誤字報告ありがとうございます。
季節は巡り、暦は師走。吐いた息が白く霞む。
早朝、教室へ向かう道。寮を出てすぐの石畳の通路を歩く俺たち。
両脇には冬枯れの木々。風は冷たく、空気は乾いてる。ぶっちゃけ、眠い。テンションも低空飛行。
そんな中、ぼそっと憂太が呟いた。
「えーっと……なんか、ちょっと嫌な感じが……」
その視線は高専の結界の外。じっと遠くを見てやがる。
「どうした、憂太?」
パンダが不思議そうに訊ねる。だが、返答を聞いた真希が即バッサリいった。
「気のせいだ」
「気のせいだな」
パンダも乗っかるように続ける。
「おかか」
棘も、否定の意味でおにぎりの具を呟いた。
「えぇ……ちょっと、みんなぁ……!」
困ったような声の憂太に、パンダがひらひらと手を振って返す。
「だって憂太の呪力感知、超ザルじゃん。マジで」
「まあ、里香みたいなのが常に横にいりゃ、鈍くもなるわな」
真希まで毒舌を乗っけてきた。俺は憂太の肩をぽんと叩きながら口を開く。
「ドンマイ憂太。お前は見えてるものだけ信じろ」
「フォローになってないよ阿比留くん!」
そりゃそうか。けど──
「珍しいな」
「憂太の勘が、当たった」
二人の言葉に、俺も眉をひそめる。……視界の上方。何かがいる。
……おいおい、マジかよ。
「……ペリカン?」
いや、でけぇよ。どっからどう見ても呪霊。
巨大な鳥型の呪いが、こっちに向かって突っ込んできている。数秒後には着地する位置。
──何の前触れもなしに、いきなりだ。
「とりま、撃ち落とす」
腰のホルダーに手を伸ばす。指がそれに触れた瞬間、呪力を走らせた。
マイクの形が変わる。蛇が這う灰紫のボディに、怪しく光る蛇眼。背後では空間が歪み、スピーカーが現れる。
銀と紫のそれに巻きついた蛇が、威嚇するように首をもたげた。
――ドンッ!
一発目。言葉はいらない。音圧で撃つ。
空中の呪霊に向かって、呪力の衝撃波を叩き込んだ。
スピーカーから放たれた低音が爆ぜ、空気ごとぶち抜く。
だが、次の瞬間──
「随分なご挨拶だね」
そんな言葉と共に男が降りてきた。
そして、俺の音圧を──素手で払いやがった。
まるでホコリでも払うかのように。信じられねぇ。
鳥の背からふわりと降りたのは、黒い法衣──……いや、袈裟か? なんだこいつ、坊主か?
「関係者……じゃねぇよな」
「見ない呪いだしな」
「すじこ」
真希は薙刀を構え、パンダは肩の関節を鳴らし、棘はネックウォーマーを下げて口を露出させる。俺も一歩前に出た。
「おい、憂太。ボケっとしてんなよ」
「え……あっ、ごめん!」
……憂太、お前、マジで油断しすぎだ。けど、無理もねぇか──
目の前のそいつは、呪霊じゃねぇ。人間だ。けど──ただの人間じゃねぇ。
前に立たれて伝わる実力差。直感が、やばいと囁く。
風は止んだ。
冬の空気は張り詰め、辺りは不自然なまでの静けさに包まれた。
俺はマイクを構えたまま、目を細めて言った。
「……誰だ、てめぇ」
オレが声をかけると、そいつは面倒くさそうに肩をすくめた。
「やれやれ、最近の子は血の気が多すぎやしないかい?」
気取った口ぶりに、オレは鼻で笑う。
「最近の子ぉ? てめぇが古すぎんだよ、化石が喋ってんじゃねぇよ」
「フッ……口の悪い子だね」
袈裟男が笑うと、呪霊の口がバクっと開いた。
次々と人間が中から降りてくる。
「うぇ~夏油様ぁ、本当にココ東京ォ?? 田舎くさァ」
ギャルが呟くと、ふいにオレの背後を指差した。
「えーなにあれ巨大スピーカー!?」
スピーカーをまじまじと見つめて言いやがった。
夏油とやらが、したり顔で説明を始める。
「歌唱呪法だね。彼はあれを使って、ラップをするんだよ」
なんで、俺の術式名まで知っている?
