世界の理が“逸脱”を感じ取ったとき――
世界そのものが敵となり、静かに迫る抑止力。
それでも救いたいと願う少女と、
その願いに寄り添う鬼が歩む物語の続きです。
夜の空気が変わったのは、それからすぐのことだった。
縁側で酒々井と話した後も、幸は胸の火が消えないまま布団に潜り込んでいた。眠れるわけがなかった。熱を持った胸の奥が、じんじんと疼き続ける。
(助けるって決めたのに……どうすればいいの?)
瞼を閉じると、あの少女の声がよみがえる。
“生きたい”と泣きながら願う声が、夜の静寂に溶けて揺れる。
ふと、風が吹き込む。
開けていた障子がひらりと揺れ、月の光が畳の上に細長い銀の道を描いた。
その瞬間だった。
――ドクン。
胸の火が脈打つ。
同時に、外の空気が変わった。
月明かりの向こうで、何かが揺れている。
“冷たく、鉛のように重く、肌を刺すほどの圧力を帯びた気配”が空気を満たしていく。
(なに、これ……)
息が詰まりそうになった。
指先が冷えるのに、胸の奥だけが熱い。
この重さは、あの日、村で人が死んだときに感じた空気に似ていた。
“――抑止力”
頭の奥で、酒々井の声が響いた。
「おにさん……?」
声に出すと、縁側に立つ赤い影が夜気を纏って現れた。
金色の瞳が細くなり、夜を睨むように見つめている。
「……動き出したのう」
「動き出した……?」
「お主の“願い”が因果に触れ始めた。その結果、この世界の理が“逸脱”を感じ取り、修正しようと動き出したのじゃ。」
酒々井の声は静かだったが、その奥に確かな苛立ちがあった。
「修正って……なにを?」
「簡単なことよ。お主を消す。それだけじゃ。」
空気が張り詰めた。
世界のどこかで、風が止まる音がした気がした。
「消すって……わたしを?」
小さな声で呟いた。
酒々井はゆっくりと頷いたが、その目は夜の闇を睨みつけるように細められていた。
「“祈り”は理を超える力だ。お主はそれを使い、星漿体の少女を救おうとしておる。それはこの世界の均衡を壊す行為……だから抑止力は、お主を“災害”として認識する。」
その言葉を告げる酒々井の口元が歪む。
その瞳に、夜の闇を睨む赤い光が揺れた。
「……誠に、愚かで不愉快なものよ。やっと現れた“願い手”を潰すとはな。」
その声には、嘲笑と怒りが混じっていた。
風が、灰を含んだ冷気を運び込み、夜気がさらに重くなる。
「おにさん……?」
「なに、気にするな。お主はお主の“願い”を貫けばよい。抑止が何だ。理が何だ。」
酒々井は鼻を鳴らした。
「それが“理”とやらを護るための正義だというのなら――」
金色の瞳が夜を裂くように光る。
「――ワシは、その理ごと踏み砕いてやるだけよ。」
「それが鬼というものじゃ。」
その言葉に、胸の火が一度大きく脈打った。
恐怖ではなく、確かな“力”を与える響きだった。
「でも……わたしは、助けたいだけなのに……」
「その“助けたい”という想いが、世界を変えるのじゃ。ならば、それは“敵”になる。」
風が吹く。
灰色の雲が月を隠し、部屋の中が暗く沈む。
「どうすればいいの……?」
幸の声が小さく震えた。
酒々井はその瞳でまっすぐに幸を見つめる。
「抗うしかない。お主が本当にその少女を救いたいのなら、抑止の理に逆らい、願いを貫くしかない。」
その声は冷たくも優しかった。
「わしは、お主の“願い”に付き合うぞ。小さき願い手よ。」
暗い部屋の中、幸は胸の火に触れた。
消えることのないその灯火が、小さく光を放っていた。
(負けない……負けたくない……)
(理が敵になるなら、それでもいい)
(わたしは、あの子を救う)
小さくても、その火は確かに灯っていた。
朝の光が差し込む気配がしたが、その光すら重く感じられた。
それは、“抑止”が迫り来る朝だった。
読んでくださってありがとうございます。
第4話では、幸の“助けたい”という願いが世界の理に触れ、
世界が“抑止”という形で修正に動き出す瞬間を描きました。
世界そのものが敵となる中で、それでも救いたいと願う幸。
理そのものを踏み砕くと告げる酒々井。
いよいよ物語は「理への反逆」に踏み出します。
次回は“抗うための一歩”として、幸が理子と接触する回に入る予定です。
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