九月。夏の焼け残りみたいな熱気が、まだ少しグラウンドに残ってる。
けど、空気は確実に変わってきた。
ジメついた風じゃなくて、少し乾いた風が汗を拭ってくれるようになってきた。
そんな中、俺とパンダは術式無しの組み手中だ。
派手に呪力をぶつけ合うでもなく、あくまで基礎的な体術の練習。
だが、それでも油断したら簡単にやられる。それが呪術高専。
パンダの拳を横にそらし、空いた脇腹に一発カウンター。直後、足払い。
バランスを崩したパンダが地面に崩れ落ちる前に、その顔の前に俺の拳をピタリと止めた。
「……うっし、俺の勝ち」
「ちきしょー! まだ呪術学んで四ヶ月のペーペーのはずだろ!」
地面をバンバン叩きながら悔しがるパンダを見て、俺はニヤリと口角を上げた。
「それを言ったら憂太も三ヶ月で、術式無しで真希に勝ってたろ」
「この天才どもめ!」
うるせぇなと肩を竦めながら、拳を胸に当ててラップっぽく返してやる。
「日々進化する最強のラッパー 残念、はなから格が違ったー!*1」
「ぐぬぬぬぬ!」
パンダの唸り声をBGMに、汗を拭いて石階段に座る。喉が渇いた。
ジュースの缶を開けてグビッと流し込みながら、パンダがぽつりと呟いた。
「そういやさ、今日って交流戦の件で京都から誰か来てるらしいぞ? 昨日、正道から聞いた」
「正道って……学長か。なら間違いねぇな。なんか、俺らに関係あったりするか」
京都の奴らとは初対面だし、顔合わせとかあるかもなと考えながら、パンダに聞く。
「ないとは思うが、京都のバカ筆頭が絡んでこないかどうか……」
その"バカ筆頭"ってのが誰か聞こうとした瞬間、背中にビリッと来るような気配を感じた。
俺は缶を握ったまま、すぐに首だけ後ろに向けた。
──でかい。
筋肉の塊みたいな男が、グラウンドの出入口に立っていた。
ドレッドヘアに鋭い目つき。見たことねぇツラ。でかすぎて建物の柱と見間違うレベル。
「紫髪にピアス……お前、
……は?
「あ? なんだいきなり。てか、てめぇ誰だよ」
思わず口が悪くなる。
俺の一言に、パンダがうめくように声を漏らす。
「げっ、東堂……」
「知ってる奴?」
「……話してたバカ筆頭」
なるほど、こいつか。
男は満足そうに腕を組むと、胸を張って言い放った。
「俺は京都校二年、東堂葵。これでお友達だな。さあ答えろ。ああ、男でもいいぞ!」
開幕からこのテンション。頭どうなってんだコイツ。
──つーか、京都にもゴリラがいたのか。
いや、動物がいるのは東京もか。
パンダいるし、真希もゴリラ枠だし。
……うん、あまりおかしなことでもないか。
「性癖にはそいつのすべてが反映される。女の趣味がつまらん奴は、そいつ自身もつまらん。俺は、つまらん男が大嫌いだ」
イカレてんな。初対面で語る内容じゃねぇだろそれ。
尖ってるやつは嫌いじゃねぇが、こういうのはちょっと違げぇな。
東堂は体勢を低くし、まるでいつでも飛びかかれる体勢のまま、じりじりと詰めてくる。
「答えろ、どんな奴がタイプだ?」
「……んだこいつ。引くわ」
「イカレ対決で玲のやつが負けた……」
「うっせぇぞパンダ!」
こっちもボケにツッコミ入れてる場合じゃねぇ。
このまま無視しても余計面倒になりそうだし、とりあえず返してやるか。
舌打ちひとつして、俺は腰のホルダーに手を伸ばす。
「あー、まあ……ノリが良い奴だな。強けりゃなお良し」
ホルダーから黒いダイナミックマイクを抜き出し、構える。
「つまり、俺を楽しませてくれるなら誰でも大歓迎ってわけだ。てめぇはどうだ、京都ゴリラ……!」
術式を発動する。
背後に呪力の渦が巻き起こり、そこから円形スピーカーが出現。
紫と銀のツートンに、蛇がとぐろを巻くような意匠。目が妖しく光り、威嚇するようにわずかに動く。
「東京ゴリラって俺と真希、どっちだ?」
パンダがぼそっと呟いた。
俺が言うのもアレだが、それ真希に聞かれたら殴られるぞ。
「ほう……知らない術式だな」
スピーカーを見て、東堂が目を輝かせる。
「てめぇがモグリなだけだろ」
「いや、お前の術式が特殊すぎるんだって」
パンダのツッコミを聞きながら、俺は目の前のバカデカいゴリラ──じゃなかった、東堂を睨み返す。
「……あと、俺はゴリラではない」
「お前はゴリラだ。俺がそう決めた」
「なんなんだ、こいつら……」
パンダの溜め息交じりの呟きが空気に混ざる。
そうして、にらみ合い。
次の瞬間──動いたのは東堂だった。
巨体が一直線に突っ込んでくる。正面から、躊躇なく。
「ブリング・ザ・ビート!」
スピーカーに呪力を込め、音圧を撃ち放つ。
空気が唸りをあげ、衝撃波が直線状に炸裂。
真正面から受けた東堂は一瞬のけぞり、地面を引きずりながら後退する。
「まともに近寄らせてはくれないか」
それでも止まらず、笑ってる。口角をぐいっと吊り上げて。
「……へっ、やる気みてぇだな。なら、俺も本気で"奏で"てやるよ」
マイクを構える。
ビートが鳴る。音が高まり、言葉が呪力を帯びる。
「棘ー! 真希! 憂太! 早く帰ってきてくれー!」
