雛見沢とかいう田舎に転生した   作:that's the plan

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第56話

「まだですか?返事をしてください」

 

 男は苛立ちながら扉を叩いた。当主代理の友人をトイレに案内したあと、様子がおかしいからだ。

 しばらくは、中からは一切の音が聞こえてこなかった。何の用事かと訝しんでいたところ、さらに何かが落ちたり、ガタガタと何かに登ろうとするような音が聞こえたのを不審に思ったからだった。 

 

 何度声をかけても返事はない。そのうちに痺れを切らして、男は怒鳴るように声を上げた。

 

「牧野くん!まだそこにいるんですか?返事がなければこちらからドアを開けますよ!」

 

 ここまで言えば、流石に自分から開けるだろう。そう思った男だったが、依然返事はなかった。

 

「クソ……あの子供、一体何やってるんだ……!」

 

 彼は、一般的な住宅の錠が針金とドライバーさえあれば開けられることを知っていた。

 もっとも、今脱走されては敵わない。懐中電灯を床に置いて、もしも人がトイレの前を通るようなことがあれば廊下に影が映るように仕掛けておく。

 

 焦った表情の男は扉の中から返事が返ってこないことを確認すると、倉庫へと走った。急いでドライバーを拾い上げて、トイレの前に戻る。幸い、中にいる人間が外に出た形跡はなかった。

 

 男は、しばらく扉を観察して、針金を使って扉の隙間から掛け金を外せば扉を開けることが理解できた。

 

男は慣れた手つきで針金を曲げ始めた。

 

 こんな日に失態をしたとなれば、とんでもないことになる……!

 男は焦っていた。ほんの数十秒で鍵を外すことに成功して、扉を蹴破るように乱暴に開けた。

 

「早く部屋に戻ってもらいますよ!」

 

 男はそう言い放って、ライトを向けた。真っ暗なトイレの中に、男の持つ懐中電灯が光を放っていた。

 

 しかし扉の奥には誰もいなかった。しかし、換気用の小さな窓が全開に開いており、外から吹くぬるい夏の風が吹き込んできていた。

 

「ま、まさか……」

 

 男にはその小さな窓の大きさが、人が通れるくらいの隙間には見えなかった。しかし、ここにいない以上そこから逃げたことは明白。男は目を見開いた。

 

「ま、窓から逃げられたってか!?舐めた真似しやがって……!」

 

 男は自分が子供に陥れられたことを理解して、怒りのままに廊下を走った。

 

 もしもあの子供がこの窓から何とか出られたとしても、子供の足で行けるところは限られている。大方、変な遊び心で外へ出て庭でも歩いているか、当主代理を探して歩いているか。そのどちらかに違いない。

 

 少し考えて、男は血の気が引くような想像をした。

 ……まさか、地下の入り口が見つかるわけはないはず。ただ、もしも脱走されたことが発覚すれば、自分の処分は免れない。……誰にもこの事を言うことは出来ない。自分が1人で見つけ、連れ戻さねば……!

 

 男は焦燥に駆られて外に広がる広い庭へと走り、牧野雄星の捜索を始めたのだった。

 

 

 

 

 男が走り去っていく音が聞こえた。扉は開いたままだ。俺は静かに床に降りて、その開いた扉から誰も周りにいない事を確認した。

……どうやら、上手くいったみたいだ。

 

 魅音ちゃんに家の中で待つようにと言われた俺は、必死に外に出る方法を探った。トイレに行くまでに何かチャンスはないかと探したが、何もなかった。走って逃げてもどうしようもないのは明らかだ。

 

 結局、何も脱出の手立てが見つからないまま、俺はトイレに行きたいと言って部屋から出た。

 男は訝しげではあったがそれを認めてくれて、トイレまで案内された。男は外で立っていた。俺が妙なことをしないか、外で見張っているらしかった。

 

 だが、トイレの中にも突破口はなかった。トイレの通気口から出られないかと思ったが、いくら何でも俺が通れるようなサイズではなかった。

 

 俺はそこで絶望し、トイレを出てから全力で逃げることも考えたが……辺りを見回して、天井に梁があることに気付いた。

 

