雑多な音が、街を揺らす。
「お前は……悪だ!」
「よく言うぜ、都合が悪けりゃ全部それかよ!」
衝突音が鳴り、歓声と怒号が響く。
騒がしい街を抜け、山へと足を踏み入れた人間がひとり。
後ろで荒く縛った髪を揺らし、煤と埃に顔を汚す男。
薄汚れた風体で顔色は死人のようでありながら、その眼光だけが鋭く、研ぎ澄まされて浮いていた。
山を歩き、小川を抜け、獣道すら外れ。
騒音は薄れて、静かな自然の音だけが聞こえる。
静寂にも似たそれに対して男は、ブルースは。
自然と緊張によって警戒心を強く働かせており、暫くしてからその反応を自覚すると、呆れたように息を吐いた。
誰も喋らない環境。
静かな、人の息が感じられない状況。
自らの心拍が耳に刺さるような感覚。
血溜まりと肉塊の沼が瞼の裏に浮かぶ。
誰の息遣いも聞こえぬ、恐ろしいほどの静寂。
皮膚の色すら識別できないほど損壊し、瓦礫と共に拡がる駆藤。
脳に刻まれたそれを想起してしまうため、どうしても静けさを嫌ってしまう。
「───初めまして、と言えばいいか?」
そうして道なき道を抜けて岩場へと出たと同時、ブルースは手を上げながらそう言った。
その声に、岩場にいた青年は突然のことに驚きの表情を浮かべ、逃げとも構えとも取れぬ姿のまま固まった。
身に纏う道着と、鍛えられた肉体。
青年の特徴からして武術を修めている事は明白だったが、ブルースは物怖じせずに歩み寄る。
一目見てブルースの対人に長けた肉体を見抜いた青年は、戦闘になれば恐らくは勝ち目のないことを理解し、覚悟を決めた顔で唾を飲む。
「あぁ、あー……何もしない。見逃してくれ」
「はじめましての挨拶には、はじめましてか、こんにちはで返すのが普通だと思うが」
「じゃあ……はじめまして?」
山に暮らす、人嫌いの青年。
その情報を聞いて、ブルースはここを目指した。
人嫌いというには、妙に情報が残っていた。
生活の目撃者が街に多くいた。
生き辛そうで、心配している声があった。
───だから、ブルースはここまで来た。
善人でなければ向けられぬ数々の感情を辿り、その在り方を知りたいと、頼りたいと思ったのだ。
「人嫌いと聞いた。少し話したいが、いいか?」
「……構わない。お前、僕を殺そうとしていないのか」
「不必要に殺しをする理由が無い。当たり前だ」
その言葉に、青年は驚いたような、それでいて疑うような目を向ける。
しかしブルースは、それを一切気にせずに話を続けた。
「まず、なんて呼べばいい」
「……ひとまず篠森と呼んでくれ」
「俺はブルースだ。それは、苗字か?」
「そうだが……?」
「そうか。よろしく」
「あぁ、えっと、よろしく」
シノモリと聞いたブルースはそれが苗字であることを確認し、それが当人から肯定された事を内心で驚いていた。
分かりやすく異能に絡んでいない苗字である事から、それが異能姓ではなく本来のものである事が察せられる。
この時代に異能姓ではない名字を名乗る人間は、家族との繋がりを覚えている人間で間違いない。
得た情報からその輪郭を捉えつつ、ブルースは篠森にとりあえず腰を据えられる場所はないかと問う。
そうして篠森に案内される形となったブルースは、歩きながらピリピリとした違和を察知した。
異能を向けられているような不快感。
それに加えて、注視されているような居心地の悪さ。
異能によって何度も生命の危機に瀕していたブルースは、法則を介して異能に干渉されている事を朧気に感じ取ることができるようになっていた。
それは世代を経る毎に失われていく感覚の類であり、異能の干渉が飽和していない時代だからこそ感じ取れるもの。
法則や空間に作用する異能が希少な時代だからこそ、未だ日常に溶け込まぬ違和がある。
「怖いか?」
ブルースの言葉を聞き、少しだけ篠森の歩幅が乱れる。
「……少しでも何かを感じ取れば、僕は逃げていた。それでいて、逃げられない事も同時に理解している」
