雛見沢とかいう田舎に転生した   作:that's the plan

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第78話

 買い物を終えた俺たちは、まずは沙都子の家に向かった。俺の荷物もあるが、彼女の買い物に来ているわけだし、当然だ。

 

 神社の前の階段を過ぎ、診療所の前を過ぎた。そこから数分も歩けば沙都子の家にまで辿り着く。

 

 遠くに沙都子の家が見えてきて、今日の楽しい時間も終わりか、と思った束の間。

 

 そばにいる沙都子から、絞り出したような苦しい声が聞こえた。

 

「え……」

 

「どうした?沙都子。具合悪い?ちょっと休もうか」

 

「まさか、いや、そんな、はずは……」

 

 沙都子の顔は見る見るうちに青ざめていく。手に持つ買い物袋を取り落とした。中からは、今日買ったいろいろな品物が溢れ落ちる。ただ、そんなことよりも沙都子の方が大事だ。熱中症だろうか?

 

 俺は沙都子の背中をさすって落ち着かせようとした。しかし沙都子は何処か一点を見つめて、震えていた。

 

「沙都子?落ち着いて……?」

 

 俺は沙都子が見ている方向に目を凝らした。そんなに目が悪い方じゃないが……そこにはバイクみたいなのが置いてあるのが見えた。いや、原付だろうか?とにかく、一台の二輪が見えた。

 

 あの原付がどうかしたのか?そう言おうとした刹那、頭の中につい1週間ほど前のことが思い浮かんだ。

 どこかの喫茶店の前にも、あの原付は停まってた。2台の趣味の悪いバイクの横に、土で薄汚れた原付が一台、置いてあった。

 

 あれの持ち主は……北条、鉄平。

 

 叔母が失踪した去年まで、沙都子と悟史くんを痛めつけていた男だった。沙都子はトラウマを植え付けられ、何度も俺の家に逃げ込んできていた。

 

 沙都子の家の一階の裏手。軒先のところに、いつか見た金髪の刈り上げ男がしゃがみ込んでいた。

 そして俺たちの姿を認めると、ゆっくりと立ち上がって、こちらへと叫んだ。だらしなく着崩した派手な柄シャツが夏の風に揺れる。

 

「おぉい、沙都子ぉ!えろぉ久しぶりやのぉ!ちょっと家の鍵ぃ返してくれるかぁ?」

 

「あれって、沙都子の叔父、だよな」

 

 鉄平は、少し待っても自分の声掛けに反応しない沙都子に、少し苛立った様子だった。

 

「おい!聞こえとるんかぁ、沙都子ぉ!なぁに家の鍵持って遅くまでどっか行っとんのや。はよぉあけらんかい!」

 

 大の大人が本気で叫ぶ声は、中身が大人の俺ですら本能的な恐怖心を感じる。それが、まだ小学生に過ぎない沙都子を名指しで恫喝しているのだから、泣き出しても何らおかしくない。なんせ、ほんの一年前まで、この男に沙都子は虐待されていたのだから。

 

 この男は、毎日家にいたわけではない。しかし、叔母よりも暴力的な奴で、沙都子に目に見える様な怪我をさせることも、しばしばあった。

 

 横目で沙都子を見た。彼女は震えていた。俺は事態の緊迫を感じ、すぐに持っていた荷物を地面に置いた。俺は沙都子を安心させるために、手を優しく握り、言った。

 

「沙都子。一旦、おれんちに行こーぜ」

 

 沙都子に俺の言葉は届いていなかった。

 

「ぇ、あ、ぁぁ……」

 

 小さく、空気を求めるような声が沙都子の口から漏れた。崩れ落ちそうになる沙都子の背中を俺は抱き止めた。

 

 かつて自らを虐待していた叔父が帰ってきたのだ。茫然自失の沙都子の足は、すぐには動かなかった。

 無理もない。俺は沙都子を抱きすくめて、耳元でもう一度言った。

 

「今日はさ、沙都子が俺のご飯作ってよ!ほら、行こう!」

 

