雛見沢とかいう田舎に転生した 作:that's the plan
暗い夜に、懐中電灯の灯りが二つ。
ふらふらと揺れ動きながら、ゲストハウスの傍を抜けて行った。
少し前まで明かりが漏れ出ていたゲストハウスの窓は、もう暗くなった。一階のロビーと、いくつかの部屋だけが灯りを灯したままだった。
二つの光はだんだんと山の方へと向かう。それは、古手梨花と牧野雄星、2人が握るライトの光だった。
「我が主っ!よく来てくださいましたっ!」
礼拝堂へと向かう道に来た2人は、手を振るヱリカに気づいた。
彼女は梨花の姿を認めて笑みを浮かべたあと、どうでもよさそうな目で雄星を一瞥した。
ヱリカは降り頻る雨の中、傘も差さずに立っていた。彼女の美しいツインテールは水浸しになってしまって、すっかり見る影もなかった。
「ヱリカさん、待たせて悪かったわね」
「さん、なんてやめてください。私のことは、是非ヱリカと呼び捨てに」
「わ、分かったわ。ヱリカ」
「はいっ!」
梨花とヱリカがそんな会話をするのを、雄星は無言で見守っていた。
自分は梨花に連れてこられただけだし、ヱリカさんの邪魔はしなくていいか。ぼーっと突っ立って、彼はそう思っているのだった。
そんな雄星を視界の端にとらえたヱリカ。彼女は梨花に聞こえないように、そっと彼の耳元に呟いた。
「あんたも来たんですね。主の役にも立てない愚図のくせに」
「……ごめん、なんて?雨の音で聞こえなかった」
今度は梨花にも聞こえるくらいの音で、舌打ちをした。
「……つくづく、不愉快な男です」
雄星はその悪態に苦笑しながら、一つ余分に持ってきた傘を手渡した。
「ヱリカさん。ほら、傘を。そのままじゃ風邪ひいちゃうよ」
その言葉に返事も返さず、ヱリカは乱暴に傘を奪い取った。なにも言わずにそれを開いた後、梨花の方へ向いて優雅にその場を回った。
「それで、我が主っ。お電話口でも申し上げましたが、碑文の謎を解くことが出来ましたっ!私がご案内いたしますので、こちらへ」
「ええ」
梨花の言葉にすっかり気をよくして、ニコニコした顔で礼拝堂へと向かおうとするヱリカ。
自分に背を向けて、押し付けてくるように傘を広げる彼女に、雄星はなんとも言えぬ感情を押し殺した。
「碑文の謎は、こうです──」
道すがら、得意げな顔のヱリカがつらつらと碑文のロジックを語り始める。
雄星には、その会話を聞く気はなかった。
推理小説なんかも人並みには読むほうだし、謎の答えに興味がないわけではない。
しかし、碑文の謎は自分に向けられたものではないことは理解していた。
謎は、右代宮家の人間が解くように作られているはず。観客席でその答えを聞くのは、確かに面白いかもしれない。
だが、答えに至る過程をすっ飛ばして推理小説の解答だけを読むのは、謎を考えた人を冒涜するような行為だ、とも思う。
無理に真実を暴く必要などない。自分には一生わからないままでも構わない、とはいえ、梨花が誘ってくれたのだから、行かないのも悪い。
話が聞こえない距離にいる雄星は、静かにとぼとぼと歩いて行った。
少しして、とうとう礼拝堂が目の前に来た。闇の中、ヱリカと梨花が持つ電灯に照らされる礼拝堂は、なんとも言えない荘厳な雰囲気を醸し出しながら、堂々と立っていた。
それから、ヱリカはその礼拝堂の上の方を指差しながら、何かを梨花に説明し始めた。
雄星が傘で隠れた2人の後ろ姿をぼんやりと眺めていると、ヱリカが振り返って、言った。
「牧野雄星、脚立を持って来なさい」
「……使用人の方に脚立を借りて、ここに戻ってくればいいの?」
「ええ。早くしなさい」
そのあまりの物言いに、雄星も流石に少し苛立った。
彼女が指差す礼拝堂の入り口の屋根は、小さな踏み台で届くような高さではなかった。登ろうとするなら、何段もある、大きな脚立を持ってこないといけない。
それに、今も雨は降り続けている。
嵐の夜に、1人で脚立を持ってここまで来るということは、決して楽なことではない。乱暴な言い方で頼まれても、喜んで行きたいとは思えなかった。
「ヱリカさん。君は──」
「ごめんね、雄星!私も一緒に行くわ。暗いし、1人じゃ大変でしょ?ほら、行きましょ」
見かねた梨花がそう言うと、ヱリカは媚びるような笑みでそっちを向いた。
「いえいえっ!我が主。雨も強いですから、こちらでゆっくりお待ちください。私が行ってまいります」
「暗いし、ひとりで置いておくのは心配だし、梨花も来た方が……」
「礼拝堂の軒先でしたら、雨も避けられます。我が主、ほんの数分で戻りますので、少々お待ち頂いてもよろしいですか?」
「……雄星、面倒をかけるわね」
