雛見沢とかいう田舎に転生した 作:that's the plan
「……ということは、悟史くんや沙都子ちゃんの保護者が、雛見沢症候群を発症している可能性があるということですか!?」
入江診療所の中の奥の病室。一般の患者が立ち入ることはないその部屋の中で、白衣を着た男、入江京介が焦ったような顔でそう言った。
「確証はありませんが、その通りなのです。もし良ければ、入江も気をつけてあげて欲しいのです」
梨花は毎週の定期検診の折に、牧野雄星によって伝えられた北条兄妹の家庭環境と、叔母の発症リスクについて入江に伝えているところだった。
その言葉に対して、入江は深刻な表情で頷いた。
もしも末期発症に至れば、まずいことになる。それは入江が最もわかっているところだった。
「ええ、分かりました。北条玉枝さんは興宮の病院に通院してらっしゃるようですので、なかなか診療所にも足を運ばれませんからね。仰る通り、発症のリスクがあるかもしれません。悟史くんとは雛見沢ファイターズで関わりがありますから。その際に少し聞いてみることにします。ありがとうございます」
入江はそう言いながら、メモ書きにいくつか書き記した。梨花はそれを、ぼーっと眺めていた。
「よろしくお願いしますなのです。それで、ボクの今日のおしごとはこれで終わりなのですか?」
「そうですね。今日はもう帰って頂いて問題ありません。いつもありがとうございます。梨花ちゃんのおかげで我々の研究は着実に進歩しております。お疲れ様でした!」
入江はにこやかに笑ってそう答えた。人当たりの良い笑みをする入江を見て、さすが園崎お魎に信頼されるわけだ、と梨花は他人事のように思った。
彼女はその言葉に軽く会釈を返してそのまま診療所の一室を出ようとした。しかしその直前で止まり、ふと生まれた問いを入江に投げかけた。
「そうだ。少し気になることがあるのです」
「どうかしましたか?」
「治療薬はもう完成しているのですか……?」
入江はその質問に、少し考え込んだ。持っていたペンを何度か回転させた。梨花にはその仕草が、入江がどこまで話すべきか吟味しているように見えた。
「うーん、難しい質問ですね……試験的な治療薬は作れています。しかしそれをどのように、どれだけの量を摂取させるのが良いかという基準はまだまだ作れていない状況にあります」
「そうなのですね……なら、ボクも頑張らないといけないのです。まだまだ、頑張りますですよ。にぱー⭐︎」
梨花は内心、毒づいた。
……沙都子がいなければ、治療薬の一つも作れないってわけ?私の友達たちが発症したら、一体どうしてくれるというのか……!
その考えがあまりにも都合のいいことなのは自身が一番わかっていた。
沙都子が追い込まれていないこの世界は、私にとっても最高の世界のはず。それなのに……。
虫のいい自分をほんの少し恥じたあと、彼女は可愛らしい笑みを浮かべた。
入江はそれを目にして微笑ましい表情になった。小さく手を振って、ではお大事に、と、彼女が診療所を出ていくのを見送ったのだった。
診療所を出て、彼女は1人、自分の家へと帰るところだった。ふと、空に向かってつぶやく。
「羽入。あんたも、暇な時があれば沙都子の叔母を監視しておきなさい」
側からは1人で虚空に向かって喋っているように見えても、彼女にとってはそうではない。確かに自分のまなこに映る、巫女服の少女を見据えて、梨花はぶっきらぼうに言った。
「あぅあぅ……僕は2人が虐められるところなんて見たくないのです……でも、僕が見守ることで梨花やみんなの助けになるのなら……」
もじもじとするそれに対して、梨花は少し苛立った。先ほど聞いたばかりの、まだ治療薬が完成していないということも相まって、少し強い言葉で巫女服の少女に向かって言い放った。
「見てることしかできないんだから、それぐらいやりなさいよ」
言ってから、梨花は少し後悔した。流石に言い過ぎた、と思った。
自分の、親以上の存在……正しい意味で、親代わりの存在。だからこそ、強く当たってしまったり、心無い言葉をかけてしまったりする。その度、梨花は申し訳ない気持ちになるのだった。
