『呪われし幸福 ― 因幡の系譜 ―』   作:夕神 仁

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理子の“生きたい”という声を拾い、決意した幸。
でも“救う”と決めても、どうすればいいのかわからないまま夜が明けました。
それでも幸は、あの子に会うことを選びます。

これは「願い」と「祈り」が初めて交わる朝。
小さな狼煙が、世界に灯りはじめる物語です。



第5話『交わる祈り』

 

夜明けの街を、春の冷たい風が駆け抜けていく。

 

伊吹酒々井の腕に抱えられながら、因幡幸は高いビルの屋上に立っていた。

 

空は群青から白へと変わりゆき、街の灯りがひとつずつ消えていく。

 

吐く息が白く揺れ、指先がかすかに震えていた。

 

その視線の先、朝の光に黒髪の少女が歩いていた。

 

星漿体――天内理子。

 

その名も、その祈りも、もう知っている。

 

でも今日、初めて「彼女に会う」のだ。

 

胸の火が脈打つ。

 

 

(あの子の祈りが、こんなに近くで響いてる……)

 

風が通り過ぎるたび、祈りの糸が空気に混じり、幸の胸に絡みつく。

 

昨日までなら、その熱に押し潰され、足がすくんでいたかもしれない。

 

けれど、もう迷わない。

 

今日は――声をかけると決めてきたのだから。

 

 

「冷えるのう。」

 

酒々井が小さく笑い、視線を理子へ向ける。

 

「行け、小さき願い手よ。」

 

「……うん。」

 

幸は息を吐き、震えを抑えるように拳を握る。

 

酒々井に抱えられ、ひと跳びで屋上から路地へ降り立つ。

 

アスファルトが朝露で湿って光り、風が運ぶ花の香りが鼻をかすめる。

 

遠くで鳥の声がかすれ、旗が風に鳴る音がした。

 

世界が目覚める音がするのに、胸の火は焦げつくように熱い。

 

 

(まだ死にたくない……もっと、普通に生きたい……)

 

昨日聞いた声が蘇る。

 

祈りの声は変わらず、細く、震えていた。

 

でも、それは確かに生きたいという祈りで――

 

だから幸は、前へ進むしかなかった。

 

 

(わたしが動けば、世界が敵になるかもしれない……)

 

そんな恐れが一瞬、胸をよぎる。

 

けれどすぐに打ち消す。

 

(それでも……わたしは、あの子を助ける。)

 

 

学校の裏門近くへ辿り着くと、制服の裾が風に揺れるのが見えた。

 

理子だった。

 

笑顔を浮かべながら歩いている。

 

でも、その笑顔の奥で泣きそうな声が聞こえた。

 

その瞬間、胸の火が強く脈打ち、風が小さく渦を巻いた気がした。

 

 

歩み寄ると、理子がこちらに気づき、目を見開く。

 

黒髪が朝の光に揺れ、瞳がわずかに潤んで光った。

 

そして――

 

「おはよう!」

 

声が弾んだ。

 

でもその声の奥で、かすかに震える涙の音が響いた。

 

理子は笑顔を向けながら、

なぜか胸が少しだけ温かくなるのを感じていた。

 

理由はわからない。

 

けれど、その温もりが怖さを少しだけ遠ざけてくれるような気がした。

 

 

「おはよう……」

 

声が震えた。

 

でも、笑顔を返せた。

 

その瞬間、理子の祈りの糸が幸の“まじない”と絡みつく。

 

 

(わたし、あの子を助ける……)

 

 

理子は笑顔を向けて、

 

「またね!」

 

と軽く手を振った。

 

門をくぐり、学校へと歩き出す。

 

幸は立ち尽くしたまま、その背を見送った。

 

(きっとこれが、彼女に会える最後の日になるかもしれない。)

 

そう思った瞬間、胸の火がごうっと熱を増した。

 

 

「おにさん……繋がった、よね……?」

 

酒々井は笑みを浮かべ、赤髪を風に揺らす。

 

「繋がったぞ。お主の“まじない”と、あの子の祈りはな。」

 

 

胸の火が揺れる。

 

その火はまだ小さく頼りなかった。

 

けれど確かに、世界を変えるための狼煙になりつつあった。

 

風が吹き抜ける。

 

夜の残滓を洗い流すように、朝の光が街を照らしていく。

 

その光は白く、冷たくて、それでも温かかった。

 

 

その光の中で、小さな祈りが確かに灯っていた。

 

それがやがて、理すらも変える炎になるとは、

この時まだ誰も知らなかった。




お読みいただきありがとうございました。

幸と理子が“初めて直接会う朝”でした。
この作品では“救いたい”と“生きたい”が出会い、祈りが繋がる瞬間を大切に描いています。

理子の願いを拾った幸が、これからどのように世界の理へ立ち向かっていくのか。
そして、その祈りがどのように世界を変えていくのか。

ここからいよいよ“理子救出編”本格始動です。

次回もよろしくお願いいたします。

理子ちゃん助けたいですか?

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