 監視から逃げられないのであれば、監視役が自分から何処かへ行くように仕向ければ良いのだと俺は思った。

 

 俺はトイレの通気口の窓を全開にした。

 まるで創作作品のスパイのように、俺が関節を外せるならあの窓から出られたかもしれないが、それは無理だ。

 でも向こうは、俺がどのくらいの背丈で、どれくらいの小ささだとか、そんなことは知らない。今日会ったばかりなんだから当然だ。

 もしかしたら、窓から出ていったのかも……そう思わせることが大事だった。

 

 俺は試行錯誤して梁の上に登った。それこそ扉や窓に足をかけたりしたので、不審な音も聞こえただろう。

 

 そして、トイレの中から聞こえた音を不審に思った男は、俺に声をかけた。俺はそれを無視した。

 いくら裏稼業の人間でも、子供の入っているトイレの扉を躊躇なく開けるかどうかはわからなかったが……いつもにない戒厳令が出されているのだろう。自分の声に応じないとなると、10分も経たずに男はすぐに扉を開けた。

 

 俺は男が押し入ってくるのを、天井の梁に隠れて息を殺してやり過ごした。その時は、どうしようもなく手が震えた。見つかったらどうなるか、想像もつかない。まだ悪いことはしてないが、バレたらすぐにこの家から放り出されるのは間違いない。

 

 しかし、トイレは暗かった。梁の上に隠れている俺を見つけるなら、真上を見上げるような体勢にならなくてはいけない。そして、男はそこまで用心深くはなかった。

 この時ばかりは、自分の体がそれほど大きくないことに感謝した。

 

 子供だから出来ること、出来ないことがある……魅音ちゃんはそう言っていたが、その通りだ。俺は子供だからこそ、梁の上に隠れられた。そして、今から詩音ちゃんを助けに行けるのだ。

 

 俺は足音を殺してトイレを出る。廊下はやはり真っ暗で、人の気配はしない。

 静かに隣の部屋に移り、縁側から外へと出る。

 

 外はもう暗い。俺くらいの子供が木立の間を通り抜けても、よほど目が良くないと気付けないだろう。

 小さな森のような茂みを、俺は周りを警戒しながら進んで行くことにした。

 とはいえ、今から何処に向かえばいいのかは見当もつかない。この敷地内に、多数の人間が入れるような場所が、幾つもあるとは思えないが……何度かは入ったことのあるこの林も、こんな夜ともなればどことも分からない。俺はあてもなく、とにかく前へ前へと進んだ。

 

 当然、何も見つからない。そもそも、この林から出られもしない。一度諦めて、もう一度屋敷に戻ってみようか……そんなことを考えていたその時、少し遠くでガサガサと草木が揺れる音がした。

 俺はそれに驚いて、近くの木に身を隠す。もしかすると、俺を探している園崎家の人間かもしれない。

 

 しかし、その音は同じところで、何度も聞こえる。よく聞いてみれば、誰かが飛び跳ねているような、そんな音。

 どのみち、行く宛もないのだ。それが園崎家の人間の足音だったとしても、俺の目的地に近い可能性もある。俺はその音のなる方へ向かった。

 

 近付くと、音は先ほどと違う場所から聞こえるようになる。何かの規則性があるようには思えない。もしかすると、野生動物だろうか……?猪とかだったら、流石に命の危険を感じるが……まさか家の敷地内に野生動物はいないはず。

 

 とにかく、俺はその音の導きに従った。手掛かりがないのなら、その異音に導かれるまま歩くしかない。

 

 そうして数分歩いてみると、あるものが見えてきた。

 敷地の中に隠れて存在する、バンカーのような外見の古い鉄扉。俺はそれを一度見たことがあった。

 

 俺が魅音ちゃんの家で遊んでいる時、俺は遠くからそれを見て、魅音ちゃんにあれは何かと聞いた。園崎家の倉庫だけど、使ってない場所だと答えられたのを覚えている。

 

