街の外れ、廃墟群に存在する瓦礫の山。
廃アパートであったそれが崩壊し、積み重なったそれは、小さな丘のようだった。
廃アパートの崩壊前までは浮浪者や売春街の女などが時折その周辺を歩くこともあったが、今では誰もそこへ近付こうとしない。
それはなぜか。
瓦礫の奥から、若い女の声が聞こえるのだ。
下心ありきで訪れてはその瓦礫の丘を見て、たった一人の女のために瓦礫を撤去する労力に報酬が見合わない事は明白で。
誰もが救出を諦めたのに、一週間が経ってもその声が聞こえている。
数日に渡る雨が降っても、その声は止まない。
二週間も経てば、気味の悪さに誰も近寄らなくなり。
誰もがそれが良くないものだと認識を共有した。
───そうして全てに放置され、2ヶ月が経過。
下層にて埋まったままの蒼は、もはや抜け出すことを諦めたままのんびりとした休みを満喫していた。
積み重なった瓦礫は力での脱出を諦める程度には重かったのだ。
物理的な傷害を負いにくい性質を持つ蒼は、崩壊した瓦礫程度では骨折や挫傷といったものを負わなかったものの、重量を押し返す事は難しく。
AFOとの戦闘敗北時に起きた移動、擬似的なワープにも似たそれを行うことが出来るかと試しはしたものの、異形態のように出来るとは思えなかったため結局は不発に終わる。
蒼の感覚的に、それは何らかの条件が足りないように感じていた。
「……」
晴れの日は隙間から差し込む陽射しが時刻と共に傾いていくのを眺め。
雨の日は水滴が瓦礫を伝い落ちる音を聞きながら微睡む。
嗜好がだいぶ原始的になりながらも、積み重なった瓦礫を僅かに動かし、どうにか座れる程度の隙間を作り出していた。
とはいえ常人の肉体であれば渇き飢え、精神は閉所にて狂うほどの状態である。
当然、いくら脳天気な蒼と言えど会話らしい事もしていなかったため、独り言が多くなる程度の影響は出ていた。
「……ばーななばなな、日影を見ーるに多分晴れ。昨日のあーめはどんな味? 本日の水溜り発見! ペロッ……埃味!」
あくまで狂ってはいない。
暇なので自作の歌を歌っているだけである。
張間とのやり取りに関して数時間は怒っていたものの、それ以上は感情も昂らず。
本人に会えば文句が飛び出すであろうものの、この場においては気にしても仕方がないと割り切った。
数日は周辺の知覚を行い、時折助けを求めるも誰も助けてはくれず。
最近では近づいてすら来なくなったので、蒼は開き直ってそのうち誰か気付くだろうと突発的に大声で歌っていた。
それが、人が近寄ってこない理由の大部分であることには気付かずに。
「濡れた鉄筋ベロベロベロ! 鉄分ペロ補給! おーいしー!」
「───誰かいるのか?」
「………」
当然、いつか誰かが気付くだろうとは考えていながら、誰も来やしないと思っていたので、いざそれを聞かれると気まずさと羞恥で瞬間的に黙り込むこととなる。
静かな廃墟群の中で、近くにいた男は瓦礫の丘へと座り込んだ。
「気のせい、か。俺もとうとうイカれ始めたかね」
「……」
「まさか……こんな場所で正気ではない馬鹿みたいな歌を歌う奴なんているわけないよな」
「…………」
「奇妙な歌だ……俺の無意識があの狂った歌詞を生み出したとなるとかなり……キツイな。異常だと自覚できているだけ、まだなんとかなるといいが」
「………………」
「……」
「……………………」
「鉄分ペロ補給ってなんだ……?」
「オイ、そのへんにしとけ」
いるなら大音量の足音を立て、大声で歌いつつ近づいて来いなどと脳内で無茶な注文をしつつ、蒼は半べそで若い男の声に返答した。
そこでようやく瓦礫の奥に蒼がいると気付いた男は、縋り付くように蒼へと話しかける。
「やはり、空耳ではなかったか! そこにいるのは
