「あー……まあ、恋愛に関しては自由だから私からは何も……」
とりあえず個人の意思は尊重されるべきなどという、眼前で舌舐めずりをする肉食系への畏れからか、普段であれば考えられないような配慮を出した蒼は女医の胸元を凝視しつつ身を引いた。
凝視については、己が持ち合わせぬ破壊力を前にまあ貰えるものはついでに貰っておこうの精神である。
ついでに乳房の張り出し方もとい胸部の厚さからして、それが翼を支え、腕のように動かせるために常人より発達していることを読み取った蒼は、女医の骨格が多腕に近い事を察した。
人間の重量からして、恐らくは飛べない。
しかし翼腕を動かすために、つまり肉体は飛行しようとその筋骨は従来の規格から作り変えられている。
ホークスの剛翼とは違い、第1世代の異形系に分類される異能の殆どは
有用な使い方も見つからないであろう翼を生やした女医は、その苦労を微塵も感じさせない程に自信に満ち溢れていた。
そしてそれを向けられている修善寺は、表情を変えずに椅子に座る。
「俺に利点はあるのか」
「ありがとう」
「おい」
「まずはありがとう」
「おい」
「いや……ありがとう」
「話を……」
「うんうんうんうん、脱げばいい?」
「ゴリ押しでなんとかなると思ってる人?」
白衣をスッと下ろそうとした女医に、蒼が堪らずツッコんだ。
女医は困ったように腕を組み、何が分からないのかが分からないというように表情を変える。
「私を乱しても良いという極大のメリット以外に何か必要が……?」
それはまるで、物を離したら重力に従って落下することを語るような顔であった。
そんな言葉を受け、蒼は女医の顔から足先まで視線を動かして。
「まあ、確かにメリットだ……」
「帰っていいか」
自信に満ち溢れるに足る肢体であることを認め、ゆっくりと頷く。
修善寺にしては珍しく疲れた顔で項垂れ、異能に関する思想に偏りのない存在に対し、どうしたものかと困惑していた。
そんな様子を見て、ハッとしたように女医は口元に手を当てると、神妙な顔で胸元のペンで修善寺の股間を指す。
「───私ほどの身体に欲望をぶちまけたいという意思が感じられない。ということは不能か」
「えっ修善寺そうだったんだ、なんかごめん」
「何故お前がそっち側に寄るんだ」
そして野次馬根性丸出しのまま医者のそばに立った蒼は、修善寺の事を指差して下世話な笑みを浮かべる。
「でもアイツ、時々売春街に出てるぞ」
「えっ」
「おい」
修善寺が稀にとはいえ、夜な夜なふらっと居なくなる事を知っている蒼は、女医に告げ口をした。
何故知っているのかという視線を双方から受けた蒼は、己と修善寺を指差す。
「同居してるから知ってるだけ。あと帰ってきた後の女臭い感じすごいからなお前」
「ひょっとして先約アリ?」
「あ、私? 違う違う、だったらアイツは売春街出ないでしょ」
「あっ確かに。でも君がいるのにわざわざ売春街に……?」
「俺も化け物相手に人間的衝動は覚えない」
「…………言い出したのは私だけど、なんか釈然としないな」
「ふぅん……じゃあ余地ありだ」
女医は数度頷くと、一旦仕事の顔に戻る。
「んじゃ、改めてちゃんと診察でもするか。弱点とか見つかるかもだし」
「流石に出てった方がいいか」
「いや、君も居ていいよ。彼の追加情報とか出たら嬉しいからね」
「出てけ」
そういう訳で診察室から出た蒼は、廊下の椅子に座っていたリンの隣に座る。
別室での検診を受けていたリンは、頭部に生えた角に関する詳細な触診による違和感によって、自らの角を掴んだ滑稽な格好で足を揺らしていた。
「そっちも終わった感じ? こっちはなんかすごい人だったわ」
「別のお医者さんも入ってたし、騒がしいなとは思ったけど。有名なお医者様だった?」
「いや、有名というよりかは勇猛というか……」
「それ医者が冠していい言葉なの?」
リンは首を傾げつつ、自らの角を擦る。
「……今回、政府がお金と人を出してくれたけど、これからもこうやって助けてくれるのかな」
「運輸拠点の一つだから、国もここは比較的補助とか頑張るんじゃないかなあ」
「ここはって……じゃあ、他のところは?」
その問いに、蒼は口を開かなかった。
診察室の扉の向こうからくぐもった声と、何かを運ぶカラカラというタイヤの音が聞こえるほどに沈黙が場を占める。
蒼は無意識の内に顔の包帯を撫でながら、口を歪めた。
