1
「私さ、あんたのこと、嫌いだったのよ」
日付も変わろうかという、夜更け。
夜道を歩く中、吠黒歌巻は六町らいかへとそう言った。
「はっきり言うと、今でも嫌い」
赤信号。横断歩道の前で並ぶ。隣に立つ、クロカよりも幾分か高い背丈の少女は、「酷いな」と平坦な声色で文句をつけた。
「あんたってさ、ほんと、側から見てるとすごいわよ」
まるで物語の主人公みたい。
「むかつくくらいの美人で、スタイルも抜群で、いつも一人で澄まし面。スポーツ万能。頭の出来はまあ、ほどほどらしいけど、それでも地頭が悪いわけじゃない。学校じゃ誰もが憧れる人気者の癖に、そんな人気なんて心の底からどうでもいいって思ってる。私たち一般人が、学校だとか、そういう狭い社会の中でポジションを探すために必死になって頑張ってる中、あんたはその外側を悠々と飛んでるわけ。羨ましいったらありゃしない」
なのに――
「それを羨むことも許されない」
あんたのことを羨ましいだなんて言えないくらい、悲しい過去があって。
世界の闇に潜む怪人なんてものと戦う使命までもがあって。
「僻んでる私が、馬鹿みたい」
この世界に主人公がいるのだとすれば、それはきっと六町らいかなのだろう。
そんな風にさえ、痛感する。
「私はそんな立派なものじゃあないよ。主人公だって言うなら、誰もがそうだ」
「前だったらね、そんな謙遜までできるなんてお上手ね、とでも言ってあげられたんでしょうけどね」
あんたそれ、多分本気で言ってんのよね、とクロカはため息をついた。
「あんたさ、いいヤツよ」
「どうした、急に」
「いいから聞きなさい」
クロカはらいかを黙らせた、
「私みたいなさ、可愛くもない女が、延々文句垂れながらこき使ってくるってのに、それに文句の一つも言わない。あまつさえ、そんな歪んだ人間の、『いいところ』を見つけてしまう」
あんたのおかげで。
私はあろうことか、自分を好きになれてしまった。
不機嫌そうに、クロカは言った。
信号が青に変わって、二人は歩きだす。
「そりゃあよかった、と言っていいのかな」
「言っていいでしょ。多分ね」
ダメって言われたら、ちょっと泣くわよ。
クロカが言って、らいかは思わず小さく吹き出す。
「はは、そりゃそうだ」
「何笑ってんのよ、むかつくわね」
横断歩道を渡りきり、クロカはらいかの脇腹を肘で小突いた。
「まあさ、結局何が言いたいかっていうと、あんたには、力があるんだろうな、ってことよ」
「力?」
「そう。一応言うけど、単純な腕力の話じゃないわよ」
そういうことじゃなくって――
「なんていうか、人を変える力が」
六町らいかには――それがある。
「そんな大層なもの、持った覚えもないんだけれどな」
「でしょうね。そういうのって、自覚して持てるものじゃないもの」
自覚してそれを振るっているのならば、それは
「その二つは違うのか?」
「全然違う。人を変えさせる力ってのは、ただの暴力よ」
他人の魂を捕まえて、自分の思い通りに変えようとする。それは酷く下劣で醜悪な暴力であって、断じて、肯定的に語れるそれではないし、肯定的に語っていいそれでもない。
「あんたの持ってる人を変える力っていうのは、多分、『許し』みたいなものなんだと思う」
「許し?」
「そう」
地面に引かれた白線を踏みながら、クロカは言った。
「あんたはさ、他人が自分の心を曝け出すことを、許してくれる」
たとえば彼女は、吠巻黒歌の醜悪な本性を真正面から受け止めた。
たとえば彼女は、獅子堂熟々丸の未熟な本心を、真っ向から抱き止めた。
「それってのはさ、救いなのよね」
自分の『本当』を晒して――それでも揺るがないでいてくれること。
それは、傷を持つものにとって、この上ない救いとなる。
「それは多分、あんたが自分ってもんをしっかり持っているからなんだと思う」
