風が吹くその日まで   作:Pawerfull Kurage

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五話 獣の口、星の空

あれから――

 

アウラとシャルティアは、たびたびわたくしの小屋を訪れるようになった。

 

アウラは相変わらず無邪気だった。

「おねえさん!」と屈託なく呼びかけ、花や石や、くだらない話題を持ち込んでくる。

おそらく彼女なりの観察なのだろうと、もう気づいていた。

それでも、その笑顔にどこか救われる思いをしてしまう自分が、いちばん怖かった。

 

シャルティアはまるで、飼い主きどり。

座り込んでは気まぐれに羽根を撫で、勝手にお茶を飲み、時折にやりと笑う。

まるで、わたくしの反応が“芸”であるかのように楽しんでいる。

 

アウラの質問に答えるたび、

シャルティアの手が、羽根に触れるたび、

少しずつ、なにかが削れていくようだった。

 

うまく言葉にはできない。

 

でも、確かに、わたくしは――飛ぶ力を奪われている。

 

羽ばたけばまだ空には届く。けれど、その距離が日ごとに遠くなっていく気がした。

 

おかしい。

こんなのは、おかしい。

 

わたくしの願いは、ただ、空と、自由。

それ以外は、何ひとつ――

 

「……っ」

 

奪われる前に、わたくしは空へ還らなければならない。

そう思って、少しずつ準備を整えた。

食糧と保存水、薬草を詰めた袋を背にかけ、手元には地図。

戻る日が来るかはわからないけど、小屋と倉庫の鍵。

 

わたくしは小屋の扉に手をかけた。

静かに、音を立てないように開ける。

森の風は静かで、夜鳥の声も遠くにしか聞こえない。

……誰にも、見られていない――そう思った、瞬間だった。

 

「まあ。お出かけのご予定でしたか?」

 

まるで、わたくしが扉を開けることを知っていたかのように。

星空の下、立っていたのは、一人の女性。

 

優雅な黒髪と黒い翼。金糸に彩られた真白いドレス。洗練された立ち居振る舞い。微笑み。

 

「はじめまして、スゥアフターさん。私はアルベド。アウラとシャルティアの友人で、上司でもあります」

 

にこりと笑うその顔は、絵画のように完璧で。

それなのに、アウラのような親しみも、シャルティアのような戯れもない。

ただ一つ、冷ややかで、確信に満ちた“管理者”の目。

 

「二人があなたのことをよく話すので、ぜひ一度お目にかかりたいと思っておりましたの。

 ……仲良くしていただいて、ありがとうございます」

 

その一言すら、完璧に磨き上げられた宝石のようだった。

 

わたくしは――動けなかった。

 

不意を突かれたわけではない。

いつも通りに微笑んで、翼を抱きしめるように巻きつけて、

「大丈夫ですわ」と嘘をつく、それすら、できなかった。

 

アルベドの視線が、冷たくも柔らかく、わたくしの全身を撫でていく。

優しい微笑みと穏やかな口調の内側に、ひどく鋭いものがあった。

 

視線は、わたくしの表情や姿勢ではなく。

もっと深く、意思の奥へとまっすぐに突き刺さってくる。

 

「お忙しいようですので、今日はご挨拶だけにしておきますね」

 

そう言って、彼女は一礼する。

その所作には威圧も圧力もなかった。

 

けれど、完璧な均衡がそこにあった。

逃げることも、逆らうことも許されない、そんな“隙のなさ”が。

 

「今度、みんなで改めてお邪魔させてください。楽しみにしております」

 

その言葉と共に、彼女はゆっくりと踵を返した。

 

その背が遠ざかる。

それだけのことなのに、どうしてか、わたくしはその姿から目を離すことができなかった。

 

――逃げなきゃ。

 

そう思っていた。

扉の鍵も、袋も、翼も、準備は整っていたはずなのに。

 

ただ立ち尽くし、目で追っている。

 

そして、ほんの数歩離れたところで、アルベドはふと振り返った。

微笑んだまま、最後に一言だけ。

 

「……綺麗な翼ですね。

 その分、折れた時には痛みも大きいですから。どうか大切になさってください」

 

優雅に飛び去った彼女を見送りながら、わたくしは――へたりこんだ。

 

この空のどこかに彼女が飛んでいると思うだけで、そう思うだけで、星空が大きな獣の口にみえた。




閑話 アルベドの独白

なるほど。
確かに鑑定魔法は効かない。
報告は受けていたが、自分自身で確認するとやはり驚きがある。

種族もレベルもクラスもスキルも不明。
怯えも本物に見えたが油断はできない。

強者を前に、恐怖すること。
それは、生存本能に根ざした、極めて理性的な選択。
下手に挑まず、好機を待ち、環境を測る。
そういう“獣”ほど、追いつめれば牙を剥く。

(……どうするか)

観察を継続するべきか。
あるいは、何らかの方法で意図的に能力を引き出すべきか。
いっそ、タイミングを見てナザリックの領域へ招聘し、万全の防衛と監視のもとで“処理”するか。

選択肢は複数あった。
どれも現実的で、それぞれに利がある。

だが――

(アインズ様が命じるのなら、その場で粉々にして差し上げるのに)

冷静に思考を巡らせる一方で、胸の奥では毒のような衝動が疼いていた。
あの女の翼をねじり、髪を引きちぎり、血も骨も理性も、その柔らかな仮面ごと踏み砕いてやりたい。

“あの程度”の異物に、アインズ様がほんの一瞬でも心を動かされるのだとしたら――
その事実こそが、わたくしにとっては看過しがたい。

けれど。

(……アインズ様は、あの女を観察せよと仰った)

ならば、それがわたくしの最優先事項。
ただ潰すのでは意味がない。
恐怖を与えるだけでは足りない。

まず確実な揺さぶりが必要だ。
警戒させすぎず、緊張を解かせすぎず、
あの女自身に“自ら動かせる”余地を与えながら、あらゆる反応を観測する。

どこで怯み、どこで耐え、何に触れた時、感情を揺らすのか――

完璧な形で、あの女の性質を明らかにし、アインズ様の前に差し出す。
牙も爪も、秘された力も、愚かしさも、愚かしさの裏にある何かも――

余すところなく、正確に。
それが、わたくしにできる忠誠というものよ。
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