【書籍化】告知事項(隣人がVtuberです)【進行中】 作:関係ないよ
翌日から始まった
いつも通りギターを弾いて曲を作り、それを元にパソコンにぽちぽちと音を打ち込んでいくだけ。
音が出るところまでこぎ着ければ、言ってもなんとかなるだろうと、そう思っていた。
『ロジックはマジで簡単だから、ユーザーフレンドリーだよ。だって買ったらすぐ音出るんだもん』
俺の音楽の師匠である
音だけは。
「……なんだよこれもぅ……」
だが、音が出るぐらいで渡っていけるほど、このDTMという海は狭くはなかった。
とにかく、全く思ったようにいかないのだ。
ソフトで左側にピアノの鍵盤がある画面を開き、音階のどこかをクリックすると、そこにボタンのようなものが現れる。
再生ボタンを押すとバーが左に動いていき、そのボタンの上を通ると音階通りの音が鳴るわけだ。
ここまではいい、理解できる。
「えっと……
だが、そこからが大変だった。
買ってきたキーボードの鍵盤を人差し指で押し、音を一音一音確かめながらコードを打ち込んでいく。
俺が指の形として理解していたギターの
わかっていたはずの事がわからなくなり、わからなかった事のディティールが浮かび上がってくる。
『わからなくてもいいからとにかく完成させてみなよ、そしたら何がわからないかがちょっとわかるから』
カレンさんが言っていた通り、やればやるほどわからない事は増えていく。
難しい、だがかといって、ここまでは諦めるほど難しいというわけでもない。
俺が一人でやってきた歌とバッキングを、パソコンがわかる形に変えていく。
それはあくまで、これまでずっとやって来た事の延長線上にある事だった。
そしてそれだけならば、わざわざ機材を揃えた意味もない。
このDTMというのを始めたのも、俺一人ではできない事を、パソコンにやらせるのが目的だった。
そう、本当にやった事がないのはここから先の事なのだ。
「ドラムを打ち込むんだよな……あとベースか」
配信サイトのチュートリアル動画を見ながら
リズムパートとベースパート、これらは歌のオケというものを作るにあたって、必須と言えるぐらいに大事な要素だ……と物のWebサイトに書いてあった。
慣れない作業に手間取って、何度も何度もやり直し、めちゃくちゃに時間をかけてしまっているが……それでも全く上手くいっていない。
だがとにかく今はクオリティよりも、とりあえず完成形になっている事の方が重要だ。
日曜の朝七時から始めて、気づけば夜の二十三時。
とんでもない時間をかけて、俺はなんとか曲っぽい形になった物を作る事ができた。
リズムは最初から最後まで一緒で、楽器の読み込み方がよくわからなかったから、ベース音もバッキングもピアノ一本。
音楽になっているというよりは、ただ音が鳴っているという感じ。
尺も間違えたので、録音した歌の方で合わせる始末だ。
だが兎にも角にも、一回完成させることが大事なのだと信じ、俺はそれを動画にして投稿した。
それは、自分で聞いても「ひどいな」と思うぐらいの出来だったが……
そもそも俺はここ数ヶ月、毎日毎日わけがわからないぐらい下手なギターと歌を人目に晒しているのだ。
もう自分自身の恥なんてものは、最初から計算に入っていなかった。
『今日の曲です。今日からDTMに挑戦してみてます!』
『おつー』
特命社長
『惜しみなき乙』
十津川扇
『乙超えて
いつもと同じそんなやり取りの裏で、カレンさんから個チャが飛んでくる。
『おうがさん、プロジェクトファイル見せてみー』
『どれ送ったらいいですかね?』
『まずMacintosh HDを開きます』
『開きました』
昨日喫茶店で「しばらく通信教育したげるから」と言っていた通り、師匠はしばらくつきっきりで俺の面倒を見てくれるつもりらしい。
俺は申し訳なさを一旦飲み込んでその好意に甘え、師匠へプロジェクトファイルを送った。
『設定から詰めてこうか。スクショの撮り方わかる?』
『プリントスクリーンですか?』
『まずShiftとCommandを押します』
『押しました』
とにかく、面倒を見てくれる師匠や、わけがわからない音楽を聴かされる視聴者には多大な迷惑をかけながら、俺のDTMの武者修行生活は始まった。
その間は一旦
カレンさんから「これ必読」と本を勧められればすぐに買い、通勤中に読む。
この間貰ったマウスで使える『マクロ』というのを教わっては、すぐに設定する。
とにかく、今やれる事は全部やってやろうと、そう思って挑んだわけだ。
「こりゃあやべぇぞぉ」
そして、それでも。
机の前で思わずそんな弱音が漏れるぐらい、DTMは難しかった。
何が難しいかって、そりゃあ全てだ。
ピアノもベースもドラムも、何ならギターも、歌も、なにもかにもわからない。
自分が何も知らない素人なのだという事実が、音楽経験が皆無なのだという事実が、本当の意味で自分の背中にのしかかってくる時が来ていた。
ギター一本という制約の中で、本当にギリギリ誤魔化されてきた知識のなさ。
それが何でもできるDTMという環境によって、ついに誤魔化しきれなくなったのだ。
「……世の中の曲って、なんで全部こんな難しい事やってるんだ?」
参考にしようと曲を聴いても参考にもならず、ただ創作の暗闇の中で手を動かす事しかできない。
それでも、俺を見込んでくれた
とはいえ、さすがにこれは一朝一夕にはどうにもならないぞ……
「たしか夏休みの時期変更、まだ間に合ったよなぁ……」
うちの部署は営業だ。
