1
吠巻黒歌が制服を着ていたのは、何も学校に行くためではなかった。
学生の彼女にとって、礼服とはそれが当たるというだけの話で、本当なら、それを着るつもりはなかった。見送るのに相応しい衣装であるとは、言えなかったからだ。
燻るように、煙が立ち上っていた。
それは、師鬣未熟の躯を、荼毘に付す煙だった。
火葬場。外の広場。晴れ渡る空の青が嫌になる程の、晴天。一条の煙が、どこまでも高く登ってゆく。
あるいはそれは、彼女の魂を天へと運んでくれているのか――なんて、馬鹿馬鹿しい。
空の向こうに、天国はない。あるのは無限の宇宙だけだ。黒々とした闇が広がるばかりの、寒々しい宇宙が。
そんな場所に、彼女を送ってなるものか。
吠巻黒歌は、唇を噛む。
師鬣未熟は死んだ。
暗闇に閉じたガレージの中。首を吊って、一人、死んだ。
「……なんで死んじゃったのよ、あんた」
自殺――と。
彼女の死は、そのように判断された。
しかし――しかし、だ。
彼女に、死ぬ理由など、なかったはず。
何より――彼女は。
「縄に、手をかけていた」
首に食い込む、縄に。手をかけて――抵抗しようとしていた。
無意識的な抵抗だろう、と。自殺を試みたが、苦しさのあまり縄を外そうとして、失敗したのだろう、と。警察はそのように判断した。
しかし、そうは思えない。
黒歌には、そうは思えないのだ。
彼女は、自ら死を選ぶような人間ではない。
そう思う。
あるいはそれは、そうであってほしいと思う願望なのかもしれないけれど。
深々と、ため息を吐く。
そんな彼女の元へ――
「クロカ……」
「……久しぶりね」
現れたのは、六町らいかだった。
彼女もまた、制服を着ている。学友として、葬儀に訪れたのだから、当然だ。
あいも変わらずの、澄ました面だ。それは、別に、彼女が師鬣未熟の――獅子堂熟々丸の死に、何も感じていないというわけではない。単に、表情に出ずらいタイプというだけなのだろう。そんなことはわかっている。わかっているのだが。
「……大丈夫か」
「何が?」
「隈が酷い。眠れているか」
「あんたには関係ないでしょ」
ああ、よくないな、と自覚する。自覚しているのに、やめられない。こんなのは、ただの八つ当たりだ。黒歌は後ろ頭をかく。
「私ね」
「ああ」
「最後、熟々丸に呼ばれてたのよ」
絵が完成したから、って。
「……もうちょっと早く着いてたら、間に合ったのかしらね」
吊るされた熟々丸の体は、まだ薄く熱が残っていた。
あるいはもう少し早く、何かの気まぐれを起こして、予定よりも早く辿り着いていれば、蘇生だって間に合ったかもしれない。
「……お前のせいじゃない」
らいかは言うが、しかし。
しかしならば、誰のせいなのだろう。
「もうすぐ、火葬が終わるらしい」
「そう」
らいかはどうやら、それを伝えに来てくれたようだった。
「……骨上げには、お前も参加して欲しいそうだ」
「……いいの、それ?」
「少なくともご両親はそうおっしゃっていたよ」
「そう」
それなら、行かないわけには行かない。
「あんたも来てくれる?」
「流石に私までというわけには行かないだろう。外で待ってるよ」
らいかに見送られながら、クロカは火葬場の建物の内部へと入っていく。
ロビーに入ると、未熟の両親が立っていた。
「よく来てくれたね。一緒に、娘を見送ってくれるかな」
「……はい」
父親の言葉に、クロカは頷く。
最初に、未熟の遺体を発見した時の諸々の騒動の中で、すでに挨拶は済ませていたけれど、しかしそれでも、まだ慣れない。
「娘はいつも、君の話ばかりしていてね。世界最高のアーティストだ、と。同じバンドで活動できていることが、奇跡のようだ、と」
「……娘さんの活動、知ってらしたんですか」
「うん。そりゃあまあ、親だから」
娘が遅くに出掛けているとなれば、ね。
「なんと言うか、倫理観を疑わないで欲しいんだが、心配だからと、後をつけてね」
それで、娘が何をやっているか知った、と彼は言った。
「……よく、止めませんでしたね」
「最初はそりゃあ、心配したよ。でも子供の頃から、娘は内気な子でね。なかなか友達もできなかった。その彼女が、あんなにも積極的に人と関わろうとしていたんだ。そりゃあ親としては、応援するしかないさ」
ああ、彼女は愛されていたんだな、とクロカは痛感する。
こんなにも、愛されていたんだ。
「……最後、娘を見つけてくれたのが、君でよかった」
きっと、彼女も喜んでいるだろう、と。
未熟の父は、寂しげに微笑んだ。
「責めないんですか」
「え?」
「私たちの活動が、引き金を引いたかもしれないのに」
彼女の、死の。
引き金になったかもしれないのに。
「……責められませんよ」
