部屋の中はそれほど寒くないはずなのに、冷たい気がした。
無機質な壁や床が、そういったイメージを持たせるのだろう。
聞こえるのは水槽のエアレーションによる気泡の音と紙を走るペンの音だけだ。
静謐な空気の満たされた空間で、気を紛らわせるために見ている魚はカラフルで、それが繁殖や珊瑚礁などに隠れるために派手な色になったという理由を、ふと思い出す。
彼らの色は誰かに見つけてもらう為に自然と生まれた色だろうか。
それとも鑑賞する為だけに品種改良で生み出された人工的な色とでも言えるのだろうか。
確かな事は、別に彼らは望んでそういう色になった訳では無いということだ。
医者は書き終えたのかカルテを閉じ、穏やかな口調で話を始める。
「最近は少し良い傾向が見えてきました。その後、どうですか?」
「はい。活動も上手くいっており、気分が沈む日は減りました。ただ、体調が悪くなると連動するように悪夢を見ることが不安です」
医者は黙って耳を傾ける。
傾けて、止まって、徐ろに口を開く。
言い出し辛そうな、そんな感じだ。
「あなたには、いろいろな症状があるように見えます」
「はい」
「ご相談頂いた部下や取引先とは初対面でも緊張しないのに、同業者では極度の人見知りになってしまう件ですが、候補として挙げることは可能です」
久しぶりに来たメンタルクリニックは、転々とした中で見つけた比較的相性のいい病院だ。
雑で無干渉な訳でもなく、かと言って積極的に直そうとする過干渉は感じでもない。
こちらの反応を見ながら、距離感を保てる医者だ。
悪くも良くもない、ちょうどいい立ち位置の医者とでも言おうか。
「美容への関心は、好きというよりは綺麗な方が良いから」
「はい」
「ファンを失望させたくないから、準備はしっかりする」
「はい」
「褒められても裏があるんじゃないかと不安になる」
「はい」
「逆に批判は本音だろうから改善しようとする」
「……そうですね」
全部当てはまる。
まるで占い師のようだが、医者の仕事としては当たりを付けて自覚を促すという面においては同じなのかもしれない。
私は、自分がメンタルに問題を抱えていると自覚していない。
または、自覚した上で分析し原因と解決をしようと感情を切り離して考えるタイプだと言われている。
医者の見立てでは、本当の意味で問題視してはいないタイプらしい。
だから、どういう人となりなのかというのを一例として伝えるのだと、初診では言われた。
「脆弱型ナルシストというのが、傾向として該当しそうではあります」
「えっ、弱そうなナルシストですか?」
聞いたことのない単語に、なんだそれと疑問が湧く。
それを察してか、促さずとも続きを教えてくれる。
今日はいつにも増して踏み込んできた。
「脆弱型のナルシストとは、一般的な自信過剰なタイプではありません。逆に自信が過剰な程になく、自己ではなく他者の評価を気にするタイプです」
「他人の評価ですか?それほど気にするタイプだとは、自分では思いません」
「そうかもしれませんね……例えば長所と短所を5つ挙げるとして、どちらがすぐに思いつきそうですか?」
「その質問は恣意的な要因が多く適切でないと思います」
「自分の都合よく選んでしまうと……どちらですか」
はぐらかす、訳じゃなさそうだった。
寧ろ、本質的な問いにも思える。
どちらかと言えば、私は私の欠点ばかりが気になる。
でもそれは、みんな欠点の方が目立つから普通だと思う。
「では、視点を変えましょう。私が私をダメな人間だと短所ばかり挙げたとして、貴方はどう声を掛けますか?」
「それは……もしそうなら、そんなことないよと……」
「それは何故ですか?事実ですよ」
「それは……事実だとしても、否定すべきだから……」
「では貴方が貴方に言われたとしたら?」
「私が、私に……それは、あり得ない前提です」
「そんなこと無いよとは、言わないんですね」
その言葉に、ハッとする。
医者は私を見ている。
ニコニコと穏やかな笑みで、私を見ている。
でも、私には私を見透かされてるようで、不気味に感じた。
「他人の評価を気にするは間違いかもしれません。貴方は、自己の評価を気にしていないと言う方がしっくりくるかもしれない。自分の価値を、自分自身で担保することが苦手です」
「自分の価値を自分自身で担保……」
「自分が判断したから、自分のやったことだから、自分が介在するから、貴方が自分を信用していない。私なんて、私なんかが、こういった自己評価の低い方に多いマインドですね」
そんな風に、考えた事も無かった。
なかったし、今後もない。
私なんて最低だとか、私なんかが出きっこないとか、そういうのは考えたことないからだ。
だから、的外れに感じる。
「まぁ、今のは極端な例ですが、見た目や肩書き、収入や人気、物差しは全て価値の指標です。逆に言えば、少しでも揺らげば、見た目が悪かったから、立場が下だから、貧乏だから、嫌われてるから、そう思う。だから、そう思われたくないという逃避行動を無意識に取ってしまう」
「無意識で……」
「貴方は綺麗になりたいではなく、綺麗でなければいけないと思います。配信者として成功しなければ、失敗する私は必要ない存在。稼ぐのは当たり前だから、稼げない訳がない。そう思ったことはありませんか?」