これを見て、歌唱呪法だと気づくやつはそういない。
ほんと、なにもんだコイツ。
夏油……もしや、夏油傑か!?
特級呪術師、夏油傑。
五条先生と同じ、特級呪術師。
高専から離反して呪詛師になったという、あの。
ヤバいな。今の俺が勝てるか? 俺一人だったなら時間稼ぎは出来るかもしれないが、今はパンダ達がいる。
となると、五条先生を待たなくては行けない。
「へぇ~、ラップの術式ってこと~? 面白そう!」
JKギャルが高いテンションで、俺の術式に反応した。
気持ちを切り替えろ俺。
今は何も気づいてない振りをして。ただの学生を演じるんだ。
「面白そうだぁ? てめぇみたいな、浅ぇ脳みそしたやつが出来るかよ。冗談はダセェ格好だけにしておけ! アウェーではしゃぐんじゃねぇよ、ボケ!」
本能に従って口を動かす。だが、焦りからか呪詛師ってだけで反射的に言葉が尖る。
「おい、玲、踏んでる踏んでる」
横からパンダの声がした。どこか楽しそうな声色で。
「あぁ? 何だ? 足?」
「いや、韻踏んでる」
「罵声で韻を踏むんじゃねぇよ」
呆れたように真希が突っ込んでくる。
「はァぁ!? 何アンタ、マジむかつくんだけど!」
さっきまで「ココ東京〜? 田舎くさァ〜」なんて、チャラついた口ぶりで笑ってたギャルが、急に顔色変えた。
「てかそのスピーカー、ダッサ! 何? 中二? 価値観中学で止まってんじゃね?」
スマホをブンブン振り回して、ヒステリックに喚いてる。マジでうるせぇ。
こっちは本気で言葉ぶつけただけだってのに──まさかマジでムッとしてくるとはな。
「おいおい、急に切れてどうしたよ? 早くも歳か? 語彙もだいぶ削れてんな。ゴミみたいな脳みそは哀れだぜ」
苦笑しながら言い返すと、案の定、顔が真っ赤になってブチ切れてきた。
「な、夏油様ァ! このクソガキ、殺していい~!?」
──チッ、めんどくせぇ。つうか、てめぇもガキじゃねぇかよ。
けどまぁ、時間は稼げてる。夏油傑が動く前に、できるだけ時間を稼ぐんだ。
くそっ、五条先生はまだ来ないのか。
内心で焦りながらも、ちらと横を見ると、パンダが「そりゃ怒るだろ……」と頭をかき、真希が小さく「口喧嘩で戦争始めんなよ」と吐き捨ててきた。
悪いな、俺、言葉が武器でさ。
と、そのとき。
「それくらいにして欲しいな。今日は喧嘩をしに来たわけじゃないんだよ」
静かに、けれど通る声で夏油が言った。
視線を向けると、いつの間にか奴は憂太の目の前に立っていて──その手を、取っていた。
──速い……!
思わず心の中で舌を巻いた。あんな動き、こっちが警戒してても追えなかった。
こっちが一歩間違えりゃ、もう刺されてたって距離感。背筋がじわりと冷える。
「はじめまして、乙骨君。私は夏油傑」
「えっ、あっ……はじめまして……」
憂太の返事はぎこちない。無理もねぇ、いきなり目の前にあんな化物が現れりゃな。
「君はとても素晴らしい力を持っているね。私はね、大いなる力は大きなる目的のために使うべきだと考えているんだ」
その口調は落ち着いていて、まるで教師のような諭し口。
「今の世界に、疑問はないかい?」
けれど、そこに含まれる底知れない狂気が、背筋をひやりと撫でた。
「一般社会の秩序を守るため、呪術師が暗躍する世界さ。強者が弱者に適応する、そんな矛盾が許されているんだ」
ふざけた話だ。あの落ち着き払った顔で、こんな話をまことしやかに語るこいつが、何より気味が悪い。
「なんって嘆かわしい!!」
「はぁ……」
憂太は困惑気味に曖昧な返事を返す。
俺も、真希も、パンダも、棘も、誰一人としてまともに動けない。
夏油の間合い。下手に動けば、憂太が、誰かが死ぬ。
嫌な汗が頬を伝った。
――最悪、俺が前に出る……俺なら、回復が出来る……!