「感知系か。何かをしているのはわかったが、何をしているのかまではわからなかった」
「正直に言えば、僕はあなたに勝てないだろう。ここまで近付かれた時点で勝機はない。諦めていると言うのが正しいのかもしれないな」
疲れた顔でそう喋りながら、洞穴へと辿り着いた篠森はガタガタの枝を組み合わせた椅子のようなものを引き出した。
何も言わずそれに座り、軋む音に若干の不安を感じながらブルースは洞穴の奥へと目をやった。
汚い幾つかの服と、積み重なった本。
驚くべきことに、世俗から離れながら文明に興味を持っているのかと考える。
この時代に本を読む若年層は極僅かで、そもそも本を知らない子供もいることを鑑みれば、ある程度の教養と背景が読み取れるものだ。
「本が好きなのか」
「嫌いではない。本の中の人間は……こちらに悪意を向けない。安心して人間を知る事ができるというのは私にとって諦めたものを補完するように感じている」
「好きと語るには悲観的な内容だな。全ての人間がそうではないだろうに」
「……いや、この世に正常な人間などいない。悪意による危機を察知するこれが1日として止む日は無く、だから僕は諦めることにした」
自らの頭を指で叩き、疲れ切った笑みを浮かべる篠森。
感知系は特に精神が不安定になり易い事をブルースは身を以て知っている。
耳が良い。
たったそれだけの異能が暴走し、自らの心音に苛まれて発狂した存在を、ブルースは見たことがあった。
「それで、何用だ。話したいだけなどという理由で僕を探すなんてことはないだろう」
「……お前は、悍ましいほどの悪を感じたことはあるか?」
「悪……概念としては、知っている。僕のこれが反応するのもまた悪意によるものだ」
篠森は悪という概念を十全に理解できていない。
識字率が低下した時代に本を読めるという、
篠森にとって悪とは、自分以外の皆がそうで、自分以外の全てが異常なのである。
ブルースの肉体を見て勝てないと判断したからこそ諦めてはいるが、通常であれば一目散に逃げていた。
それほどまでに、人への不信感は強い。
「悪意を察知できるのか」
「……改めてそう言われてみると、わからないな。僕は自らの異能を詳しく知らない。危害の直前に頭へ響くこれを単に悪意の察知として捉えるのが正しいのか断言ができない」
「その話はそこまでだ。異能の詳細は生命線になる。俺もそこに探りを入れたいわけではなかった。喋りたくないことは喋らなくてもいい」
「そうか?」
篠森の認識では喉元に刃を突き付けられて脅されているに等しい。
命乞いのような感覚で時間稼ぎをしようと話していたのだが、ブルースとしてはそこまで開示をさせたいわけではなく、少し焦りながら話を断ち切った。
「情報の取り扱いについて探りを入れる癖がついてしまっていけないな。さっさと本題に入ろう。俺は協力を求めに来た」
「……誰かと間違えていないか?」
「いや、人嫌いな人格者を求めていた。間違いではない」
確信をもったブルースの言葉に、それを反芻して理解した篠森は徐々に怯えが抜けていくのを自覚していた。
協力という、知ってはいるが馴染みのない言葉。
「協力、と」
「あぁ、協力だ。利用ではない。当然ながら断る権利もある。俺は君の意思に信じてほしいと願いながらここまで来た。話を聞いてくれるだろうか」
「選択をできる、断る権利……」
いざ降って湧いた
他者から多く与えられたものに、拒否権はなかった。
いざ断っても良いという選択肢を前にして、篠森は躊躇した。
それは前向きな反応ではなく、未知への戸惑いから来るもので。
「……」
「迷うなら、話を聞いてから判断してもいい」
「それならば……聞いてから判断しよう。僕に何ができるとも思えないが」
「それならばまず、ある存在について語るところから始めよう。世界の支配を志し、自らの夢へ向けて他者を踏み躙っていく奴がいる」
「それは、誇大妄想というか……不可能だと思うが」
