誤字報告やアンケートありがとうございました。
転入の日から数日が経ち、俺――
座学で呪術関連の話を聞いたり、体育で模擬戦をしたり。
術式ありなら真希とパンダには勝ち星を刻み、棘には術式の相性で一歩及ばず。
術式なしの訓練なら逆に真希とパンダに負け、棘には勝てるという結果。
こうした結構充実した学生生活を送ってきていた。
そして、今日はというと教室で、ラップのリリック考えながらのんびりしていた。
「甘噛しない
スマホ片手に呟きを繰り返していると、教室の扉が音を立てて開いた。
「おつかれサマンサー。パンダと玲いる~?」
無造作に現れたのは、相も変わらずテンションの掴めない五条悟。
パンダは窓際で日光浴でもしていたのか、身体をぐぅと伸ばしていた。
「ん、五条先生じゃん。どうしたよ?」
「なんか用か、悟?」
俺はスマホをポケットに仕舞い、五条に視線を向ける。
何かあるとすれば――いや、あれか?
「うん、玲への初任務が決まったよ~。準備して、今から行こうか」
その言葉に、俺の胸が高鳴る。ついにきたか。
俺の呪術師としての階級は4級とされている。
高専に来るまでに呪霊を払ってきていたが、その功績は無視。
表向きは、術式を知ったばかりの一般人だからということでこの階級を与えられた。
けど実際は、俺の術式を知った呪術総監部の"保守派"とやらからの嫌がらせ――らしい。
真希やパンダ、棘にそう聞かされたから、そういう呪術師の事情を知ったわけだ。
でも俺はこの階級ってやつを、別に気にしていない。
強さってのは肩書きじゃなくて実力で示すもんだ。俺は強いし、それだけでいい。
でもまあ――舐められたままってのも、気分は悪いよな。
というわけで、任務は大歓迎ってわけだ。
場所は東京郊外の山間部。潰れた精神科病院の跡地だった。
経営不振で十数年前に閉院し、以来は心霊スポットとして不法侵入が後を絶たなかった。
だが不自然なことに、それまで呪霊の発生は"ほとんど"報告されていなかった。
異変が起きたのは、ごく最近。
呪術高専に所属する呪いの見える一般人――窓から「中に異様な数の呪霊が徘徊している」と連絡があり、急遽任務が下されたというわけだ。
病院の敷地内に到着すると、五条先生は指を二本立てると呪詞を唱えた。
「闇より出でて、闇より黒く。その汚れを禊ぎ祓え――っと」
黒い薄膜が周囲を包み込む。
「これが帳ってやつか」
話に聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。俺は思わず唸る。
「じゃ、僕は外で見てるから。任せたよ~」
飄々と手を振る五条先生。
俺が初任務ということで、万が一の場合に備えての待機なんだろう。
それとも、俺の実力を測るとかなのかね。
まあ、少なくとも今日は俺とパンダの二人で任務にあたることになる。
「よし、んじゃいくか」
廃病院の正面玄関から中へ入る。
照明も何もないが、窓がところどころ割れているおかげで、薄暗がりでも歩けるくらいの明るさはあった。
それっぽい雰囲気に思わず口を開く。
「雰囲気あるねぇ……ホラー映画かなんかの撮影場所って感じ」
「気持ち悪ぃな、ここ。おいおい、呪霊多すぎじゃねぇか?」
数々の呪霊が簡単に見て取れるくらい、病院内を徘徊している。
しかし、あいつらは遠巻きにこちらを見るくらいで直接干渉してくることはない。
様子を伺ってんのかねぇ。
すでにタブレットで建物の構造は確認済み。
病棟は西館と東館に分かれ、その中心に中庭がある。
「どうする? 玲」
「どうするも何も、とりあえずは中庭目指すだろ。こういうのは一気に潰すにかぎる」
「これはお前の初任務だからな。やり方は任せる」
「あいよ、任された」
パンダの言葉に軽く頷き、俺は足を進める。
廊下の隅、ガラスの割れたドアの向こう――至る所から確かに視線を感じる。
けれど、どの呪霊もこちらに手出しはしてこない。じっと、俺たちを眺めているだけ。
何かを――待っているような。
そうして、俺たちは中庭に出た。
頭上は抜け、曇天の空が広がっている。
地面には雑草が伸び、枯葉とコンクリの破片が転がっていた。