梨花は恐る恐る、少女の顔を見た。案の定、悲しい顔をしていた。
「ご、ごめん。言い過ぎたわ」
「……僕だって、みんなと一緒に遊びたい。みんなと協力して、梨花を助けてあげたい。それが叶わなくて一番辛いのは、僕なのです。梨花には、その気持ちは一生分からないのですよ……!」
その切実な声を聞いて、梨花は黙って俯いた。
今度こそ、1人きりの帰り道だった。いつも聞こえてくる虫の鳴き声も、心なしか自分を嘲笑っているように聞こえた。
帰っても、誰もいない。1人でご飯を作り、1人で寝るだけだ。いつも沙都子を助けてあげようという気持ちで一緒に暮らしているが、本当に助けられているのは、寂しがりな自分なのかもしれない。
梨花はそんなことを考えながら、とぼとぼと家に帰った。ほんの一年前まで、短い距離なのに診療所まで車を出してくれていた母親のことを思い出した。
「あら入江所長。正直に言っても良かったのではなくて?L5の被験体が手に入っていなくて、治療薬の開発は遅れているって」
梨花が診療所を去った後、一人の女性が部屋に入ってきた。入江はそれを、複雑な表情で迎えた。今まで向き合っていたパソコンから女に向き直り、返答した。
「そんな……梨花さんは元々、自分の友達が病になった時のためにと協力をしてくれています。あまりネガティブなことを伝えるのは得策でないかと思いますよ、鷹野さん」
入江がそう反論するも、看護師の格好をした鷹野三四はどこ吹く風だった。
「とは言っても、我々の協力がなければ古手梨花は今まで通りの暮らしを続けるのも難しいでしょう?突然やめるなんて言い出せないはずよ」
薄く笑いながら答える鷹野に、入江は顔を顰めて返事をした。
「……治療薬が人体投与できる段階に来ているのは事実です。ただ、安全基準が出来ていないだけであって……」
「そうですわね。L5の被験体さえ手に入れば、あなたのC103"も"完成に近づくかもしれませんわね」
どこか含みのある言い方で、女は言った。入江は不快感を隠そうともせず、鷹野からそっぽを向いた。鷹野は入江のその仕草を、子供の駄々を見守る母親のような、余裕のある表情で嘲笑った。
「あなたの開発しているものも、まだ実用段階ではないのでしょう。症候群を解明するために、治療薬を完成させることは大切ではないとでも?」
入江は早口で返した。女はその言葉に、さあ、どうでしょうねと、素っ気なく返した。
尚更気分を害した入江はしばらく黙った。それが面白くないのか、鷹野はさらに続けた。
「そうですわね。実用段階……くすくす。面白い響きね。入江先生にとっても、北条玉枝が末期発症してくれればちょうどいいですわね。あぁ、それよりもH173を何者かに"実用"して、その人間で治療薬の臨床試験が出来れば一番効率が良いですわね?」
「馬鹿なことを言わないでください!そんなこと、人道的に許されるはずがない」
入江はそれに強く反論を返した。
「もちろん、冗談ですわ。くすくす、あなたに人道を説かれるなんて、面白いこともあるものね」
鷹野は真顔でそう言ってから、部屋を出た。鷹野がたびたび見せる残酷な側面にうんざりした顔になって、パソコンに顔を向けた。手だけは動いているが、頭の中は先ほどの会話のことでいっぱいだった。
……先ほど彼女が言った悪魔の如き所業ですらも、あの人ならやりかねない……入江はそう思った。嫌な考えを振り払うように、ブラックのコーヒーを喉に流し込んだ。嫌な苦さがずっと喉に残ったままだった。
「さ、悟史!今日はあのガキはどこ行ったんだい?また私を嵌めようとくだらない罠でも作ってるのかい!?」
北条玉枝は焦燥に駆られた顔で、自分の甥である北条悟史に言いつけた。悟史の妹である沙都子はもはや家にはあまり帰っていなかった。夜遅くに勝手口から入り、人目を忍んでこっそり寝に帰ってくるのみだ。
沙都子は叔母に引き取られてすぐの頃は、嘘をついたり罠を仕掛けて叔母を陥れようとすることがほんの数回あった。その度に悟史が庇って、悟史も何度か傷ついたものだったが、今はほとんどそうした行動はなくなっていた。沙都子は叔母に関わらないように、隠れたり逃げたりしていた。
