静まり返った文化ホールの廊下を、俺たちは並んで歩いていた。
照明は落とされ、外の光も帳によって遮られている。
薄暗い空間に俺と乙骨の足音だけが、カツッ、コツッと床に残っては消えていく。
「そういえば術式でラップを歌うってことは、歌詞とか考えてきているの?」
乙骨が不意に口を開いた。真面目なトーンだったが、どこか興味津々な色も混じっている。
「いや、基本即興だな。まあ、毎日リリック――歌詞を考えてメモっちゃいるが、基本はその時のノリだな」
俺が肩をすくめると、乙骨は「へぇ~」と素直に感心したように頷いた。
「やっぱりラップを上手くなるには日々の練習が必要なの?」
「そうだな。乙骨も毎日体動かして、呪術師として鍛錬を積んでるだろ? そういう日々の積み重ねが、何事も重要なんだよ」
「……うん、なるほど。勉強になるなぁ、なんか」
乙骨はまっすぐ俺を見ながら、ぽつりと呟く。
その目が思いの外キラキラしてて、素直に何でも吸収しようとしてるのが分かる。
そういうの、ちょっと眩しい。
「……真面目に語っちまったな。恥ずいから忘れてくれ」
ごまかすように笑いながらそう言うと、目の前に目的地の扉が現れた。
「この先だな」
両開きの扉に手をかけ、そっと押し開ける。
ギィ……と軋む音がホールに響いた。
中にはずらりと椅子が並び、ステージには舞台照明が当てられている。
演者も観客もいない、無音の大ホール。
だが、そこに漂う空気は、妙にざらついていた。
……いた。座席の影に黒い影が数体うごめいている。
「阿比留君、これ……」
「ああ、報告以上いるな。この分じゃあ、等級まで間違えているかもな」
舌打ちを飲み込む。三体だと? 笑わせるな。見えてるだけで十体はくだらねぇ。
まあ、3級が群れても雑魚には変わりねぇが──情報はちゃんと出せや、窓。
「んじゃあ、ぼちぼち祓うとするか」
腰からマイクを取り出し、術式を発動。
マイクのグリップに這う蛇が淡く光り、背後では呪力の渦が巻き上がる。
そこからスピーカーが出現し、鋭く睨むように蛇の目が輝いた。
「ブリング・ザ・ビート! よっしゃあ、一気に――ああ、今日はサポートだったわ」
ノリノリで入ろうとした勢いが、一瞬でしぼんだ。
そうだった、今日のメインは乙骨。俺はあくまで補佐役だ。
「それが、阿比留君の歌唱呪法?」
「そっ、普通のは知らんが、俺の歌唱呪法はこれだ」
「かっこいいね!」
「だろ? 分かってるな、乙骨」
思わず口元が緩む。よし、気分も戻ってきた。
「おら、行って来い。サポートはしてやる」
乙骨は刀を取り出し、迷いなく走り出す。
そのまま、一体、また一体と呪霊を斬り伏せていった。やるじゃねぇか。
俺はというと、スピーカーに呪力を流し込み、指向性を持たせて音圧の弾を撃ち出す。
乙骨の視界に入らない位置の敵や、背後に回り込もうとするやつを的確に撃ち抜いていく。
たまに俺に突っ込んでくるやつもいるが、そいつらは素手でぶっ飛ばす。
ラップがメインでも、フィジカルだって舐めるなよ。
「雑魚ばっかだが、数が多いな。なぎ倒せれば楽なんだがなぁ……」
だが──倒しても倒しても、呪霊の数が減らない。
変だ。いくら雑魚とはいえ、さすがにおかしい。
「これはいくらなんでも多すぎねぇか? どうなってんだ?」
「阿比留君、これはいくらなんでもおかしいよね」
「だなぁ……よし、それなら俺の術式で一気に――」
「それはだめだって言われたよね!?」
「しゃあねぇ、じゃあ地道に調べるか」
「地道にってどうするの?」
「とりあえず、ぶん殴る!」
「ええっ、作戦無し!?」
「とりま、俺が声を掛けるまで戦闘を続けとけ」
「わ、分かったよ!」
素直すぎだろ。戦闘中でも即行動に移すあたり、こいつもやっぱ只者じゃねぇな。