そんな俺達の様子に、パンダが叫び声を上げる。
だが、3人は任務中だからまだ帰ってこない。
俺はマイクを構えて一歩前に踏み出した。
『いきなり突撃 京都ゴリラ』
『お前は暴徒ゴミだ 雑魚はしりぞきな』
『俺の名前は 阿比留玲』
『お前の行動原理を 理解不明』
『もしや、生まれ 体外受精』
『イカレタ 様子に 俺は憂い』
『覚えておきな、阿比留玲』
『アンサー 聞かせろ rhyme say』
マイクに呪力が乗ると同時に、スピーカーが唸る。
ラップに込めた言葉が、呪力に変換され、音波となって放たれる。
空気を裂くような低音と、腹に響く重低音が混ざり合い、真っ向から突っ込んできた東堂にぶち当たった。
まるで爆風だ。
グラウンドの砂埃が舞い、近くの建物が大きく軋む。
普通の奴なら、その場で吹っ飛んで壁にでも埋まってるはずだ。
だが──
「良い一撃だったぞ!」
東堂は呪力を全身に纏い、その場に踏みとどまっていた。
衝撃を受けながらも、一歩も退かず、逆に満足げな笑みを浮かべてる。
「おら、アンサーだ。お前も自己紹介がてら、聞かせてみな」
マイクを手元で回しながら挑発すると、東堂はニヤリと口を吊り上げた。
「ほう、相手にも効力を及ぼす縛りか……なるほど、面白い術式だ」
スピーカーから放たれた呪力の中に、強制力を感じ取ったらしい。
術式の縛りを嗅ぎ分ける嗅覚、バカにしてたけど……侮れねぇな。
「いいだろう、俺のことをよく知ってもらおうじゃないか!」
東堂の声が、まるで会場のマイクを通して響くように鮮明に届く。
ラップなんて興味ねぇタイプだと思ってたが──
『東堂葵 京都のジョーカー』
『この言葉 届いてるんだろうか』
『好きなタイプ この場で発射』
『タッパとケツがでかい女』
『高身長アイドル 高田ちゃん」
『等身大バイブス
『握手 会は 欠かさない』
『俺を語るなら、この娘は はずせない』
東堂が吠えると、俺の背後のスピーカーが再び震え始めた。
そう──俺の術式には、縛りがある。
言葉を力に変える、この歌唱呪法は相手のリリックにも反応する。
放たれた言葉が、呪力に変換されていく。
たとえ意味がイカれていても、心から吐いた言葉なら、それは力になる。
東堂のラップが進むごとに、空気が唸る。スピーカーが震える。
「高田ちゃん」の名が出た瞬間、音の奔流が東堂自身の周囲から、
低く、重く、しかし妙に優美な響き。
まるで、推しアイドルに全呪力を捧げる信者の熱が、音圧になって弾けたかのようだった。
「くっ! 痛ってぇな!」
呪力を全身に集め、耐久力を強化する。
東堂によって放たれた呪力の音圧を受けながら、両足をしっかり地面につけて耐える。
あいつが「理想郷《アガルタ》」と踏んだその時、地面がびりっと震えた。
無数の小さな振動が波のように拡がる。
幻の握手会が空間に浮かび上がるような、奇妙な残響が走る。
呪力の音波があいつから放たれるが、全てを俺も耐えきった。
「くっくっくっ……いいねぇ!」
これは、まぎれもなく、東堂葵という男の魂から生まれたリリックだ。
バカみてぇな内容なのに、言葉に芯がある。
くだらねぇのに、熱くて正直、痺れた。
――こいつ、ラップ上手ぇじゃねぇか!
思わず、口角が上がる。頬の筋肉が緩むのを止められなかった。
ふざけた内容なのに、語彙と熱量が突き抜けてて、俺のスピーカーがしっかり反応してやがる。
呪力が音に変わり、音が意味を帯びる。
「好き」を叫んだその一言へ、俺の術式が力を与える。
……皮肉なもんだな。あんなに意味不明なのに、システムとしては合格ってわけだ。
だけど、俺は認める。
この一発で、東堂って男の"核"が見えた気がした。
しっかりビートに乗れて、発声もはっきりとしている。
こいつ、見た目に合わず、頭の回転が早いタイプか。
「……良いリリックだったぜ」
こういう癖が強いリリックは、審査員からも面白がってもらえる。
バトルなら、1回目は俺の負けかもな。
滾るぜ。すぐに、俺も返してやる。
「《ラップスキル・カウンターブロー》!」
叫ぶと同時にマイクに呪力を込め直す。
カウンター型のラップスキル。相手のワードを利用し、より強い韻で殴り返す。
その起点となる1小節目を吐き出そうとした、まさにその時──
「待て!」
割って入ったのは、パンダだった。
「これ以上はマジでやばいって! 周りの建物がぶっ壊れる! 交流戦前に壊し合うなバカども!」
その声に、東堂が肩をすくめた。
「……フン、残念だな。もっとお前の言葉を聞いていたかった」
呪力の熱を収め、スッと後ろへ引く。
俺も同様にスピーカーを消し、マイクを腰のホルダーに戻す。
「阿比留玲か。交流会が楽しみだ」
東堂はそれだけ言い残すと、ゆっくりとその場を後にした。
──背中に、圧がある。
おそらく、またすぐに戦うことになる。その時は、真正面からぶつけてやる。
ラップで、拳で、呪力で、魂で。
「交流会か……面白くなってきたじゃねぇか」
缶ジュースをもう一度ひと口。ぬるくなった炭酸が、喉を焼いた。