1
それは最初、ほんの小さな火花に過ぎなかった。
これまで、小さなライブハウスを中心に、密かに活動してきたバンド、ライカーズ。彼女らが正式に作り直した公式アカウントより投稿された、一曲の新曲。
そのMVは、初めのうちは小さな波紋しか生まなかった。
熱狂的なファンですら、いや熱狂的なファンほど、ライカーズのMVには期待しないものだ。なぜって、彼女らはどうやら、
しかし、そのMVは。
そのMVは、何かが違った。
『ストレイガールズ』。
そう題された、ライブでも一度も披露されていない完全新曲。
曲の世界観を完璧に表す、イラストを多用した映像と共に、その曲は演奏される。
歌われるのは、社会に馴染めず、行き場なく、当てどなく、彷徨い続ける少女の懊悩。
己自身の内側に存在する醜悪さ。それに対する怒りと、そして失望。社会を嫌い、人間を嫌い、世界を嫌い、己を嫌い。それでもまだ、『何か』を求めることをやめられず、彼女は歩き続ける。
やがて、彼女にはその背を追うものが現れる。共には歩めずとも、しかし同じように彷徨う誰かがこの世界にはいて、だからこそこの曲は、その誰かに向けた曲だった。同じように彷徨う誰かの、その道標となる曲だった。
鮮烈に歌い上げられる、人間の醜さ。
傲慢を、嫉妬を、憤怒を、欲望を、醜悪を。歌って、歌って、歌って、歌って、歌う。
驕り高ぶりを、誠実に。
妬けつく執着を、隠し立てせず。
憤き出す怒りを、流麗に。
欲する望みを、輝くばかりに。
その醜さがこそ、美しいのだと。
少女の歌声が、鮮烈にも歌い上げる。
その歌に、人は心を射抜かれた。
まず始まりは、熱狂的なファンからだった。その数は極めて少なく、しかし彼らが宿す熱量は、燃え盛る炎のような感動は、尋常のものではなかった。
今回のMVは、
ようやく、彼らが世界に目を向けたのだ。
彼女らが場末のライブハウスで燻り、小さく纏まってしまっていることを歯痒く思っていたファンたちは、受け取ったメッセージを必死になって拡散しようとした。
その熱が伝うのは遅かった。初めはぽつりぽつりと、ファンたちの発信に
ライカーズというバンドの本分。誰でもない、そこにいる『あなた』へと届かせる音楽。
それは、遠く離れた画面の向こう側にさえも、確かに通じるそれだった。
火は燃え上がる。
反響が反響を呼び、熱狂が熱狂を呼ぶ。
無名だったバンド、ライカーズは、にわかに水面下のトレンドとなり、そして――
2
「……一週間で、四十八万」
百万、という目標には、まだ遠いけれど。
しかしそれに届く日も、そう遠くはないだろうと思わせる、驚異的な伸びだった。
「すごいじゃないか」
見せつけられたスマホの画面に、らいかは目を輝かせる。
純粋な賞賛として、らいかはクロカにそう声をかける。
学校。昼休み。二人はいつものように、校舎裏で密会をしていた。
最初に二人が出会ってから、すでに二ヶ月近くの時が経過している。毎日のようにらいかを呼び出して校舎裏に連れて行く黒歌の評判は、もはや取り返しのつかないほどに悪化しているのだが、当人は知らぬこと故に、歯止めの効かせようもなかった。
「へん、何言ってんのよ。こんなの、全然足りないわ」
私たちの才能は、こんなもんじゃないのよ。
吠巻黒歌はそう吠える。名前の如く、傲岸不遜に。
「……いいな」
らいかの口から、思わず漏れたその言葉に、クロカは首を捻る。
「そっちの方が、似合っているよ」
「ふん、どうせ私は、傲慢な女だからね」
彼女は拗ねたように言う。だが、その己の性を、否定しようとは思っていないようだった。
「この熱が冷めないうちに、次の燃料をぶち込むわ」
つまり、二曲目だ。
「重要なのは、ここからよ。二曲目で肩透かしを食らわせてしまったら、ただの一発屋で終わるわ。何があっても、それは許されないことよ。この曲だけがたまたま良かった、なんて勘違いしてもらっちゃ困るわ。私の作る曲は全てが最高で、全てが一番なのよ」
私の作る曲は。
全てが全て、最高なのだ、と。
彼女は誇らしげにそう語る。
「二曲目はどんな曲にするんだ?」
「そこなのよね」
ライカーズ、新生。そのアピールをするために――あるいは、新曲を聴いた新たなファンが失望しないために、旧曲を全てネットから削除したライカーズだったけれど、だからこそ現状、彼女らは
「二曲目も新曲――と行きたいところだったけど、それだと熟々丸の負担が大きすぎるし……」
今回、『ストレイガールズ』のMVを作るにあたって、熟々丸にかかった負担は甚大なものだった。