俺は戦っている最中に感じていた違和感を確かめるべく、呪霊に直接対峙する。
ああ、やっぱりこいつ――さっき倒したやつと動きが……。
殴れるし、実体もある。だが、どうも動きに"味"がない。
ただのなぞりにしか見えねぇ。
俺は一旦攻撃をやめ、身をひねって回避に専念する。
攻撃のリズムをずらしながら、観察するように動いた。
やっぱり、動きがパターン化されてる。
決まった動作。決まったリズム。あらかじめ録画されてたかのような動き。
──これは"リプレイ"だ。
思いつくまま呪霊の攻撃をいなし、足払いで転ばせる。
勢いのまま足で抑え込むと、その呪霊はバチンと音を立てて霧散した。
もがく動きすらなかった……次の動きが用意されていなかったのか。
違和感が確信に変わった。
「乙骨! ちょっと俺の方を見てろ!」
「えっ、うん分かった!」
乙骨が戦いながらも視線を向けてくる。
俺は同じように、もう一体を転ばせ拘束。
そして──パッ、と掻き消える幻影。
「見てたな! こいつらは術式で作られた偽物だ!」
「もしかして……!」
「術者が別にいる!」
そう叫んだときには、もう全身にアドレナリンが回っていた。
さて、幻影の元を探すとするか。
乙骨は刀を振るいながらも、わずかな隙間を縫って周囲の様子を確認していた。
だが、索敵に特化した術式を持たない奴には、あの呪霊の気配は掴みづらいだろう。
俺は、マイクを握った手で軽く胸を叩いた。
微弱な呪力を乗せた音波が、鼓膜じゃなく"場"に向かって放たれる。
スピーカーに届き、その音が波紋のように拡がって舞台全体に微細な共鳴を起こす。
見えねぇ、けど──"そこ"に確かにいる。
壇上の中央。見た目にはただの、何もないステージの床。
けれど俺の音波は、あそこだけ跳ね返り方が違っていた。
音が沈む。濁る。捻れて返ってくる。
そこに――呪力がある。つまり、実体がある。
察しがついた。こいつの術式は"映像"に関するもんだ。
過去の舞台上の映像──演劇、コンサート、失敗、歓声、泣き声。
そういった記録を繰り返し投影して、実体のある幻影を操作してやがる。
あの3級呪霊の群れも、リプレイってわけか。
動きが似通ってたのは、過去の映像をそのままなぞってたからだ。
なら──今、あのステージに"何もない"ように見えるのも、背景の映像で自身を覆ってんだ。
……甘ぇな。
「そこだろ!」
叫ぶと同時に、俺はスピーカーに呪力をぶち込んだ。
次の瞬間、紫がかった銀の音圧が、炸裂音と共にステージ中央へと放たれる。
弾丸のように直線を描いて飛び、空間の一点を叩きつけるように貫いた。
空気が歪み、そこにあった"透明な存在"が弾かれるように後退する。
仄かに呪霊の醜悪な輪郭が見えた。
「ちっ、やっぱり威力不足か」
ぶっ飛ばしたが、倒せるには程遠い。
術式を使っていることから準1級は確定。
スピーカー単体で潰すには火力が足りねぇな。
だが、効いたことには違いない。奴は、バレたことを悟ったらしい。
すぐさま幻影の3級呪霊たちを全て掻き消す。無駄な呪力は使わないつもりか。
そして──動いた。
乙骨がこちらの攻撃に気づき、即座に壇上へと飛び込む。
鋭い剣戟が呪霊に迫るが、それをヌルリとかわし、奴は舞台から客席エリアへと跳躍した。
その瞬間だった。
奴の体が複数に割れ、無数の分身が空間に出現する。
全部、過去の自身の映像だ。動きも違う、振る舞いも違う、仮面の表情すら──まるで、同じ呪霊が時間軸をズラして同時に存在してるかのよう。
くそ、分かりづれぇ。
幻影とはいえ、それぞれが実体を持っているからタチが悪い。
乙骨も防戦一方に回っていた。さすがの奴でも、これじゃ手が出しづらい。
数的不利だ。これじゃあ、もはや実体のある分身だ。
「乙骨、そのままヘイト集めとけ!」
俺が叫ぶと、乙骨は迷いなく返した。
「任せて!」
