、実は一番難しいんだよ」

 

 普通、だとか、当たり前、だとか。そんな言葉が無味乾燥な、普通で当たり前のものに見えるなら、そいつはきっと幸運だ。

 

 普通というのは、平均値であって中央値ではない。本来歪んでばらつきだらけの世界を、まぜこぜにして平均化した、誰も辿り着けない基準点。それに沿う厳しさを、知らないならばもはや罪だ。

 

「たとえば、俺は少女漫画を読むのが趣味なんだが――」

「え、その顔で?」

「なんだお前。差別か? ん?」

 

 威嚇の笑顔を向けながら、静かに青筋を立てる。

 

「少女漫画が少女の特権だと思うなよ。人間誰しも、乙女心ってやつを秘めてんだよ」

 

 この顔でもな。

 

「たとえばジョルノ・ジョバァーナがセリエAのスター選手に憧れるよりもギャングスターに憧れたように、俺も〈ジャンプ〉や〈マガジン〉や〈サンデー〉に憧れるよりも、〈ネムキ〉や〈ぶ~け〉や〈YOU〉に憧れて生きてきたんだ」

「少女漫画にしてもだいぶ渋めのとこ読んでませんか?」

 

 YOUに至ってはもはや少女漫画じゃなくてレディコミだし。

 

 ていうかそもそも、全部廃刊してるし。

 

「待てよ。他はともかくネムキはNemuki+として実質継続しているぜ」

「いや知りませんけど……なんですか、朝日出版社の回し者なんですか?」

「どちらかと言えば朝日ソノラマの回し者かな……」

「亡霊?」

 

 なんでもう存在しない会社の回し者をやっているんだ。

 

 祖国崩壊を知らないスパイか?

 

「うるせぇやい。とにかく、そういう少女漫画雑誌の世界ではだな」

 

 名前が上がったうち三分の二くらいは少女漫画とラベルを張るには不適な気もしたけれど。

 

「些細なすれ違いとか、言葉足らずの会話とか、そういうのが原因で、人間関係がめちゃくちゃになる漫画が山ほど掲載されてたんだ。ちょっとした行き違いのせいで、仲睦まじかったはずの二人がいきなり破局したり、浮気したり、不倫したり、不倫先の息子とさらに浮気したり、浮気相手と元カレで心中のダブルブッキングしたり、生き別れの兄妹同士で不倫しあったりするんだよ」

「不義密通のオンパレードすぎませんか?」

 

 あるのか? そんな漫画本当に?

 

「運命の赤い糸、なんて言ったりするけどさ。俺はその逸話のロマンティシズムよりも、人と人との間にかかる精神的な繋がりを糸にたとえた言葉の妙をこそ褒め称えたいところだね。だってそうだろう? 人間関係ってのは、いとも容易く()()()()ものだ。そしてその原因ってのは大抵、()()()()()()()()()()()()、あっけなく解決していたような、取るに足らないことだったりする」

 

 少女漫画に曰くして、であるのが玉に瑕だが。

 しかし言っている言葉は真っ当だ。

 

「だからこそ――それをほどけ、と?」

「そうでなければ、切るしかない。そっちは嫌なんだろ? なら――怖くても、紐解こうぜ」

 

 吠巻黒歌がああも吠え巻いた、その意図を。

 清く正しく誠実に――真っ直ぐに。さながら一本の糸のように、その始まりから末端までを、余す所なく受け取ろう。

 

「そしてもう一度、結び直しに行こうぜ」

 

 今度は、こっちから。

 歩み寄って、手を伸ばそう。

 

「……それで逆に、嫌われてしまったらどうするんですか?」

「そん時はそん時さ」

 

 彼は冗談っぽくも肩をすくめる。冗談ではすまないのだぞ、なんて抗議の意も込めて睨んでみるけど、彼は微笑むばかり。

 

「俺たちにできるのは結局、伝えるところまで、だ。その先に相手がどう思うかは、相手の領域」

 

 もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。

 

 全部が全部台無しになって、どうしようもなく傷付くだけに終わるかもしれない。

「だけど、それでも」

 

 それでも。

 全てを打ち明けて。

 全てを叩きつけて。

 全てを聞き出して。

 全てを受け止めて。

 本音で、本気で、本心で。

 剥き出しの思いを言い合って、裸のままに語り合って、吐露するほどに殴り合って。

 全ての想いを余すところなく伝え尽くした、その先でなら。

 

「なれるかもしれない」

 

 本当の――友達ってやつに。

 

「本当の、友達――」

 

 惚けたように、未熟は言葉を繰り返す。

 偽りでなく。

 装いでなく。

 慰みでなく。

 憐みでなく。

 真の意味で対等な――友達に。

 

「……私には――」

「相応しくない、って、誰が言った?」

 

 悪戯っぽく、笑う。その時初めて、彼の顔は年相応の若さに見えた。

 

「好きなんだろう? そいつのことが」

 

 そう。

 師鬣未熟は、クロカが好きだ。

 獅子堂熟々丸は、クロカが好きだ。

 

 表も裏も、その芯も。

 どうしようもなく彼女が好きで、好きで好きでたまらない。

 人間のことなんて大っ嫌いで。

 自分のことも大っ嫌いで。

 それでもただ一つ、胸の内に輝くものがあるならば。

 それはきっと彼女にとって、あの漆黒の少女の形をしているのだ。

 

「なら、その『好き』だけは、嘘にしちゃあいけないだろう」

 

 もしダメだったら、飯でも奢ってやるよ。

 だから――やり遂げようぜ、最後まで。

 真っ直ぐに。

 サングラスの向こう側から、のぞく瞳を、けれど未熟は、もう見ない。

 彼女が見るのは、一人だけ。

 彼女が想うのは、一つだけ。

 覚悟は――決まった。

 

「ありがとうございます」

 

 彼女は席を立つ。日は暮れた。窓の外は、もう黒に染まって。だからこそそれは――彼女の時間だ。

 

「私、行ってきます」

「ああ、行ってらっしゃい」

 

 背から掛かるエールを、風のように受けて。

 

 彼女は店を出た。

 

 階段を降りて、夜の街へ。雲の覆う空を、遠く見据える。

 

 向かう先なんて、とっくの昔に決まりきっていた。

 

 だから、彼女は走り出す。

 

 大人への道を、子供のように。

 どこまでも未熟に、眩しくも。

 





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