雛見沢とかいう田舎に転生した 作:that's the plan
俺は、暗い夜道にいた。塾講師のアルバイトから帰る途中、ぼんやりと考えていた。
来年から俺は新社会人。ある程度有名な企業から内定を頂き、そこそこ可愛い彼女もいる。一般的には、とても立派なことだ。自分としても、そこそこには努力をした。それを誇らしく思う気持ちだってある。
しかし、子供の頃見た夢のような、何者かになるような人生は今の所歩めそうにない。それもまた事実だ。何も世界的なスターだとか、歴史に名を残すような有名人になりたいわけじゃなかった。
でも、音楽で成功してみたいという素朴な夢くらいはあった。何か誇れるものがあったらいいのに。そう思うことは一度や二度ではなかった。
そこそこ恵まれた家庭に生まれ、そこそこ勉強を頑張って、そこそこの会社に入社する。俺はきっと、この先もそこそこ良い人生を歩んで行くんだろう。
不満はない。だが、20歳そこそこにもなれば、自分の人生の行先がどうなるかは何となくわかる。
信号で立ち止まった。ここから、自分の住む一人暮らしのボロアパートまでは、まだ少し遠い。この嫌気がさすような気分も、しばらくは続く。
まあまあの都会に住んでいる割にはこのあたりは真っ暗だ。薄く光る街灯で少しだけ、橋の下を流れる川が見える。そこで、何かがゆらゆらと流れている。
俺は目を疑った。流れているというか、流されている何かは人型のように見えた。
「え?まさか……」
橋の上からではそれが何かはいまいち分かりづらかった。今はまだ2月。川遊びをするような季節ではない。間違っても、本人の意思で川を漂ってるわけではなさそうだ。
急いで自転車を川岸に走らせる。この辺りの川は周辺住民の遊び場ともなる河川敷がある。もう1.2ヶ月もすれば美しい桜並木が綺麗に見える。そんなところで、まさか人が流されているなんて。
スマートフォンでライトを照らし、川を流される人を確認する。
ぼんやりとした薄明かりの中に見えたのは、どうやら、ちょうど俺が塾で教えているような中学生だか高校生くらいの子供のようだ。
「おい、俺が行くから待ってろ!」
慌てて服を脱ぐ。まだ肌寒いこの季節で、俺は白色のダウンを脱ぎ捨て、スーツのジャケットを自転車のカゴに無造作に突っ込む。川へと走りながらワイシャツとネクタイを脱いでその辺に捨てた。
ズボンは…そのままでいいか?ベルトを外すのに時間もかかるし。暗いとはいえ公共の場でズボンを脱ぐのは嫌だし。
川は真っ暗の中を勢いよく流れている。温かい時期だったら川で遊ぶ奴らもたくさんいるようなところだし、それほど汚くもないだろう。あとは、俺が寒いのを我慢するだけ。気合いだ!
勢いよく、俺は川に走り込んだ。水深はいきなり深くなり、足を取られて躓く。頭から水中に沈みそうになる。身を刺すような冷たさの水が俺の体を包み込んだ。
じたばたと足掻いて顔だけは水面から出した。ちょっと水の中に入るだけと思ってたが……これは思っていた以上に覚悟がいる。俺は気を引き締めた。
「さみー!」
思わず口から声が溢れた。しかし、今川で溺れている子供はそれどころじゃあないだろう。急いで水の中を泳ぐ。この辺りは流れもそこそこ速く、足だってギリギリ着くくらいだ。中学生くらいの子供では、その場にとどまるのも一苦労だろう。
向こうでもがく子供に向かって、必死に泳ぐ。それほど距離はないが、時間がすごく長く感じる。
「おい、大丈夫か!?」
やっと辿り着き、子供に声をかける。ぶるぶると震えているが、意識はあるようだ。返事はなかったが、目は開いている。
「俺が、岸まで、連れてってやるからな……」
息も絶え絶えながら子供の両脇に手を掛け、運ぼうとする。服が水を吸っているのか、非常に重い。子供はぐったりしている。意識はあるが、衰弱状態に違いない。急がないと。
数分ほどはかかっただろうか。子供を持ち上げて運びながら、必死の思いで陸にまでたどりつく。風が濡れた俺の体に吹き付ける。上半身はほぼ裸だ。今日は風も強い。寒さが限界を越え、むしろ暖かく感じてきた。
子供を川岸の草むらに横たえ、水を吸った上着を剥ぎ取る。その子もシャツを着ていた。こんな時間に川でなにをしていたのかは知らないが、塾帰りか何かだったのかもしれない。俺が脱いでその辺に捨てたシャツをタオルのようにして水滴を拭き取り、ジャケットとダウンを子供の体にかけてやる。
安心したのか、目を閉じて気を失ってはいるが、呼吸はしている。体温はとんでもなく低いが、俺よりも暖かい格好はさせた。
「はぁ、はぁ……」
夜の川辺に自分の白い息が消える。これだけやれば、命の危険はないと信じたい。あぁ、どうやって応急処置をすれば良いのかもわからない。早く消防に電話もしないと。