──信じやがった。迷いもせずに。
こっちは何の作戦も伝えてねぇってのに。
呪力の操作も術式の応用も、全部話してないってのに。
なのに、疑わず──俺を信じて、背中を預けた。
……ガッツがある。だけじゃねぇ。
あいつの中には、ちゃんと"芯"がある。
ぶれねぇ何かを信じて躊躇わず走れる奴、特有の真っ直ぐさがある。
まだ出会って間もねぇ。だけど、あいつの軸は本物だ。
「その信頼に、応えねぇとな」
俺はボソリと呟いた。
乙骨が席側で呪霊と応酬を続けている。
その様子を背に、俺はゆっくりとステージへ上がる。
スピーカーが俺の背後にせり上がるように出現し、低く唸るような重低音を響かせる。
マイクを口元へと運び、呪力を流し込む。
さあ、見せてやるよ──
「《ラップスキル・デリート》!」
俺がマイクを構え叫ぶと同時に、背後のスピーカーが咆哮した。
紫と銀の円形スピーカー。蛇の目がぎらりと光り、ホール全体にビートを刻み出す。
BPMは130。俺の心拍と、世界のノイズを同期させるような速さ。
ホールの空間が震え、空気が音で塗り替わっていく。
客席に並ぶ幻影ども──映像のコピーでできた呪霊たちが、まるで困惑したようにざわついた。
そこへ、俺のリリックが突き刺さる。
『いつまですがんだ 過去の栄光』
『成長グラフは 平行線』
『当然 すぎる 失敗で』
『呆然続きは 呆れるねぇ』
音の波に乗せて、俺の言葉が"意味"を持つ。
舞台袖、客席、天井スピーカー……呪力を帯びた音圧が無数に放たれた。
『オーバーアクトの 下手クソアクション』
『雑音だらけだ 嘘のリアクション』
『舞台に立っても、不甲斐ないスタイル』
『フェードアウトで ゲームアウト』
呪霊の呪力に合わせた"周波数"を纏い、無音に向かってホールを塗り替える。
観客席にうじゃうじゃいた幻影の呪霊たちが、黒いノイズのようにパラパラと消え始めた。
形が崩れ、音に呑まれ、やがて存在の輪郭ごと消えていく。
音に支配される舞台。
その中心に立つ俺と、その波を切り裂くように駆け抜ける──乙骨憂太。
幻影が崩壊してできた隙間から、本体の呪霊がうっすらと姿を見せた。
黒幕を羽織り、顔に何枚もの感情の仮面を重ねた、不気味なヤツ。
怒り、悲しみ、失敗、絶望──そうした負の感情が集まった呪霊。
「やっちまえ!」
俺が一言、そう囁いた瞬間──
乙骨の刀が閃き、黒の羽織ごと腕を両断。
呻き声をあげる間もなく、返しの一撃で胴を横一文字に裂いた。
仮面が崩れ、羽織がはらりと舞う。
音も光も奪われたみてぇに、呪霊は静かに崩れ落ちて消えた。
「乙骨──いや、憂太。いいガッツだったぜ」
俺はマイクを下ろし、スピーカーがゆっくりと闇に溶けて消えていくのを見届けながら言った。
憂太がこちらを向き、穏やかな笑みを浮かべる。
「すごかったよ、阿比留君! あんな術式、初めて見た!」
ガキみたいに素直なその笑顔が、少し眩しい。
拳を突き出すと、憂太も笑いながら拳を合わせてくる。
こいつとは、まだ何度でも並んで戦える気がした。
任務を終え、俺たちはホールの中を歩いていた。
照明はそのまま、でも客席には誰一人いない。
沈黙の舞台。ほんの数分前まで、呪霊とノイズで溢れてたとは思えねぇほど静かだった。
「阿比留君だったら、あの呪霊をどうやって倒してたの?」
唐突に憂太が訊いてきた。
「術式で周囲ごとぶっ飛ばす」
「壊しちゃだめって言われてたよ!?」
さすがにマジトーンでツッコミが飛んできた。
俺は肩をすくめて笑う。
「バレなきゃ
「阿比留君ってかなり、愉快な人なんだね……」
憂太は苦笑いを浮かべる。
たぶん、呆れてる。
でも、ちょっとだけ笑ってるその顔を見て──俺もつられて笑っちまった。
ま、愉快かどうかは置いといてこういう任務なら、また一緒にやってもいい。