「いいや、事実として存在する。異能を与奪できる異能を持ち、人を搾取しながら塵屑のように捨てる存在が」
そこで少しだけ言葉に熱の入った事を自覚したブルースは肺に溜まった空気を吐き、ゆっくりと息を吸う。
山中の涼しい空気に喉が冷え、思考が静まっていく。
「……すまない、感情と事実を切り分けよう。まず奴の行いの一つだが、機械的に人を産ませ、異能を発現したらそれを奪い、用済みとなった子供を奴隷として、または健康な臓器として売り捌いた」
「……」
「次に、異能を与えることをエサに有力者の懐へ潜り込んだ。取り込もうと動き、どうしても難しければ周囲の人間を操作して擬似的な操り人形とした」
「それが事実だとして、その、なんだ。僕にできることはなさそうだが」
所業を聞いて篠森は顔を引きつらせたが、ブルースは緩やかに首を振り、一つ息を吐く。
自然と姿勢が前のめりとなり、椅子が軋みを上げた。
「出来ることはある。俺が頭を下げてどうか頼まれてくれないかと、そう願うほどに。もう少しだけ話を聞いてくれないか」
「あ、あぁ。話の途中ですまなかった」
「……気持ちは、わかる。俺では……足りない。俺も同じ感覚を持っている」
ブルースの顔に浮かぶ、疲れた笑み。
「いくつかの悪行を挙げたが、俺達はその存在が成した行為が許せずに戦い続け、ついに奴を倒すための手段を遺すに至った」
ブルースの瞳が細められ、篠森はその視線に籠る数多の感情を読み取って背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
人と向き合うことを、見ることを諦めたからこそ、逃げられぬ場で狂気的なまでの強い意思を前に、篠森は慄いた。
篠森はブルースのそれを、火に曝された刃のようだと感じる。
表面上は静かに見えるためにどれ程の温度かを見誤ってしまうものの、触れれば傷付け、肉を焼き焦がす程の鋭さと熱さ。
それをブルースの瞳から感じ取った篠森は、無意識のうちに呼吸を止めていた。
「───話が長くなった。ようはそれを預けたいという、そういう話だ」
「初めて顔を合わせた僕に、それを託すのか?」
「これは……俺の手では完成させる事が出来ない」
ブルースの瞳に、憎しみにも似た陰が差す。
「それは、単一で完結しない。俺の生涯では足らない。長期的視点で真価を発揮する、そういうものだ」
調査結果を思い出し、握った拳に力が入る。
時期を経る程に、異能が強まっていくという可能性。
この時代でAFOという目標に届くに至らず、先の世代に託し続けていつかを探すものだという結論。
与一から始まり、駆藤から継がれた異能。
承諾の保証無くしてそれを話すことは出来ないが、自然とブルースは自らの異能を確かめるように指を弾いていた。
自らに発現した【発勁】という、
それを使い熟してきたからこそ、蓄積するタイプの異能の強い使い方をブルースは知っている。
可能な限り溜め、貯めていく運用が最も理想的。
AFOに狙われ続けるために継承者を無為に増やす事は出来ないが、それでも長期的に保有者が続けば続くほどそれは果てに魔王すら超越しうる力となるだろう。
「良くわからないが、例えば僕はそれをどう扱えばいい」
「……それを隠してほしい。それを掲げて人を集めろというわけではなく、いつか託す存在が現れる時まで身を潜めてほしい」
「それだけで、いいのか?」
「あぁ、俺が望むのはそれだけだ」
【発勁】を使用して指を弾く。
蓄積された運動の解放によって強烈な破裂音が響き、篠森は反射的に腰を上げて逃げの構えを取った。
「俺は、その悪が許せない」
ブルースは体を前に倒し、立ち上がったままの篠森と視線を合わせる。
「悪を倒したい。ただ、俺の手ではそれを成すに至らず、いつか未来でそれが果たされるために、助けて欲しいとここに来た」
協力の確約無くして詳細は語れないもどかしさを感じるも、ブルースの冷静な部分が情報制限の重要性を自らに言い聞かせ、熱くなった心を締め上げる。