自分というものをしっかりと持ち、自分自身を受け止めて、そしてそれを否定しないでいる。
自分の良い部分も、悪い部分も、等しくをひっくるめて『自分』として認め、それを肯定して生きている。
「その生き方ができるってのは、かっこいいし、羨ましい」
「そんなにいいものでもないと思うが」
ただの開き直りだぞ、と彼女は苦笑する。
「普通はね、そんなふうに開き直れないもんなのよ」
自分の中に。
他人の中に。
許せない何かを見つけてしまって――
受け入れられなくなってしまう。
「あんたはさ、人の中に『いいもの』を見つけたら、それを見失わないのよね」
他の全てがどれほど穢れていても――その輝く一つをきちんと、認めてくれる。
「それってなかなかできるもんじゃないわ」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、じゃないけれど。
一度、人間の醜さを直視してしまえば。
それまで見えていた輝きも何もかも、くすんで見えるようになってしまう。
「だからさ、私は私のことがずっと、嫌いだったのよ」
だけど、それでも。
今は――全てが嫌いではない。
嫌いなところはたくさんあって、数えきれない程だけれど。
それでも、好きなところも、少しはある。
「それを見つけてくれたのは、あんたなわけ」
あんたは――人の傷を笑わない。
人に醜さを笑わない。
それが全てだと断じない。
百万の醜さがあっても、一の輝きをきちんと見つけてくれる。
その百万の醜さをさえ。
それがお前であるならばと包み込んでくれる。
「そういうところが、救いなの」
そんなふうに言われて、らいかはなんだか、気恥ずかしくなってきた。
「随分褒めてくれる」
「褒めちゃいないわ。ただ、事実を言っているだけ」
そして――だからこそ。
「だからこそね、私、あんたが嫌い」
彼女はらいかの方を見ないまま、そんなことを言った。
「なぜ?」
「だってそれ、本当は私がやりたかったことなんだもん」
ずっと。
醜さに塗れた自分が、嫌いで。
輝く何かを、見つけて欲しくて。
けれど、誰もそれをしてくれないから。
自分でやろうと思った。
それが、彼女の歌の始まりだった。
それを――現実の世界で、完璧にやり通している人間がいるなんて。
「そんなのずるいわ」
彼女は言って、くしゃりと笑った。
「あんたさ、怪人退治とか、辞めちゃいなさいよ」
「……どうして?」
「向いてないわ」
彼女は言った。
「あんたに人殺しは、向いてない」
そんなことを言われたのは。
きっと六町らいかにとっては、初めてのことだった。
「そうか」
彼女はそれをただ、受け入れる。
「それなら、何が向いてるかな」
「そうね」
クロカはわざとっぽく悩むようなフリをした。
「たとえば、いじっぱりで、マイナス思考で、傲慢ちきで――どうしようもない有様の癖に、それでも一途に美しい曲を作り出そうと足掻く音楽家の、マネージャーなんて、向いてるんじゃない?」
クロカの言葉に、らいかは今度こそ笑う。
屈託なく、純粋に。
心の底から――笑った。
「そうだな、それは案外、悪くない」
彼女は言って、眦に浮かんだ涙を拭う。
「私さ」
クロカは言う。
「あんたのことが、今でも嫌い」
でも、それは全部じゃなくって――
「好きなところも、今はある」
たくさん嫌いで――少しだけ、好き。
六町らいかに対する感情は、そんなところだ。
目的地までは、あと少し。
「一番最初」
彼女は振り返るように視線を上に向ける。
「あんたが私に、無理やりキスしたことあったじゃない」
「あったな」
「あの時、『ちょっといいな』と思ってる人がいた、って言ってたでしょ」
「ああ」
「それね、あんたのこと」
その告白に、六町らいかは心の底から――驚いた。