スマートフォンで慌てて救急車を呼ぶ。救急車の濫用が取り沙汰される昨今だが、溺れて意識のない子供がいるんだから、呼んで怒られるようなことはないだろう。
「〇〇市の××駅の近く!えーっと……△△橋の河川敷のあたりです。子供が、溺れてたのを助けました。早く、来てください……」
寒い。とにかく寒かった。
通話口の向こうで救急隊の方が何か話してくれているが、寒さからかぼーっとして、いまいち頭に入ってこない。
ちょっと休憩。横になろう。救急車が来るまではちょっと休む。何だか眠くもなってきた。最近就活やアルバイトが忙しくてあまり休めてなかったし……。
本当は子供の応急処置をしないといけないのかもしれないが。肺に水が入って呼吸が出来ないとかではなさそうだし、死にはしないだろう。俺の方が低体温症で死にそうだ。子供に着せているから服もないしな。
でも、俺はきっと人を救った。橋を渡る前、何者でもない自分に嘆いていたが……俺だって、やれば出来るんだ。
きっと、これまでもこれからもそうなんだ。やる気と勇気があれば、何者かにはなれる。何事かをなすことはできる。
いや、もちろん何者かにならなくたって、なれなくたって、自分が満足していればいいんだけど……。
考えてるうちに、少し意識がぼーっとしていた。遠くで救急車のサイレンが聞こえて我に帰る。どれくらい待ったかはわからないが、やっと助けが来たらしい。子供を助けてやってくれ。あと、出来れば俺も……。
寒かった体が、暖かくなってきた気がした。俺は深い眠気に誘われ、目をゆっくり閉じた。
耳元で、救急隊の方からの声が聴こえてきて……俺の意識はなくなった。
もしも、俺に来世があるのなら。もしもチャンスがあるのなら、次こそは、全力で生きたい。俺は未練がましく、最後の最後にそう思った。
俺がこの田舎町の子供に生まれ変わって6年ほどが経った。
何故だか知らないが、俺には前世の記憶がある。ぼんやりと覚えている記憶では、寒い冬の夜に、前世の俺は子供を助けてそのまま死んだらしい。
胡蝶の夢という話のように、この世界か、あの世界か、どちらが本当の俺なのかはわからない。
今の所、生まれ変わって、何故だか前世の記憶を保っているのだろう、と脳天気に思うことにした。根拠は何もない。ただ、もしそうであれば、もう一度生きるチャンスがもらえてラッキーってなもんだった。
もしかしたら、前世なんてなくって、単に小さな子供である俺がおかしくなった結果、20xx年に生きる何者かの人生を頭にインプットしてしまっているのかもしれない。ただ事実としてわかることは、精神年齢はともかくとして俺の肉体は6歳ほどで、俺が生きるこの時代は昭和後期の日本だということだ。
俺が生まれたのが昭和45年。生まれて物心がついてからは、この世界が自分の知っているところなのかをずっと考えていた。しかし、ここは日本で、自分の記憶と大きく違うところはほとんどない。
生まれて2年くらいでオイルショックが起きた。ドのつく田舎に住んでいる我が家でも車が使いづらくなることには敏感に反応した。ただ、朴訥な農家兼雑貨屋の親父や、年の割にふわふわしている母は原因が何かとか、いつ頃にそれが収まるのかとかはわかっていないようだった。
俺はこの経験から、やはり前世の自分が生きた日本と、この世界はそれほど差異はないように思えた。
この世界でも日本は太平洋戦争に負け、GHQの指導のもとで民主化された。
いまだに地主の旧家が村の権力を恣にしているこの辺りのような田舎でも土地改革の流れはあり、小作人と地主の関係は改善されたはずだ。それがあってなおその村を支配しうる「御三家」とやらもいるが……。
名前も知らない謎の国があるわけでもない。まるでどこかの映画のように、ある有名なバンドが何故かこの世に存在しないなんてこともなかった。ビートルズは俺がこの世に生まれる前からヒットしている。
確か1970年にはほとんど解散状態だったんだよな?どうせなら一度くらいライブに行ってみたかった。そんな、ちょっとした願望もある。
こうした事実を踏まえると、俺は過去の日本に生まれ変わったのだ、と言える。せっかくだったら、どんな世界や風景が広がっていたか想像もつかないような数千年前の昔か、もっと技術や産業が進んだ未来の時代が良かった、なんていうのは至極贅沢な話だろう。
昭和後期ともなれば、前世の自分の親世代が生まれた頃ぐらいだ。それほど驚くような変化はない。テレビの「昭和特集」みたいなくだらない番組で見たことがあるような雰囲気だ。
しかし、住んでいるところの様子は前世とは全く違って、かなり新鮮だ。
ここは……「雛見沢」とかいう、山奥の限界集落だ。
少なくとも前世では聞いたことがない地名だ。立ち並ぶ合掌造りの家々は立派で、前世の社会か何かの教科書で学んだ白川郷にそっくりだ。たしか、岐阜県だか富山県にあったんだったか……?
