夕方に帰ってきた蒼は、かなり満足そうな顔をしてギリギリ着衣と表現できる格好の羽衣香に出迎えられる。
ガックガクの足で這うように玄関へ移動してきた羽衣香を一瞥して。
「くっさ」
廃屋に入れば売春街などで嗅ぎ覚えのある独特の淫臭が充満しており、蒼は羽衣香の扇情的な格好への感想より先に呆れた顔でそう溢した。
「換気しろ換気。修善寺は?」
「多分気まずくて逃げた。ちょっとしたら帰ってくると思う」
「なんだアイツ。……うわ派手。こんな時代にどこで売ってたんだよ」
「住んでたとこでは普通に売ってたよ。在庫処分というか、売れるならなんでも売っとくみたいな感じだったけど」
「ほーん。私もそろそろ買ったほうがいいかなあ」
黒い布面積の少ない下着を摘み上げて羽衣香の方に投げた蒼は、家中の窓を開けて換気を促す。
夜通し楽しんだ疲れから先程まで寝ていたほぼ全裸である羽衣香は、この時代に産まれたとはいえ育ちによって常識があるからこそ僅かな羞恥を得ているが、蒼があまりにも何も気にせずズカズカ歩き回るため気まずく思いながら下着を履くと掃除を手伝うことにした。
「……
「一撃かもしれないよ」
「外す度にここに来たらタイムロスだろ」
子を宿すにあたり、実際を知っている蒼は思案するように眉根を寄せ、羽衣香もまた識者であるが故に悩んでいた。
「機能に問題がないことは知ってんだけどね、こればっかりはなあ」
自身の体の隅々までもをこの時代における貴重な患者として検査を行い、理解している羽衣香はそうぼやく。
人間の妊娠確率はそこまで高くない。
一度機会を逃せば1ヶ月近くのタイムロスが発生するなど、人間は増えることに関しての性能がそこまで強いわけではなかった。
「じゃあまあ……今決めた。私もこの町に住むぞ。今からご近所さんだね、よろしく!」
「決断力やばあ」
「家買って土下座して旦那住まわせるのはいけるかな」
「修善寺は町からあんまいい顔されてないし、招き入れるのは辞めといたほうがいいよ」
「そっか……」
掃除の手を止め、思案するように顎に手を当てる羽衣香に対し、若干湿り気を帯びた布団を摘み上げて風呂場へ向かう蒼。
異能産に関わっていただけにこういった清掃に関しての抵抗感は薄く、恥じらいすら覚えない蒼は手際よく片付けを済ませていく。
「町はかなり排他的だと思うけど、どうやってゴリ押すつもり?」
「医者が足りてないから突くならそこかな。ここの医療は私の知るものに比べて遅れてる」
羽衣香が指摘するそれは、この町に収まらずこの時代のほぼ全ての医療に対してのものでもあった。
あまりにも異能に対する医学が発展していない。
未知の症例に対し、それを診療する設備と識者が存在せず、それを発展させるための猶予がない。
この町は異能持ちが仕事に絡み合っているからこそ余所と異なり安定していて、患者として定期的に異能持ちを診ている希少な地域ではあるものの、羽衣香からしてみれば積み重なった情報の内容が薄すぎる。
異能持ちに適した治療は従来の医術の範疇を超えているからこそ、羽衣香はこの町に自身の知識を売り込めると踏んでいた。
「ここの先生とちょっと話したけど勉強会をご存知無かったみたいだし、医者間のネットワークはかなり狭い。繋ぎ役として在住するという面で押せば多分いける」
「……立場をゴリ押せる人間って強いんだな……」
「いけるいける」
「あ、全部ゴリ押しでなんとかなると思ってる人だ」
漢らしい作画となった羽衣香はうんうんと頷きながらも、脳内ではしっかりと居住に向けた道筋を構想していた。
感覚派ではなく理論派である羽衣香は一目惚れなどという想定外がなければ、行き当たりばったりという選択肢がそもそも浮かばないほどには理性的である。
「そうまでして産みたいもの?」
「私が見てきた中でも彼の異能は本当に強いから残さないとね。あと顔がいい感じに老けてて良さげ」
「ふーん。で、実際の割合は?」
「建前9対1、本音4対6」
「よ、欲望に負けてる……」
遺伝による異能の系譜。
未だ二世代しか観測されていないが、異能が遺伝することは多くのデータが確かな事実であると裏付けている。
裏社会では非人道的な生殖活動によって割り出されたそれに、表社会における医療という人道的行為によって辿り着くのには10年近い時間差を要していた。
そして、遺伝による異能の先鋭化に気付いた羽衣香は。
己の異能である【大翼】を、この時代では淘汰される側の異能だと考えていた。
血を残し続ければいずれはこの【大翼】が変異するか、人体がこれを扱える形に収束していくのだろう。