 しかし俺はその時、魅音ちゃんの顔に影が射したのに気付いた。その時、あの倉庫は園崎の秘密の場所なのだ、と思ったのだった。

 ここなら、多数の人が入れそうだし、俺というイレギュラーがいても関係はなさそうだ。ここで詩音ちゃんに罰を与えようとしているに違いない。

 まるで妖精に導かれたように、俺は目的地に辿り着いたのだ。不思議に思うと同時に、梨花ちゃんの家で感じた謎の存在感がーー夢で見たあの少女がーー俺を導いてくれたのかもしれない、と思った。

 

 俺はそのバンカーの扉を見た。凄く厳重な鍵が備わったそれは、それこそ梱包爆薬でもないと無理矢理開けることは出来ないように見える。

 

 ……折角ここまで辿り着いたが、万事休すか?いくら何でも、この扉が鍵を閉められてないとは思えない。

 

 俺は諦めにも似た感情と共に、扉に体を押し付けて、体重を使って扉を開けようとした。

 意外にも手応えがあった。扉はゆっくりとだが、開いたのだ。

 

 俺はこれも魅音ちゃんの手助けだと理解した。俺がここまで来ると信じて、魅音ちゃんは扉の鍵を閉めなかった。そんなことをすれば、魅音ちゃんは後でこっぴどく叱られるはずなのに。

 

 その気持ちに応えたい。俺は覚悟を新たにして、その扉の中へと足を踏み入れた。

 

 不愉快な金属の軋む音を立てながら扉がゆっくりと開く。真っ暗だろうと想像していた中は、いくつかの篝火が焚かれていて意外にも明るい。何処かに換気口がなければ一酸化炭素中毒になりそうなものだが……どこかに換気口でもあるのだろうか。

 

 俺は誘蛾灯に導かれる虫のように、灯りが照らす先へと向かった。細い廊下を抜け、暗い階段を手探りで進む。

 

 園崎家の玄関で靴を脱いで上がったあとなので、俺は裸足だ。俺が足を進めるたびに、ぺたぺた、と可愛らしい足音が鳴る。足の裏はとても冷たい。夏だが、洞窟の中だからか空気はひんやりとしている。

 

 そしてしばらく歩くと、遠くから誰かの怒号が聞こえてきた。そちらを見ると、重い鉄扉で閉じられた部屋があった。俺はその扉の向こうに詩音ちゃんたちがいると確信した。

 

 そして覚悟を決め、俺はその扉に体当たりした。

 

 ゆっくりと、扉が開く。扉のそばにいた2人の男……スキンヘッドのサングラスと、若い男。詩音ちゃんを護送する車に乗っていた奴らだ……が俺を驚愕の目で見つめる。

 

 扉の向こうには、何人かの老人たちが鎮座していた。公由の爺さんと、姉妹の両親も正座している。

 そしてその最奥にいるのが、園崎お魎さん。大石さんが園崎天皇とも呼ぶほどの、雛見沢の絶対的権力者。

 その目が、俺を射殺すように睨みつけていた。

 

 そして、俺の目の前には2人の緑の髪の女の子が不思議そうに俺を見つめていた。髪を下ろしているのが詩音ちゃん。白い和服を着て無表情で、何処か悲しげな目をしているのが魅音ちゃんだ。

 

 そこで、お魎さんから俺に叱責するような声が飛んできた。

 

「何ね、お前は。どうやってここまで入ってきたっちゅうんじゃあ!」

 

 いつもなら、お魎さんは俺を可愛がってくれていた。作ってくれたおはぎも何度も食べた。ギターを聞かせたことも、お魎さんが習う古い日本楽器を聞いたこともある。しかしそんな人が俺に声を荒げているのが少し悲しかった。

 

「方法なんてどうでも良いでしょう、お魎さん。俺は友達を助けにきたんです……詩音ちゃん、ここを出ようぜ。ほら、行くとこがなかったら俺んちに住んでも良いし。俺、意外とお金持ってるからさ」

 

 俺は園崎の御歴々の厳しい目線を敢えて無視して、笑いかけるように詩音ちゃんに言った。詩音ちゃんの目には涙が浮かんでいた。

 

「しゃあらしいわ!このドアホがぁ!園崎に散々世話になっとる身で、どの口でそんなことを言いよるんじゃあ!」

 

