夜明け前の風が運ぶのは、泣きながら「生きたい」と願う声。
それを拾った少女はまだ幼く、世界の理がどう動くのかも知らずに――それでもただ、「助けたい」と思った。
呪術廻戦 星漿体編IFルート。
幼い“祈り手”が踏み出す、最初の小さな一歩の物語が始まります。
第1話『祈りのその先で』
夜明け前、まだ空が群青色を残す時間。
因幡幸は縁側で小さく息を吐いた。
胸の奥がじんわり熱く、冷たい風が頬を撫でるたび、その熱は強くなっていく。
(また、この感じ……)
眠っている間に夢で見た、泣きながら「生きたい」と願う少女の声。
目を覚ましても、風の中で微かにその声が響いているような気がした。
「なんか、風の中に……糸みたいなのがある」
自分でも訳のわからない言葉を零したとき、背後から声が落ちる。
「それが“祈り”じゃ、小さき願い手よ」
振り返ると、“伊吹酒々井”がいた。
赤い髪が風に揺れ、金色の瞳が静かに光る。
「祈り……?」
「人が生きたいと願う声は、時に風に乗り、糸となって世界を渡る。強く、深く、欲深ければ欲深いほど、世界の理を超えて届く。それを拾えるようになったのは、お主が灯した祈火の証じゃ」
幸は胸に手を当てた。
冷たい朝の風が吹くたびに、その糸が確かに触れる。
その中で一つだけ、泣きたくなるほど苦しくて、強い祈りの糸があった。
「……泣いてる声がする……生きたいって……」
涙が溢れた。
どうして笑わなきゃいけないの……?
「……助けたい」
小さく呟くと、酒々井がくくっと笑う。
「くく……欲深いのう」
幸は拳を握った。
胸の奥の火が、より強く脈打つ。
「おにさん、わたし……行ってくるね」
「行くか、小さき願い手よ」
酒々井が右手を差し出す。
幸がその手を取ると、ふわりと体が浮いた。
⸻
風が頬を打つ。
気づけば夜明け前の街の上空、高いビルの屋上の縁に立っていた。
酒々井の腕がしっかりと幸を支えている。
冷たい風が髪を揺らし、街灯りと朝焼けが交じる光が街を照らしていた。
「……わぁ……高い……」
声が震える。
酒々井は笑みを浮かべ、遠くを指さす。
「視えるか、あそこじゃ」
指さす先、小さな学校の門前。
制服姿の黒髪の少女がいた。
笑顔を浮かべながらも、その肩は小さく揺れていた。
(この子だ……)
胸の火が脈打ち、風が吹くたびに少女から伸びる祈りの糸が幸の胸に触れた。
「生きたい……まだ、死にたくない……普通に生きたいの……」
声にならない声が、風と共に耳に届く。
涙がまた溢れた。
どうしてこんなに苦しいのに、笑わなきゃいけないのだろう。
「笑うことで誰かを安心させたいのに、苦しくて苦しくて仕方ないんだよ……」
「……助けたい」
もう一度呟くと、酒々井が静かに笑う。
「護られておるが、救われてはおらぬのう」
街の影で五条悟と夏油傑が遠巻きに護衛している姿が見える。
だが、少女の放つ祈りはその護りを超えて泣き叫んでいた。
「お主はどうする、小さき願い手よ」
酒々井の声に、幸は拳を握り締める。
胸の祈火が熱く、苦しく、でも暖かく灯る。
「助けるよ、絶対に」
その言葉は小さく、けれど空に吸い込まれ、街の風に溶けていく。
その火だけが確かに燃えていた。
街が朝の光に包まれ始めたころ、幸の決意はひとつの祈りとなり、
小さな手の中で静かに熱を帯びていた。
それがまだ、世界の理に届かない祈りだとは、このときの幸は知らなかった。
読んでくださってありがとうございます。
このお話は「呪術廻戦」の星漿体編を、**「もし因幡幸が“祈り”を拾ってしまったら」**というIF視点で描いています。
祈るだけしかできなかった少女が、初めて“助けたい”と動き出すお話です。
次回は理子視点の「生きたい」という祈りと、護られるだけでは救われない彼女の心を書いていく予定です。
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