「本当は全てを語りたい。それが誠実だと、俺もわかっている。だが、これ以上を知れば無関係には戻れない」
知っているということは、それだけで意味を持つ。
「もしも請け負ってくれるのであれば、俺はこの身を、命を賭して目を引き、ここを隠すことに全力を尽くす」
「……」
「断る事もできる。それでも俺は、頼みたい。篠森、君の事を街で聞き、この時代に正気なままだと見込んだからこそ俺はここに来た。どうか頼まれてはくれないか」
熱く灼けた鉄のような心を持ちながら、真摯に願うブルースに。
篠森は内情を全て認識していないとはいえ、この時代に受けた覚えがないほど真っ直ぐな頼みに心が揺れていて。
「……悪を、倒したいという認識であっているか」
「そうだ。俺の、俺達の願いは……正義になりたいわけではなく、善を説きたいわけでもない。ただ、悪を討つことだけが目的だ」
「───悪を倒したいというだけなら、僕もその思想に共感できる」
篠森は目を伏せ、自虐的に笑う。
己の生涯、家族と分かれて生きてきた中で、人間の醜さばかりに触れてきた。
悪意を受け、逃げてきたこれまでを思い返し。
それらとは比べ物にならないほどの悪を討ちたいと願う男を前に、篠森は。
その意志を、願いを。
そうなればいいなと、篠森は心の底から同意した。
「何かを成すことも出来ないが、それでも、ここまで来て頭を下げた誠実さと、その強い意思に心の底から敬意を抱く。助けになるのなら協力させてはくれないか」
異能に振り回されて生きてきた男は。
久方振りに、異能を介さずに人を見た。
それは、薄い色の髪を後ろで纏めた、人相の悪い男だった。
炎に曝された刃のような、そんな男で。
「そうか、そうか……心よりの感謝を。その決断と覚悟に俺もまた敬意を。本当に……ありがとう。この感謝を、俺は死してなお忘れることはない」
気が楽になったとばかりに背もたれに身を預けて深呼吸を繰り返したブルースは、ゆっくりと体を起こして篠森に頭を下げた。
「俺達の敵は、
「AFO……長いな」
「フ、そんな感想が出るのか」
AFOを知る人間であれば出てこない呑気な感想に、ブルースは小さく笑う。
「その、所業は理解したが、人柄を聞いてもいいか」
「……全てを自らにとっての道具、または所有物と考え、障害と判断すれば例外無く殺す。実の弟すら、その例外ではなかった」
「家族すら……?」
「奴にとっては自分以外に大した区別は無いのだろう。少なくとも俺にはそう見えた。俺の所属する組織が奴の弟を保護し、奴を止めたいという願いを聞いたのだからそこに間違いはない。そして───」
言葉を止め、ブルースは瞳を閉じた。
経緯、そして調査の結果から生じた結論を想起し、臓腑の奥が燃え上がるような熱を錯覚する。
「───その弟が遺した異能、受け継げる異能が、先程まで話に出していた奴を倒すための手段となる」
それを聞いて、篠森は。
驚きと、疑念の混ざった表情でその意味を反芻する。
「……受け継げるというのは、どういうことだ」
「言葉の通りだ。奴の弟が遺した異能に譲渡、そして恐らくは蓄積という性質があり、それによって異能を引き継いでいく」
継がれていく異能。
それは、ブルースにとって。
「あぁ……皮肉だ。皮肉だよこれは。俺はこの異能を全員は一人の為にという意味で【
「……贄と呼ぶのか。己すらも」
「一人の為に、命を賭して繋げていく。この力を継いだ全員が……ただ一つの目的のために」
継承され、力を蓄えながら強くなり続ける異能。
貴重な時間を、生涯を浪費して磨き続けなければならない。
それを自覚したブルースは、この異能に名を付けた。
【
それは、全てを己の為とする異能、【
だが、ブルースは共に過ごした与一と駆藤の遺したこれを、後世に必要なものだと考えていた。
世代を経て、どれほど強力な異能が産まれたとしてもそれ一つでAFOに打ち勝つことは難しいと、ブルースは悲観的に仮定している。