「……なんでもかんでも、無限に出てくる訳ではないよ」
「困っている人が、どこかで助けて欲しい人が居るのに、国は選別するの?」
「…………」
どう説明しても納得をしないであろう顔で蒼に向き合ったリンは、確かな怒りを滲ませていて。
蒼にしてみれば青く、力の伴わない子供の理想論ではあるが、それを仕方の無いことだと一言で片付けるのはあまりにも人間味が欠けている事を理解していた。
黎明期の閉塞感。
この時代に生きているならば、殆どが抱くようなそれを、大切に箱の中で育ってきた彼女はようやく感じ取り始めたのだろう。
思春期というのもあり、発達によって世界の解像度が上がっていったのもあるのかもしれない。
蒼にしては珍しく、少しばかり考えて。
「順序を違えてはならない」
「……」
「誰かを助けられる人間を先に立たせれば、それらが動けるようになって最後に救える人間の数は増えていく。弱い人間だから助けるというだけであれば、最後には手が回らなくなって救えない人間が増えていく」
「……」
「物事には適した順序がある。機械的に実行する役割を被せられた政府の人々も、それを望んでやっているとは限らない」
リンの願いには、力が足りない。
助けたいという意志を実現するには、知識が、資金が、権力が、人望が、実力が、経験が。
不満そうに黙り込んだリンへ、蒼はその勢いのまま何処かに飛び出しそうだなとまで思いながら言葉を続ける。
「───選別すら出来なかった頃に比べれば、誰かが救われるだけマシなんだよ」
政府が倒れ、法という抑止力が低下した結果を見てきた蒼の言葉は、本人が思うよりも重さを持っていた。
異能を使い、物資を奪う事しか生き方を知らない若者。
それらに憎しみを覚え、集団で迫害または危害を加える大人。
世間を恐れ、息を潜めて買い物にすら出られない市民。
子の食事のためだけに裏社会の物資に手を出し、そのまま行方不明になった親。
早くに親を喪い、その手に何も掴めないまま路地裏で寒さに震えながら寝転がる遺児。
誰からの援助も無く命を散らしてきたそれらの内、国の動きによっていくつかが救われるのであれば、更にその動きでは足りないと批判するのは身勝手である。
自らは何もせず、不備だけを
思想は確かな正義感に満ち溢れており、ヒーローとして苦難の前にそれを語れば人を惹く魅力はある。
しかしリンは若く、世の多くを未だ知らないのだ。
それをわかっているからこそ、蒼も諭すような口調になっていた。
「もしも、それでも政府の確かな頑張りを不足していると否定したいのであれば自分で動くべきだよ。ただ……この町に生かしてもらった分、せめてその恩を返してからの方が筋は通ってると思うけどね」
さて、と椅子から立ち上がった蒼は、そろそろ終わるだろうと扉に近寄る。
知覚の限りでは双方が椅子に座ったまま、時折妙にねっとりとした触診をされているが、それ以上の奇行は見られない。
比較的時間がかかっているのはやはり異能の特殊性と無痛症が見られるあたりだろうかと思っていれば、知覚の中でおもむろに女医が急に白衣を脱ぎ出した。
「おっと」
「何を……」
「シッ」
野次馬根性を剥き出しにして扉に耳を当てた蒼は、見咎めるようなリンを人差し指を立てることで牽制し、耳に集中する。
「───じゃあ全部脱いで寝転がってくれる? すぐ終わ……るかどうかは分からないけど、優し……くするかどうかも分からないか。まあ、流れに身を任せればなるようになる」
「おーい! 音漏れしても気まずいから後にしてくれーい!」
思った以上に直接的に事に及ぼうとしているのを聞き、流石に静止するために押し入った蒼に対し、上着に手をかけていた女医は不満そうな顔を浮かべた。
先程までシリアスに引き締められていた蒼の顔も、あまりの温度差に若干画風が不安定にすら見える。
「場所が無いんだもの。チャンスは逃せないわ」
「じゃあ修善寺と住んでるとこ使っていいから。ここでは良くないだろ」
「早く終わらせましょう。ほらっ終わったら行くわよ」
「一直線すぎる」
白衣を着直した女医は、蒼がいるのを気にしないまま修善寺に向かい合う。
カルテに記載した情報を脳内で整理しつつ、女医はニッコリと笑った。
「一応病気とかそういうのは無さそう。無痛症かと思ったけど、どちらかといえば……
余程早めに終わらせたいのか、明らかに早口のまま情報が垂れ流されていく。
当の本人は面白そうに笑いながら、胸の谷間を指で叩いた。