廃墟の中央。広いステージには、ちょうどいい。
「そんじゃあ、ゴミ掃除頑張っちゃいますか」
「こいつ、呪霊のことゴミ扱いしてやがる……」
パンダが呆れたように肩をすくめる。
でも、これでいいんだ。
この程度の呪霊相手に、ビビってる必要ねぇし――
――見せてやるよ、"俺のスタイル"ってやつを。
その瞬間、俺の背後に黒い渦が巻き起こる。
呪力が蠢き、空間がぐにゃりと歪んだかと思えば、その中心からスピーカーが現れた。
紫と銀を基調にした円形スピーカー。
そこに蛇がとぐろを巻き、睨みつけるようにその目と牙が光る。
狗巻家の呪印が浮かび上がり、蛇がしゃーっと威嚇するような音を立てるのが聞こえた気がした。
俺の手に握っていた黒いダイナミックマイクも、ぐにゃりと形を変える。
灰色と紫のカラーに染まり、グリップに沿って蛇が這いまわるような装飾へと変化していく。
ナックルガードのリング部分は蛇の頭の形に。
最後に、マイクの側面に蛇の目と牙の文様が浮かび上がり、それが怪しく光ると、俺の中の何かがカチリと切り替わった。
「んで、更に――《ブリング・ザ・ビート》!」
ビートの波が、一気に広がった。これで広範囲まで俺の歌が届くな。
バスドラムのドンッドンッドンッという重低音が空気を震わせる。
建物の壁が揺れ、地面が細かく震えて、そこにいるだけで鼓膜が押し返されるような感覚になる。
だが、心地いい。
「ノリでやったが、できるもんだなぁ!」
我ながら笑えてくる。
まだ術式の理解なんて浅い。なのに、こんな真似ができちまうのかと。
病院の各階層の窓、その全てから視線を感じる。
ざわ……ざわ……と、気配がこちらに集中していく。
威嚇は成功ってところか。
「よしよし、いい感じに集まってきたな」
暗闇の中、歪んだ顔の呪霊たちがまるでライブに集まる観客みたいに、どこからともなく俺のビートに引き寄せられてきている。
「いくらなんでも多くねぇか? どうなってんだよ、これ……」
後ろでパンダがぼやく。
「満員御礼だなぁ。感無量だ」
「まあ、抜けた奴らは任せてくれ。残りはお前のステージだろ?」
「そんじゃあ――」
マイクを口元に掲げ、音を切る間合いの中で、呼吸を整える。
「16小節4拍、ぶちかますぜ!」
俺は叫ぶ。刹那、マイクが光り、ビートが跳ねる。
呪霊たちの視線がさらに鋭くなる中、スピーカーから流れ出す重厚なトラックに合わせて、俺の声が中庭に響いた。
『廃病院 から始まる俺のステージ』
『重病人 はお呼びじゃねぇし』
『SOSのメッセージ』
『俺には 届かねぇし 上げるぜボルテージ』
紫と銀のスピーカーが吠えるように唸る。
音が波紋になって中庭を包むと俺の足元から薄紫の呪力が這い上がり、背後に巨大な蛇の幻影が姿を現した。
そのヘビが空に鎌首をもたげ、スピーカーの音圧に合わせて口を開ける。
ノリでやったら出来た演出だが、もしこれに効果があるならマジでとんでもねえだろ。
『グシャっと潰れて、崩れ落ちる』
『ノイズ響くぜ、
『ポリス大騒ぎ、こいつら
『俺が踏む韻は もの
だが、蛇の顎が開いた瞬間、空気がビリビリ震えた割に呪霊どもはまったくひるまねぇ。
代わりに、その背後で一体が突然肉塊になって崩れ落ちた。
──あれ? エフェクト、効いてないな?
予想外の光景に、ちょっとだけ戸惑う。
なんだよ、噛みついたフリだけかよ、あのヘビ……てっきり、あれで吹き飛ばしてんのかと思ってたんだけど。
けど、まあいい。
倒せてるのは確か。演出じゃなくて、呪力を乗せた音の波動が効いてる。
『呪霊が無礼、俺のマイクに敬礼』
『天恵 すら授かる俺の運命』
『永世 称号さ 俺のラッパー人生』
『冷静 な視野から放つ 俺の音声』
俺が吐いたリリックが、空間に赤紫の文字となって浮かぶ。
敬礼のフレーズと同時に、呪霊達が硬直。
マイクを突きつけるように一歩踏み出せば、空気が震え、そいつらの身体が真っ二つに裂けた。
見せかけだけじゃねぇ。音が通ってる。
リリックが、ちゃんと意味を持って相手に届いてる。
というか音系のリリックは実体を持つのか?
