3
葬式から三日の時が経っても、クロカは何にも手がつかなかった。
『黒姫』は、デモテープのまま放置されている。もう一生、それを完成させられる日も来ないんじゃないか、なんてさえ、思う。
学校にも、行っていなかった。それどころか、外にも出れていない。部屋の中で、ただ茫然と、時が過ぎるままに任せる。それ以外に、できることがなかった。
ライカーズの面々とも、当然出会ってない。火葬場で、後味の悪い別れとなってしまったらいかとも、連絡さえとっていなかった。
「よくない、わよね」
このままでは、いけない。
それはわかっている。しかしならば、どうすればいいのか?
吠巻黒歌は、何をすればいいというのか。
吠巻黒歌に、何ができるというのか。
「……外、出るか」
特に、目的があってというわけではないが。
しかしこれ以上、部屋の中に閉じこもっていることが、何かを解決するとも思えなかった。
もう夕方を通り越して、夜に近い時間だったけれど、適当に着替えて、外へ向かう。両親は今は、家にはいない。しかしなんとなく、口を履くときに「行ってきます」と言ってしまう。誰に対して言っているのか。多分だけど、きっと、自分自身の心にではあるまいか。どこかに行きたい。ここではないどこかへ、行きたい。そんな思いが、自然と口をつくのだろう。
これは、逃避なのかな、と歩きながら思う。
頭がぼうっとして、何をしようにもまともにできない。これはショックゆえのことだろう、と思う。
友達が、死んだのだ。
それがショックじゃないというのなら、吠巻黒歌はヒトデナシだ。そうでなかったことは、一つ安心材料ではあるけれど、しかし、だからこそ。
そのショックを、和らげようとしている自分が、何かとても悪いことをしているみたいに思える。
友達が死んだ悲しみを、和らげようとする。
それは、悲しみから逃げているのと何が違うのだろう。
それは、友達の死から――師鬣未熟の死から逃げているのと、何が違うんだろう。
彼女のことを、思うのならば。
あるいはもっと、傷付くべきなんじゃないだろうか。
傷付いて、腐って、どうしようもなくなって。
泣き喚き続けるべきなんじゃないだろうか。
そんなことを思う。
それはきっと、自分がそうして欲しいからなのだろうけれど。
自分が死んだら、周りの人間に悲しんで欲しいと思う、浅ましい自分だからそう思うんだろうけれど。
しかし、彼女が。
師鬣未熟が――獅子堂熟々丸がそう思っていないとは限らない。
それを確かめる術もないけれど。
「私はどうしたらいいのかしらね」
彼女は呟く。
『黒姫』のデモテープが気になった。
あれを、どうするべきなのか。
完成させる、べきなのか。
――熟々丸を、抜きにして?
彼女は立ち止まる。
そこなのだ。
ライカーズは、欠けてしまった。
これからどんな作ったとしても――そこのは一つ、必ず、足りていないピースがある。
獅子堂熟々丸の奏でるギターは、永久に欠けたままなのだ。
「……これからってときなのにさ」
ライカーズは、これからだった。
ここからだった。
スターダムを上り詰めて、羽ばたく時が来るはずだった。
ここからがサビの始まりのはずだった。
頂の景色を。
みんなで見られるはずだった。
でもそれが出来る日は、もう永久に来ない。
「……私は」
私はなんのために、音楽をやっているんだろう?