それまで黙っていた、母親が、口を開く。
「未熟ちゃんは、あなたたちと触れ合うようになってから、本当に楽しそうだった。最後の日だって、もうすぐいい絵が描けそうなんだって、嬉しそうに言って、出て行ったわ」
だから――だから。
「あなたたちのせいじゃない」
彼女は涙をこぼしながら言った。
私たちのせいじゃない、のか。
しかし、だとしたら。
だとしたら何が原因なのか。
「……火葬が終わったみたいだ」
ば、と、ロビーの扉が開かれ、係員がやってくる。
いよいよ、骨上げが始まるらしい。
「一緒に行こうか」
「はい」
遺骨台の上の骨は、ひどく小さく見えた。
「よう綺麗に残られましたわ」
係員が、そんなことを言う。
「体格の小さい方ですとね、お骨が焼け過ぎてしもて、崩れたり燃え切ったりしてしまうこともあるんですけれどね、こちらの方はかなり綺麗にお骨が残りました」
案内に従って、彼女の両親が頭から順番に骨を拾っていく。彼女の親戚と思しき人間たちがそれに続いて、足元のあたりで、クロカの番が来た。
「私と一緒にやろうか」
未熟の父と共に、長さの違う箸を一本ずつ持って、骨を拾い上げる。
「……軽くなったわね、あんた」
もう。
師鬣未熟の体に触れることは、できない。
その声を聞くことは、できない。
その笑顔を見ることは、できない。
彼女に。
なんのために絵を描いているかを聞くことも、できないのだ。
「――――」
気が付けば。
まなじりから、涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう」
骨を拾い終えると、未熟の父が、彼女にそう声をかけた。
「辛い思いをさせてごめんなさいね」
未熟の母が、頬の涙をハンカチで拭ってくれる。
本当は、何かを言いたかった。親族でもない自分が、骨上げにまで参加させてもらえたことへの感謝とか。あるいは未熟への別れの言葉とか。あるいはもっと単純に、ハンカチを差し出してもらったことへの感謝とか。
何か、言葉を出さなければと思って、口を開こうとするのだけれど。
「――っ」
涙が邪魔をして、何も言えなくて。
「う、う、うううう――……!」
吠巻黒歌は、ただ泣いた。
それを咎められるものは、その場には誰も、いなかった。
2
火葬場の外へ出ると、遠くで騒ぎが起こっていた。
「――お前のせいだ!」
騒ぎの中心にいるのは、括野完全子だった。
「お前が、お前が、お前がっ!」
「やめろ完全子!」
泣きじゃくりながら、喚き、暴れる完全子の小さな体を、不汲身虎兎が羽交締めにして押さえつけている。
「お前なんかが来たせいで、熟々丸は死んだんだっ!」
彼女が、そんな叫びをぶつける先は――六町らいかだった。
「お前が、ライカーズを引っ掻き回して、何もかもを
そのせいで、熟々丸は死んだんだ!
目を真っ赤にして、完全子は叫ぶ。敵のように、憎々しげに、在らん限りの憎悪と共に、六町らいかを睨みつけている。
視線の先の、らいかは。
黙り込んだまま、じっと耐えていた。
「じゅ、熟々丸じゃっ、なくてっ!」
しゃくりあげながら、完全子は地獄の底から響き渡るような声で言う。
「お前が死ねば良かったんだ――!」
「いい加減にしなさい」
バシン、と。
クロカは、完全子の頬を叩いた。
「こいつのせいなんかじゃないってことは、あんただってわかるでしょう」
羽交締めにされた姿勢のまま。頬をぶたれた完全子は、項垂れる。
「……それじゃあ、誰のせいなんだよ」
熟々丸が死んだのは、誰のせいなんだ。
恨み言のように、呟いて。
彼女は静かに、涙を流した。
「……こいつ、車に入れてくるわ」
近くにいた焱火伽羅子が、虎兎から完全子を譲り受け、彼女の車へと運んでいく。
残った虎兎が、小さくため息を吐いた。
「騒ぎにしちまって、悪かった」
「あんたのせいじゃないわ」
クロカは短く言って、らいかに向き直る。
「悪かったわね、うちのが迷惑かけて」
「いいや、仕方がないさ」
らいかは寂しそうに微笑んだ。
「……仕方なくなんてないわよ。完全な言いがかりでしょ、あんなの」
「だが、私がライカーズに土足で踏み入り、その内側を引っ掻き回してしまったのは、確かに事実だ」
私は。
招かれざる客だったのだろう、と彼女は言った。
「そんなこと――」
「私は、お暇しようと思う」
元々、この中では私だけ、付き合いが短いしな。
「……精進落とし、みんなでって話だったけど」
「その『みんな』に、私は含まれてないよ」
じゃあな、と。彼女は踵を返す。
「……ご両親には、よろしく伝えておくわ」
「助かる」
その会話を最後に、六町らいかは、その場から消え去った。
「……悪いことしちまったな」