しかし叔母はそれをする理由すらも理解しようしない。それどころか、沙都子は隠れて自分の命を狙っているのかもしれないとすら考えていた。最初の頃はたまにこの家に帰ってきていた、叔父の北条鉄平も、自らの妻がおかしくなっていることに早々に気づくと、寝るために帰ってくることすらもほとんどなくなった。
悟史は、叔母の恐ろしい目つきに少し怯えながら返事をした。
「さ、沙都子は今日はユウの家に遊びに行ってるよ。多分、帰ってくるのは遅くなると思う……」
沙都子が遅くなると言うのは、もう3度目か4度目だった。しかしそれを指摘すれば今以上に叔母の憎悪の炎が燃え上がるのは明白だ。悟史は少しでも刺激をしないように、と気を遣いながら叔母に接していた。
叔母は完全に精神に異常をきたしていた。目は血走り、呼吸は少し荒い。自分の身の回りで起こる些細な不幸を、全て誰かの差金だと勘違いするようになっていた。それは沙都子の作った罠か、園崎の暗躍か、挙げ句の果てには牧野雄星が村人を誘導して、不幸を招いているのだとすら思うようになっていた。
悟史は言ってから、しまったと思った。この女の前で牧野雄星の名前は、禁句なのだった。
「ま、またあの子のところへ行ったっていうのか……。くそ!あんたらの両親も、あの子の両親と会ったりするからあんな事故に遭ったんだ。あんたらの両親が死ななければ、私があんたらの面倒を見ることも、村から嫌がらせを受けることもなかったのに……!」
叔母はどうしてか、牧野雄星を目の敵にしていた。村では牧野家が北条家に歩み寄ったから、北条家の巻き添えになって「オヤシロ様の祟り」に遭ったんだと理解されていたが、北条玉枝はそうは思っていなかった。
むしろ、村を牛耳る園崎家が自らに楯突いた牧野家を始末する時に都合が良かったから、北条夫妻もまとめて殺されたのだと思っていた。
そして、それを招いたのは牧野雄星。奴は自分の両親を殺すことに同意して、北条夫妻諸共、園崎家への生贄に捧げた。牧野雄星がいなければ、自分の夫の兄夫婦は死んでいなかったと思っていた。
それどころか、自分が村八分にされる現状や、夫である北条鉄平がほとんど家に帰ってこないことすらも、牧野雄星や園崎のせいだとすら思い込んでいるのであった。
悟史に一歩近づき、首根っこを捕まえた。ドスの効いた声で、唸るように言う。
「あんたは、私を裏切るんじゃないよ」
ここ数ヶ月の北条玉枝の口癖だった。別に悟史は叔母に対して忠誠を誓ったわけでもなければ、親権を持つこと以外の義理を感じているわけでもなかった。そう言われると、返事はせずに曖昧に頷くのが決まっていた。
家事もほとんどは悟史が行っている。夫である鉄平がほとんど家に帰ってこない都合上、暮らしていくために玉枝は興宮で事務仕事をしていたが、それだけで3人の人間が生きていけるわけもない。
悟史は亡くなった両親の口座に残るお金を少しずつ引き出し、バイト代だと言って叔母に渡していた。
だから、叔母は悟史を必要以上に責めたりはしなかった。叔母も自分一人で暮らしていくのがやっとの給料なのだ。
沙都子という邪魔がついているが、家事を代わりにやる悟史がいて、それが自分たちの生活費くらいは払っているのだから、わざわざ邪険に扱うほどでもなかった。
しかし、牧野雄星や園崎の人間と仲良くしたり、家に連れてくるとなると話は別。悟史には強い追及がなされ、軽度とはいえ身体的な暴力が振るわれることすらあった。悟史はそれを牧野雄星に隠していた。……これ以上、迷惑はかけられない。そう思っていた。
「あんた、明日も部活動があるんだって?遅くなるなら、洗濯物は朝のうちにやっておくんだよ。それから……」
「う、うん。わかった」
言葉の途中で遮られたことに舌打ちをしながら、叔母は冷蔵庫を開けてビール缶を手にした。不機嫌そうな顔でプルタブを開けた後、どすどすと足音を立てながら寝室に向かった。
叔母は家では、アルコールを摂取するか、寝るか、物を食べるかのどれかをしていた。悟史はこれ以上叔母と同じ空間で過ごさなくていいことに安堵した。
言いつけられた家事を手早く済ませて、沙都子が帰ってくる頃には部屋に戻ろう……悟史は疲れた顔でキッチンに向かった。