「最も、あんなことされたもんだから、『やっぱないな』ってなったけど――」
今は。
「また、『ちょっといいな』って思ってる」
たくさん嫌いで、少し好き――だ。
「返事は、全部が終わった後、聞かせてもらうわ」
言っとくけど。
「私、浮気は許さないから」
そこんとこよく考えて、返事しなさいよ。
彼女は言って、イタズラっぽく笑った。
そしてついに――二人は予定されていた場所に着く。
そこは――彼女らの通う学校、私立新神海岬学園の、校庭だった。
まばらな雲に遮られた、途切れ途切れの月明かりが、カーテンのように闇を遮る。
無人のはずのそこには――一人の少女が、佇んでいる。
小柄。
まるで幼い童女のような――とさえ呼びたくなるような体つきに、アンバランスに長い手足。子供を無理やり大人にしたような、そんな印象をさえ、受ける。
相変わらずの、Tシャツ一枚だけを纏った、簡素な衣装。
色の抜けた、純白のザンバラ髪が、風に揺れていた。
「――待っていたよ、クロカっち」
いつものように、酒に呑まれてということもなく、素面。
生来の鋭い顔付きが、青白い月に照らされて。
「……久しぶりね」
クロカは静かに言った。
「熟々丸の葬式以来かしら」
「そうなるね」
最後に出会った時とは対照的に、完全子は随分と落ち着いているように見える。
彼女は穏やかに微笑んで、「また会えて嬉しいよ」と呟いた。
もっとも――
「
ぼんやりと。
彼女の瞳が、地に伏せる。まるで物思いに耽るように。あるいは、何かを諦めるように。彼女は、クロカから視線を逸らした。
クロカは。
「ねえ」
それを、許さない。
「あんたに、聞きたいことがあんのよ」
そのために。
それを聞くために、吠巻黒歌はここに来たのだ。
だから――問う。
たとえそれが、破滅への片道チケットとなるとしても、それでも。
彼女はそれを、切った。
「あんた――」
なんで熟々丸を殺したの?
「……本当、さ」
彼女は俯いたまま、頬を引き攣らせるようにして笑った。
「上手くいかないよね、何事も」
はあ、と。
ため息を吐いて、彼女はクロカに向き直る。
彼女の元に電話がかかってきたのは、まだ昼間のことだった。
『
――バラされたくなければ、本日深夜、新神海岬学園のグラウンドに来い。
そんな一方的な要求を叩きつけて、その電話は切られた。
「なんで――
恨み言のように、疑問をぶつける。
それは自白も同然の言葉であって――クロカにとって。
それは聞きたくもない言葉だった。
クロカは眉を顰めて言う。
「別に、確証があったわけじゃないわよ」
あるいは。
「六町らいかにいわくして、
その力を持って、熟々丸を自殺させたのだろう――と。
その推論を聞かされた瞬間から、彼女の脳裏には、一つの可能性が浮かび続けていた。
「鍵がね」
鍵が――かかっていたのよ。
彼女は言う。
あの日。
獅子堂熟々丸が死んだ日。
その遺体を最初に見つけたのは、吠巻黒歌であって。
その現場であるガレージには、
「だからこそ、警察では自殺だと判断されたわけだけれど、
たとえ。
「どうして?」
完全子はいっそ無邪気にさえ首を傾げた。
「人の精神を操れる怪人なら、被害者自身に鍵をかけさせることだって出来たんじゃないのかな」
「そうね。その可能性はもちろん考えたわ」
クロカは頷く。
熟々丸の遺体から、奪われたものなど何もなかった。当たり前だ。そうでもなければ、自殺だなんて判断はされない。それは当然、ライカーズの面々に配られていたガーレジの鍵も、奪われてはいないということだ。
「そうなると、犯人が外部の人間だと仮定するなら、熟々丸に鍵を閉めさせるしかなくなるわよね」
ガレージの出入り口は、シャッターとその横のドアの二つ。
シャッターは長らく閉め切っていたままであり、もたれかけさせていたままの機材や埃の積もり方から見て、開閉された形跡はなかった。