ふ、と。
足を止める。
気が付けば――彼女の足は、いつもライカーズとして舞台に上がっていた、ライブハウスへと辿り着いていた。
そこでちょうど――ぽつり、ぽつりと。
雨が降り出し。
「……ああ、もう、最悪」
悪態を吐きながら、彼女はライブハウスの入り口へと、降りていく。
客として入るのは、初めてだ。
入場料プラス、ワンドリンク制だったか? あのバー、ソフトドリンクは置いてるんだっけ……などとくだらないことを考えつつ、中に入る。
ドアを開けると、わ、と音の波が押し寄せる。外の静けさとのギャップに顔を顰めつつ、入場料を払って、さらに奥へ。
バーカウンターに訪れ、店員に話しかける。
じゃらじゃらと、金色のアクセサリーをたくさん身に付けた、クロカの嫌いそうなタイプの男だった。
「ノンアルのメニュー、ある?」
「ああ。あるぜ――って、あんた……」
「何?」
「……いや、なんでもない」
男は首を振って、クロカにノンアルコールのメニューを見せてきた。と言っても、あるのは三種類。ペリエとコーラとオレンジジュース。
「コーラ」
「あいよ」
金を払えば、冷蔵庫から瓶のそれが取り出され、目の前で栓が抜かれる。パフォーマンスだな、と思う。自販機で買う数倍の値段なのは、これゆえだろう。つまり、ショービジネスなのだ。
「……新曲」
「は?」
「めちゃくちゃ良かったぜ」
「……そう」
主語を欠いた会話。多分、気遣いなのだろう。しかしそれをするなら、完全に黙っていて欲しかったな、とも思う。
グラスも一緒に差し出されたが、特に使う理由も見出せず、クロカは瓶に直接口をつけてコーラを飲んだ。
壇上では、男五人のバンドが煩いだけの音楽を奏でている。ちょうど演奏の終わりのようで、ボーカルが獣の鳴き声みたいに不愉快なシャウトを決めて、幕を閉じた。
「今の連中はちょいとアレだったが、この次の奴らは期待できるぜ」
「へえ。どんな奴ら?」
「ガールズバンドだ。つい最近出てきた、あんたらの後追いさ」
後追い、か。追われるほど、先にいるというわけでもないだろうが。しかしまあ、後輩ということにはなるのだろう。
「始まるぞ」
機材の換装に時間をかけてから、壇上に三人の女性たちが現れる。
……見た目は負けているな、となんとなく思う。この時点ですでに、心象はマイナスポイントだ。
さてさて、可愛いだけの連中にまともな音楽が奏でられるものかしら? 彼女は半目になって壇上を見下すという器用な真似をした。
マイク越しに、息を吸うブレス音が聞こえた。始まる。クロカは耳に意識を集中させた。
歌い出しは、アカペラ。音程は悪くない。声も、綺麗だ。声量も十分。ただ、迫力にはややかける。悪く言えば、アイドルっぽい歌い方。ただ、それから脱しようとしている気配は感じる。
演奏はおおよそ凡庸。背後のベースとキーボードは、素人同然とさえ言っていい。ただ――一つ、目を見張るのが、ボーカルが兼任しているギターだった。
巧くはない。
だが、熱意がある。
そのギターに、己の全てを賭けようとする熱意。演奏から、それを感じるのだ。
荒削りで、テクニックは並。されど、エネルギーは十分以上。
曲を聴き終わった時、確かに。不思議とクォリティ以上の満足感を与えられる。
男が期待できる、と言った意味もわかった。
壇上の三人は二曲目までを演奏し終わり、次の――三曲目。
演奏が始まる前に、センターに立つボーカルギターの少女が、マイクに向かって呟く。
「次の曲は、私が心のそこから憧れて、尊敬するバンドの曲です」
そんな前置きをして、彼女はギターに手をかけた。
始まる演奏。流れるイントロは――
「え……」
聞き覚えがある。
それは。
それは『ストレイガールズ』のイントロだ。
歌い出す。お世辞にも、巧いとは言えないだろう。作曲者のクロカから言わせてみれば、そんなに力んで歌う曲ではない。音楽というのは、演奏する側が感情を乗せすぎてはいけないのだ。それでは、聞き手が感情を乗せる余地がなくなってしまう。
しかし――その歌声は。
そんな理屈が吹き飛ぶくらい、『好き』の感情で溢れていた。