「うん、大丈夫。ちょっとした冒険気分だよ」
小さな声でそう返して、雄星は道を引き返した。それに、少し遅れてヱリカが付いて行った。
「ヱリカさん」
雄星は意を決して、前を行く少女に声をかけた。
「何です?あんたと世間話なんてする気はないですけど」
振り返りもせず、ヱリカは言う。
「どうして俺のことをそんなに嫌うんですか?」
その言葉で、彼女は振り返った。
嫌悪感をむき出しにした顔で、早口で捲し立てる。
「こちらが聞きたいです。なぜあなたが我が主に気に入られているんですか?あなたに優位性は何一つ存在しない。知性、身体能力、家柄、容姿。どれを取っても私に劣ります」
それを聞いて雄星は、自分が先ほど感じた彼女への苛立ちが薄れるのがわかった。
──彼女が気の毒だった。確かに彼女は、自分なんかよりもずっと聡明だろう。だけどこの世は、当人の能力で全てが決まるわけじゃない。
「どうしてだろうね。……俺は梨花を信頼してるし、梨花も俺を信頼してる。それだけだと思うけど──」
「認める?信頼?要するに、根拠も証拠もなしに、嘘と口先で騙くらかしてるだけでしょう。この世界の我が主は、何故かあんたにお熱なようですけど。いつか私があんたの本性を暴いてやりますから」
彼女は、こちらを睨みつけて言い放った。それは普段の理路整然とした彼女の姿とは違うものだった。
「信頼や愛は……必ずしも理由や根拠が必要なものじゃない。もっと自由なものなんだよ」
「はぁっ!?"愛"……提示が不明瞭で、実に便利な言葉!あんたのように陳腐でつまらない男が好きそうなセリフです!」
「……君は、愛を信じられないんだね」
その言葉に、ヱリカは強い反応を見せた。
「……そんなくだらない、薄っぺらい、取るに足らないもの、信じてたまるものですか」
雄星が言い返す前に、さらに続けた。
「この世の全ての真実には、根拠がある。証拠が見つかる。それらがなければ、どんなことだって真実たり得ない!」
「そんなはずはない。俺と梨花の絆に、証拠などいらない。俺たちは証拠がなくたって、お互いを信じてる。それだけが真実だよ」
雄星は、彼女の目を見てはっきりとそう言い返した。
「そんなの、ただの幻想に過ぎません。人の気持ちなんて、移り変わるもの。それを不変の真実だと言い切ることなど、不可能です。ほら、赤き真実で言ってみなさい。"牧野雄星は、古手梨花を永久に、永遠に、変わらずに愛し続ける"と!無理でしょう?無理に決まってる。あんたは単なる駒。真実を決めるのはあんたじゃなくて、探偵と魔女のみなのですからっ」
彼女は、唾を飛ばして捲し立てる。
そんな露悪的な態度も、梨花への異常な執着も……全てが、彼女の心の弱さを示しているように思えてならなかった。
彼女に感じていた少しの苛立ちが、完全に霧散するのが分かった。彼女の反論は、どこか必死だった。
「……辛いことがあったんだね。ヱリカさんには」
「はぁ!?意味不明。あんたの言葉に論理としての価値はゼロです。どこをどうしたらその推理になるわけ?」
「そっか。ごめんね」
「何、その顔?急にしおらしくなって。反論の一つもないんですか?」
「ない。ヱリカさんがそう思うなら、ヱリカさんの中ではきっとそうなんだよ」
そう言って、雄星はヱリカを追い越して歩き出した。
その後ろ姿を目にしたヱリカは目を見開いて、拳を握りしめた。
「……っ!」
舌打ちと共に雄星の持つ傘を奪い取って、その背中に突き刺した。
「いて……ごめんごめん。ちょっと言いすぎたよ」
雨と風が体勢を崩した彼に降りかかる。
しかし、雄星は余裕を持った表情を崩さなかった。それすらも、ヱリカの気を損ねる原因になった。
「ほら、早く脚立を取ってきなさい!それぐらいの役には立てるでしょ?」
ヱリカはそう言って少し遠くを指差す。
雨に濡れたそれは、ゲストハウスの裏の物陰に置かれていた。
2人はもう、ゲストハウスの近くにまで来ていたのだった。
「うん。ヱリカさんは、ライトで照らしてくれるかな。取ってくる」
「そんなこと、あんたにいちいち言われなくたってやります。指図しないでください」
「はーい」
雄星が気の抜けた返事と共に頭を下げると、ヱリカは顔を背けた。
彼は物陰に立てかけられている、脚立を拾い上げた。
あまり使われていないのか、すっかり錆びていた。五段ほどあるそれは、両手でも手に余るようなサイズだが、1人で持てないほどの重さでもなかった。
雄星はその真ん中の方を掴んで脇に抱えた。傘をヱリカに手渡し、雨に打たれながら脚立を運ぶことにした。
雨が服に染み込んで、雄星は俯いて寒さに震えた。ヱリカはその姿を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