すると当然、犯人はドアから出入りするしかなく、仮に熟々丸を操って鍵をかけさせたなら、
「そうでなくちゃ、犯人も一緒に部屋の中に閉じ込められることになる」
だから、犯人は
それは、少し不自然だ。
「どのあたりが不自然なの? 別に、筋は通ってるように思うけど」
完全子の指摘に、クロカは首を振る。
「精神を操る能力っていうのが、たとえばハリー・ポッターのインペリオみたいに、
でも、
「精神を操る能力は融通が利きにくくて、おまけに能力を発動するための条件がある」
それほどまでに縛りが多いのならば、可能性は自ずと縛られてくる。
「獅子堂熟々丸は己の意志に反して自殺させられた」
その動機のなさと、
「現場には、鍵がかかっていた」
彼女自身がそれを確認している。本来ならばかかっていないはずの鍵が、確かにあの時、現場にはかかっていた。
「犯人は現場から出た後だった」
そしてガレージから出るには、扉を通る必要があった。
「以上の点を踏まえて、パターンを考えてみましょう。たとえば犯人の能力が、壁越しでも使える場合」
その場合、犯人はそもそも、
「なぜならそもそも扉を開ける必要がないから。ガレージの外から中にいる熟々丸に『死ね』と命じて、それでおしまい」
次に、第二のパターン。
「能力を使用するには接触が必要だが、その後は壁越しにでも効果が持続するという場合」
これならば、筋は通る。
犯人はガレージの中に入り、熟々丸に催眠のようなものをかける。その後自分は外に出て、熟々丸自身に鍵をかけさせ、自殺させる。
極めて自然なシナリオだが――しかし。
「熟々丸は、
どのタイミングでかはわからないけれど、熟々丸に対して行われた精神操作は
「そんなギリギリの状態で、
能力が解けないうちに、さっさと始末してしまわなくてはならない。そう考える方が、自然ではないだろうか。
となれば――
「第三のパターン」
あるいは、天間獣国がそう言ったように。
犯人の能力が――
「鍵をかけたのは熟々丸ではなく、犯人自身だということになる」
この場合では――
「犯人は、
それはつまり。
犯人は、
「だから、私は、
括野完全子――だけでなく。
不汲身虎兎にも。
焱火伽羅子にも。
三人に三人、同じように電話を掛けて――『お前の正体を知っている』と脅しを掛けて――学校の校庭に、呼び出した。
そしてこの場に来たのは――括野完全子だった。
「なるほどね、間抜けは見つかったぜ、ってわけ」
「ま、そういうことよ。これでだめだったら、一人一人とっ捕まえて締め上げるつもりだったわ」
「はは、名探偵不要の力技だ」
クロカっちらしいや、なんて、褒めているのか貶しているのか。
ふふふ、とひとしきり笑い終えて、完全子は口を開く。
「クロカっちが答えてくれたし、私っちも――私も、最初の質問に答えようか」
彼女は眉尻を下げて言う。
「私があの子を殺したのはね、私が怪人だからだよ」
怪人だから。
それだけが、理由なのか。
人類に対する敵対衝動。
それだけが、理由なのか。
「どうして――熟々丸だったの」
怪人だから、が理由なら。
別に、熟々丸じゃなくたって、良かったはずだ。
熟々丸でいいのなら――
それなのになぜ――獅子堂熟々丸だったのか。
クロカが問い詰めれば、彼女は苦々しく顔に皺を寄せる。
「それはね」
それは。
「それはあの子が変わっちゃったからだよ」
獅子堂熟々丸は、変わった。
己の弱さを認めて。
隠し事をなくして。
全てを周りに、曝け出して。
それで、
上手くいったから――だめだった。
「あの子はさ、敏感だったんだ」
元々。
獅子堂熟々丸は、他人に怯えて生きてきていた。
だからだろう。構える太刀を捨て去り、他人をよく見るようになった彼女の『怯え』は、他人をよく見る『観察眼』へと変わった。