その世代の多くの異能を収集できる存在に勝とうとする時、その世代総てを超越しなければならないという想定をしなければならず、勝機は薄いと結論付けた。
それこそ、願星蒼のような突然変異が現れれば別だが、アレのような存在はそうそう現れないとブルースは睨んでいた。
異能としての質を高めながら継いで世代を跨ぎ、一つの世代では辿り着けぬ高みへと至る事で総ての異能に対する超越を目指す。
【OFA】という異能を調査し、性質を大まかに理解したブルースは、この異能が目指す地点をそこと定めていた。
「今は渡すことが出来ないが……あと数年で準備が整う。3年後の春、その時にもう一度だけ会いに来る。俺がそこに来なければ……俺のことは忘れて生きてくれ」
「あぁ。いや……忘れないさ」
忘れられるわけもない。
わざわざここまで訪ねてきて、対話を求める人間などブルース以外にいないだろう。
そんな篠森の言葉に、ブルースは目を細めて笑った。
「もしも悪意を察知した場合はこの場所から逃げてもいい。だが可能ならば、3年後の春の間はこの近辺に居てくれると助かる」
「理解した。逆に3年後の春に俺がいなければ、死んでいると思ってくれ」
「あぁ……いや、探知系が逃げられずに死ぬなんてありえるのか?」
「俺のこれは悪意ありきだ。自然に発生する土砂崩れや洪水は察知できない。人の手が入っていれば恐らくは反応するかもしれないが」
「そういうものか。流石に地形が崩れていたら、その時は互いに運が悪かったと諦めるさ」
ブルースは少しだけ顎に手を当て、AFOの存在を前にしてその異能がどう作用するのかを曖昧に考えて。
悪意が成される直前に響く、特殊な探知系の異能なのだとしたら。
「───もしも山中にいて、悪意を察知するそれが鳴り止まない時が来たら、それはAFOが手を出そうとしている可能性が高いのかもしれない。気をつけてくれ」
そんな、【危機感知】の詳細がわからないなりに警告を行うブルースの言葉に。
篠森は血の気の引いた顔で、震え上がった。
「どうした」
「───僕の異能は、危機に対して直前に一度だけ響くものだ」
「……」
「だけど、一度だけ、一度だけ鳴り止まない事があった」
視線を向けられていること。
意識を向けられていること。
思考を割かれていること。
ただそれだけで、己の異能は危機を感知していた。
ほんの僅かな殺気から、危機感知が脳内で鳴り続ける異常事態。
少なくとも篠森はそう錯覚し、その存在が酷く恐ろしい生き物に見えていた。
それは。
「AFOとは、目に包帯を巻いた女だったりするのか……?」
その言葉を聞いたブルースは、危機感知無くして、非常に嫌な予感を察知した。
脳内で、何を考えているのかわからない能天気で変な女が、AFOと勘違いされて嫌な顔で唾を吐き始める映像が再生される。
「…………髪の色は」
「灰色だったと思う」
ブルースはゆっくりと手で顔を覆う。
無言のまま前髪を掻き上げ、言葉に迷ったまま再度顔を覆う。
何をしているんだという気持ちと、何故という疑念が脳の中で渦巻き、眉間に皺が寄る。
そうして数秒間、ひねり出す言葉もなくただ俯いて。
「…………俺はソイツを知っている。少なくともAFOではない」
ひとまず、情報の共有を選択した。
「こちらとしてはアレを敵に分類してはいない。一応AFOと敵対している存在で、少なくともこちらから刺激をしない限り敵にはならない。遭遇したのであれば、不幸だったな」
「アレを知っているのか……?」
「そういう異能を持つ女だ。ただ存在するだけで感知系を殺していく存在。災害のような女だな」
駆藤が接触する以前、蒼が裏社会で運送を行っていた頃、周辺で活動していた感知系の異能持ちが突如として消失した事をブルースは覚えていた。
願星蒼という女が感知範囲に入っていた場合、奴の行動次第で感知側に被害が及ぶ。
