俺は歌うのが好きだった。
父さんいわく、物心つく前からテレビで流れていた歌を真似て歌っていたそうだ。
15歳になった今でも歌うのは好きだ。
だけど、子供の頃と今では好きな歌のジャンルは変わっている。
それというのも、俺の母さんは歌が好きじゃなかった。
というより、嫌いだったのだろう。
母さんが家にいる間は、音楽番組は見れなかったのだから。
そういったものが見れたのは、母さんが居ない間に父さんがこっそり見せてくれた時くらい。
家で歌うことが出来ず、学校や外で歌うだけでは物足りなかった。
そんな時、家で歌っても母さんに怒られることがない歌に出会った。
それは、リズミカルな詩を早口で歌う音楽スタイル、ラップというものだった。
母さんはかなり古風な人で、ラップを知らない。
そもそも父さんが出会った頃から歌が嫌いな人だったらしい。
俺が生まれる前、2000年頃にはラップは音楽スタイルとして広まっていたと思う。
それでも知らなかったというのは驚きだったが、家でもラップを口ずさめていたのだから助かってもいた。
随分と古い家柄だったのだろう。
そんなだから家でラップを歌っても言葉遊びの一つだと思って、怒られることはなかった。
それからはラップに傾倒したのをよく覚えてる。
辞書とにらめっこしてリリック――歌詞――を考えたり。
トラック――ラップを乗せる歌のない楽器だけで演奏された曲――を買って、隠れながら聞いたり。
父さんに連れられてラップバトルのイベントに行ったりもした。
音楽の事となると母さんはうるさいけど、それでも隠れながら何かをするのは面白かった。
秘密基地を作るような感覚みたいなものかな。
そんな、少し息苦しいけど楽しい日々を送っていた。
それが12歳の誕生日に突如として無くなった。
その日は学校から帰った後、父さんからお使いを頼まれて少し遠くまで買い物に行っていたんだ。
そして、家に帰ってきたのは日が暮れ始めた頃
家に入って「ただいま」と帰ったことを伝えても返事がなかった。
もしかして誕生日だからかと、当時の俺はわくわくしてリビングまで進んだ。
そこでは、父さんと母さんが血だらけになって倒れていた。
椅子も机もぼろぼろになって散らばっており、あたりは数々の傷跡で覆われていた。
そして、リビングの真ん中には変な化け物がいて、それがこの惨状を起こしたとすぐにわかった。
その時、俺の中から何かが外れた。まるで今まで鍵がかかっていた感覚。
その中に感じられる力を、思いのままに使ったんだ。
すると手にはマイク、背後には巨大なスピーカーが現れた。
その力を使うと恐怖も怒りも抑えられ、テンションだけがぶち上がった。
マイクを口にあてがって本能のままにラップを歌うと、その化け物はすぐに払えたわけだ。
それからは結構早く物事が流れた。
化け物を倒した後、俺は気絶をしていたらしい。
事情聴取などをされた後は親戚に預けられ、事件は強盗の仕業として片付けられたらしい。
一応化け物のことを伝えた。
しかし警察はまともに取り合ってもらえず結果、事件による衝撃で記憶の混濁と混乱と判断され事情聴取は終わった。
子供で葬式に出るなんて、あまり経験したいことではなかった。
そうして、今は一人で夜な夜な化け物退治をする日々を送っている。
※ ※ ※
その日は月明かりの夜だった。
人気のない古びた住宅街の裏路地。暗がりに潜む影が、一人で歩く女性にじわじわとにじり寄っている。
「……また化け物かよ」
呟いた声には、どこか諦めと倦怠が混じっていた。
路地の端、ブロック塀を蹴って電柱の影に飛び移る。
身を隠したまま、上からその異形を見下ろす。
「手短にいくか」
懐からマイクを取り出した瞬間、空間が揺れ、背後にスピーカーが具現化される。