そして。
「ガレージで、あの子が絵を描いてる時、私はしょっちゅう、後ろからそれを見てた」
多分邪魔だっただろうな、なんて笑いながら、彼女は肩を落とす。
「あの子が絵を描いてるのを見ながら、色々話したよ」
そんな中で――ふ、と。
彼女は言ったのだ。
『あの、もし違ったら、申し訳ないんですけど』
完全子さんって――
『何か、隠していませんか』
完全子さんは。
どこかで私たちから、
そんなことを言われて、完全子は、思わず肩を跳ね上げた。
その動揺を、悟られてだろう。
彼女は――
『
と言った。
『私は今まで、ずっと自分を、自分の本性を隠して、クロカさんたちと付き合ってきました』
でも――それは、だからこそ
『全てを打ち明けてやっと、本当の友達になれたと思うんです』
その成功体験は。
獅子堂熟々丸だけでなく、
だから――
『完全子さん』
私は――
『あなたと本当の友達になりたい』
熟々丸の、真っ直ぐな視線に。
『何か、隠していることがあるなら、打ち明けてみてはくれませんか?』
彼女は思わず、誘惑されて。
そして――
『私ね、実はね――』
その正体を、明かした。
明かして、しまった。
「……それで、どうなったの?」
クロカに問われ、完全子は肩を竦める。
「……『殺さないで』だってさ」
括野完全子の告白は、失敗した。
彼女は真の姿を晒して。
獅子堂熟々丸は、それに恐怖した。
怯える声が、鼓膜に深く、浸透して。
彼女は、耐えられなくなった。
「だから、殺したんだ」
その声が酷く、耳障りで。
耐えきれなくて。
括野完全子は――獅子堂熟々丸を、殺したのだ。
「……あの時らいかに喰ってかかってたのは、そういうわけだったのね」
クロカは言う。完全子は控えめに頷いた。
獅子堂熟々丸が変わったのは、
彼女が熟々丸を変えなければ。
熟々丸に変わるきっかけを与えなければ――完全子だって、余計な希望を抱くこともなかった。
あの怒りは、きっと本心だったのだろう。
完全子は俯く。
「最低だよね、私」
呟く声は、震え。
その眦からは、水滴が、滴り。
それを見て、クロカは。
「そうね」
と。
冷淡に肯定した。
「あんたって、最低だわ」
へん、と。
鼻を鳴らして、彼女は括野完全子を見下した。
「あんたはね、そうやって自罰的に涙の一つでも流しゃ同情してもらえるとでも思ったのかもしれないけどね、私は同情なんてしないわよ」
牙を剥いて、彼女は吠える。その名の通り、けたたましくも。
「そりゃ確かに、熟々丸だって悪いわよ。自分から秘密を打ち明けろっつっといて、いざ打ち明けられたら怖気付くんだもん。そりゃあ『なんだこいつ』って思って当然よ」
でもね――
「人間ってそんなもんでしょ」
そんなもん。
人間なんて、そんなもん。
「自分勝手で、馬鹿で、クズで、すぐに手のひらを返す。最低な生き物よ」
あんたと一緒。
「みんなバケモンなのよ」
人間なんて、化け物だ、と彼女は語った。
「あんたさ、熟々丸に怯えられたのがよっぽどショックだったんでしょうけど、それで殺しちゃ本末転倒でしょ」
それじゃあ。
「それで熟々丸を殺さなかったんならあんたも怒る権利があるわよ。人を見た目だけで差別しやがって、何様だこの野郎って、でもあんた、自分で証明しちゃってるじゃない」
自分が人殺しの化け物だ、って。
彼女は自分自身の行いで、証明してしまっていた。
「……黙れよ」
完全子は。
両手の拳を、握りしめる。
「私が、自分が怪人になったせいで、これまでずっと、どれだけ苦しんで生きてきたかも知らないくせに――」
「んなもん、知るわけないでしょ」
だって、聞いてないんだもん。
「あんた、ちゃんと言ったの。それ」
自分が怪人だということを。
それで苦しんできたということを。
獅子堂熟々丸にも、言ったのか?