篠森の異能について細部までを理解していないブルースだが、それでも蒼が殺そうという気になったのであれば篠森が生きている筈がないという程度には蒼の危険性を理解していた。
「その、あんな存在がいるのに、本当に僕は必要なのか?」
「絶対に必要になる。奴はAFOに対して嫌がらせを行えるが倒すことはできず、俺達と足並みを合わせられる異能でもない。利用はできるが全面的な協力は難しい。そういう存在だと思ってくれ」
そう溢したブルースに、篠森は納得しきれない部分がありながらも頷いた。
これ以上を尋ねるには、本当に疲れた顔をしていたのだ。
首を振って話を終わりにしたブルースは、顔を真剣なものへと戻し、AFOを想起しながら言葉を紡ぐ。
「支配とは……自らでは気付けない、そういうものだ。あぁ……そうだな。組織の長は、俺の友は。過去を憎しみながら、未来を危惧していた。一方的な停滞を、不自由を、悪を討ち倒すために」
「……自由への羨望が始まりだったのか?」
「どちらかといえば、隷属への抵抗に近いと思うが……まあ、篠森にはあまり関係がないことだな。AFOとの確執が無いからこそ、この力に必要以上の意味を見出さないのは良いことでもある」
【OFA】に対し、ブルースは与一と駆藤を知っているからこそ多くの私情を含んでしまう。
確執も無く、AFOすら知らなかった存在に【OFA】を託す事を決断したのには、そういう意味も含まれていた。
「俺の願いを受け入れてくれてありがとう。全ての準備が整った時、また会おう」
「あぁ、僕も……いや、ワタシ、私も、約束を果たすまで精一杯生きていこう」
何かの表明のように一人称を変えた篠森に、ブルースは片眉を上げる。
「何かの意思表明か?」
「私の好きな本では、『大人は自らを私と呼ぶもの』と言っているのでな。私もそれに肖って今よりその覚悟を抱く大人になろう」
目を閉じ、言葉に出す事で宣誓のように。
悪を嫌い人を見限った男は、しかしその焼けた刃の如き意志の熱に中てられて同じ色が心に灯る。
「ブルース、私の命の使い方は決まったよ」
開いた瞳には、確固たる意志の光が輝いていた。
「私も……贄として同じ意志を果たす事を誓おう。必ず、また会おう」
そうして差し出された手を、ブルースは───
「あぁ、感謝する……ッ」
震える両の手で包むように、強く握った。
───篠森と別れ、山中を抜けてアジトへと向かうブルースは、日が暮れた夜闇の中でも脚は止めず。
「───全身全霊を賭けた
AFOは、既に【OFA】について朧気に掴んでいる。
これまでの戦闘によって遺された数少ない情報の中で、異能をストックする異能について話を出したのをブルースは知っていた。
「優秀であれAFO」
釣糸は既に垂らしている。
気付け。
さも、追い詰めたかのように現れろ。
詰んだ盤面を作るために、時間を浪費しろ。
「そして、ほんの僅かに愚鈍であれ」
組織の全員を使って戦争を仕掛け、そして目を逸らす。
異能の研究知識があるブルースは今代での勝利を諦め、冷静に現状を見定めていた。
この世代では、AFOには届かない。
「……お前は、どこにいるんだ?」
篠森に会うために山へ足を踏み入れる前。
念のために顔を合わせようと役所にて蒼の名を出してみれば、蒼という人間は異最上の生き残りにより襲われ恐らくは亡くなったという情報を与えられた事を思い出す。
そんな訳が無いだろうと、ブルースはため息を吐いた。
その程度で死ぬ存在であれば、もう数十回は死んでいるだろう。
生きていてくれなどという繊細な祈りはない。
ブルースは蒼のことを信用はしているが、信頼はしておらず。
「頼むから邪魔だけはしてくれるなよ……」
祈るように指した駒が並ぶ盤面を勢いというただ一点で蹴っ飛ばしかねない存在が行方不明という事実に、ブルースは目を細めた。
葉の揺れる音の中、限りなく小さな呼吸音と足音が続く。
汗ばんだ体が、夜風に冷まされても。
未だ、篠森と握った手指だけは、暖かな熱を持っているように感じていた。