しかし、この時代に生きる羽衣香はこれを扱っての飛行など到底できず、また日常機能においていえば動作の邪魔になるなど生存において不必要な部類の異能である。
それはともすれば、肉体の機能不全や生来からの欠損などといった先天性障害に実態としては近い。
黎明期の初期の頃、研究結果から異能が遺伝による先天性障害として扱われていた事を羽衣香は誰よりも実感していた。
両親から自らの異能を受け入れられたうえで愛を注がれ、褒められてきた羽艶が誇りであったとしても。
隠密に不向き。そして生活に支障をきたし、他者からの目を引く【大翼】を抱えて生きる事は羽衣香にとって苦難の道であったことは確かである。
頭脳に価値を生んだことで生き残ることができているが、この時代の生存競争の最前線は単に強さである。
暴力を前にすれば羽衣香は容易く命を落とす事は明白で、だからこそ時代に勝つ異能を産むことこそが自らの役割であると使命を抱いていた。
弱い異能だから血を残さないのではなく、どんな形であっても強い異能の系譜を持つ母数を増やすために。
とはいえ、伴侶の顔も良ければ尚良いと思っていたのも事実で、老け顔好きを自覚していた事から第一世代の顔が老けるのを待つと生殖機能が低下するというジレンマに悩まされていた中、修善寺との出会いは羽衣香にとって運命と言っても過言ではなかった。
「産むよ、必ず。あれほどの異能は後世に残さなければならない」
「……アンタ、強いねえ」
「はは……弱いよ。包丁を向けられただけで死を覚悟する程度には、私は弱くて役立たないからね」
強さがあればきっと。
仕方が無いと見捨てた多くの事を、救えていた。
もっと上手くやれていた。
そんな言葉を呑み込んだ羽衣香に、蒼は溜め息を1つ。
「私出ていくからここに住む?」
「えっ」
その提案に、羽衣香は狼狽したように翼を揺らした。
「待って待って、そんな……それなら私達が逆に出てかないと、良くないよ」
「ボロいとはいえ、住む場所もできていいと思うんだけど?」
「いや、あけすけに言うと仕込みのたびに罪悪感がチラつくとノイズになる。真剣に愉しむために雑味は減らしておきたい」
「仕込みって言うのやめとけよ」
「いくら丁寧に下拵えをしても仕込みの際に雑味が入ると最終的な品位が下がるからね」
「品位……?」
品位の話をするのであれば、この話は終始下品である。
妙な部分で真面目さを発揮する羽衣香に蒼はげんなりとした顔で首を振った。
性的対象として捉えていなかったとはいえ、流石に毎日顔を合わせていた同居人の痴態を想起させられるのは蒼としても本意ではない。
売春街に行っていたのを伝えたとは言え、それを聞き出さない程度には情けというものがある。
蒼はそれ以上の言及を避け、話を逸らすように片付けを再開し始めた。
「とりあえず、家買えるか確認しておいでよ」
「君達の同類と見られてダメそうだったら引っこ抜きでも考えようかな」
「……アイツも訳あってここに留まってるし、どうかな」
潔癖症に対する憎悪を伝えるのは気が引けて、蒼は僅かに返答に詰まる。
それを察知した羽衣香は、どこか淋しげに微笑んだ。
「その辺りは流石に……彼の口から聞いたよ」
「……アイツ、話したんだ」
「うん、事後にだいしゅきホールドしながら問い詰めたらいけた」
「へぇ〜経緯についてはマジで聞きたくなかったかも」
「彼の……憎悪は私じゃ否定できない。綺麗事で塗り替えられるような経験ではなかったはずだから」
「あ、そのまま話続ける感じ?」
余計な情報を聞いたせいで若干画風がシリアスに戻りきれないまま、蒼は神妙な顔で頷いた。
「聞いた上で寄り添うなら、知らずして踏み込んでしまうよりいいと思うよ。アイツが町の人間とぶつからないのはこの町が異能を持つ人、持たない人がそれぞれ身内として助け合っているからであって、他所に行けばアイツは自らの憎悪のために動く。無計画に動くのはあんまりおすすめしない」
「ぶっこ抜きで篭絡すれば引っこ抜けはするけど、スッポ抜けが怖いのは確かにそうよね」
「どんな顔で聞けばいいのか困るからやめて?」
真剣な顔でくだらない言葉を挟まれると真面目な空気もある程度は霧散するもので、蒼は今度こそ崩壊した画風でガタガタの表情になった。
羽衣香は抱いている羞恥を誤魔化すように口を回しているが、浮ついた気分を含むそれも時間が経てば徐々に冷静さが心に戻ってくる。
暫くすれば思い出してのた打ち回るんじゃないかと思いつつ、ある程度の片付けを終えた蒼は羽衣香へと顔だけ向けて。
「一旦引き上げる。修善寺が帰ってきたら……明日の朝にお前の今後について話したいと伝えてほしい」
「わかった」
「町への確認は……まあ、その、まともに歩けるようになるまで休んでからでいいか……」