「……それは」
「
呆れたように。
吠巻黒歌は完全子を見下す。
鼻から息を漏らして、馬鹿馬鹿しいとさえ言いたげに。
「秘密を打ち明けるってのは、そういうことでしょ。そりゃ、熟々丸だってびっくりするわよ。いきなり目の前で知り合いが化け物に変わるんだもん。そりゃ殺されるとだって思うわよ」
実際、殺されたわけだし? とクロカは片眉をあげて煽る。
「でも、せめて話をちゃんと聞いてたら、少なくともいきなり殺されるとは思わなかったでしょうね。怯えることも、どうかしら。なかったとは言わないけれど、マシにはなってたんじゃない? あんたはね、完全子。単純に、順番を間違えたのよ」
言葉で言えば、伝わったかもしれないことを――伝えなかった。
それが、括野完全子の間違いだった。
「あんたはさ、きっと悩んでたんでしょうね。辛かったんでしょうね。きっと言われたい言葉もあったし、言われたくない言葉もあったんでしょう。だけど、それを伝えなかった。最後の最後で、あんたはなぜかギャンブルをした。何も言わなくても、自分の望む言葉を言ってくれるかどうかってギャンブルを、そしてそれに負けた。負けて、腹いせにディーラーを殺したわけ。へん、バカねあんたは。勝負に負けたって死ぬわけじゃないんだから、もっかい賭ければ良かったのに」
それをしなかったから。
括野完全子は、勝負の権利を永久に失った。
彼女はもう二度と――獅子堂熟々丸とは友達にはなれないのだ。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
完全子は喚くけれど――しかし。
「人を殺すってことは、そういうことなのよ」
これから、紡げたかもしれない絆。
与え合うことができたかもしれない影響。
得ることができたかもしれない救い。
それらを全て、拒絶すること。
それが、人を殺すということなのだ。
「あんたは、熟々丸の誘いを拒むこともできた」
秘密を秘密のままにすることもできた。
けれど――それをしなかったのは。
自分の正体を明かしたのは。
「熟々丸と、本当の友達になりたいって思ったからでしょ」
その望みはもう、叶わない。
彼女自身が、その可能性を摘んでしまった。
あるいは永久に。
永遠に。
永劫に。
閉ざして、潰して、殺した。
「わ、私は!」
完全子の肌が、
その柔らかな皮膚の上に――鱗が浮かぶ。
両目が開かれ、その瞳孔が、肉食獣のそれのように縦にひび割れる。
犬歯が長く伸び、鋭く牙に。口は横に裂け、パックリと開く。
その髪が、
それは――びっしりと細かい鱗の生えた、細い細い
先端に生えた顔が、しゃあと威嚇の鳴き声をあげる。
その姿はたとえるならば、まるでギリシャ神話に語られる蛇髪の怪物、メデューサのように醜く、また神々しく、そして何より殺意に満ち溢れていた。
「私は、人なんて殺したくなかった!」
「でも、殺したんでしょう」
「うるさい、お前には、わからない!」
私と違って、普通の人間のお前に、このくるしみがわかってたまるか――彼女は叫び、その瞳を赤く輝かせる。
その瞬間、クロカは
ああ、なるほど。熟々丸は、これで殺されたのか。頭ではそんな風に思いつつも、しかしその自殺衝動には抗えず、その両手を首元へ持っていき――
ダァ――ン、と。
雷鳴が、響き渡る。
「へぶっ――」
間抜けな悲鳴をあげて、
「大丈夫か、クロカ」
「助かったわ」
自ら首を絞めようとしていた両手を離し、彼女は小さく咳き込む。
「……なんで、お前は死のうとしないんだ」
彼女の目に見られながらも平然と攻撃を仕掛けてきたらいかに対して、完全子は言う。
らいかは不思議なことなど何もないとばかりに平坦に答える。
「今の私は、雇われだからな」
仕事を済ますまでは――死にたいなんて気持ちは二の次だ。
彼女は言った。
六町らいか。職業、ガンマン。
彼女は、仕事に私情を持ち込まない主義だ。
そんなことを本気で宣える頭をしているから、彼女は間違いなく、戦士なのである。
「――い、イカれてるよ、あんた」
憎々しげに、完全子は吐き捨てる。