「……私はあなたの事を知らないよ」
「───な、ん……そう、か…………」
それは深い、絶望を感じさせる吐息だった。
蒼が改めて知覚すれば、そこにいるのは年齢不詳の男。
若い声の割に、髭と髪が伸びた顔によって見た目だけでは年齢は分からず、見るからに浮浪者といった様相である。
「……ひょっとしてここに友達とか住んでた?」
「いや、友などではなく、俺にとっては家族のような……仲間がこの辺りにいたんだ。たしかに、いたんだよ」
諦観の表情を見せ、男は座ることも止めると、埃と土に汚れた地へ寝転がった。
もはやその動きに生気はなく、そのまま寝れば死んでしまうのではないかと思うほどで。
「あなたは異最上の人?」
「……他からは、そう呼ばれていたな。お前は……
「そうだよ。ところで異最上はなんで誰もいなくなったの?」
「それは、俺も知りたいぐらいだ」
その回答に、蒼は首を傾げた。
「理由を知らないなんてことある?」
「何故仲間がいなくなったのか。まだ生きているのかすら……俺にはもう……」
その言葉を聞き、蒼は脳内で情報を整頓していく。
数を減らした原因を当事者が把握できていない、分かっていないというのは変な話だ。
結果はあるのに過程が欠如しているというのは、外部的な要因が強く作用している事を意味する。
襲撃や拉致だとしても、目撃者がいない、情報の共有ができなかったというのは余程の事である。
「そうだ、お名前聞いてもいい?」
「修善寺」
「……!」
このまま黙って考え込むのもあまり良くないかと、時間稼ぎのように尋ねれば、返ってきたのは聞いたことのある名前。
それは、酉野の口から聞いたことがあったもの。
異最上の、纏め役の名前である。
分裂した異最上の中では、対潔癖症において最も過激だと思われるグループの長だったはずで。
「修善寺さん、あなた異最上の偉い人じゃなかった?」
「───いいや、そんな事はない」
否定まで、僅かな間。
仰向けに寝転がったまま腕を顔に乗せた男、修善寺は、陽光の眩しさが己を苛んでいるように感じていた。
仲間を集め、それぞれの思想によって方向性を違えて古くからの友人と離別し、それでも手の届く範囲を纏めようと必死になって生きてきた。
「俺は人の上に立つような存在じゃ……」
覇気はなく、勇気もない。
修善寺にとって己は、酉野の後ろを付いて歩く補助具のような自認だった。
決して、人を率いていくような器ではない事は分かっている。
「……」
分かっていたのに、異能の出力が高いばかりに異能を持ち、異能を持て余した人々が後ろを付いてきてしまった。
それが、修善寺の失敗だった。
それを、修善寺は未だに受け入れられていない。
それを受け入れてしまえば、異能持ちは迫害される存在ではなく、新しい形の人類であるといった思想を持っている事が間違いだったのだと、そう思ってしまいそうで。
そんな思ったよりも落ち着きのある様子に、蒼は驚きに口を閉ざした。
「……この辺りに、仲間がいたんだが。なにか見たりしていないか?」
沈黙が続き、修善寺は話を変える。
奇しくも苦し紛れのそれにより、問いかけを行うという前向きな状況になるも、当人にその自覚はない。
「見てないと思うけどな。特徴はある?」
「そうだな、股に手袋貼っただけの全裸の少女とか……」
「いな……待って、何? なんだって?」
「股に手袋を貼った全裸の少女は見なかったか?」
「……そんなのがここにいたの……?」
蒼の言葉に、修善寺は真面目な顔で頷く。
「体から炎が時々立ち上がって衣服が燃えるから服を着ることが出来ない奴でな。唯一この街で見つけた手袋だけが燃えなかったので仕方なくそうしているらしい」
「……炎で、若干異能に引き摺られてる感じか。第2世代ならまあ……いや仕方ないでいいのかな。いいのか?」