「異能は、身体をより適したものに作り変える事がハッキリと分かっている。私もこの翼を支えるために骨格や筋肉の作り方が僅かに通常規格と異なるように、貴方の身体もまた【修繕】という異能に適した形に成ったので多分問題はなし。制御については気を付けて。ハイッおしまい! 行くわよ!」
「仕事終わったならいいけどさあ」
「残ってるわ!」
「やめとけってお前」
翼をバサバサと動かした女医は、暫く葛藤するように唸ると椅子に荒く座り、回転しながら溜め息を吐く。
「異能持ちの患者の中でも身体機能に特殊な症状が見られている場合には伝えているんだけど、本来生物が緩やかに時間をかけて行われる環境への適応、進化が異様とも言える速度で行われているのが現状なのよ」
「あの、それ言うのすっ飛ばして切り上げようとしてた?」
「……勉強会に出席している医者はそれを理解していて、それが既存の症例と類似していても、完全に合致したものとして診てはならないとしていてね」
蒼の言葉に視線を反らした女医は、凝り固まった筋肉を解すように自らの翼を広げた。
それは端から端まで、修善寺の背丈を超えるほど大きな翼である。
それは、猛禽の翼だ。
狩人の翼を備えた女医に、ひょっとしてこの肉食系な性質も異能に寄せられているからなのだろうかと蒼は思いつつ、室内の端にあった椅子に座った。
「ん……はぁ。貴方の痛覚麻痺のように、異能由来の症状は突飛もない事が原因だったり、そもそもそれが最初から
「あの、質問いいかな」
「どうぞ」
「遺伝について、修善寺の子を孕むのであれば子も修善寺と同じ無痛のリスクを抱える可能性が高いと思うんだけど、そのへんってどう思ってるの?」
「あぁ……アンタ、知ってることもあるけど、知らないことも多いのね」
蒼の質問に、女医は分かりやすい説明となる語彙を脳内に浮かべつつ、ペンの頭で頬をなぞる。
「急激な適応と進化によって、恐らく次世代の子は異常と分からないように身体がより馴染んだものになっていくわ。異能によって生じる痛みを薄れさせる無痛は、もっと違う形で現れるでしょうし、【修繕】という異能が更に人の身体に馴染んだものにチューニングされるかもしれないわね。少なくとも、世代を経る毎に異能は絡み合ってより強くなり、それを宿す器である体も更に適格なものに近付いていくのよ」
「なるほど?」
頭にクエスチョンマークを浮かべた蒼に苦笑しつつ、女医は簡単に結論を言うならどうなるのかと少しだけ考えて。
翼を揺らして数秒、紅が引かれていない薄い唇を開く。
「世代を経ると人間はより適した器になっていくから、大体は上の世代よりマシになるのでひとまず産んだほうが良い。雑に言ってしまえばこうかしら」
「思ったより適当な感じだった……」
「これに関しては、いつか器の書き換えが間に合わずに異能が超越するってあのくだらない終末論も馬鹿にできない訳だけど、少なくともずっと先になるはずだから、我々の世代なら強い異能を沢山産んだほうが血を残せる確率が高いのは確かね」
医術を修めるに至った才覚の持ち主でありながら、動物的に血を残す事に意味を抱いている女医はそう結論付けた。
「だから、強い異能は子を残すべきよ。掛け合わせていけば、いつか
「それは、そうだねえ……」
個性婚における失敗例を脳裏に浮かべつつも、蒼は女医の意見に肯定的だった。
───個性婚。
原作においては、主に轟家という一家を通して描かれた概念である。
開始時点でNo.2ヒーローであったエンデヴァーが個性婚によって子を成し、結果的に本人と妻子それぞれの人生に歪みを残した。
時代にそぐわない個性婚によって産まれた彼等は、否応なしに誕生から意味を背負わされることとなっていた。
しかし子が強く、丈夫に生きていけるように親が願うことそれだけであれば、その考え自体にはおかしな部分はない。
オールマイトという強すぎる光に執着してしまったからこそエンデヴァー周りの個性婚に関する話は悍ましさを帯びたものの、恐らくは第5世代であっても個性婚そのものは意図的ではないだけでありふれていた。
根本的に近い異能は共通項により惹かれる事も多く、苦手分野が似通っていれば生活基盤が合いやすい。
結果的に子供がより強力な異能を宿すという点においていえば、それらにあまり違いはないものだ。
結果的に先鋭化して強い異能を宿した子供と、弱点を補おうと相反する異能を掛け合わせた子供という部分に蒼はあまり差がないものと思っている。
