町に貼り付けられた多くのチラシに気を引かれながらも蒼は予定通りに廃屋へと戻る。
玄関の扉を開けて帰宅を伝えれば、羽衣香に引き摺られるようにして修善寺が顔を出した。
「なんで逃げたんだよ」
「気まずかった」
「人間味を出すなそんなところで」
老け顔が更に老け込んで見えるのでそれ以上の追求はせず、蒼はだいしゅきホールドに負けた男などという脳裏に挟まってくる余計な情報を追い出しながら靴を脱ぐ。
「これからについて話そうか」
「あぁ……すまん」
「いいよ、幸せな事だから」
後悔に塗れた終わりに比べれば、それは次に踏み出す先を選べる希望に満ちた話だ。
蒼は居間に座ると、対面に座った修善寺へ顔を向ける。
「覚悟は決められた?」
「…………」
「そう。決められなかったか」
修善寺の沈黙に蒼は言葉を続けるも、そこに嘲りを含ませはしなかった。
修善寺なりに自分以外の責任を負わなければならない状況への恐れがある事を、蒼は理解できていたから。
「怖いんだろ」
「お前みたいな死んでも死なない化物と一緒に暮らしていて麻痺していた。身近な人間が死ぬのはやはり……恐ろしい」
「この流れで私をディスることある?」
「失わない環境に慣れすぎた。自分以外の命に情が移る事を忌避する心が思考を停止させる」
「あ、そのまま話続けるんだ。お前らお似合いの夫婦だわ」
青筋を浮かばせたまま、蒼は足を崩して頬杖をつく。
「頑張りたいとは思えそう?」
「それは……」
隣に座る羽衣香へと視線をやる修善寺。
視線が合ったと同時にウインクと投げキッスをした自由極まりない羽衣香の行動については何の反応も示さず、ゆっくりと頷く修善寺。
「選ばれたのならば、返したい」
「うん、いいんじゃない」
過去に引き摺られ、未来を向けなかった男の顔を掴んで前を向かせる羽衣香の手腕には蒼も舌を巻くばかりである。
それは蒼には出来ない事で、それは蒼にとって眩しいほどに人間らしい衝動と繋がりであった。
与えられたものに報いるよう、返したいと願う善性は修善寺の愛情深い性質に紐付いたものである。
既に羽衣香を身内として見てしまった修善寺は、恐れを抱きながらも護りたいと心が寄っていた。
「一応、お前がいない間に私がここを出ていく話はしたけど……」
チラ、と蒼が羽衣香の方を見れば、首を大きく振っている。
「断られたからお前がそっちの、えっと」
「ういうい」
「……」
「ういうい」
「……ういういに着いてくことになると思う。結局お前は町に住めない気がするし、どうなるかは町のあのジジイ次第な気がしてるけど」
町に羽衣香が住めても、修善寺は町に入れてもらうことはやはり難しいだろう。
落としどころとしては町のハズレ、この廃屋の周辺に幾つかある廃屋を修繕して住むことだろうか。
音漏れもあるし、知覚範囲内でなんかされると気まずいのでちょっと離れたところに住んでほしいなと蒼は思っているが、わざわざそれを口には出さなかった。
「一応、私の方からおじいちゃんに聞いておくわ」
「そうだね」
そこで、一息。
蒼は修善寺に改めて向き合い、小さく微笑む。
「おめでとう、修善寺。ちょっとずつでいいから、前を見て歩き始めろよ」
「……ありがとう。お前のおかげで俺は死なずに済んだ」
復讐を原動力とし、憎悪のままに殺し続け。
異最上として共に過ごした仲間を喪い、一人で街を彷徨った果てに野垂れ死にしていたかもしれない可能性を思い、修善寺は頭を下げた。
「私は密航者への
「ひとまず、居住に関する話が落ち着いたら結論を出そうと思う」
「わかった」
そうして話が終わると朝食を挟み、羽衣香が役所へと向かい、蒼と修善寺は釣りに出掛けていき。
正午を過ぎたあたりでそれなりの釣果を焼いて昼食にしようと七輪を準備していた蒼に、帰ってきた羽衣香が声をかける。
「なんか確認あるから呼べって言われた。多分町に一杯貼ってあったやつに関係する事だと思う」
「え、アイツがこっち来いよ」
「一応聞いてみた。ダルいって」
「ぶん殴ってやろうかな」
蒼の言葉に、羽衣香はその肉体へ上から下まで視線を投げ。
効率だけを重視してスク水を着た蒼に対し、まあこの時代にしてはまともな狂い方だなという本人に言えば憤慨しそうな感想を抱きつつ、医者として貧相な筋骨を目視した感想は。
「怪我するからやめな」
「うん……」
元漁師であるが、未だムキムキで日焼けした老人へ本気で殴りかかった場合、物理的な対決では勝てるビジョンが浮かばないのは蒼としても同意するところだった。