虎兎は深々とため息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。
「ああ、もう、最悪だ」
「……珍しいわね、あんたがそんな落ち込むなんて」
「俺をなんだと思ってんだよ」
人間なんだぜ、これでもさ、と彼女は言う。
「……ちょっと話聞いてくれるか?」
「いいわ」
「さんきゅ」
彼女は言って、しゃがみ込んだままぽつりぽつりと話し出す。
「俺さ、実を言うと、元々引きこもりだったんだよね」
その告白は、こんな状況じゃなければ思わず大声を上げていただろうくらいに、衝撃的なものだった。
「……あんたが?」
「意外に思われてるなら、嬉しいね」
彼女は小さく肩をすくめる。
「中学ん時に、まあ、いじめのターゲットにされてさ。学校、行けなくなっちまったんだよ」
ああいうのって、一回休むともうダメな。なんて彼女は気弱に笑った。
「ドアノブを握るのがさ、怖くなるんだよ」
背筋にぞわぞわした怖気が走って、まるで自分が立っているのが、地獄への門の前みたいな気分になってくる。
一歩、踏み出せば。
世界の全てが、己を傷付ける。
そんな恐怖に、耐えきれなくなる。
「そんで、外に出れなくなって――」
高校で、
「いわゆる、高校デビューってやつ」
だから今のキャラは、その時に作ったものなのだ、と彼女は言う。
「喧嘩っ早くて、乱暴者で、反骨心に溢れたヤンキー――そういう鎧を作って、身を守ろうとしたのさ」
つっても、今じゃもう、すっかりそれが素になっちまったけど。彼女はけらけらと笑う。
「自分は強いんだ、強くなるんだって、意地張って」
張り通して。ここまで来た。
来てしまった、と彼女は語る。
「だからさ――自分の弱さとちゃんと向き合えたあいつが、羨ましかった」
心に構えた太刀を、納めて。
己の強さも、弱さも、全てを曝け出してみせた獅子堂熟々丸が――師鬣未熟が、羨ましかった。
「……私ってさ、嫌なやつだったと思うんだよ」
己自身が、選んでそうしたわけだけれど――乱暴で、粗忽で、暴力的。
たとえ相手にそのつもりがなかったのだとしても――
それはきっと、過去のトラウマゆえの防衛反応でもあったのだろう。一度、他人に舐められれば、
不汲身虎兎は、喧嘩っ早くなるしかなかった。
乱暴な言葉遣いをして。
高圧的な態度をとって。
他人の言葉尻を捕まえては、舐めてんじゃねえぞと威圧する。
そんなコミュニケーションの取り方しかできなかった。
「だからまあ、熟々丸にとっては――未熟にとってはさ。ほんと、
彼女にとって。
他人を恐れ、必死になって、慣れない太刀を振り翳していた彼女にとって。
それに真っ向から噛みついてくる不汲身虎兎は、不倶戴天の敵ですらあっただろう、と思う。
「でもさ、本当は違うんだよ」
本当は。
虎兎は、彼女の敵になりたいわけじゃなかった。
噛みつきたいわけではなかった。
「仲良くしたかったんだ」
本当は。
ちゃんと、友達になりたかった。
「……俺も一緒なんだって、言いたかった」
獅子堂熟々丸が、師鬣未熟だったことを、告白した時。
不汲身虎兎は、彼女にシンパシーを感じた。
「俺も同じだったんだよって」
外の世界が怖くて。
心に鎧を纏うしかなくって。
そんなやつは、この世界に意外といるんだぜって。
そんなことを言いたかった。
「でも、言えなかったんだ」
格好をつけてしまって。
格好をつけるしかなくなるくらい、その鎧は肌と癒着してしまっていて。
今更曝け出すことなど、できなかった。
「言えばよかった」
言って、ちゃんと。
「謝ればよかった」
これまでのこと。
怖がらせてしまったこと。
喧嘩してしまったこと。
全部ちゃんと、謝りたかった。
だけど、もう。
そのチャンスは、ない。
そのチャンスは二度と、来ない。
師鬣未熟は死んで。
彼女には、もう不汲身虎兎の言葉は届かない。
届かないのだ。
「……きっと」
クロカは、彼女の隣に腰を下ろす。
「あいつはあんたのこと、嫌いじゃなかったと思うわよ」
涙をこぼす、虎兎の背を撫でる。
「そうかなぁ……」
「そうよ」
あいつはあんたのこと、ちゃんと仲間だと思ってたわ。
クロカは言う。
でも――
「でも、それももう、聞けないんだ」
本当は、虎兎のことを、どんなふうに思ってたかなんて。
「そんなことももう、聞けないんだよ」
その言葉に、クロカは何も言えなかった。
彼女の気持ちが、痛いほどわかって。
だから彼女にできることは、ただそっと、傷を舐め合うように、惨めに寄り添うことだけだった。
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