次の日。
スゥアフターはケーキを焼いていた。
甘い香りが部屋中に満ちていくのは、やっぱり幸せ。
ふふっ、今日はうまく膨らんだかも。
別に、あの街で出会った少女のためじゃない。
家の場所なんて教えてないんだから、来るはずがない。
これは、自分用。
生地を混ぜている間、手元の動きに合わせて尻尾が小さく揺れた。
焼き上がりの香ばしい匂いに、思わず機嫌も良くなる。
「ふふふ、上手に焼けましたー」
満足げにオーブンを開けた、まさにそのとき――
「こんにちは、おねえさーん!」
「……っ!」
弾けるような声と共に、扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、“あの”アウラと名乗ったダークエルフの少女。
森で迷った様子もなく、当然のように現れた。
街で会っただけの、あの子が――どうやってここを?
心臓が跳ねた音が、自分でも聞こえた気がした。
でも表情は、いつもの“仮面”で。
「美味しそうな匂いがしたから、待ちきれなくて来ちゃった!」
「まあ、なんて鼻の良いお嬢さんかしら。……ようこそ。ちょうど焼き立てよ」
笑顔を保ちつつ、内心では冷や汗が止まらない。
どうして?
この場所、知られてなかったはず――
いや、見つけられた理由を今さら考えても仕方がない。
ならば、穏便に済ませるのが最優先。
テーブルを整え、カップを二つ置き、ナイフでケーキを切り分ける。
笑顔の少女は、きらきらとした目でケーキを見つめていた。
「ところでおねえさん、名前は? 本名!」
「……スゥアフター、よ。長いでしょう?わたくしもそう思うわ」
「ふぅん。ずっとここに住んでるの?人間のフリしてるのはなんで?友達とかいる?」
「ふふ、お嬢さん、質問が多いのね。どれから答えましょうか?」
軽やかにかわしながら、紅茶を注ぐ。
けれど、次から次へと投げかけられる言葉に、内心は波立っていた。
――何かを探っている?
彼女の瞳を見たとき、ふと、そんな気がした。
無垢な好奇心だけじゃない。
……狩人が、獲物を測るような眼差し。
けれど、そんな不安も、深呼吸ひとつで飲み込む。
「昔から、騒がしい場所は苦手でね。だから人間に紛れて、ひっそり生きてるのよ」
おっとりと、落ち着いた口調で。
余裕ある“大人”の仮面で包み隠す。
「そっかー。でもここ、いいところだね。森もきれいだし。……ケーキもおいしい!」
「あら、ありがとう!いちばんの褒め言葉だわ」
そんなやり取りが、まるで普通のティータイムのように過ぎていく。
けれどどこか、爪先をつつかれているような不穏さが残った。
緊張が、内側に溜まっていくような感覚。
「それじゃあ、また会おうね、おねえさん。ごちそうさまー!」
食べ終えた少女は、嵐のように立ち上がると、そのまま手を振って駆けていく。
来たときと同じく、迷いも逡巡もなく、森の奥へ。
スゥアフターは、しばらくその扉を見つめたまま立ち尽くしていた。
ようやく、ひと息。
(はぁ……)
思いきり息を吐いて、椅子に沈み込む。
まったく、なんて日かしら。
テーブルには空になった皿と、湯気の消えかけたカップが残っていた。
残った紅茶をひと口。
窓の外では、夕暮れの光が翼の陰を長く伸ばしていた
閑話 アウラの報告
「……というわけで、やっぱりちょっと、変なんです」
ナザリック地下大墳墓・第九階層。
荘厳な執務室の奥、玉座にも似た椅子に座るその御方の前で、アウラ・ベラ・フィオーラは背筋を伸ばしていた。
書類と魔導具が整然と並ぶ机越しに座る、骸骨の姿をした存在――
アインズ・ウール・ゴウン。
至高の四十一人の頂点におわす、我らが絶対なる主。
白骨化した手が顎のあたりに添えられ、瞳孔のない空洞から、燃えるような紅蓮の光がこちらを見据えている。
その威容には、見るたびに心が引き締まる。
どこか冷たい静けさを湛えながらも、全てを見透かすような洞察。
そして、時折垣間見える慈愛のような眼差しに、アウラは無自覚に背筋を伸ばしていた。
「外見は派手だけど、戦闘的な雰囲気はないですし、魔力の揺らぎもほとんど感じません。たぶん、そんなに強くはないと思うんですけど……」
「何度やっても、鑑定が失敗するんです。
跳ね返してるって感じじゃなくて……そもそも当たってないっていうか、魔法が無視されてるみたいな感じで」
アウラは小さな顎に手を当て、少しでも主に情報を伝えようと、自身の感覚を言語化する。
「……ふむ」
主は静かに唸った。
それだけで、部屋の空気が少しだけ張り詰めたような気がする。
部屋の隅に控えていた一般メイド――シクススも緊張した面持ちだ。
「それで、ちょっと探ってみようと思って、本人にいろいろ質問してみたんですけど……やっぱり、手慣れてる感じなんですよね。適当な答えでうまくはぐらかすし、見た目よりずっと老獪っていうか……あれ、絶対普通じゃないです」
「……推測ではあるが、その者は“情報遮断系の特性”を持っている可能性があるな。意図的な発動ではなく、常時発動型といった線が濃いか」
「そんな感じです。たぶん本人も気づいてないんじゃないかなぁ。失敗した瞬間の反応も特にありませんでした」
アウラは少し唇を尖らせながら、視線を泳がせた。
「見た目は、綺麗でした。翼とか、尾とか……。
幻想種の人っぽいけど、私の知ってる生き物にもいないタイプで」
「なるほど……」
アインズは椅子の肘掛けに手を置き、深く座り直す。
「もし本当にユグドラシル由来の存在でありながら、情報解析を拒む能力を持ち、なおかつ潜伏を図っているとなれば――こちらとしても警戒は必要だ」
「はい。ただ……あっちはあっちで、こっちの能力なんかって認識してないっぽいんですよね。いまのところ敵意もなさそうです」
アウラが肩をすくめる。
「だから、もう少し調べてから報告しようかなーとも思ったんですけど、何かあったら遅いと思って……」
「賢明な判断だ。よくやった、アウラ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに胸を張って答える。
その瞳には、尊敬と忠誠が宿っていた。
(どんなに立派な翼や尾を持っていても……アインズ様のような存在とは、まったく別次元)
(あたしたちの主は、存在そのものが“格”なんだ)
(“力”じゃなく、“王”って言葉が自然に浮かぶんだから、本当に不思議)
アインズゆっくりと手を組んだ。
「……その者に、可能な限り穏便に接触を続けよ。
接触は基本的に引き続きアウラと、念のためシャルティアの二人に限定するように。
警戒を怠らずシャルティアを上回る強者である可能性もあることを忘れるな。情報が遮断される存在は、この世界においても例外的だ。軽く扱ってはならない」
「はい!わかりました!」
アウラは深く一礼し、部屋を後にする。
部屋には静寂が戻り、紅く燃える瞳が、遠く何かを見据えていた。
(情報を遮断し、だが、こちらには敵意も接触の意図もない)
(初めて接触する、プレイヤーかもしれない存在。慎重を期さなければならない)
(――さて、果たして何者か)
黙して語らぬまま思考を巡らせていた。