前世で白川郷へ行ったことはないし、どれくらいの規模感の村なのかも知らない。もしかしたら、前世で知っていた白川郷の正式名称や旧称が雛見沢村だったのかもしれない。
もしそうなら、俺は観光立国で観光客で溢れる前の白川郷に産まれたのかもしれない、とも思った。ただ、この村は意外なことに観光業がそれほど盛んではないのだ。
前世の社会の授業で、俺はこのように子供たちに教えていた。合掌造りの家々は世界遺産に登録されていて、各国から観光客が続々と訪れている。しかし観光によって起こる問題もあって……とかなんとか。
だが、この町で観光客を見かけることは少ない。生まれてからたった6年しか過ごしていないが、風景が美しいことは確かだ。ノスタルジックな村の雰囲気はまさに映える感じだし、ちょっとした神社や大きな邸宅なんかもあるし、歴史を感じるところもある。
そんな雛見沢村のほとんどが観光客から手付かずで残っているのはなんだか不思議だが、前世の観光地はどこも外国人でいっぱいで、ゆっくり過ごせたものではなかった。少なくとも、子供時代をこの自然豊かな素晴らしい村で過ごすのは悪くない。
雛見沢村はxx県鹿骨市に属するらしい。塾講師の時は社会を教えていたとはいえ、住んだことのない遠くの市の名前までは知らない。そんな街もあったんだな、という程度の感想しか思い浮かばない。
せっかく前世の記憶を持って、スタートダッシュができるような生まれだというのに、こんな田舎ではすることもない。この6年間で育んだものは……せいぜい読書で得た知識と、我が家の状況と、この村がどんな村か、ということくらいだ。せっかく全力で生きるなんて考えてたのに、いきなり出鼻を挫かれたわけだ。
家にテレビはあるが、ノリは何だか古っぽい。たまに過激で笑える番組もあるが、過激すぎて見てられないようなシーンもあっていまいち乗り切れない。それにそういう番組は両親がすぐにチャンネルを変えるし。
映画館なんか街にはないし、家庭用ゲームなんてもってのほか。ゲーセンだってこんな村にあるわけない。とはいえ、ファミコンが販売されたとしても洗練された現代の対戦ゲームを数々プレイしてきた俺からすると素直に楽しめるものではないだろう。……ま、格ゲーとかなら楽しめるかもしれないけど。
現代と昭和の時代で変わらないものなら……と考えてみると、スポーツは楽しいかもしれない。でも、この村には子供が少ない。多分、この村にある唯一の教育機関である「雛見沢分校」とやらで子供をかき集めても、まともにチームスポーツも出来ない。
きっと近くの興宮という街まで行けばまとまった人数がいて、野球くらいは出来るんだろうが、そこまでするほどの意欲はない。それに親を付き合わせるのにも覚悟がいる。
となると、小学生にもならない身で没頭できるのはその興宮の図書館で本を借りて昔の名著を読むことくらいだった。4歳くらいから本を借りて読み出して、この2年ほどで俺は大した文学少年になったのである。自分の子供が4歳から難しい本を読んでるところを想像すると……ちょっと怖いと思うが、うちの両親はあんまり気にせずに、むしろ天才少年だと囃し立ててくれる。
「ゆうくーん。ごはんできたわよ!」
リビングで本を読んでいたところ、キッチンから母親の声が聞こえる。はーい、と声を返しておく。母親がご飯を作ってくれるなんて、今でも一人暮らしの頃を思い出せば特別でかけがえのないことのように感じる。
本を閉じてその辺に置く。今日読んでいたのはフランツ・カフカの『変身』だ。
「あれ、また難しい本を読んでるのね?将来は学者さんね」
「まーね」
そう答えたところで、寒さを感じて体を震わせる。俺の家は二階建てなので、昔ながらの合唱造りというわけではないが、新築でもない。老朽化しつつある木の階段を歩くと、隙間風が吹いて寒い。
生まれ変わって以来、寒いのは本当に苦手だ。肌寒いくらいならいいが、凍えるような寒さでは死んだ日の夜のことを思い出し、背筋までも凍るのだ。
「そんなに寒い?もう3月よ?」
俺が身震いしていることに気づいた母が、首を小さく傾げて尋ねてくる。ガキのふりをして答える。
「ぼく、寒いのはほんとに苦手なんだよね〜。なんていうか、孤独と、不安と……色々。とにかく、やな感じ」