言葉を咀嚼して考える。
それは、そうだとは思う。
大人の後悔から徹底して生活は管理したから容姿は良いに決まってる。
配信者として大手になる場所に入ることが出来たから成功するに決まっている。
未来の知識から投資で儲かるのは当たり前だ。
「人と比べ、完璧を目指し、努力を止められず、休む事に罪悪感を抱く。褒められても安心が長続きしない。何か一つでも当てはまりませんか?」
「…………」
「だから、貴方が貴方を評価出来ると思った人や場面では緊張してしまうのではないかなと、考えられます。ただ、これは大なり小なり誰しもが抱くもので、決して貴方だけが特別なんじゃないんです」
「そう、だったんですね……」
医者の言葉に、私はまた病院を変えなきゃなとか久し振りに来たらこれだよとか思ってしまう。
ただ、これも無意識的な逃避なんだろうか。
小賢しい私はバーナム効果じゃないかとか考えたり、此方に判断を委ねて質問されているのを歩み寄ってる演出に感じてしまう。
「貴方が貴方を嫌いになるような、心当たりはありませんか?」
「さぁ、どうでしょうね」
「…………そうですか。では、次回までの課題ということにしましょう」
心当たりはないだろうか、そんな言葉が妙に引っ掛かった。
今日はスタジオ撮影の日だった。
何でも料理が出来る所と言うことで、キッチンのあるスタジオが選ばれている。
すごいな、普通の家みたいだし、ちょっと離れたところにはガチの撮影機材もある。
「おつかれー、いやー、バカ混んでてさ。遅れてすまん」
「大丈夫、遅れてないから」
「……えっ、マジで言ってる?」
マネージャー!と謀られた事に気付いた相方を見ながら、自分のマネージャーと別の仕事の話をする。
今日の企画は、マイスバと料理をしたいというゲストの希望から行われる物だった。
ゲストが来るまで、まだ時間があるので私はマネージャーとグッズなどの監修を行なっていた。
時間がないから、隙間時間でやらないといけないからね。
マネージャーが出してきたタブレットを見ながら、ラフ画を見てあーでもこーでもないと言い合っていた。
うーん、イラストはこっちで、この案件は日程をこの辺にして、ダンスレッスンの後は体力的にキツイから収録じゃなくてサイン書きの時間とか。
「これなんてどうですか?」
「うーん、これはこっちの案の方が良いかな」
「えー、断然こっちですよ」
「ブランディング的にエッチすぎない?何で胸がデカくなるんだよ」
いや、最近人気だからってエロに走ったらアカンでしょ。
一過性のもので、そういうのは長続きしないんだからさ。
そんなこんなで、暇な待ち時間を仕事をしながら潰していたら、あのぉと小さい声が聞こえた。
なんだろうと、タブレットから顔を上げると若い女の子がいた。
……あっ、新人だ。
「今日は、よろしくお願いします。風魔いろはです……えっと、どこで待機したら良いですか?」
「貴方が風魔いろはさん」
「えっ……はい、そうです」
「そう……良かったら余った椅子があるので、こちらに座ってください」
「あっ、了解です。へぇ〜、椅子なんか置いてるんですね」
まぁ、キャンプとかで使うような簡易的な椅子だけど、ブランケットとかクッションもあるし、今は私使ってないから使わせてあげるよ。
「今日ってどういう進行なんですか?先輩達はどこに」
「大海ならあそこにいますよ。マネージャーと話してますね」
「あっ、あそこにいたんだ」
「オープニング用の挨拶を撮影したら、キッチンに移動します。オープニングの挨拶は3Dになりますが、いろはさんはまだ持ってないので音声のみになります。あとで、編集で立ち絵を重ねる感じですね」
その後に、趣旨をリスナーに説明して料理をやってみる。ふふん、後輩にちゃんと説明してやるぞ。
あらかじめ作る料理は決まってるので材料を持ってくるが、レシピなどは教えられてない演者の知識だよりである。
レシピなし料理バトルって訳である。
「そうなんですね。ところで、胡蝶先輩はどこに居ますか?ござる、まだ会ったことないんですよね」
「お疲れ様で〜す、あっ、いろはさん1人で来れて偉いですね」
あー、このパターンか。マジかよ、説明してたのに気づいてなかったんか。
なんだか同期を思い出すなと思ったら、アチラのマネージャーさんがやって来た。
「何か問題なかったですか?」
「いえいえ、大人しくて可愛かったですよ〜」
「そうですか〜早速仲良くなれて良かったです。胡蝶さんも、ウチのいろはをよろしくお願いします」
「はい。任せてください、問題ないです」
ウチのマネージャーと仲良さげに話して、いろはさんにお菓子などをあげて引き上げていく。
なお、いろはさんは貰ったお菓子を両手に持ちながら、私のことをチラチラ見ていた。
「こ、胡蝶先輩……ですか?」
「おぉ、いろは!来てたのか!あっ、お前それ胡蝶の椅子だぞ!」
「あっ、あっ、あっ」
「いろはさん!大丈夫だから、立たなくて良いから!謝んなくて良いから」
「どうした!なんかあったのか!何してんだ!」
何もないけど、声がデカいんよ。
私の相方と後輩がポンであった。