 叔父の声は聞こえなかったことにした。俺は沙都子の手を取って、踵を返して歩き出した。後ろを振り返り、北条鉄平が何をしているかを見た。……すぐさま追ってくることはないらしい。ワーワーと何かを叫ぶだけだった。

 

 何を言っているかはいまいち聞こえなかったが、俺たちにでかい声で罵詈雑言を垂れていることだけは分かった。

 

 沙都子があの男と共に過ごしていたのは、交通事故で両親が亡くなってから、叔母が症候群を発症しておかしくなるまでの一年と少しの間だ。しかも、あの間宮リナとかいう女の家に入り浸っていたということらしいから、頻繁に家に帰っていたわけでもないはず。それなのに、沙都子はあの男にこれほどまでの恐怖感を抱いている。

 

 喫茶店での会話もそうだ。白昼堂々、ヤンキーを恫喝して金を巻き上げるようなやつがまともな人間であるはずがない。関わり合いにはならない方がいいのだ。

 

 沙都子はしばらくして少し落ち着いたのか、小さな声でつぶやいた。

 

「はぁ、はぁ……どうして、あいつが、どうして……こんな時に。この1年間、ずっと幸せだったのに……」

 

「誰が来ようと関係ない。俺らは今でも幸せだよ」

 

 俺は沙都子にそう言い聞かせて、診療所、あるいは神社、あるいは俺の家……どこでもいいから、あの北条鉄平がいないところへと向かおうと走った。

 

 沙都子も、もつれる足を懸命に動かした。

 急いで北条宅を後にする俺たちの後ろからは、俺たちを追うエンジン音が聞こえてきた。それは、鉄平の原付だった。

 

「おおい!ワシを無視するたぁ、ええ度胸じゃあ!てめぇら、この北条鉄平を舐めとるんかぁ!?止まらんと痛い目ぇ見てもらうことになるぞぉ!」

 

 後ろから、野太い鉄平の叫び声が聞こえてくる。その声は徐々に近づく。当然だ。相手は原付で、こっちは徒歩。いくら走ったって、距離が遠ざかるわけはない。

 

 止まらないと痛い目を見る、なんて言うが、俺たちが捕まれば痛い目では済まないだろう。

 

 じゃあ、こっちから降参するか?……いや、降参したって、許されるはずがない。

 

 相手は多分、犯罪行為に手を染めるチンピラだ。園崎の人間のように筋を通すことをしない半グレの男が、子供2人をボコボコにすることを躊躇しないわけもない。

 何より、自分のせいで俺まで暴行されたとなれば、沙都子の心は……。

 

 刹那、俺は考えて、降参の考えを消した。まずは一旦、助けを呼ぶことにする。

 

「おーい!誰かいませんかぁ!?悪い大人に追われてます!おーい!」

 

 近くの民家に叫んでみたが、返事はなかった。……夕方だと、村の外に働きに行ってる人も多いのかも。沙都子の家はあまり人気のないところにある。すぐに誰かが助けに来てくれは、しない。

 

「いや、いやぁ……」

 

 俺と共に走る沙都子は、もう何も考えられなくなっているようだった。目からは涙がこぼれ、だんだんと走る足も遅くなっていく。

 

「沙都子ぉ!お前はいつからワシの言うことを聞かんようになったんじゃあ!?叔父さんに逆らう悪い子には、お灸を据えたらないかんのぉ!」

 

 さらに鉄平が近づく。沙都子は諦めてとうとう目を閉じてしまった。ほとんど歩くような速度になって、俺の方を取り繕った笑顔で見た。

 

「ゆう、ゆう……ゆうだけでも、逃げて……わたくしは、大丈夫、ですわ……」

 

「何言ってやがる、一緒に来い!」

 

 俺は涙を流す沙都子を見据え、言った。そして、沙都子を横抱きにして抱えて……そして、真っ直ぐに逃げるのをやめた。

 

「こっちだ!こっちなら……!」

 

 直線で逃げても、追いつかれるだけだ。本当は、診療所か、学校か……せめて村の人の家が何軒かあるところまで逃げたかった。でも、それは叶いそうになかった。

 