 扉に控える男たちが俺の両肩に手をかける。このままじゃつまみ出されて終わりだ……。俺は焦りと共に、声を荒げた。

 

「あなた方、中学生のガキ1人になんてことをやってやがる!俺を生かして返してみろ!俺がここのことを全部村中に話してやる。ま、俺をここで殺しても、俺の行先は色んな人に伝えてあるけどな!」

 

 全部ハッタリだった。俺の行き先は誰にも伝えてない。梨花ちゃんと沙都子は、急にいなくなった俺に驚愕しているだろう。

 

 俺としても、自分の口をついて放たれた言葉があまりに強烈なものだったので、口が塞がらなかった。こんなこと言って、マジで殺されたらどうするんだよ?でも、言ってしまったものは仕方ない。

 

 俺の言葉に魅音ちゃんは目を見開いた。その非難するような目は彼女の本心のように見えた。ごめん、魅音ちゃん。言葉選びをミスっちゃったかも。

 

「雄星、なんてことを……早く、出ていきなさい!」

 

 魅音ちゃんはどこか突き放すように言った。それは巻き込みたくないという、魅音ちゃんの気遣いだった。

 

 俺の心臓はうるさいくらいに高鳴っている。前世を含めても、ヤクザの恫喝を受けた経験なんてない。考えなしにここに乱入したことを、後悔してすらいた。他人の命のために体を張るのはいいが、それで自分も死んでは何の意味もない。

 

 田舎ヤクザなどと言ったことがあるが、彼らは本物の暴力を生業とする人間たちだ。全員ではないにせよ、きっと誰もが修羅場を潜り抜けた人間たちで、人に痛みを与えることにも慣れている。

 

 彼らを取り巻く謎の器具を見ると、俺の嫌な想像は具体的な恐怖になりつつあった。彼らの周りにある器械は、きっと拷問用だ。手を固定して爪を剥がすようなものや、人体を拘束して痛めつけるようなものまで。鬼の血を引くと標榜する園崎家の闇は、俺にとっても明らかになりつつあった。

 

 そして、その悪意の矛先は今俺に向けられていた。俺はこの時初めて、魅音ちゃんがずっと言っていた、首を突っ込むなという警告の意味を理解したのだ。

 

 彼らが俺に向けている、恐ろしい眼光に足が震えた。しかし、俺がやらなきゃ誰がやる?そうだ、俺はオヤシロ様の祟りにも打ち勝ったのだ!俺は震える心を落ち着かせるため、取り敢えず口を動かした。

 

「俺を殺すなら、やってみろ!俺はオヤシロ様の祟りをも生き残った男だ。オヤシロ様の祟りを受けても俺は死ななかった。あんたらとオヤシロ様のどちらが強いか、試してみるといい!」

 

 俺は震える心を取り繕うようにそう言い放った。

 

 オヤシロ様の祟りを生き残った、と言ったところで御歴々の顔が少し歪んだのがわかった。俺たちの世代以上に、彼らはオヤシロ様のことを信じている。俺が4年目の祟りを生き残った時も、俺のことを畏れているのは若い世代よりも年寄り連中だった。

 

 自分の言葉が多少のインパクトを持って受け入れられているのを感じた俺は、さらに印象付けることにした。

 こういうものは勢いが大事だ!俺は震える自分に鞭打ち、決意を確かにするために自分の着ていたシャツを無理矢理脱いだ。

 

 俺の体には、生々しい傷跡が2つ残っている。巻きつけられた包帯とガーゼを破り捨てるように取り外し、その傷痕を見せた。

 

 本職の方々からすれば、治ってしまえばこんなものはちょっとした切り傷程度なのかもしれない。

 しかしまだ完治してないこともあり、傷痕は少しグロテスクだ。紫色に腫れ上がった大きな傷痕が2つ、衆目に晒される。特に胸の方は肺に近いところにあり、見た目もなかなか厳つい。

 

 心優しい魅音ちゃんからは、小さく息を呑むような音が聞こえた。

 

「オヤシロ様に胸を刺されても俺は死ななかった!あんたたちなら俺の心臓に届くのか、試してみろ!」

 