営業先によってはお盆に休むと不都合がある事もあるため、夏休みを早めに取ったり遅めに取ったりという事も認められていた。
俺の営業先は基本年中無休だが、今ならそこまで緊急性のある案件もない。
なんなら、問題があれば会社に出ればいいのだ。
「よし!」
上司への相談はすんなり通り。
翌々日から、俺は会社を休んでDTM修行に打ち込む事になった。
『配信品質向上委員会』でカノンボールの社員さんに相談したところ、動画で受けられるDTM講座というのを紹介してもらえたのだ。
動画とはいえそんなに安いものでもなかったが、とにかく手っ取り早くレベルアップしたい今、家で好きな時間に受けられる講座があるというのは嬉しかった。
「この一週間が勝負だな、天王山だ、天王山」
そう呟いて気合を入れながら、師匠に選んでもらったヘッドホンをつける。
とにかく、やるしかないのだ。
俺の一週間の夏休みを丸々使った、強化合宿が始まった。
朝起きたら寝るまで、見れる限りの動画見る。
動画を見ながらDTMソフトに動画のとおりに打ち込んでみて、とにかく無理にでもそれらを自分の曲に取り込んでいく。
『今日の曲です』
『おつー』
パトレもん
『乙すぎる』
『乙乙の実』
そうしていつものように投稿を報告した裏で、カレンさんにはプロジェクトファイルを送って意見を聞いてみる。
『どうでしょうか……?』
『なんか賑やかな曲って感じ。クオンタイズとか使ってみたら?』
『クオンタイズ』
師匠から課題が出されれば、それについての動画講座をすぐに見て取り込む。
なるほどクオンタイズ、俺がめちゃくちゃに打ち込んだ音符を整えて置いてくれる機能らしい。
とんでもなく便利な機能だ、これを最初に勉強すればよかった……
とまぁ、毎日毎日そんな感じで勉強していくわけだが。
とにかくやればやるだけ課題ができて、やればやるだけできない事がわかった。
となると、やはり面白さよりは苦痛が勝つもの。
だが、それでも……
「あー、なるほどね、そういう事だったのか」
最初の頃に勉強した事が、三日目、四日目に他の事に繋がって、少しだけ理屈がわかるようになった時には嬉しかったし……
「へー、このアルペジオっていうの聴いたことある」
簡単な部類の技術や理論なら、素人の俺にでも理解できるものはあった。
中には知っただけで使えるようなありがたいテクもあり、そういうものはどんどん使っていく。
結果として、完成する曲は講座の丸パクリになっていくが、まぁ講座になるような技術なのだ、
とにかく、恥とか、何がやりたいとか、そういう気持ちは一回忘れて、空っぽの箱に何でもかんでも詰め込んでいくつもりで技術を取り込んだ。
『どうでしょうか……?』
『
『とりあえず勉強した事を使ってみたくて』
『それならそれでもいいけど、一曲につき挑戦は三つぐらいに絞ったら? 技法のデモ曲作ってるわけじゃないんでしょ?』
師匠にそう言われて、五日目ぐらいからは一日に四曲ぐらい作って、学んだ事を分散して実践した。
そんな一進一退、いや二退三退。
暗中模索の生活の中、焦りだけがつのり。
俺は髭も伸びっぱなしで、コンビニに行く時間以外はパソコンの前に座り続けた。
「あー……もう明日から仕事かぁ……」
それでも、一週間が過ぎる頃。
最初と比べればだいぶ手も早くなり、どうしたらいいかと考えてフリーズする時間も減った。
そして理論はともかく、これぐらいは今の自分にでも使えるなぁと思える技術も少しは増えた。
「イントロはギターのアルペジオにして……裏メロは……メインが上る時は下げる……と」
今俺が作っているのも、多分人から見れば、付け焼き刃だらけのツギハギな曲。
それでも、この一週間で一番聴きやすい、バランスの取れたいい曲になったと思う。
ゲームのために一週間会社サボっちゃった、という内容の歌詞を歌った『やりすぎ』。
『今日の曲です。実は覚えたてのDTMが面白くて、修行のために一週間会社休んで勉強しながら曲作ってました』
『おつー』
十津川扇
『ヤバすぎンゴ』
ノット・キング・コール
『曲のタイトル通りじゃん』
『青春かw』
『魔剤!?』
そんな一週間の集大成といえる自信作を投稿して、裏ではカレンさんにプロジェクトファイルを送って見てもらう。
すると、いつもとはちょっと違う反応が返ってきた。
『こうしてオケ付きで聞いてみると、おうがさんってポップの人だったんだねぇ』
『ポップですか?』
『ポップスって事。前から片鱗はあったけど。こうしてみると、ポップど真ん中の人だったんだね』
『え? 音楽って、真ん中とか端とかあるんですか?』
『うーん、あたしが言ってるポップさっていうのは……誤解を恐れずに言うとだよ? メロディーがキャッチーで、歌詞がわかりやすいって事……かな』
よくわからないけど、できるだけ流行ってる音楽に近づけようとしたのがそう見えたのだろうか?
とにかく、褒められてるって事でいいんだよな?
なにをするにしても、わかりやすい方がいいに決まってる。
とにかくそれだけは、深く身に染みて感じていた事だった。
「ポップスかぁ」
言われてみれば、サブスクのプレイリストもJ-POPばかりだ。
ディスクガイドなんかも読んで色々聴いてみたけど、自分が歌ものしか作らないからか、歌ものにしかハマらなかった。
「そう言われると、ちょっと進む先が見えたかも」
今は日曜の夜八時。
明日からは仕事だけど……ちょっと追加で勉強してから寝ようかな。
俺は『ポップスによく使われるJust the Two of Us進行』という動画を開き、再生ボタンを押したのだった。