表が政府再起の噂によって動き始め、和反もまたそれにアンテナを張っていた。
確実に噛み込んでくるであろうAFOの動向次第で動きを決めるため、誰しもが日々を暮らしながらどこか緊張感を持っていて。
そんな中、目立たないようにカモフラージュされた地下用水路のアジトで座ったまま黙り込む男がいた。
「寝ないのか」
近寄ってきた与一へと顔を向けた男、駆藤は特に表情を変えず、静かに頷く。
用水路内を照らす点検灯が、その顔に影を作った。
「……少し気になることが多くてな」
「彼女のことかい?」
「ただ使うだけで人を消し飛ばす異能を持って生まれた事に責任を負うべきなのかと考えていた」
噂ではなく、当人から聞いた話について、なんとなく考え込んでいたのだ。
横に座り、与一もまた同じように考える。
「個人的には、誰かによって責任を負わせて欲しくはないね。力があるという理由だけで縛ることなく、自由であって欲しい」
「被害者であるお前が言うのか」
「言うとも。そしてその上で、人を消し飛ばさないで欲しいとも思っている」
異能を思うがままに振るい、支配という夢へ突き進む兄を知っていても、与一は力があるというただそれだけで過剰に縛るべきではないという価値観を持っていた。
それは優しさであり、甘さでもある。
「自己責任論か?」
「強い力を責任によって制御しようというのは、支配になってしまう。それでは兄さんと同じだよ」
「それは……そう、だな」
「対外的に力を抑制してほしい。平和で、誰からも襲われず、生きるのに困らなければ、彼女の性格なら人を消し飛ばそうなんて思わないはずだろう?」
「……無理だな。少なくとも俺が生きている間にそんな時代は来ない」
「案外、寿命まで生きていたら来るかもしれないよ」
「この組織にいて寿命で死ぬなんてのは無理だろ」
「どうだかね」
悲観を含む現実的な駆藤に、与一は寂しく感じていた。
誰よりも夢に一直線であった兄は、ある意味で夢想家であった。
方法と手段は褒められたものではないが、その姿を知っているからこそ、夢を見る事すらしない駆藤の生き方が与一からしてみれば機械のようで。
「さっきの話、人を殺すだけなら異能がなくてもできることだ。でも僕はそうしたいと思わない」
「…………」
「自由であるべきで、同時に誰もが隣人を愛し許容することが理想だと思っている」
「理想だな」
「理想だよ。だからこそ、僕は兄さんの在り方を否定している」
与一は指を組み、連れ出されるまでに見た兄の顔を思い出す。
「平和を築くヒーローがいれば、この時代もいずれ良くなっていく。それが個人によるものか、政府によるものかはわからないけど、君達がその意志を継ぐ限りいつかはその日が来る筈だ」
「だといいがな」
「すまんリーダー、動きがあった」
「今行く」
掛けられた声に立ち上がり、メンバーの下へと向かう駆藤の背は、その歳に見合わないほどの責任を負っていて。
それを見る与一は悲しげに目を細めながら、その後を追った。
「どうした」
「この辺りにいた浮浪者が裏に捕まったらしい。筋によっては奴が来る」
「そうか。おい! 荷は最低限でいい。撤収だ、急げ!」
この報告によって、駆藤は頭を即座に戦場のものへと切り替える。
周囲にいたメンバーが慌ただしく動き始め、1分もせずにアジトからの避難が始まった。
「行き先はどうする?」
「二手に分かれる。計画通り、暫く進んで左右で分かれてそれぞれ隣と合流を目指すぞ」
「了解」
襲撃の可能性がある場合についてのシミュレーションは何度も行っていた。
それこそ、短い指示で成すことを共有できるほどに。
地下用水路は迷路のように拡がっており、誰もが目的地までの道を把握している。
他のグループへの合流を目指し、走り出した。
道の途中、監禁の影響で体力切れの与一が若干遅れるも、誰もそれを責めはしない。
「与一、いけるか」
「あぁ……」
濡れた足場は体力を奪い、疲労の色濃い声を聞いて休憩すべきかという考えが頭を
それを判断するのは駆藤の役目であり、例えここで休んでも誰もそれを咎めはしないだろう。
「いける、大丈夫だ」
「……わかった。信じるぞ」
それでも与一は自らの負担など後回しに、駆藤の肩を叩いた。
メンバーに命を賭けてまで休憩するぞと指示を出す責任を考えると、駆藤にそれを負わせるのはどうしても控えたかったのだ。
そして進もうと与一は前を向く。
───遥か奥より、足音が聞こえた。
それは静かに響く、皮靴の硬い音。
その音を聞いた和反の全員が、それを理解した。
理解させられた。
「ッ、リーダー!」
「止まるな!」
喉を締め付ける、嫌な気配。
憎むべき対象ながら、それを挫いてしまいそうになる程の存在感が音と共に迫る。
「AFO……ッ!」
その靴の音は、歩いているかのような速度だった。
ゆっくりと焦ることも無く。
歩調は一定だが、しかしその音が近付いている事だけは確かだった。
「な、なんだ? 遊んでいる……?」
