十中八九、術式「ラップ」   作:らいこう

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第九話 音が消える 命が途切れる

 

 5月末──俺にとって、今日の任務は少しだけ特別だった。

 

「それでは、私はここまでです。あとは頼みました、阿比留(あびる)3級(・・)術師」

 

 補助監督がそう言って微笑んだ。

 スーツの上着を脱ぎ、結界術に慣れた所作で「帳」の構文を唱えると、目の前の廃工場がゆっくりと黒に包まれていく。

 

「それでは、ご武運を」

 

 帳の中へと足を踏み入れながら、その言葉を背中で聞いた。

 心の中で「任された」と呟きながら。

 

 場所は、東京から車で2時間ちょい。

 県境近くの郊外にある廃工場。かつて化学薬品を扱っていた施設らしく、建物は骨組みを残して朽ちかけていた。

 

 正直、気味が悪い──でも俺にとってはステージだ。

 呪霊の等級は3級か準2級、数は少ないって聞いてたが……一体も見当たらない。

 

 ――なんか、おかしくねぇか?

 

 耳に流れるのは、鉄骨が風に軋む乾いた音だけ。

 ラップのビートすら浮かばない沈黙。

 数分ほど探索しても、呪霊の気配は感じ取れなかった。

 

「……いねぇのかよ。肩透かしってやつ?」

 

 廃工場の大部屋に入り、当たりを見回すが何も居ない。気配すら感じない。

 気を抜きかけた、その瞬間だった。

 

 背後に広がった嫌な気配。

 

「出たか……っ」

 

 腰のホルダーからマイクを抜き出し、とっさに振り返る。

 廃工場の出入り口。そこを塞ぐように呪霊が立っていた。

 

 だが、そんなん、気づかないはずがねぇんだよ。

 出入口に直立してるってのに、さっきまで気配ひとつしなかった。

 

 まさか、最初からそこにいたってのか?

 一目見て理解する。

 

 ――こいつはヤバい。

 

 身長は俺より遥かにでかい、二メートル半超。

 痩せ細った体に、異様なまでに長く伸びた四本の腕。

 その手はそれぞれ七本指。細く、不気味なほど関節が多い。

 

 ――こいつは猿の呪霊か?

 

 奴の顔面を覆うのは、異常に肥大化した耳。

 猿の耳をそのまま肥大させたような器官が、まるで顔全体を包み込むようにねじれて前へ突き出していた。

 眼は細く閉じられ、鼻も口も、見当たらない。

 そのくせ、側頭部にはもう一対、耳のような器官が生えている。

 わずかに震えるそれは、今も周囲の空気を探っていた。

 

 やべぇ気配がビンビンだ。2級以上は確実だろう。

 心臓が高鳴る。

 

 けど、いつものように俺はマイクを掲げ、術式を展開した。

 背後の呪力がうねり、紫と銀のスピーカーが渦から姿を現す。

 巻きつく蛇が赤い目を光らせ、グリップに這うマイクの装飾が禍々しく変化していく。

 

「……ブリング・ザ・ビート!」

 

 スピーカーに呪力を流し、術式効果範囲の延長を行う。

 声と同時に、ドンッドンッ!と、バスドラムが廃工場全体に響き渡る。

 

 まずは……様子見。

 即興の4小節をぶちかます。

 

OK、呪いの闇に足踏み入れて、今宵も 呪術で 祓うよ呪霊

 

No Way 無名不明で哀れな呪霊を 阿比留(あびる) (れい)が 祓除(ばつじょ)ぜい!

 

 ビートに乗せ、呪力を込めたリリックを叩きつける。

 呪力を乗せた声がスピーカーから放たれ、呪霊の前にエフェクトが炸裂した。

 猿呪霊は呪力の音波を受けてのけぞっている。

 

「──っしゃ、命中!」

 

 エフェクトは、ただのパフォーマンス。

 けど、確かに呪力の音波は届いている。効果ありだ。

 

「なら──」

 

 畳み掛ける。今度は8小節で。

 その時だった。呪霊があり得ないスピードで一気に距離を詰めてきた。

 

「チッ、この猿、高機動型かよ。めんどくせぇ……」

 

 だが、動きながらでもラップは歌える。

 そうして次のリリックを吐き出そうとした唇から――音が消えた。

 

「──っ!? 声が……!?」

 

 スピーカーが唸っているはずなのに、マイクが音を拾っているはずなのに、耳には何も届かない。

 空間そのものが音を"拒絶"している。

 

 ――術式……っ、こいつ音を殺した!?

 

 脳裏を冷たい汗が伝う。推定準1級以上。

 俺の術式の性質が音に依存している以上、この相性は最悪中の最悪だ。

 

 ――最悪すぎんだろ……っ、なんだこのメタ……っ。

 

 舌打ちが、音として出ているのかも分からない。

 だがマイクをホルダーに仕舞い、即座に構えを取る。

 やることはひとつだ。

 

「上等だよ……っ! くそっ、今俺は喋れてんのか? まるで音が聞こえねぇ!」

 

 あまりの無音に頭がどうにか、なっちまいそうだ。

 身体を沈め、呪霊へ向かって突っ込む。

 イラ立ちで呪力を滾らせ、足払いからのボディーへの打撃──だが。

 

「硬っ……!?」

 

 嫌な手応え。こいつ、皮膚が呪力で強化されてやがる。

 これは耐久型か。

 

 ってことは、この呪霊は――高機動耐久型。

 音波攻撃も封じられ、体術もまともに通らない。

 

 やべぇ──これは、長引く。

 

 音が聞こえない。相手の接近にも気づきにくい。

 視覚だけでカバーしながら殴り合うのは、想像以上にキツい。

 

 それに加え、廃工場の柱や瓦礫が邪魔すぎる。

 身を隠されると、相手がどこにいるか見失いそうになりそうだ。

 

「……くそっ、硬すぎんだろっ」

 

 何度も攻撃を叩き込むが、奴はびくともしねぇ。

 そのうち、俺の動きも段々鈍くなってく。

 額に汗が滲む。マジで、嫌になる。

 

「またか! どこだ……!」

 

 静寂の中、奴は自在に動いてやがる。

 柱の陰、機械の残骸、積まれた木箱の影――奴は地の利を最大限に使い、姿を消した。

 

 そのくせ確実に俺の視界の外へ、外へと回り込んでくる。

 

 ――いつになったら術式が切れんだよ!?

 

 内心で苛つきながらも、警戒範囲を広げたその時――背筋がざらついた。

 

 反射で振り返り、ガードを上げる。

 次の瞬間、無音の世界に感覚だけが残った。

 

 腹部に、重い衝撃。

 壁に叩きつけられるような一撃が、俺の胴を抉った。

 

「が……っ、は……!」

 

 声は、出ているのかも分からない。

 だけど、痛みだけは――はっきり、俺に届いていた。

 

 隠れて、無音で、急所を狙ってくる……っ。

 音が……聞こえない。ラップが、使えない。

 

 ──どうする、阿比留玲(おれ)

 

 その問いが、頭の奥で木霊していた。

 

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