 俺はそばの田んぼの畦に飛び込んだ。まだ初夏の田んぼには、水がたっぷり張られている。泥が跳ねて、靴はびちゃびちゃになる。

 

 原付ではこの中は通れない。一旦停めて、徒歩にならざるを得ない。そうなれば、スピードは落ちる。徒歩であれば、沙都子のトラップも使えるかもしれない。

 

「なぁにしとんじゃあ!……痛い目ぇ見たいっちゅうんなら、仕方ないのぉ!すぐに追いついて、フクロにしたるわぁ!」

 

 振り返ると、奴が慌てて、原付を止めるのが俺の目に入る。靴を汚したくないのか、いちいち靴と靴下を脱いで、ズボンの裾を捲っている。

 

 ……バカめ。こんなとこ、とっとと抜けるに決まってる。田んぼを抜けて砂利道に行けば、裸足で歩くのは相当のディスアドバンテージ。原付を取りに戻れば俺たちを見失う。奴は、裸足のままで俺たちを追ってくる他ない。

 

 ここで米を作ってる農家の方には申し訳ないが、俺たちの命の方が大事だ。

 抱えている沙都子の重さも相まって、靴は泥濘に沈み込む。その分、俺の歩みも遅くなってはしまうのだが、鉄平はまだトロトロしていた。大丈夫。十分、逃げ切れるはず。

 

 俺の腕の中の沙都子は、驚いた顔で黙っていた。しかし、気を取り直した。沙都子の目には、再び気力が戻った。跳ねた泥で汚れた俺の顔を見て、小さく笑った。

 

「ユウ、もう下ろしてくれて構いませんわ……」

 

「うん。ここからなら行けるだろ?あそこにさ……!」

 

「わ、わたくしが、ユウを守って差し上げようと思っていたのに……お恥ずかしいところを見せましたわね。もう、大丈夫、ですわ」

 

 沙都子の声はか細い。しかし、その目はかつてのように、暗い色はしていなかった。震える足で立ち、振り返った。懸命にこちらへ向かってくる鉄平を一瞥する。

 

「この北条沙都子……あんな醜い男に負けるわけが、あ、ありませんわね」

 

「あいつは裸足だ。あそこまで行きゃ、俺たちの方が有利だぜ」

 

「その通りですわ。裏山へ、行きますわよ……!」

 

 沙都子は、とても心優しい。だが、明確な敵に容赦をするほど、情け深い人間ではない。

 

 俺たちはすぐに砂利道に上がり、ここまで走ってきた方向に走り出す。行き先はもちろん、裏山に決まっている。

 

「鉄平は、私たちのおうちの鍵を持っておりませんわ。今日はにーにーは帰ってこない。あいつがそれを知っているかはわかりませんけど、私を捕まえて、鍵を手にしなければあいつは私たちの家には入れない。私たちを逃せばあの泥だらけの姿で興宮まで帰るしかなくなりますわ。なら、きっとしばらくは追ってくるはずですわ」

 

 隣の沙都子が走りながらも、冷静に語る。

 確かにその通り。俺は沙都子が走るルートに従って、裏山へと急いだ。後ろからはいつまでも、鉄平の罵声が飛んできていた。

 

 

 しばらく走り、俺たちはとうとう裏山に行き着いた。

 

 沙都子は砂利道を走る中で、石を砕いた撒菱みたいなものを作ったりして鉄平の行く手を阻んだ。多分、鉄平の方も満身創痍。その分、俺たちに対する怒りも並大抵ではないだろう。捕まれば、死の危険すらあるかもしれない。

 

 大人と子供という体格の差はいかんともしがたかった。走るスピードは完全に負けていて、裏山に入る頃には鉄平の姿ははっきりと見える程度には近づいていた。

 

 しばらく逃げた後、俺たちのよく知る、つまり俺たちが罠をたくさん仕掛けている地点に近づく。俺が黙って目線を向けると、沙都子は物言わず頷いた。ここでやつを迎え撃つ、というのだ。

 