「……ッ、いや、降伏を促しているッ! ふざけるなよ……ふざけるなァ!」
激昂する声が用水路に反響しても、AFOはなんの反応も示さない。
バシャバシャと、水を跳ね飛ばすメンバーの足音を嘲笑うかのように靴の音が奥から響いてくるばかり。
やがて、電灯の淡い光に照らされた影が組織の後方より伸びる。
笑い声もなく、人を魅了する雰囲気もない。
ただ不愉快な事を示す様に、何一つとして喋ることもなくAFOが水面を硬質な床を踏むように歩いていた。
暗く、逆光により見えぬ顔。
その瞳が、真っ直ぐに与一を射抜くように見ていることが分かる。
「リーダー!」
「ぐっ、撃っていい!」
「兄さん……ッ」
幾人かが腕に装着している銃を放つが、その弾が届くことは無い。
宙で壁に当たったかのように潰れ、落ちていくそれらが小さな水音を鳴らす。
まるで気が抜けたかのように水中に足を落としたAFOは、気が立っているかのように荒々しくその歩を進め、止まることはない。
「……」
「AFOッ!」
駆藤が吼えた。
AFOはその青年が、与一の手を引いているのを見た。
自らの元より、所有物を引き剥がすかのような行為。
与一がいなくなった空っぽの部屋を見た時に、逡巡もせずに部屋を異能で破壊した時の衝動が込み上げる。
曲がり角の奥へ逃げる足音が響く。
自らの影が照明によって色濃く壁に映っていた。
自然と、足が早まった。
異能の力が掌へと集まるのを、AFOはどこか他人事のように感じていた。
水に足を取られ、弟の手を引いて逃げる青年へとその手を伸ばし。
「リーダー!」
「───クソッ!」
与一は駆動へと伸ばされるその掌を見て、己の成すべき事を理解した。
足手まといの己を連れ、共に逃げる選択をしてくれた友へと、この命を投げ出すことに躊躇いなど無く。
己の肩を押し込むようにして駆藤を前へと突き飛ばす。
驚いたように振り返る駆藤へ、与一はやわらかな笑みを浮かべる。
この選択に後悔などない。
檻の外へ出た2週間という長い長い期間は、心の中にいつまでも残っている。
駆藤へ向けたそれは、AFOから見えるはずもなく。
そして大半が前を、そしてAFOを警戒していた和反の誰もがそれに気付けない。
それを見たのは、組織の中で唯一、AFOではなく与一を注視していた駆藤だけだった。
僅かに与一の口が動くと同時、皮膚に裂け目が入っていく。
大量の血液が舞い、AFOと与一の顔を濡らした。
「……」
「───ッ!」
人体が散る凄惨たるそれに、駆藤は言葉を失った。
人だった破片が水へと落下し、じわりと赤い色を拡げていく。
呆気なく壊れてしまった玩具に驚く子供のような表情を浮かべたAFOは、立ち止まらずに用水路の奥へと逃げていく和反達を見て。
友人を奪った敵と目が合った。
「ッ、与一がやられた……!」
「リーダー、立ち上がってくれッ!」
「殿は俺が行く、生き延びろ。達者でな」
僅かに遅れた報告に、和反の全員が接敵を理解する。
血の臭いが充満する中、まるでやる気を失ったかのようにその場で立ち尽くすAFOへ数人が残るように相対し、他を逃すために用水路を崩壊させて。
「……」
「行かせるかよ」
崩落し、瓦礫の奥で引き摺られるように暗闇へと消えていく、弟を奪っていった青年。
己の所有物が手の外で勝手に動いていく嫌悪感は無くなったが、それそのものが無くなった事には言いようもない感情がこみあがった。
煩いほどに反響する水音と、雑音のような声に胸中で言いようのない何かが膨らんでいく。
雑音を喚く肉袋を前にしても、AFOは瓦礫の奥に消えていった青年の方から視線を外さなかった。
「…………」
「う、ゥ゙……」
抵抗も時間稼ぎも殆ど意味を成さず、螺旋状に捻れた骨が腹へと幾本も刺さり、もう数秒で絶命するであろう男には目もくれず。
ようやく崩れた瓦礫から視線を逸らすと、水に浮かぶ弟の手を拾い上げ、それを見る。
蒼の周辺に潜んでいた事を聞きつけ、面倒な隠れ蓑を選択されたものだと排除に動いたが、あまり派手に動いて察知されるのも面倒だ。
残党を追う気が起きないことをそう理由付け、水に拡がって散らばる肉片や髪を見下ろす。
「…………」
どこか空虚感のようなものを感じながら、もう一度瓦礫の方へと目をやった。
何も言わずにその場を立ち去るAFOのその手には、逃げられた所有物の一部が掴まれていた。
〇
逃げた先、何日が経過しても与一の最期の表情が駆藤の瞼の裏側に焼き付くように残っていた。
そして、それから変速という己の異能に生じる僅かな差異。
否、それだけに収まらず、力が漲るような違和感。
「───少し気になることがある」
「どうした」
海を超えた先、超常による治安悪化が遅かったからこそ、ぶり返しによって超常黎明期の混沌極まる国で研究職だったメンバーへと、駆藤は話しかける。
───バトンは継がれた。
駆藤の心情世界、未だ誰も知ることが無い遥か奥で、小さな意志の塊が居る。
それは未だ醒める事無く、漂うように余波だけを駆藤へと伝えていた。