ロック・マッチ・ライカーズ!   作:忘旗かんばせ

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第九話 2

 3

 

 蜜月の日々が崩れたのは三日後のことだった。

 

「すまん、バイトが入った」

 

 曲の完成に至るより先に、聞き役が離脱した。惜しいとは思ったが、クロカは引き留めなかった。少なくとも、彼女の主観では。

 

「……私がバイト代出す、って言ったら?」

「悪い。どうしても、外せない仕事なんだ」

「……そ、仕方ないわね」

 

 じゃ、働いてきなさいな。彼女は精一杯軽く言葉を吐いて、六町らいかを見送った。

 

 この三日間、クロカとらいかは、ほとんど同棲状態だった。クロカの両親は、これまで一回も家に連れてくることがなかった友達の来訪を快く歓迎し、また彼女が泊まることに関しても、なんの抵抗感も示さなかった。らいかにとっても、何もしなくても勝手に風呂が沸き、飯が出てくる環境は居心地が良かった。何より手を伸ばせば触れられる位置に(実際触れれば怒られるのだけれど)好みの女がいるというのが素晴らしく、酒を飲めない点を除けば理想郷とさえ言って良かった。利害が一致した結果、彼女は三日間にわたりクロカの部屋に泊まり込み、それは本来ならば、曲が完成するまでずっとのつもりでさえ、双方共にあったのだけれど――

 

 ()()()

 らいかをクロカから、引き剥がした。

 

(仕方ない、ね)

 

 一人になった部屋の中、クロカは内心、呟く。

 

 仕方がない、ことだ。彼女は何も、正式なバンドメンバーというわけではない。バンドのことより優先することがあっても――クロカより優先することがあっても、それは仕方のないことなのである。

 

 と、自分を納得させようとは試みるけれど。

 

「――気に食わないわ」

 

 本音のところは、それだった。

 

 六町らいかが、たかだかバイトなんぞを自分より優先させることは、彼女にとって、とても気に食わないことだった。

 

 有り体にいえば、むかつく、とさえも言って良かったかもしれない。

 

 それが、自分たちのバンド活動に首を突っ込んでおきながら中途半端で離脱しようという責任感のなさへの義憤なのか、はたまた別の、もっと個人的な怒りなのかは、判別を付けられなかった――付けようと思えなかったけれど、ともかくとして。

 

 吠巻黒歌は、イラついていた。

 

「あー、もうっ」

 

 その精神的な不調は、曲作りにも影響を及ぼしていた。

 なんだかうまく、曲がまとまらない。

 元々、形は完成している曲である。軽くいじるだけで済むはずだ――なんて思っていたのだが。

 

 しかしこれが、難航している。

 

 難しい、のだ。

 何がって、過去の自分と今の自分の、折り合いをつけることが。

 考えを、擦り合わせることが。

 どうしようもなく難しくて、挫折しそうになる。

 

 過去の自分の歌は、小っ恥ずかしくなるくらい自分の歌で、しかもそれは、()()()()()()()()()()()()の自分の歌なのだ。身体中を掻きむしりたくなるような、青い格好つけ。しかしそれが――曲に気高さを生んでいるのも事実で――どこをどういじれば良いのか、彼女はわからなくなって来ていた。

 

「っ、あー、もう!」

 

 彼女はパソコンの前から立ち上がって、伸びをする。

 もう、部屋にこもって曲いじりをするのはうんざりだった。

 何か、刺激が欲しい、以前なら思わなかったようなことを思って、彼女は家の外に出る準備をする。

 

 自分は変わった――と思う。

 変わった、のだろう。

 どうしようもなく。

 過去の自分とは、きっと別人だ。

 これを、成長、と呼ぶことは、きっと正しい。

 正しい、の、だけれど。

 

「……気に食わないのよね」

 

 靴を履きながら、またも呟く。

 彼女は確かに、一皮剥けた。

 あるいは一皮剥かれた。

 けれど――その剥き捨てられた皮の方だって、彼女自身だったことは確かなのだ。

 それを、なかったものみたいに。

 いらなかったものみたいに語るのは、嫌だった。

 

 玄関のドアを開けて、外に出る。

 激動、だ。

 この二ヶ月は。

 ライブがあって。

 MVを出して。

 一度はダメで、二度目はヒットして。

 ライカーズは――吠巻黒歌は、望む未来に確実に向かっている。

 前に進んでいる。

 なのに――気に食わない。

 それは、あるいは。

 

「全部、あの女のせいよ」

 

 ()()()()()()()()なのかも、しれなかった。

 

 全ての変化は、彼女が現れてからだ。

 それまでの停滞は、それまでの燻りは。

 まるで彼女という鋭い雷火を待っていたみたいに。

 そのためにお膳立てされたみたいに、爆発した。

 爆発させられた。

 

 クロカは変わって。

 ライカーズも変わった。

 

 止まっていた時が動き出したみたいに。

 全てが全て、別物になった。

 