俺の術式の理解が浅いから、そこん所が曖昧なのかね。
『吐いた言葉が、殺気に変化』
『牙剥くヘビが 檻から演化』
『喧嘩 は買ってやるって、結果は俺の天下』
『挑 戦者は歓迎するぜ
締めのリリックに合わせて、俺は大きく片手を振り上げた。
マイクの蛇が光り、ナックルガードのヘビが
俺の背後に現れた蛇の幻影が、まるで檻をぶち破るように口を広げ、無数の音波が放たれる。
まるで観客に向けるコールのように空間が鼓動し、音の圧が呪霊どもを撃ち抜いていく。
中庭の空気がねじれた。
「……よし、悪くない」
ビートを止めた瞬間、蛇の幻影も霧のように消える。
ただし、倒れた呪霊の骸は確かにそこにあった。
ちゃんと、殺した実感も残ってる。
そのかわり、周囲の棟の窓ガラスは全滅だ。
やっちまったかも知れないが、黙ってれば良いか。
想定通りって顔しとこう。
「つっても、見せ場っぽい演出が全部空振りだったとはな……」
口元が少しだけ緩む。
派手に噛みついた演出が当たってると思ってた分、空振りと知って内心ちょっと恥ずかしい。
けど、呪力の音波はちゃんと届いてる。
「まあ、今はそれで良しとするか」
「おい玲、お前の今の演出……あれ全部、ただのアニメーションじゃねぇか!」
パンダが呆れ混じりに言ってきた。
続けて語彙を荒げて口撃をしてくる。
「呪霊にヒットしてんの、あのエフェクトじゃなくて音波だけだぞ!? あんなでっけぇヘビが噛みついたら、もっとド派手に爆散してんだろ、フツー」
「……あ、バレた」
「バレたじゃねぇよ、呪霊が普通に抜けてきてたぞ!」
「へへっ、見た目は盛らねぇと。というか、俺も知らなかったし。それにノリと雰囲気って大事だろ?」
「お前、戦場をライブ会場と勘違いしてない?」
「してるけど?」
「即答かよ!」
「冗談だよ、冗談 総監部、全交換」
「うるせぇ!」
疲れているからか、パンダのツッコミが結構辛辣だ。
まあ、たしかに"見せるため"に盛った演出だった。
だけど、呪霊はちゃんと倒れてる。
呪力の音波はちゃんと効いてんだよ。
今はそれで充分──
──だけど、いつかこの"エフェクト"も本物に変えてやる。
視覚だけのハッタリなんて、俺の言葉に相応しくねぇ。
術式の本質まで踏み込んで、言葉で世界をねじ伏せる。
その日まで、止まるつもりはない。
とりま、五条先生を超えれば世界にも手が届いたってことになるだろう。
あの人、呪術界最強らしいし。
「おびき寄せたやつらは大方祓えたな」
廃病院の中庭を見渡す。
瓦礫に混ざって崩れ落ちた呪霊の残穢が、じわじわと消えていくのが見えた。
それだけで、やった実感が湧く。
やっぱ音にノってる時が、一番俺らしい。
「そうだな、あとは寄ってこなかった残党だけだ」
パンダは少しだけ息を切らしつつも、まだ余裕があるようだった。
さすがは前衛。
俺が撃ち漏らした奴らを倒してくれていたようだ。
一応全方向に攻撃できていたつもりだったんだがな。
抜けがあったらしい。
流石に呪霊の数が多かったか。
「じゃ、残りは院内巡って祓ってくか」
俺はマイクを握り直して、ひらりとジャケットの裾を翻す。
そうして、ふと思ったことを口にする。
「ラップで呪霊を祓うなんて、まるで移動式ライブだな」
「お前が言うなよ……それを言うなら、こっちは強制参加のファンってか?」
「いやSPだ」
パンダが肩を竦めながらも、俺の後に続いて歩き出す。
足元を軋ませる廊下に、俺のビートがまた響き始めた。
今日の観客は──呪霊ども。
スポットライトは、俺の呪力。
さあ、ショータイムの続きといこうか。
※ ※ ※
呪霊の残穢がまだ薄く漂う、夕暮れの廃病院。
つい先ほどまで術師の気配があった場所に、ひとり、異質な男が足を踏み入れた。
緩やかな足取り。
黒い装束に、上から羽織るのは金と紫の刺繍が施された五条袈裟──本来、高僧のような立場の者が身に着ける衣装だ。
だが、その佇まいに聖性はない。
微笑をたたえた口元と、どこか人形のように冷たい双眸だけが、異様に浮いていた。
男は崩れた壁に触れることもなく、ただその場に立ち止まる。
「おや、せっかく繁殖させていた呪霊が払われてしまったな」
声は穏やかで、どこまでも静かだった。
だが、まるで誰かに語りかけるような口調でありながら、その場には誰の姿もない。
「良い穴場だと思ったんだけどね」
風が病院の廊下を抜ける。
外壁に絡んだ蔦が揺れ、誰もいないはずの場所で奇妙な音だけが木霊する。
男はそのまま、ぽつりと呟くように続けた。
「この数を、短時間で祓われるとは……呪言師の末裔、狗巻くんかな?」
首をわずかに傾けながら、思案顔を作る。
だが、次の瞬間にはすぐに別の可能性へと思考を移していた。
「いや、そういえば──最近、歌唱呪法の使い手が高専に入ったのだったか?」
その言葉を口にした時、男の目元がわずかに愉悦で緩む。
それは、まるで玩具を見つけた子供のようでもあり、標的を定めた狩人のようでもあった。
「もし、ここを歌唱呪法で祓ったのなら……将来有望だね」
瓦礫を踏む音すら立てずに、男は静かに踵を返す。
「どんなものか……ちょっと試してみようかな」
背後に広がる崩れた廃病院を、一瞥もくれずに去っていく。
風だけが残り、空気はひどく冷えていた。
何かが、静かに動き出している。