夏油は憂太の肩を掴みながら、さらに言葉を重ねた。
「万物の霊長が自らの進化を止めてるわけさ。ナンセンスだろ?」
拳を握りしめ、語気を強める夏油。
「そろそろ、人類も生存戦略を見直すべきだ。だからね、君にも手伝ってほしいわけ」
「……? 何をですか?」
「非術師を皆殺しにして、呪術師だけの世界を作るんだ」
──は?
その言葉に、全員が息を呑んだ。
狂ってる。完全に。
「僕の生徒にイカれた思想を吹き込まないでもらおうか」
聞き慣れた声が、空気を裂いた。ようやく来たか。
「悟ー! 久しいねー!」
夏油は満面の笑みで手を振ってる。
「まず、その子達から離れろ」
五条先生の後ろには、夜蛾学長や他の術師たちの姿もあった。
それだけで、あの男がどれだけヤバいかが分かる。
「今年の一年は粒ぞろいと聞いたが、成る程、君の受け持ちか」
夏油が口の端を吊り上げて言う。
「特級被呪者、突然変異呪骸、呪言師の末裔、歌唱呪法の使い手。そして──禪院家の落ちこぼれ」
真希は目を見開き、肩がピクリと震えた。
「テメェ――」
「発言には気をつけろ。君のような猿は、私の世界にはいらないんだから」
その瞬間。憂太が、肩に乗せられていた夏油の手を弾いた。
「……ごめんなさい。夏油さんが言ってることは、まだよく分かりません。けど――友達を侮辱する人の手伝いは、僕には出来ない!!」
迷いのない目。憂太の声は、真っ直ぐで強かった。
「すまない、君を不快にさせるつもりはなかった」
夏油は申し訳なさそうな顔で言った。
だが──その柔らかな物腰の裏に潜む狂気の匂いは、消えちゃいなかった。
「じゃあ一体、どういうつもりでここに来た」
五条先生が、間に割って入り、問いただす。
──夏油が、口角を上げた。
「宣戦布告さ」
空気が、変わった。
「お集まりの皆々様! 耳の穴かっぽじって、よーく聞いて頂こう!」
夏油の声が高専に響き渡る。
――来たる十二月二十四日! 日没と同時に! 我々は百鬼夜行を行う!
――場所は呪いの坩堝・東京新宿、呪術の聖地・京都!
――各地に千の呪いを放ち、下す命令は勿論──鏖殺だ。
――地獄絵図を描きたくなければ、死力を尽くして止めにこい!
――思う存分、呪い合おうじゃないか!
夏油の宣戦布告。空気がピシピシと張り詰めていく。
笑っていた。まるで子供がゲームのルールを宣言するみたいに。
こいつ、マジで正気じゃねぇ。
「夏油様〜! お店閉まっちゃう〜!」
さっきのギャルの声だ。
夏油の意識がズレた。今しかねぇ。
──《ビートコア》!
スピーカーが消え、俺の心音が、内側でビートを刻み始める。
心拍を呪力で増幅。振動エネルギーへ変換し、内へ、内へと溜め込む。
「このまま行かせるとでも?」
五条先生が静かに言う。
「やめとけよ。可愛い生徒が、私の間合いだよ」
夏油の言葉と同時に、何十もの呪霊が空間を裂いて現れた。
「それでは、皆さん戦場で」
そう言って、夏油はペリカン型の呪霊に乗り、飛び立っていった。
──チッ。夏油にはバレていたか。
一瞥された視線が俺を射抜いていた。それはこちらを挑発するような視線。
俺の動きは、完全に読まれてた。不意をついて夏油へ攻撃しようとしていたが、動けなかった。
――怖気付いたのか? この俺が?
右手に込めた衝撃波をヤツに撃てない。仕方ねぇ……。
俺は、一番厄介そうな巨大な一つ目の呪霊へ一瞬で距離を詰めた。
「お前で我慢だ」
──バァッン!!
拳が呪霊の顔面に炸裂した瞬間、空間が爆ぜた。
轟音と共に放たれた振動呪力が呪霊を一瞬で祓う。
破裂の余波で、周囲にいた呪霊たちも吹き飛ばされていく。
「……チッ」
夏油へ届かなかった拳を握り直し、俺は舌打ちを一つ。
だけど、覚悟は決まった。
来いよ、百鬼夜行。
俺のビートで、全部叩き潰してやる。