 それはひとえに、六町らいかの存在ゆえに。

 それがどうしようもなく、気に食わない。

 だって、それじゃあ。

 それじゃあ――

 

「私の物語じゃ、ないじゃないのよ」

 

 まるで、六町らいかという女のためのストーリーとして。

 

 打破すべき障害として、解決するべきトラブルとして。

 

 物語の添え物として、用意されたみたいじゃないか。

 

 違うだろ、と吠巻黒歌は思う。

 

 私の人生は。

 ライカーズのストーリーは。

 自分自身のものだったはずだ。

 

 それが、どうして、ぽっと出の女になんて。

 あるいは――

 

「これも報いってやつなのかしら?」

 

 なんて冗談のように呟きつつ、彼女は歩いた。

 

 夜である。

 日が暮れても、もう涼しくはない。夏が近かった。もうすぐすれば、夏休みだ。

 

 仲間たちに会いに行こうかな、と思った。しかし、ライカーズの面々には、曲が出来上がるまでカンヅメ、と伝えてある。それを破って会うのは、なんとなくバツが悪かった。

 

 彼女の足は、何気なく鴨川に向かった。癖というより、帰巣本能のようなものだろう、と思う。黒姫時代の名残というやつだ。以前は、むしろ逆に、避けていたようにも思う。本能的に足が向かいそうになるのを、理性がブレーキをかけていた。そのブレーキは、いつの間に外れたのだろうか? 変わっている。成長している。過去と向き合えている。良いことだ。そのはずだ。そのはずだが――気に食わない。

 

 家から鴨川までは、歩いて十五分ほどだ。河川敷に降りて、そのまま歩みを進める。橋の影が落とす黒を超える度に、思考が切り替わっていく。

 

 昔、自分は世界が嫌いだった。

 今だって、嫌いだ。それは変わらない。

 自分を認めない世界が嫌いだ。自分を讃えない世界が嫌いだ。自分を排除しようとする世界が嫌いだ。

 

 醜い世界が嫌いだ。醜いくせに、綺麗なふりをする世界が嫌いだ。醜いくせに、綺麗なふりをして、醜い自分を虐げる、この世界が大嫌いだ。

 

 一方で、そんな大嫌いな世界に、自分を認めさせたいとも思っている。

 

 矛盾している、と思う。

 

 いや、あるいは、それは本当に矛盾なのだろうか?

 

 全ては、同根なのではないだろうか。

 

 吠巻黒歌は。

 本当は、何がしたいんだ?

 

 ふ、と。

 気が付けば彼女は、三条大橋の近くまで辿り着いていた。

 

 人の行き交う、夏の夜の河辺。頭上には、迫り出した納涼床が煌びやかな灯りをつけている。

 

 ミュージシャン気取りの馬鹿な若者が、橋の根元で路上ライブを行っている。

 

 ヘッタクソな歌だ。

 どうしようもなく荒削りで、聞く人間のことなんかかけらも考えてない。

 

 そのくせ自分の美的感覚に正直というわけでもなくて、ただひたすら、「音楽をやっている自分」に酔いしれたいだけなのが透けて見える。

 

 独りよがりの、自慰行為以下の下劣な演奏。

 耳を塞ぎたくなるようなそれに、彼女は思わず顔を顰める。

 

 昔は。

 自分も、あそこで歌っていた。

 

 あれは、偽物の音楽だ、と思う自分がいる。

 

 じゃあ、本物の音楽ってなんだろう。

 

 本物と偽物の差は、なんだろう。

 

 私は。

 

 私はなんのために、歌を歌うのだろうか。

 

「過去の私に、手を差し伸べる、か」

 

 思い出すのは、ここにはいない、六町らいかの言葉。

 

 癪だ。

 むかつく。

 腹が立つ。

 

 だがそれでも――吠巻黒歌は、彼女のことを無視できない。

 

 ならば――そうだ。

 

 歌ってみれば、いいんじゃないか。

 

 あの憎らしい女のことを、歌ってやればいいんじゃないか。

 

 そうだ。

 それを思い立って、吠巻黒歌は思い出した。

 

 自分が歌を歌うのは――癪だったからだ。

 

 むかつくからだ。

 腹が立つからだ。

 何がって、醜さが。

 人間の醜さが。

 社会の醜さが。

 世界の醜さが。

 自分の醜さが。

 それに、心を穢されなければならないという理不尽が――気に食わないから。

 

 その醜さを。

 心の中に、渦巻く、渦巻かされる、怒りを、苦しみを、激情を。ドロドロと濁った、黒い感情を。

 美しいものに変えてしまえ、と。

 そんなふうに思ったのだ。

 

 それが――原初。

 ならば――自分が歌うべきは。

 

 奏でるべき、旋律は。

 

 ピースが、ぴたりとハマるような感覚。

 彼女は踵を返して、家へと戻る。その足取りにもう、迷いはなかった。

 





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