「イカしてる、の間違いだろう」
彼女はニヒルに笑って見せるが、完全子の表情は変わらなかった。
「そのイカれた頭の女はね、あんたを殺せるわよ」
わかったでしょう――とクロカは言う。
「……私のこと、殺すの」
「そのつもりで、ここに来た」
吠巻黒歌は、冷たく吠える。その名の通り、黒々と。
「あんたは、熟々丸を殺したわ」
私の大切な、友達を。
「それは絶対に、許せない」
どんな理由があったとしても。
何があっても。
絶対に。
未来永劫、許せる日は来ない。
死んだ人間は、蘇らない。
彼女の犯した過ちは、取り返しが付かない。
「……そうだね」
そうだ。
全く全てが、その通り。
括野完全子は、許されない罪を犯した。
だから、この末期はきっと必然なのだろう。
括野完全子は、静かに目を閉じる。
全ての罪を受け入れるように。
己の死を受け入れるように。
彼女は目を閉じて、その瞬間を待ち、そして――
ばしん、と。
その頬を、吠巻黒歌に叩かれた。
「――え?」
思わず目を見開き。
彼女はクロカを見上げる。
クロカは――
「言っとくけど」
へん、と。
鼻を鳴らして、彼女を睨みつける。
「私は、これであんたを許してやる気なんてさらさらないわ」
この一発は、ただの憂さ晴らしよ、と。
彼女はそんな風に言って腰に手を当てる。
「私は、あんたが熟々丸を殺したことを、未来永劫許さないわ」
その罪を。
と彼女は言った。
「な、なんで――」
「熟々丸が私の大事な友達だったのと同じように、あんただって私の大事な友達なのよ」
彼女は言って、腕を組む。偉そうに。傲慢に。立ち向かうように。
「私はね、これ以上友達が減るのは嫌なの」
ただでさえ、少ない友達を。
ただでさえ、一人減ってしまった友達を。
なぜこれ以上、自分から減らさなくてはならないのか。
「わ――私が憎くないの」
「憎いわよ!」
クロカは完全子を殴った。
今度はぐーで、鼻っ面に本気のパンチ。
ぎゃ、と完全子は悲鳴をあげる。
「あんたのことは、殺してやりたいくらいに憎いわ。今だって、あんたへの殺意を抑えるのに精一杯よ。あんたのことなんか、嫌いで、嫌いで、大っっ嫌い!」
でも――
「それでも、あんたへの『好き』が無くなるわけじゃないのよ」
残念ながら。
吠巻黒歌にとって、括野完全子は親友の仇で、殺してやりたいくらい嫌いな敵で。
何より大事な、友達なのだ。
「あのね。あんたに、
彼女はへん、と鼻を鳴らし、大きく息を吸った。
「それはね」
それは――
「
吠巻黒歌は。
「熟々丸が死んだあとね、私一人でいつものライブハウス行ったの。そこでね、私のファンだって女と出会ったわ」
そいつに――ちやほやと褒めちぎられて。
「私ね――
彼女は吠えた。その名の通り、下品にも。
「信じられる!? 友達が、大事な親友が、死んでるってのにさあ! ちょっと褒められたくらいで、馬鹿みたいに喜んじゃってんの! ウケるでしょ。どんだけ節操ないのって話よ!」
彼女はほとんどヤケクソになって叫び散らかす。
「私はねぇ、そういう品性下劣な女なのよ! 性根が腐ってんの!」
だからこそ――
「熟々丸がどう思うかとか、そんなの知ったことじゃないわ! 私の人生は私のものよ! 熟々丸の敵討ちのせいで、
彼女は吠えた。吠え巻いた。その名の通り、真っ黒く。歌うようにではなかったけれど。
「私はねぇ、あんたを許さないわよ。だってね、熟々丸はね、私のことめちゃくちゃちやほやしてくれたんだもん。私のこと褒め称えてね、好きだ好きだって擦り寄ってきてね、あんなに自己肯定感が上がることってないわよ! 私ね、あいつのおかげでめっちゃ機嫌良くなってたんだなってね、死んでから気付いたわ!」
彼女は吠える。名の通り。黒々と輝く腹の中を、全て曝け出すように。
「だからね、あんたには生きててもらうわよ。生きて、熟々丸の分まで、私を褒めてもらうわ。できるでしょ? だってね、あんたも私のこと、好きだもんね!」
「う、うん……」
思わず完全子は頷いた。それは間違いなく本音だ。本音だけれど、え? これどういう展開なの?