 まるで何かの漫画のキャラクターかのように、俺は服を投げ捨ててそう言い切った。お魎さんの目はまだ俺を鋭く睨みつけていた。俺のそばに控えて、出て行かせようとした男たちは空気を読んで何もしないままだった。

 

「何をぎゃあぎゃあ騒いどるんじゃあ、あっほらしい!ここから消えてもらうだけでよかったんに、ここまで言われたらお前から痛い目ぇ見てもらわなぁいかんのぉ!」

 

「や、やめて!ユウくんは関係ないの。さっき話はついたでしょう!?私がケジメをつけるから。ユウくんや、みんなには何もしないで!」

 

「しゃあらしい!先に首を突っ込んできたんはそこの餓鬼じゃあ!」

 

 俺は2人の会話で少し自分の頭が冷えたのを実感した。ここで怒鳴ってもどうにもならない。……俺は膝をつき、頭を下げた。

 

「……お魎さん。俺は調子に乗ったことを言いましたが……最初に言ったことは本当です。詩音ちゃんが苦しむぐらいなら、俺が先にやります。もちろん、園崎のことを言い触らすようなことはしません」

 

 そこで魅音ちゃんが言った。

 

「牧野雄星。……本当に、それで、良いのですか?」

 

「……あ、あぁ。やってやる。やってやろうじゃないか……!」

 

「やめて!やめてえ!ごめんなさい!私が悪かった!私が、色々な人を巻き込んで勝手なことをしたのが悪かったの!だから、やめて!」

 

 詩音ちゃんの絶叫が地下に響く。詩音ちゃんはすでに何をするのか想像がついているらしい。いつも冷静でシニカルに振る舞う詩音ちゃんの、その必死さを見ると……俺の全身からは、冷たい汗が溢れて止まらなかった。

 

「おうおう、上等じゃあ!ほんら、誰ぞ機械を持ってってやれな!あんたの覚悟、見せてもらおうやないか!」

 

 お魎さんの声に、男たちは俺のそばから離れて、壁に沿って並べられている拷問器具を手に取った。

 

 それは手の形に拘束具がつけられた板みたいだった。馬鹿でかい爪切りの刃みたいなものがきっちりと固定されている。爪を、剥がすためのものだろう。

 

「……もうここまで来ては、引き返すことは出来ません」

 

 魅音ちゃんは悲しい目で、冷たくそう言った。その目からは、ユウはやり方を間違えたんだよ……魅音ちゃんにそう言われてる気がした。確かに、その通りだ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 思わず息が荒くなった。俺は自らの手で、腕を板に固定する。そして、右手の小指をストッパーに当てはめる。

 

 そう、ギターの弦を抑える左手の指が無事ならまぁいいんだ。とっても痛いのを、しばらく我慢するだけ。多分包丁で刺されるよりはマシなはずだ。爪の1枚ぐらい、何かに引っ掛けて剥がれそうになることもなくはない。死ぬよりはマシだ。俺はそう言い聞かせた。

 

「ユウくん、やめて!こんなことやる必要ない!私が!私がやるからあ!」

 

 詩音ちゃんが後ろから俺に縋り付く。その動きで傷跡が少し痛む。涙の滴が俺の背中を濡らした。

 ……中学生に、こんなことさせるわけにはいかない。俺は小学6年生だが、中身は大人なんだから!

 

「腹を刺されて、胸を刺されて……ははは!今更、小指の爪ぐらいなんだってんだよ……!やれ、やれ!牧野雄星!」

 

 俺は自分を鼓舞した。そうしないと、頭に疑問が浮かんでしまう。

 俺は何故こんなことを?そこまでする義理はあるのか?そもそもプランもなくここへ来るべきではなかったのでは?……違う、そんなことはどうだって良い。

 大人は、子供を守るものなのだ。

 

「やってやる、やってやる、やってやる!うおおおおお!」

 

 俺は手を大きく振りかぶった。そして、機構を作動させるレバーのところへその拳を振り下ろす……。

 

「待ちなさい!」

 

 そんな声が聞こえた。それは俺たちがよく聞く声。俺の手元を見つめていた部屋の中の全員が、乱入者の方を見た。

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