なおかつ
原作を知る蒼はそれらを踏まえた上で、扱いからして
「一応聞くんだけど、医者としてなんかこう、強い子供を作るみたいなところに抵抗感とかは無いの?」
「んは、勉強会の御先輩方と同じ事を言うね。私はこの時代でそれを論じたければ、弱者が命を落とさない平時を作ってみろと言ってやったよ」
後世において論じられる禁忌。
しかしそれは、選ばなくても良いという自由があるからこそ議題になるもの。
選ばねば生きていけない時代において、それは当たり前にあるべきだという女医の意見に、蒼はこの時代ではそういうものかと納得した。
「時代に負けない異能、子供が元気に育ってほしいのであれば、強い異能を求めるのはこれからの時代において当たり前になっていくよ」
「…………」
そんな女医の言葉に、わざわざ入っては来ないが、廊下にいるリンが聞き耳を立てているのが蒼にはわかった。
時代の閉塞感を解決したいと朧気に望むリンと、時代に打ち勝つ道筋を捉えている女医。
それぞれが見ている方向は近く、先程の話も含めてリンはこの意見に強く揺らぐだろう。
「だから仕込んでくれって話。んじゃ質問無ければ後で……そういえば、アンタ達って町から除け者にされてるんだっけ。なんとかして合流できる?」
「役所のジジイわかるなら、アイツに言って外れで待っといてもいいよ」
「あの人ね。わかった、暫くしたら行くわ」
その言葉を最後に蒼と、どこか疲れた顔で退席していく修善寺に、女医はにこやかに手を振って。
扉が閉まっていく中、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば名前言ってなかった。
「……いい名前だな」
修善寺の褒め言葉に、女医は、羽衣香は嬉しそうに微笑んで。
「ういういって呼んでいいよ」
「距離の詰め方すごくない?」
そうして扉が閉まった。
蒼は顔を上げて修善寺の疲労と困惑の入り混じった表情を見る。
「修善寺、お前結局どうすんの」
「……勝手にしてくれの気分だな」
「お前、押しに弱いタイプだったのか」
「言い方をどうにかしろ」
目を伏せ、思考の海に溺れつつあるリンと別れて病院を出た蒼達は、一応役所の老人に断りを入れて監視下に置かれながら、町の外れにて腰を下ろす。
勇猛たる押しが全てと言わんばかりのパワーを受けた修善寺は、どこか現実味の無い感覚に襲われていた。
「……俺にこういう選択肢が来るとは思っていなかった」
その言葉に、浮ついた色は無く。
修善寺が今の生き方を選んだ原点より、忘れること無き憎しみを抱えて生きてきたからこそ、今のまま誰かに寄り添うという感覚が掴めなかった。
本来、仲間に対する親愛の深さ故に怒りを薄れさせない修善寺は愛情深い人間である。
自らの下に集まって担いできた、今は亡き異最上に対しても、それらが向けてきた感情を大事に胸にしまい、原動力とする程度には愛を大事にしている。
押しに弱く、好意を向けられれば内に受け入れてしまう修善寺は、純粋な愛欲を向けられた時に明確に断ることが出来なかった。
しかし同時に内に抱えた憎しみがあるからこそ、単に人間的な愛そのものを受け入れる事に躊躇が芽生えている。
「まあ、やった後の虚無時間に考えなよ」
「目的は恋愛じゃなくて種だけにも思えるが、お前としてはどう思う」
「いや、全然生涯を共に誓い同じ墓に入って貰う感じだの目だったけどね。捕まったら終わりだと思う」
「……」
「どうすんだ修善寺」
「全てどうにでもなってくれの気分だ」
肘でドスドスと脇腹を突かれた修善寺は、珍しく本当に決めかねていた。
そうして時間を潰していれば、白衣を脱いでラフな格好となった羽衣香が駆け寄ってきて。
「っしゃあ! 行くぞ!!」
腹から出された活きのいい声を浴び、蒼と修善寺は強風を受けたように髪がワッと後ろに流れていく。
蒼が廃屋の方向を指差して、細かいところはソイツに聞いてと言えば、羽衣香は修善寺の腕を掴んでズルズルと引き摺りながら廃屋への山道を突き進み始めた。
「……明日の夕方には戻るからなー!」
手を振りながらそう言った蒼に、羽衣香は漢らしい画風となって拳を頭上に掲げると力強く親指を立てる。
勇ましさに溢れたその姿に蒼が感嘆していると、自然な流れでその親指を人差し指の下に潜り込ませ、羽衣香は最低なハンドサインを作るのだった。