この歌が好きだ。私は、この歌が好きなんだ。そんな声が、聞こえてきそうなくらい。激しく、強く、歌われる『ストレイガールズ』。元の曲とは、もはや別物に等しく、その魅力で言うならば間違いなく落ちていて、けれどそれでも、不思議と。
不快ではない。
二番が終わり、Cメロ。変調が入って、ラスサビ。ほんの一瞬、息を吸う。ラストランへの助走。瞬間――
ぱちり、と。
目があった。
ボーカルの少女は、一瞬、息を呑む。
そのせいでラスサビの入りを歌い損ね、慌てて、先を行くベースとキーボードを追う羽目になる。最後の最後にケチがついたはものの、すぐにリカバリーして歌い上げ、彼女たちは演奏を終えた。
控えめに拍手が起こる中、彼女たちは舞台を去り、そして――
「あのっ!」
バーカウンターにいた、クロカの元に。
息を切らしたボーカルの少女が、やってくる。
年齢は、二十代前半だろうか。十代、ではないと思うが、かと言って老けて見えるわけでもない。大学生くらい、という感じだ。茶髪で、カールの効いたショートボブ。綺麗系というより可愛い系の顔立ち。それを有利に働かせる髪型をわかっている、という感じ。いけすかない。
彼女はクロカの前に進み出て、名乗る。
「私、
「はあ」
クロカは気のない返事をした。なんだか、嫌な予感がする。
「あの、ライカーズのクロカさんじゃないですか」
クロカは舌打ちがしたくなった。まさか眼前のふざけた格好のバーテンダーより、気遣いのできない女が現れるとは思わなかった。
「……人違いです」
「でも、そうですよねっ!?」
何が「でも」だ。
人違いだと言ってるだろうか。
「……あー、お客さん。ちょっと落ち着いたらどうだ」
間に入ったのはバーテンダーだった。こいつ、意外と役に立つな、とクロカは思った。
「あ、すいません、つい……」
ボーカル女こと、今様流桟は声を落とす。第三者からの指摘に、流石に恥の概念を思い出したらしい。
「……私がそうだとしたら、なんだっての?」
これは、以前のクロカだったら絶対に言わなかった一言だった。
オフの自分と、ライカーズのクロカを同一だと示す。それも、無遠慮にずけずけと現れた初対面の相手に。そんなことは、絶対にしなかっただろう。
なのに今は、した。
自分でも、なぜだかわからないままに。
「あのっ」
彼女はクロカの言葉に再び目を輝かせ、小声で声を跳ねさせる。
「ファンです!」
「……そ」
クロカはそっけなく返した。まあ、わざわざ来るんだから、そうだろうなとは思っていた。逆にこれで、「あなたのこと嫌いなんです」なんて言われたらびっくりだ。
「あ、握手してもらえませんか」
「握手ね」
なんかこいつ、格好良くないらいかみたいだな、と思った。彼女が手を差し出せば、まるで壊れ物を触るようにそっとそれを握り返される。
「ありがとうございます……!」
彼女は目を輝かせて言う。
「もう気は済んだ?」
雨はもう止んでるかな、とクロカはもうさっさと帰る気満々だったが、しかし彼女はそう簡単に逃してはくれないらしい。
「あの」
「何?」
「新曲の、『ストレイガールズ』好きです」
「さっきも歌ってたもんね」
「あ、はい!」
本当は無許可での演奏はやめて欲しいんだけど、まあ、それが言える立場でもない。尊敬するバンドだ、なんてリップサービスを添えてくれているだけ、礼儀正しい方だ。
「あの、ストレイガールズだけじゃなくて、『シーグラス』も、『雨のうらぶれ』も、『屍フェイスフェスティバル』も、好きです! あ、あと、『霹靂の肖像』も! あ、それから、『ラブラドール』と、『あくなき』と、『花束の幽霊』と――」
「わかったわかったわかった」
堰を切ったように、ライカーズの楽曲タイトルを唱え始めた彼女に、クロカは両掌を向ける。
「あんたがうちらのファンだってことはよく伝わったから」
だからもう黙れ、とばかりに言えば、彼女はか、と顔を赤くした。
「あ、す、すいません興奮しちゃって」
えへへ、と彼女は後ろ頭に手をやる。
「あの、それで」
それで、その――と彼女はもじもじ体をくねらせる。なんだ、求愛ダンスか?