蒼は勝ち負けに関しては負けを認めたくない節があるものの、単に医者の視点から抑止を目的として投げかけられた事実には頷くしかない。
昼食を終えて午後に役所へ顔を出せば、いつもの老人が手を振っている。
厄介者用の受付に座った蒼へ、早速と言った具合に老人は話を切り出した。
「一緒にいるだろうからお前に言うが、女医さんは町に住んでもいい。昼に念のため関係者へ確認したが病院の先生方も大賛成だったから反対無しでOKだ」
「やっぱ信用?」
「あぁ、国が寄越すだけのバックがある技術者ほど信用できるもんは無ぇからな。町の奴らも彼女を移住者として受け入れられる」
流れの技術者は何を持ち込むかわからないが、羽衣香は国家が保健指導として検診を行うに適した人材として町へやってきた医師である。
町の外に住む不審人物に懸想する欠点はあるが、老人にとってみればその程度で信頼性は揺らがない。
懸想する対象が町に害をなす人物であるなら話は変わってきたが、修善寺が単に町に住まわせるには適さない過激さを持つだけでそこまで危険ではないことを把握している老人にしてみれば、狂気的な思想を持つ存在よりよっぽど安全に思えた。
「だが……流石にアイツについては町外の方がありがたくてよ。こっちの都合だが、親しみを持たれないほうが役割として助かる。落としどころとしてお前らの廃墟の修繕ってところかね」
「役割?」
「外のチラシ見たか?」
「あぁ、臨時公務員ね」
「アイツをそこにねじ込もうかと考えている」
「───修善寺が定職に!?」
「なんでお前が否定的なんだ。いいだろ、働けるんだから」
老人の前触れもなく飛び出してきた話に、当然ながら何も聞いていない蒼は驚きのままに立ち上がった。
そして驚きの表情を徐々に怪訝なものへと変え、ストンと座ると腕を組んで首を傾げた。
「え、無職なの私だけになる感じ?」
「何事も適正というものがある。お前の適正は無職」
「それは適性が無いって言うんだよ。いや、適性が無いわけじゃなくて働けるのにお前らが仕事寄越さねえだけだろ」
「お前に任せられる仕事はない」
「ぺっ!」
客観視ができる蒼は老人の言っている事に憤慨する姿勢を見せるが、その指針自体には以前より納得はしている。
いつもの流れを断ち切るように、蒼は懸念点を挙げることにした。
「修善寺、全然殺しとかやってたけど」
「知ってる奴が全員黙ってりゃいいだろ」
「うおっ港の物騒な面」
隠すこともなく言い放たれたあんまりにもな回答に、流石の蒼も顔を引き攣らせる。
「俺も若い頃はよくわからんヤバそうな密入国者とか海に撒いてたからな。お前らがやってることも多少は理解できる」
「ちなみに修善寺は良くて私が臨時公務員になれないのは不公平じゃね?」
「なんでって……お前、ヤクザとかだろ?」
「…………まあ、そうだったけど」
「どうしても信用が難しくてな。お前も今は違うだろうが……わかるだろ、色々あったんだよ」
海外からの交易所である湾港を運営するうえで、運送に手を伸ばしていたヤクザ達が目をつけなかった訳がない。
蒼が裏社会そのものへ壊滅的被害を出す前に、漁師衆は一時期被害を受けていた過去がある。
行動によって好感度はある程度稼げているものの、ヤクザの実態を知る老人は蒼をコミュニティに入れることはしなかった。
「なんでわかったの」
「明らかに死体の処理に手慣れてるからな」
「あぁ〜いや、違うんだけど違、くはないか」
「死体の痕跡を綺麗に消すってのは素人に出来ることじゃない。お前が何の異能持ちかは知らないが……そういう需要があるのはヤクザの世界だからな。今の時代に死体を残さない手段を使うのはそっちの出身ぐらいだろ」
「点と点がそんな形で繋がっちゃうことあるんだ」
老人は死体すら残さずに消し飛ばすなどという荒唐無稽な噂話を信じてはいなかったが、連れ去られた人間の死体が残されていない事実は確認している。
死体は腐敗し、衛生面の悪化や場所を汚染する事から適切な処理を要するものだ。
この町では見られないものの、道端に平然と死体が転がる景色が当たり前となる時代にわざわざ身内でもない死体の処理をしようとする丁寧な奴はいない。
しかし例外もあった。
死体という情報すら残さないように処置を行う、裏の社会に生きていた人間などである。
そうした推理によって、老人は死体を残さない蒼を裏社会に生きていた人間だと断定した。
蒼は全く違う方向性から偶然にも経歴を言い当てられ、しかし言い逃れはせずにそれを認めた。
自らの異能、蒼い光による人体の消失について深堀りされた場合、町民に情報が流出する可能性があると考えそれ以上の言及を躱したかったのである。