「うん……」
股関節の違和によってヨタヨタ歩いていた羽衣香は冷静に戻りつつある思考の中で、蒼の気遣いに対して急に恥じらいがこみ上げてきて小さな声を出したのだった。
「じゃあ……引き上げるわ。居合わせてもアイツ帰りにくいだろうし。一応明日の昼には戻るからアイツぶん殴っといてくれ」
「思いっきりやっとくね」
「あ、でもアイツ痛み感じねえのか。じゃあ普通に叱るだけでいいや」
そうして片付けを切り上げた蒼は調味料を袋に入れると釣り竿を持って廃屋を出た。
海岸でのんびり釣りをして食料を調達し、町の入り口まで降りて監視役に火を借りると夕食を済ませる。
「あ、さっき食ってたそれ毒あったぞ」
「馬鹿が、騙されると思うなよ。前に同じの買ったとこで無毒なのは聞いてんだ!」
「へぇ、じゃあソイツ嘘ついてるな」
「え……えっ、え? マジで毒?」
「いやぁ、見間違いかもしれねえ。気にしないでくれ」
「気にしないわけ無くない!?」
などといった虐めなのか親切なのかもわからない情報戦を仕掛けられつつ食事を終えた蒼は道の端で寝転がった。
「なんか中ってゲロ吐いたらお前のいつもいる辺りに撒き散らしてやっからな」
「八つ当たりすんなよ」
そして特に何もなくケロッとした顔で夜を過ごした蒼は、町の賑やかさに意識を覚醒させる。
漁帰りの男達の声や朝支度の生活音。
蒼は誰にもそれを言うことはなかったが、喧騒の止まない街に暮らしていた頃では決して聞くことの出来ない、賑やかしくも平穏なそれらがとても好きだった。
「……おはよう」
「おう」
「なんか……今日いつもより賑やかじゃない?」
なんとなく道を走り回る子供たちの数が多いように見えて、交代した見張り役に話しかけると首肯される。
「子供達が役所の指示でチラシ配りやらされてるからな」
「…………いいよね、そういうの」
「あぁ、お前他所で保育士やってたんだっけ?」
「そんなんじゃないけど、似たようなのはね」
あの時の施設にいた子供達は、何をしているのだろうか。
復讐が原動力になってしまう街で、2年の月日を経た彼等はそれぞれの道を見つけているといいが。
張間はまだしも酉野と水島はまともなので、道を踏み外していないとは思うが。
と、そんなことを考えながら町を走り回る子供達を眺める。
手に持ったチラシを投函したり貼り付けたり、それぞれが仕事を熟しているのを見ると蒼も表情が緩むもので。
何が貼られているのか気になった蒼は断りを入れて町へ入ると、貼り付けられたチラシへ寄ってみる。
「……」
そのチラシの貼り付けは所構わずといった具合で、湾にも幾つか貼り付けられているのが見える。
古い場所に眠っていた印刷機を使ったのか、ほんの少しばかり解像度が粗くて、色もぼやけた紙。
どこにいても視界の中で主張する大量に刷られたそれに目を向ければなんてことはない。
他の街でも多く見かけたような、求人の内容が書かれているだけだ。
だが、蒼にとってその内容はよくあることと片付けることができないものだった。
───異能認可制 臨時公務員の募集。
優遇される条件や制度について表面的なものが書かれたそれを前に蒼は表情に滲んでいた笑みを薄れさせ、ゆっくりと天を仰いだ。
異能の使用そのものを法によって制限するには時期尚早。
政府は立ち直って早々に異能持ちからの反感を喰らう場合の損害を試算し、まだ異能に対して誰しもが分かる形で口を出すべきではないと判断した。
「異能認可制ね……」
そしてその裏に隠されている、いずれはなし崩し的に異能そのものを職業や免許制によって制限が当たり前となる時代を引き寄せようとしているところまでを、蒼は未来との照らし合わせによって理解した。
これが意味するものは、アメリカのロードアイランド州新法を参考にした異能の使用を認める個人の擁立。
その、始まり。
頭に臨時と付いているが、それは日本において明確に確認された、ヒーロー制度の前身となる動き。
それは今までの雛形や勝手に民衆が動いたものではなく、歴史の教科書などにしっかりと載るであろう国家が主体となって打ち出した政策。
「35年近くが経過してようやくかぁ」
超常の始まり、光る赤子の生誕より約35年を経て、ようやく日本史における明確なターニングポイントが訪れる。
僕のヒーローアカデミアという、その世界観の根幹たる制度が産声を上げた。
ヒーローの時代が始まるのは近く、そしてそれは同時に張間歐児の全盛期が近い事を意味している。
正義を叫ばず腐敗を誅し、アンチヒーローとして民衆から圧倒的なまでの支持を受ける事となる第二世代の大型ヴィラン、稀代の盗人が一世を風靡する時代がすぐそこに。