「Check it──」
低く呟くようなラップがリズムを刻み、音が波となって空間を裂いた。
一撃。その異形は音に呑まれ、ひとつ呻き声をあげることもなく煙と消える。
「……次、だな」
電柱から降りて、その場から去ろうとした時。
「いやぁ、すごいね君。冷静だったし、呪力の扱いも悪くない」
不意に後ろから声をかけられ、心臓が跳ねた。
とっさに身を翻し、距離を取る。そこにいたのは、目を白い布で隠した長身の男。
あの化け物のような存在じゃない――でも、普通の人間の気配ともどこか違っていた。
「……なにもんだ、あんた」
自然と手がマイクへ伸びた。
さっきまで誰もいなかったはずの空間に、まるで空気のように紛れ込んでいたこの男。
今の言葉からして、俺の力について何か知っているらしい。
「ごめんごめん。名乗ってなかったね。僕は五条悟。呪術高専の教師をやってる。君をスカウトしに来たんだ」
平然とした口調だった。まるで、夜中にこんな場所で会うことが当たり前かのように。
その余裕が、妙に腹立たしい。
「……はぁ? 何言ってんだあんた」
眉をひそめて睨む。
呪術? 教師? スカウト? 何ひとつまともに理解できない単語ばかりが並ぶ。
こんな夜道で何を言っている?
「さっきの力は、君の術式だよね。君は呪術の素質があるよ」
術式、という単語に一瞬だけ胸がざわついた。
あの時、俺が化け物に発動した能力――それを「術式」と呼ぶのか。
それに呪力……それがこの力の原動力?
「……いきなり現れて意味不明なこと言い出して、何なんだあんた」
だが、疑いしかなかった。
不審者の目隠し野郎が、都合よく俺の力を評価してスカウト?
そんな話、信用できるはずがない。
「グッドルッキングガイ五条悟先生だって。呪術を教える学校のせ~んせいっ」
ふざけた調子でポーズでも取りそうな勢いだった。
飄々としたその態度に、俺は目を細める。
まるで、こっちが本気で警戒してるのを楽しんでるような、そんな感じ。
――おちょくってやがる。
「目隠しした変なやつが夜道で待ち伏せって、普通に通報案件だろ」
俺はわざと鼻で笑ってやった。
少しでも油断させようと、軽口を叩く。
不安はある。でも、それを見せるわけにはいかなかった。
「いやいや、怪しまれるのは承知の上なんだけどね~。でも有望な呪術師の卵がいたら見逃せないでしょ」
軽く両手を上げて、おどけたような笑み。
その態度が、逆に本当に余裕を持っている証拠に見えて妙にムカつく。
「どこの常識だよ。頭湧いてんのか? その目隠しのせいで現実が見えてねぇようだな」
睨みながらそう吐き捨てると、五条は肩をすくめる。
「君、シンプルに口が悪いね~。ラッパーってみんなそうなの?」
挑発に乗ってるのか、本当に飄々としてるだけなのか――わからない。
「それは偏見だろ。俺に言わせりゃ、呪術師ってのは全員が不審者なのか?」
きっと、こいつもまた、あの化け物みたいに"異常"の側に属してるやつなんだろう。
俺の魂がそう感じた。
「それで、どう? 呪術師やってみない?」
唐突な勧誘。
まるでコンビニでバイトでも勧めるみたいなノリに、俺は眉をひそめる。
「よく分からねぇが、つまり俺の力が欲しいってことだろう?」
深く息を吐く。
「――だったら」
その瞬間、背後に"音"が満ちた。
現れるのは、俺の術式の象徴――蛇がとぐろを巻いている巨大なスピーカー。
「俺の音を耐えきってみな!」
マイクを握り締め、構える。
さっきの化け物相手とは違う。こいつに届くかはわからない。
でも、このまま言いなりになる気はさらさらなかった。
「いいねぇ、そうこなくっちゃ」
五条はにやりと笑った。
まるで、すべてが想定通りだと言わんばかりに――。