「ちなみに漁業の廃棄処理とかできるか?」
「やらない」
「ふぅん……」
「異能のことは話さないよ」
できないのではなく、やらない。
蒼い星を理解するに足る知能、認識能力が無ければ消し飛ばすことは不可能なのだが、あくまでそれを可能とする手段があるという匂わせに留め、蒼は自らの異能の輪郭を掴ませないように話を断ち切る。
老人は蒼が密航者を即座に看破する事から第一になんらかの認識把握能力を持ち、加えて強酸や超高温など、生物の処理に関する異能を持っていると睨んだ上で探りを入れたが、蒼の反応を見て話を続けようとはしなかった。
「……修善寺を疑ってないのはなんで?」
「もしそうだとすると、思想が合致してないだろ」
「あぁそういう……くそ、私もアイツと同じってことにしとけば、と思ったけどそうなると町に入れないか」
修善寺の思想である反潔癖症、対外的に見て異最上にも近しいそれはヤクザに属する人間であれば抱かないものである。
裏社会は異能を使うのではなく異能
当初、老人は蒼が組員で修善寺が鉄砲玉のような扱われる側の関係かと思っていたものの、日々の暮らしぶりによって修善寺は裏社会に属していた存在ではなく、協力関係に近い実情であると判断した。
片や裏社会の気配が強いためコミュニティに入れないものの思想と人格面には問題がなく、もう片方の制御を担うため町への立ち入り程度は許容できる存在。
片や潔癖症や密入国者に対して強い敵対心を抱き、町民などに潔癖症と疑わしき存在がいれば即座に危害を選択するであろう事から事故を避けるために可能な限り町へ近付けたくないものの、緊急時においては戦闘力から居たほうが助かる存在。
老人にとって、今の二人はこのような印象であった。
「臨時公務員ってなにすんの?」
「かなり曖昧だが……サツみたいなもんだな。あ、警察ってわかるか?」
「まあ、知ってはいる」
知識としては知っているし、未来にて職務に服す警察官がいる事も理解している。
しかし、見たことがあるとは言わなかった蒼に、老人はどれほど説明してもどのような存在かを実感することはできないのだろうなと感じていた。
「国が異能による武力行使を認可した存在の擁立。市民は武力をソイツに預け、武力による解決を担う。捜査権や逮捕権といった警察が有するような権限は無いが、異能を使用する暴徒への抑制、鎮圧が法的に認可されるといった具合だな」
「他の業務は?」
「ソイツ以外、まあ書類や申請に関する事は大体がウチ預かりになる。必要なのはまず民衆から頼るに値する信用、次に武力。それだけだな」
将来は免許を所有する人間が事務所を設立し、各位で業務を完結させる民間企業としての面も強いものとなっていくが、発足したてであるこの時代では国家が異能行使を認可するという前例の無い制度とあって第三者による監視を目的として当人からそれ以外の業務を引き剥がした。
自己申告制を適用できるほど、多くの議員は異能持ちの善性を期待していなかったのだ。
役所が国家へ報告を行い、当人の行動が認可されるに足るものであるという保証を行って初めて公務員として報酬を貰う、行使そのものを縛り付ける形式によって異能認可制度は認証された。
故に臨時公務員としての業務は鎮圧以外に無く、それ以外の権限を渡されない。
「やってること、ほぼヤクザじゃん」
「言っちまえばそうだ。ソイツがヤバい奴をぶん殴って全員おとなしくさせる。そういう役割で、それを国が推し進めてる」
それが意味するものは、警察機関の代替というには荒事に偏りすぎたもの。
法が保障する、第三者からして適正であれば民事を問わずして暴力による解決を図ってもよいとされた存在の誕生。
前時代を知る老人からしてみれば法治国家にあるまじき制度とまで言えるが、では代替案を出せと言われても平和的解決を唱えるには些か倫理観が崩れすぎている。
庇護という名目のもとで自助の手段を取り上げようとしている国家の動きに不信感は募るものの、老人にとっては都合のよい点もあった。
「町の連中じゃ身内すぎる。いざって時に誰でもきちんとぶん殴れる奴は年食っちまったからな」
「アンタって視野広いよなあ」
「何年生きてると思ってんだ」
「……あぁ、本業を締め出すのは万が一を嫌ってるのもあるのか」
「隙を見せたら終わりの業界を挟むわけにはいかない。これはお前の経歴に信用ができない俺の独断だ」
「いや、正しいよ。そんなつもりはないけど、私という前例を作るべきじゃない」
