『呪われし幸福 ― 因幡の系譜 ―』   作:夕神 仁

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小さな“助けたい”という祈りが因果を揺らし、
世界の理が“逸脱”を感じ取ったとき――

世界そのものが敵となり、静かに迫る抑止力。

それでも救いたいと願う少女と、
その願いに寄り添う鬼が歩む物語の続きです。


第4話『迫る抑止』

 

夜の空気が変わったのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

縁側で酒々井と話した後も、幸は胸の火が消えないまま布団に潜り込んでいた。眠れるわけがなかった。熱を持った胸の奥が、じんじんと疼き続ける。

 

 

 

(助けるって決めたのに……どうすればいいの?)

 

瞼を閉じると、あの少女の声がよみがえる。

 

“生きたい”と泣きながら願う声が、夜の静寂に溶けて揺れる。

 

 

 

ふと、風が吹き込む。

 

開けていた障子がひらりと揺れ、月の光が畳の上に細長い銀の道を描いた。

 

 

 

その瞬間だった。

 

 

 

――ドクン。

 

 

 

胸の火が脈打つ。

 

同時に、外の空気が変わった。

 

月明かりの向こうで、何かが揺れている。

 

 

 

“冷たく、鉛のように重く、肌を刺すほどの圧力を帯びた気配”が空気を満たしていく。

 

 

 

(なに、これ……)

 

 

 

息が詰まりそうになった。

 

指先が冷えるのに、胸の奥だけが熱い。

 

この重さは、あの日、村で人が死んだときに感じた空気に似ていた。

 

 

 

“――抑止力”

 

 

 

頭の奥で、酒々井の声が響いた。

 

 

 

「おにさん……?」

 

 

 

声に出すと、縁側に立つ赤い影が夜気を纏って現れた。

 

金色の瞳が細くなり、夜を睨むように見つめている。

 

 

 

「……動き出したのう」

 

 

 

「動き出した……?」

 

 

 

「お主の“願い”が因果に触れ始めた。その結果、この世界の理が“逸脱”を感じ取り、修正しようと動き出したのじゃ。」

 

 

 

酒々井の声は静かだったが、その奥に確かな苛立ちがあった。

 

 

 

「修正って……なにを?」

 

 

 

「簡単なことよ。お主を消す。それだけじゃ。」

 

 

 

空気が張り詰めた。

 

世界のどこかで、風が止まる音がした気がした。

 

 

 

「消すって……わたしを?」

 

 

 

小さな声で呟いた。

 

酒々井はゆっくりと頷いたが、その目は夜の闇を睨みつけるように細められていた。

 

 

 

「“祈り”は理を超える力だ。お主はそれを使い、星漿体の少女を救おうとしておる。それはこの世界の均衡を壊す行為……だから抑止力は、お主を“災害”として認識する。」

 

 

 

その言葉を告げる酒々井の口元が歪む。

 

その瞳に、夜の闇を睨む赤い光が揺れた。

 

 

 

「……誠に、愚かで不愉快なものよ。やっと現れた“願い手”を潰すとはな。」

 

 

 

その声には、嘲笑と怒りが混じっていた。

 

風が、灰を含んだ冷気を運び込み、夜気がさらに重くなる。

 

 

 

「おにさん……?」

 

 

 

「なに、気にするな。お主はお主の“願い”を貫けばよい。抑止が何だ。理が何だ。」

 

酒々井は鼻を鳴らした。

 

「それが“理”とやらを護るための正義だというのなら――」

 

 

 

金色の瞳が夜を裂くように光る。

 

 

 

「――ワシは、その理ごと踏み砕いてやるだけよ。」

 

 

 

「それが鬼というものじゃ。」

 

 

 

その言葉に、胸の火が一度大きく脈打った。

 

恐怖ではなく、確かな“力”を与える響きだった。

 

 

 

「でも……わたしは、助けたいだけなのに……」

 

 

 

「その“助けたい”という想いが、世界を変えるのじゃ。ならば、それは“敵”になる。」

 

 

 

風が吹く。

 

灰色の雲が月を隠し、部屋の中が暗く沈む。

 

 

 

「どうすればいいの……?」

 

 

 

幸の声が小さく震えた。

 

酒々井はその瞳でまっすぐに幸を見つめる。

 

 

 

「抗うしかない。お主が本当にその少女を救いたいのなら、抑止の理に逆らい、願いを貫くしかない。」

 

 

 

その声は冷たくも優しかった。

 

 

 

「わしは、お主の“願い”に付き合うぞ。小さき願い手よ。」

 

 

 

暗い部屋の中、幸は胸の火に触れた。

 

消えることのないその灯火が、小さく光を放っていた。

 

 

 

(負けない……負けたくない……)

 

(理が敵になるなら、それでもいい)

 

(わたしは、あの子を救う)

 

 

 

小さくても、その火は確かに灯っていた。

 

朝の光が差し込む気配がしたが、その光すら重く感じられた。

 

 

 

それは、“抑止”が迫り来る朝だった。




読んでくださってありがとうございます。

第4話では、幸の“助けたい”という願いが世界の理に触れ、
世界が“抑止”という形で修正に動き出す瞬間を描きました。

世界そのものが敵となる中で、それでも救いたいと願う幸。
理そのものを踏み砕くと告げる酒々井。

いよいよ物語は「理への反逆」に踏み出します。

次回は“抗うための一歩”として、幸が理子と接触する回に入る予定です。

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