「自称は火達磨女。名前は知らない」
「私よりセンス終わってんな。いたら流石に忘れられないと思う。絶対に覚えてるだろうね」
時折体から炎が出る、股に手袋を貼り付けただけの少女。
そんなの、見たら忘れられないだろう。
「火達磨女を見た記憶がないというのであれば、本当にいないんだろうな……」
「他も多分見てないよ」
「誰か、誰もいないのか? 本当に」
「いない。役所も原因を把握できてないみたいだし」
「……」
修善寺は言葉を失うも、それを気にせずに蒼は気になったことを問いかける。
「なんでいなくなったのかは分からないんだね?」
「……あぁ」
「死体は残ってなかった?」
「あぁ。出かけたまま帰らなかったり、朝に部屋から出てこないかと思えばいなかったり、総じて突然姿を消すのが共通点ぐらいか」
修善寺は疲れた声で、そう言った。
状況、そしていついなくなったかも分かっているが、原因だけが分からない。
「俺は誰かに連れ去られたのではないかと疑い、疑わしい潔癖症を密かに殺し回った。仲間には集まって警戒しろと、そう言ったのにも拘わらず……」
「誰も残っていなかった、と」
瓦礫の奥、日陰に視線を落とした蒼は手を擦り合わせた。
心当たりは、
「……拉致かな」
それは裏社会で種、胎の確保において普遍的な手段。
異最上も誘拐などを行っていたが、目撃者を出さないように行われているのであれば、それは手慣れている裏社会の人間の仕業だろう。
裏社会の勢力が消失したことで、その隙間に異なる勢力が身を滑り込ませた可能性を蒼は推察する。
貿易に乗じて他国の組織である可能性も否定できず、手口や目的が蒼の知っている裏社会とは異なる事も考えられる。
「自業自得っちゃ自業自得だけど……」
異最上は異能持ちの子供を攫い、洗脳のように思想を植え付けた。
彼等の成した行為により、多くの子供は歪んだ事だろう。
拉致によって裏社会の資材として扱われるのは、これまでの行いが返ってきたようなものだ。
「……修善寺さんさあ、私をここから出せたりする?」
───だが、蒼には掲げる正義が無い。
助けてくれるなら、誰であっても助けてあげてもいいかなと思う程度には命に、そして人を他人事として扱える。
そう尋ねた蒼に、修善寺はようやく起き上がり、瓦礫を叩きながら考えて。
「時間があれば……可能だ。流石に3日は欲しいが」
「たった3日で!?」
思ったよりも早い想定に、蒼は思わず声を大きくした。
「なんか破壊に適した異能か何かだったりするの?」
「……まあ、【馬鹿力】とでも思ってくれ」
言葉を濁した修善寺に、蒼は深堀りする意味も無いかと質問は止めにする。
「もし出してくれるなら、私も一緒に探すよ。なにか役立てるかもしれないし」
「……わかった。お前が何故こうなったのかは聞く意味もない。お前を出すことにしよう」
協力者はおらず、探すにしろ人手が欲しいのは間違いない。
たとえそれが瓦礫に埋まる謎の存在だとしても、話した限り思想に問題はなく、それはどちらかといえば修善寺好みの平坦なものであった。
そして修善寺は瓦礫の奥にいる存在へ、ふと一つの問いを投げかける。
「そういえば、なんと呼べばいい」
「そうだねぇ……まあ、蒼って呼んで」
「それは……異能姓ではなく、名か?」
異最上に、名前を持つ者は少なかった。
自らの名も知らず、自称や渾名、異能姓によって個を定義していたからこそ、修善寺はそう尋ねる。
そしてその問いに、蒼は表情を柔らかくした。
「そうだよ。お母さんとお父さんから貰ったこの名前は、私の誇りのようなものでね」
「……いい名前だな」
その言葉に。
瓦礫の奥で、蒼は少女のように屈託の無い笑顔を作った。