正式に蒼の介入を認めた場合、後に同類がそれを口実に集ってきたりする可能性を厭う老人の懸念に、蒼はヤクザがどういった手段で自らのシノギを拡げていくのかを知っているからこそ理解を示した。
「怖がられているが、信用はできる。そういう丁度いいやつがいるなら据えておきたい」
「……アイツが公務員かぁ」
「町の自治はウチら。外からの危険を弾くのはアイツって形を正式な形にするのは俺等にも利益がある」
「利益?」
「この手段だとアイツへの報酬がここじゃなくて国から出されるんで町からの出費が減る」
「あぁ、なるほど。強かだねえ」
「この役所も中途半端じゃなくてきっちり再編されて用途不明金は許されなくなるからな。単にアイツへの報酬を出すとなると予算申請が通らなくて町の方から出すことになるんで、臨時公務員になってくれたほうが助かんのよ」
報酬を出すという話にどういった条件をつけてどうするかという話を揉んでいた時に検診に帯同していた法務担当職員から説明があったため、丁度いいとばかりに修善寺を捩じ込む案を老人は挙げていた。
役所に務める職員も老人の説明にはある程度納得しているため、修善寺が頷くだけで話はスムーズに進むだろう。
「まあ、いいんじゃない。アイツが頷くかどうかは知らないけど」
「ある程度仕事が片付いたらそっち行って説明するからまた呼ぶ。女抱えておいて仕事もねえんじゃ大変だろ」
「その場合は女医が養うと思うよ。あの人それぐらいはしそう」
「……ちと予想が外れたな」
老人は頭を掻き、まあその時は別案を考えればいいかと割り切った。
「話はわかった。でもういうい……女医さんに話せばよかっただろ、なんで私を呼んだんだよ」
「あぁそれな……」
修善寺が定職に就くというのは、ハッキリ言ってしまえば蒼には関係のない事だ。
働けるならよかったねというだけで、直接言うかせめて羽衣香に言えよという蒼の疑問に対し、老人はその理由について口を開くことにする。
「女医さんが混ざってお前がどうなるのかがわからなかったからな。その確認が本題だ」
羽衣香の住まいに関する雑談が長くなったが、本来の目的は蒼の動向確認であった。
「あ〜……一応、住処はほぼ変えないよ。密航者への活動も止めない。修善寺の住む場所が決まったらアイツもどうするか決めようって話になってたんだよね」
「そうか。居なくならないのならこちらとしても助かるな」
密航者の処理は火葬場を動かす訳にもいかず、海に撒くのも好んでやりたいものではない。
汚れ仕事を引き受けているにも等しい蒼が居なくなると困るとまではいかないが、居たほうが良いのは事実である。
探知能力が優秀なため積荷への被害が最小限に済んでいるということを老人は察しており、居なくなるかどうかを早めに確認しておきたかったのだ。
「話は長くなったが、臨時公務員の話は女医さんにはしていない。後日、もう少し話がまとまったらそっちに説明に行く予定だったからな。お前はまあ、明確に関係者だから先に話しただけだ」
「なるほどね」
羽衣香はまだ修善寺と知り合って数日であり、住まいに関する不安もある中で修善寺の将来を大きく左右する話を突如投げられても困るだろうという老人の気遣いである。
「話は以上。お前の口から先にアイツと女医さんへ話しておいてもいい。俺の方は……まだ申請様式も定まってないような状況なんでな。志望者もいる中で説明もしなくちゃいけねえからそっちへの説明はもう少し後になる」
「わかった。前日にツノ女とか寄越してくれれば町近くまで降りてもいいよ」
「おう、助かるわ。歳のせいか腰も痛えもんでな。じゃあそういうわけで……よろしくな」
そうして話を終えて役所を出た蒼はついでとばかりにお土産に持ってきた焼き魚を町民に渡して野菜を貰い、帰路に着く。
───変わりつつある時代の流れの中で、人々はそれに順応しながら生きていく。
復讐者として生きてきた修善寺も本人の意思によるものではないものの、時代の流れの中で大きくその立ち位置を変えようとしている。
夕食時、三人揃った場で蒼は焼き魚の小骨を取りながら口を開いた。
「修善寺、お前にいい話がある」
「その前置きで碌な内容だった記憶がないんだが」
「そんなこと無いだろ」
「お前が魚のワタで天日干ししていた俺の服を汚した時も同じ言葉を聞いた記憶がある」
「……」
「…………」
「……まあまあまあまあ」
蒼は宥めるように胸前で手を降ると、にっこりと笑う。
「いい話があるんだよ」
「お前、次は何をやらかした……?」
言い返しが浮かばずに若干挟まった沈黙に不安を覚え、修善寺は引きつった顔で思わず立ち上がるのだった。