困惑する彼女に、クロカはむふーと鼻息を吐く。
「ほれ見なさい! あんただって私のこと好きなんだから。私はね、こう見えて意外と人に好かれる女なのよ。まいったか! ね? 嘘じゃないわよね? 好きなんだもんね? あのね、今更なしとか言ってももう無駄だから。離さないから。それが罰よ。ばーか。あんたはね、もう逃げらんないのよ。私は知っちゃってるもんね。あんたが怪人だって。ね! 逃げるんならね。バラすわよ。あんたが怪人だって。警察に通報して、マスコミに垂れ込んで、インターネットにだって書き込んでやるんだから。そのブッサイクな面、写真に撮ってばら撒いてやるわ! いやでしょ? ええ? いやよね、必死になってそれ隠して生きてきたんだもんね! それが嫌なら、あんたは一生私のそばにいてもらうわよ! 私のそばで一緒あんたは生きていくのよ。私の友達として、私のことをちやほやするの。吠巻黒歌チヤホヤ係に終身就職よ! へん、ご愁傷様! 何も考えず軽々しく熟々丸のこと殺したりなんかするからこんな目に遭うのよ!」
わはははは、とクロカは笑った。
高らかに、まるで悪の首領のように。
「……いいの?」
「何がよ」
「……私がそばにいて、いいの?」
人殺しの、化け物なのに。
か細い声で、完全子は言う。クロカはへん、と鼻を鳴らした。
「人殺しの化け物上等。そんな相手にまで好かれてるなんて、箔がつくわ」
彼女は鼻から息を吐き散らかして言った。
そして――彼女は向き直る。
「そういうわけで、こいつ、私のだから」
吠巻黒歌は、六町らいかへとそう言った。
威嚇するように、腕を広げて。
「こいつは殺しもしないし、警察にも突き出さない。一生、私のそばにいてもらうわ」
「ほう」
らいかは言った。
「それは随分と、不公平な話じゃないか?」
「不公平が何よ」
へん、と彼女は鼻を鳴らす。
「公平ってやつが、私を不幸にしようってんならねぇ、そっちの方が不公平よ」
私には
「それを奪われてたまるもんですか」
なんて、彼女は堂々とめちゃくちゃを宣った。
「私はすでにね、親友を一人奪われてんの。死なされてんの。なら、命には命で報いるべきでしょう」
こいつの命は私のもんよ、なんて、熟々丸の命だって彼女の命ではなかっただろうに、吠巻黒歌は無理を通そうとする。
「もしもあんたが、それでもこいつをどうにかしようってんなら――」
彼女は両手を広げて、仁王立ち。
「私の屍を超えていきなさい!」
その堂々たる宣言に、らいかは。
「あはは」
なんて、まるで年頃の少女のように、屈託なく笑った。
「うん、やっぱりお前は、すごいやつだ」
彼女は言って、クロカの肩を叩いた。
「もとより私は、彼女に何をする気もないよ」
その言葉を証明するように後ろを向いて。彼女は歩き出す。
「私の雷火に、花は撃てぬさ」
去り行くその背を見送って――吠巻黒歌はため息を吐く。
彼女は友を一人失い、しかしもう一人までをは失わなかった。
誰が救われたわけでもなく、誰が許されたわけでもなく。
悲劇は悲劇のまま、幕を閉じる。
この物語を、めでたしめでたしでは結べまい。
しかしそれでも、あるいは。
せめて一抹の花を持たせることくらいは、できただろうか――
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