「ふふふ、お父さんも、お母さんもいるじゃない。何があっても平気よ。心配することなんてないわ」
母親はそんなことを言って俺の頭を撫でる。中身は子供じゃないので、ちょっと恥ずかしい……が、心温まる。
少し背の高い、食卓の椅子に座る。今日の飯は何だろうな……そんなことを考える。精神年齢は置いておいても、暖かい家庭は何にも代え難い、素晴らしい物だ。
俺の前世はそうではなかった。恵まれた環境だったと記憶してるが、両親との関係はこれほど近しい物ではない。両親は共働きで、晩御飯を共に囲んだ記憶も少ない。俺の育児のことなんかでいつも揉めていた記憶がある。
それに比べれば、我が牧野家の家族関係のなんと素晴らしいことか。
俺の精神が乗り移った、牧野家の子には申し訳ない気持ちもある。それに、子供に変なやつが乗り移った両親への申し訳なさも。
温かく、うまい飯と家族を前に、少しどんよりとした気持ちが心を覆った。
「ゆうくん。さっき読んでた本って、どんな内容なの?」
俺が何かを考えているのを気にしたのか、母親が問いかけてくる。少し言いづらいが、正直に話すことにした。
「あぁ、えーっと……。突然さ。家族を養っていた男が、ある朝急に毒虫になるんだよ。うーん、毒虫っていうか、醜くて役に立たないやつにね」
「どうして?」
心底不思議そうな顔で、母親は言った。
「それはわからないけどね。しばらくはバレないんだけど、とうとうバレると、仕事も出来ないし、今まで養っていた家族からは厄介者扱い。部屋に閉じ込められて、妹に世話をされることになるんだけど、父親からりんごを投げられて怪我をしたり……とにかく、誰も彼の気持ちを分かってはくれないんだ」
「それは可哀想ねぇ」
母親はあんまり真剣に話を聞いていないようだった。子供が読んでる本の意味なんか、まあ確かにどうでもいいかもしれないが。むしろ俺としては、この結末を是非とも話し合いたいところだ。
「でも、もう働けない男の代わりに、妹も母親も働き口を見つけるんだ。しばらくすると家庭はある程度うまくいくようになる。だけど、毒虫がちょっとした……粗相をしてしまう。そのことがきっかけで、家族からはもうこの虫を処分しよう、ということになってね」
「うん、うん」
「毒虫は頭の中で、自分の家族に対する愛を思い浮かべながら、容易く殺される。そして、次の日……ってとこでご飯を食べてるところだね」
殺されるという言葉に母親の顔が少し変わった。
「そ、そうなのね?なんだかとても……怖いお話を読んでるみたいね。ゆうくんは安心していいのよ?人は急に虫になったりはしないからね?」
話し終えた俺に、母親は慌てて声をかける。確かに、6歳の息子がこんな変な本を読んでれば不安にもなるかもしれない。
「どうかな。もしもぼくが毒虫になっちゃっても、殺さないでね。そうだな……裏にある倉庫の隅っこで隠れておくから、毛布だけはちょうだい?」
母親はその言葉にうふふ、と笑った。
俺としては別に冗談ではなかった。毒虫というほど役に立たないつもりはないが、彼女の息子の精神は消えてなくなり、俺という虫が取り憑いているわけだ。
いつか、この異常性が母に理解されてしまった時……どうなるのかはわからない。俺はそれが怖くもある。そんなことを考えながら本を読み耽っているわけである。
と、これまではあまりポジティブなことを考えてなかったが、未来に対して大きな期待を寄せる自分もいる。
俺は6歳。次の4月からは雛見沢分校という小・中学校に入るらしい。家庭によっては興宮のより大きな小学校に入る子もいるらしいが、どのみち大学までの勉強は全て一度習ったことだ。俺にとってはむしろ、自由な教育をしてくれると噂の分校の方が都合が良かった。今更6時間も学校の授業を受けて、同い年の子たちのコミュニティに溶け込むのなんてまっぴらだった。
この人生で、俺はビッグになる。ガキみたいな夢だが、確かに叶えたかった。
前世では何者にもなれなかった俺だが、この命ではきっと何かを成し遂げてみせる。
手始めが、この勉強の日々。
次に考えているのは音楽だ。前世では軽音学部でギター担当だった。未来の音楽のフレーズはたくさん覚えてる。
俺が、日本の邦楽シーンを変える。他にも出来ることはたくさんだ。何てったって俺は6歳。
可能性に溢れる自分の将来に、この時の俺は希望しか抱いていなかった。