「さっきの『ストレイガールズ』、どうでしたか!?」
マジか、こいつ。
クロカは目を見張った。
状況的には、ご本人登場だぞ。
作曲者を前にして、コピーバンドが感想を聞こうなんて、なかなかできないことだ。肝が太すぎる。クロカは戦慄しつつ――しかし答えてやることにした。
「そうね」
一言で言うなら――
「全っ然ダメだったわ」
一刀両断。
切られた流桟は、ピシリと顔を固まらせる。
「まず、キーボードとベースが全然ダメ。ギターも熱意はあるけど、まだ練習不足って感じ。途中ちょっととちってたし。勢いはいいけど、それだけね」
グサグサと、言葉のナイフで切り付けていく。一言ごとに、流桟は身を捩って苦しんだ。
「んで、ボーカル。歌い方がなってない」
「はい、すいませんっ!」
目をぎゅっと閉じて、流桟は頭を下げる。完全に、叱られるモードに入ったらしい。
「あの曲は、あんなに強く歌っちゃダメなわけ。もちろん、棒で歌えって意味じゃないわよ。テーマがテーマだし、感情はこもってなきゃいけない。だけど、叩きつけちゃダメなのよ」
それでは、客に響かない。
「引き込まないといけないの」
こちらの世界の引き込んで、魂を共振させる。そのためには、ある程度の
「あんたの歌は、ただ叫んでるだけに等しいわ。それじゃあんたの感情は表現できても、客の心が揺れてくれない」
だから、採点するなら〇点だ、と彼女は結ぶ。
「う――すいません。あなたの曲を、穢してしまって――」
「でも」
頭を深々と下げて謝罪し出した流桟の言葉を遮って、クロカは言う。
「逆に言えば、あんたの感情はよく伝わったわ」
この曲が、好きだ。
誰かにこの好きを、伝えたい。
その思いは、よくわかった。
「だからま。点数で言えば落第だけど、ファンとしちゃ、及第点よ」
クロカが言えば、彼女は。
「く、クロカさん……」
なんて声を震わしながら、目を潤ませる。
「一生、一生ついていきます……」
「言ったわね。一生ちゃんと応援しなさいよ」
「っ! はい! 絶対します! 死ぬまで、ずっと、もう、全部のライブいきます! CDも、グッズも、出たら全部買います、あ、買うんで、出してください! あ、あと、ライブも、またやって欲しくて……!」
「わかったわかったわかったから」
すぐにスイッチが入る。
めんどくせぇオタクだな、とクロカは思った。
「もう、本当に、ライカーズが……クロカさんの歌が、好きで――」
クロカさんの作る曲は、全部『本当』を歌ってると思うんです――なんて彼女は言う。
「あの、クロカさんはどうして、あんなにも、人間の深い部分を、本当の心の痛みと、傷と、輝きを、あんなに丁寧に、綺麗に、曲にできるんですか!?」
「……別に、それを曲にしようって思いがあるわけじゃないわよ。ただ、普段思ってることを、音楽にしてるだけっていうか」
「ふわ~……」
ふわーってなんだ、ふわーって。
「クロカさんは、天才ですね……」
「知ってる」
いい加減、鬱陶しくなってきた。
「私、そろそろいくから」
「あ、はい! あの、つ、次のライブいつですか!」
「そのうち」
クロカは振り向かずに言って、出口へと向かった。
外に出ると、雨はもう、上がっている。
地面に、わずかの水溜りが残っていて――クロカは、それを踏みつけた。
「ファンです、ね」
水溜まりに浮かぶ波紋が、映るクロカの顔を乱している。
ライカーズを取り巻く環境は、変わった。
自分は、なんのために音楽をやっていたのか。
「……馬鹿らしい」
彼女は言って、歩き出す。
全てが気に食わなくて、吐き気がした。
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