新曲である、ということは当然、熟々丸に描き溜めがあるはずもなく、全てが一からの制作となる。一枚描けば終わり、というわけではなく、MVを優れたものにしようと思うのならば、枚数はあればあるだけ良い。
とはいえ、かかる時間と熟々丸の負担を鑑み、最初は十枚ほどのイラストを切り貼りして使い回し、なんとかする予定だったが――それに納得しなかったのが当の熟々丸自身だった。
彼女はイラストの使い回しによる『ショボいMV』が出来上がることを断固として容認せず――結果として、わずか一ヶ月の制作期間で、百枚以上ものイラストを描き上げてみせた。
もちろん全てが全て精密に書き込まれたそれ、というわけではなくて、ピンポイントに使用するアイコン的なパーツも含めての話ではあったが、しかしそれでも膨大な量であることに変わりはなく。
結果として――熟々丸、ダウン。
腱鞘炎だった。
だからこそ、次は熟々丸が極力絵を描かなくても済むような、ストックのある過去曲を放出するつもりだった。
が。
「どの曲にするか、悩むのよね」
額に皺を寄せて、彼女は唸る。
「単純に人気で考えるか、あるいは文脈を重視するか」
文脈。つまりは、ストーリー性。
それを重視するのならば、放出するべき曲は。最初に投げかけた『ストレイガールズ』という曲のテーマに繋がるような、あるいはそのアンサーとなるような曲になってくる。
ただいずれにしても。
「目新しさ、ってとこでは微妙にはならざるを得ないけれど」
新規ファンにとってはそうではないだろうが、火種となってくれる熱狂的な古参ファンにとっては、というところだ。
「……そうだな、一つ考えてみたんだが」
らいかは思いついたように言った。
「リメイク、というのはどうだ?」
「リメイク?」
「そうだ」
それならば、斬新性を担保しつつ、熟々丸の過去作も流用できる。
「それはいいけど……結局、どの曲をやるのか、って話になるじゃないのよ」
「それなんだが――」
一歩。物理的にではなく、心理的に。
踏み込むつもりで。らいかは言った。
「『褪色硝子』はどうだろうか?」
「え――?」
提案したのは、ライカーズ以前。彼女が『三条大橋の黒姫』だった時代に作られた曲だった。
「……あのね、よりにもよって、私が一番未熟だった時代の歌をなんて――」
「私の曲は、すべてが全て最高なのだ――じゃ、なかったのか?」
うぐぅ、と彼女は言葉を詰まらせる。
「……なんでそれなのよ」
「理由は二つある」
ピースサインを出すみたいに、彼女は指を二本立てた。
「まず一つが――今のお前にとって、過去と向き合う、というのは、重要なテーマになるんじゃないかと思った」
未来への一歩を踏み出した今の彼女だからこそ。
次は、
「たとえば過去の熟々丸のように、お前が差し伸べる手を待っている誰かが――今もいると思うんだ」
それを未熟の一言で切り捨ててしまうのは、少し、寂しいように思う。
らいかの言葉を噛み締めるように、クロカは一度目を閉じた。
「……もう一つは?」
一つ目の理由を飲み込んで、彼女は問う。
「単純に、私が聴いてみたいと思った」
熟々丸の心を動かしたというその曲を、耳にしてみたい。そんな純粋な、ファンとしての欲望が、もう一つだ。
らいかがいえば、彼女は。
「……仕方ないわね」
と、ため息を吐く。
「へん、別にあんたのためにってわけじゃないけれど――やってやるわ、リメイク」
向き合ってやろうじゃないの、過去ってやつに。
彼女は言って、目を見開く。
「よし、いくわよ」
「どこへ?」
「家、帰んの。今から曲作りよ」
「午後の授業はどうするんだ?」
「んなもん、ブッチするに決まってんでしょ」
行くわよ。彼女は言って、らいかの腕を掴む。
「待て待て、私もか?」
「当たり前でしょ。私、曲は一人で作るタイプだけど、確認は人に聞かせてするタイプなの。あんたには特別に、評論役をやらせてあげるわ」
「私は音楽のことはからきしだぞ」
「いいのよ。あんたにはただ、心の底から感動するかどうかを聞きたいだけだから」
だから、付き合ってもらうわよ。
へん、と。吠巻黒歌は鼻を鳴らす。
「……わかったよ」
らいかは小さく微笑んで、その導きに付き従う。
元々欠席が多いらいかにとって、この早退は結構響くのだが――仕方がない。お姫様のお誘いを無碍に断れるほど、らいかは欲を捨てれていなかった。
かくして、二人はフェンスを乗り越える。軋む金網とローファーの感触。捲り上がるスカートも気にせずに、彼女たちは颯爽と学校から脱出する。
それは小さな罪の共有で、きっとのちには得難く尊い、確かな青春の一ページだった。
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