去っていく2人の背後で、カーテンが僅かに揺れた。
帰り道、2人は無言だった。
ヱリカは相変わらず雄星の先を行くが、黙って彼の足元を照らしている。
彼を蛇蝎のように嫌う彼女としても、暗闇の中に放置して、どこかへ行ってしまうというようなことはなかった。
そうすれば、脚立は礼拝堂には届かない。彼女が解き明かした碑文の謎だって、推理を披露できないままになるからだった。
──今の所、彼女にとって自分の存在価値は、ちょうどこの脚立ぐらいなのだろう、と思って、雄星はなんだか面白くなった。
雄星は、早足で先を行く彼女の背中を見て考えた。
きっと彼女は、何か辛いことや裏切りにあって、人のことを信じられなくなっているのだ。
「赤き真実」ってのが何かは分からないが、彼女は真実として保証されている、"絶対の愛"が欲しいのだろう、と思った。
そして今のところ、自分ではそれを彼女に与えてあげられそうになかった。
「お待たせしました、我が主!ほら、牧野雄星。早くエントランスの上に登りなさい」
2人はすぐに礼拝堂に戻ってきた。梨花は傘を差して立ったまま、2人のことを待っていた。
雄星はヱリカに言われた通りに脚立に登り、指示を待つ。雨に打たれるのも気にしなかった。
「わかった。それで、どうしたらいいのかな」
「……殊勝ですね。構いません。あんたでも、そのレリーフの言葉ぐらいは分かります?それを、私の言うとおりに入れ替えてください」
雄星は彼女の言う通りに、礼拝堂入り口のレリーフの文字を見る。
"quadrillion"。……確か、10億を意味するbillionの次の、さらに次。1000兆。途方もない数だ。
推理を熱弁するヱリカをよそに、そんなことを考えてレリーフをぼーっと眺めていた雄星。
「まずは──」
得意げな顔をしたヱリカの言う通りに、雄星はレリーフの文字を並び替えたり、引っこ抜いたりした。
「違う!それじゃないですっ!あんたのせいで仕掛けが動かなかったらどう償うつもりですか!?」
雄星は時々間違った文字に触って、ヱリカに叱られる。その度にごめんごめん、と謝る。
そして最終的に5つ残った文字を、左から順に回して引き抜く。雄星は、そこで何か手応えを感じた。
「ねぇ、あのライオンの像が動いてるわ」
礼拝堂の入り口左右に配置されたライオンの像が、ゆっくりと向きを変える。それはどちらも同じ方向を向いていて、「そちらへ向かえ」と3人に告げているようだった。
「やはり私の予想通りですっ。……ただ碑文の謎がそこにあるだけで、古戸ヱリカにはこの程度の推理が可能です。如何でしょうか、我が主っ!」
「碑文の謎は礼拝堂の仕掛けを作動させるためのヒントで、これが黄金郷に繋がるのね。……よくやったわ、ヱリカ」
梨花は、褒めて欲しそうな上目遣いのヱリカに声をかける。
「はいっ!この古戸ヱリカにお任せください!我が主っ!」
ヱリカは、まるで尻尾を振る犬のように跳ねて喜びを表現してから、意気揚々とライオン像の向く方向へと歩いていく。
少し遅れて、雄星と梨花もそれについていった。
「これって……」
それを見た雄星が小さな声で呟く。
ライオン像が示す先にあったのは、地下通路への入り口だった。
礼拝堂の裏手、小さな段差になっているタイル張りの床の一画に、人が通れる程度の通路が出来ていた。
どこまで続いているかもわからぬ深い闇が、満足げな顔のヱリカが持つ懐中電灯によって照らされる。
「グッド。この先に、何かがあるのでしょう。黄金郷とやらが、ね」
実に楽しそうなステップを踏みながら、ヱリカは暗闇の中に足を踏み入れた。
梨花は、驚いた表情で雄星の顔を見て言った。
「……本当に、貴方を巻き込んでしまってごめんなさい。軽率だったわ。こんなに大層なものだとは思っていなかったし、それに──」
そう言って、梨花はヱリカの方をチラリと見た。それを制して、雄星が言った。
「ううん、大丈夫。ここまで来るとワクワクしてきたし。……ま、ちょっと怖さはあるけど」
苦笑混じりにそう言った。
「牧野雄星!先頭を行きなさい」
前方からヱリカの声が聞こえて、雄星は半笑いで梨花の顔を見た。ちょうど、梨花からも視線が返ってきた。
梨花の方は、申し訳なさそうに俯き加減だった。
「……ごめんね。私のせいで、こんなに濡れちゃって……そうだ、寒いでしょう?この服を貸してあげるわ」
「いいよ。ほんとに、気にしないで」
雄星はそう言って梨花を追い抜き、ヱリカの側を通り抜け、先頭に立った。梨花は寂しそうな顔で俯いた。
3人は、そうして地下の暗黒の中へと足を踏み入れていった。