「沙都子を唆したんはお前かあ!許さんぞ、クソガキゃあ……勢い余って殺しちまっても、文句は言わんでくれや!」

 

 鉄平の顔は怒りで真っ赤になっていた。足は裸足だが傷だらけで、服にも汚れがついている。こっちだってそれは同じだが、靴を履いてる分、怪我なんかはほとんどない。沙都子の撒菱は効果があったようで、鉄平は片足を軽く引き摺るようにしてこちらへ向かってきた。

 

 その顔を見て、沙都子は、呻くような小さな声を出した。トラウマの根源と対峙して、足が震えているのが分かった。俺はその肩にそっと手を置き、優しく叩いた。

 

「……て、鉄平のおじさま。私たちに、近づかないでくださいまし。私は、私たちの平穏を乱すお方に容赦する気などは、少しもなくってよ」

 

「沙都子ぉ、お前……!許さんっ!この北条鉄平を侮辱した奴は、誰1人許さんっ!」

 

 余裕を装った沙都子の言葉に怒りを煽られた鉄平はこちらへと走ってきた。怒りに眉根を顰めて、顔は真っ赤だ。

 

 その鬼の形相に、沙都子の顔が恐怖に歪む。

 

 でも、目の力は無くなっていない。沙都子は恐怖に耐えて、不敵な笑みを浮かべた。ニヤリと笑うその手には、地面から伸びるロープがあった。くい、と手前に引く。

 

「私の殺人トラップが火を吹きますわっ!」

 

 鉄平は目を見開いた。刹那、地面から鉄平の目の前に縄跳びの紐が伸びてくる。鉄平はそれを、驚異の反応速度で飛び越える。

 これが沙都子の策なのだろうか?いや、これだけで終わるわけがない。

 

 鉄平が紐を飛び越えた先には、小さく盛り上がった木の葉の山があった。ジャンプして飛び込んだのだから、避けられるわけがない。鉄平はその山に飛び込み、そのまま姿を消した。木の葉の山には落とし穴が仕掛けられていたのだ。

 

 沙都子は縄跳びの仕掛けを回避されることを見越した上で、さらにもう一つの罠が仕掛けられている地点に奴を誘導したらしい。

 

 かなり深い穴が掘られていた。それに、落とし穴の縁はしっかりと固められた粘土みたいなもので出来ている。ひとまず、すぐに上がってはこれないみたいだ。

 

 俺は大きく深呼吸した。流石に、ビビった。沙都子のトラップがなければ……もしかすると、本当に殺されていたかもしれない。沙都子に感謝だ。

 

「おぉい!沙都子ぉ!家の鍵はもうええ、お前の両親の通帳だけは寄越せっ!その金がありゃあ、ワシは、ワシと律子はやり直せるんじゃあ!」

 

 鉄平は落とし穴の底からなんとか出ようともがき、喚く。結局、彼は北条家の遺産を目当てにしているらしかった。怒りに満ちたその顔は、上から見ているだけでも、少し恐怖を感じた。

 

「沙都子ぉ!ワシを裏切る気かぁっ!?こ、殺してやるっ!殺してやるぞぉっ!」

 

 その怒号に、沙都子は肩をびくりと震わせた。俺は沙都子の小さな両肩に両手を置いて、安心させた。

 

「沙都子の勝ちだな」

 

「ええ。行きましょう、ユウ。もう私は、この男に縛られたりはしませんわ……」

 

 俺の言葉に、沙都子は無理矢理に笑顔を作って答えた。

 

 額からは汗がダラダラと流れ落ちている。その汗は走ったからなのか、あるいは叔父への恐怖から出た冷や汗なのか……きっと、両方だろう。

 

 とにかく、沙都子は叔父への恐怖に打ち勝ったのだ。俺はハンカチを取り出して、沙都子の額の汗を拭った。

 沙都子は恥ずかしそうに顔を赤らめて、俺からハンカチを奪い取る。そして、背伸びして俺の汗も拭いてくれた。

 

「そうだな。とりあえず、しばらくは出てこれないだろ。行こう!」

 

 いまだに喚く鉄平のことを後にして、俺たちは裏山を下った。

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