「郵便です」
「はーい。今行きまーす」
翌日の昼、そろそろ町に降りようか考えていた蒼は家の外より掛けられた声に反応する。
裏社会のアパート暮らしだった頃に何度か対応したことがある蒼は妙な違和感を抱えたまま慣れによって玄関へと向かい、扉に手をかけた瞬間にその正体に気付いた。
「郵便です!?」
「郵便だが、なんだ?」
驚きのまま勢いよく開いたスライド式の扉が、枠から外れて大きな音を立てる。
この時代では聞くことのない筈の言葉を放った男が、驚いたような表情を浮かべた。
「大丈夫か」
「びっくりした……後で直すから気にしないで」
「びっくりしたのはこちらだが」
そうして荷物を抱えた男、飯田は封筒を蒼に手渡した。
その重さから、なんらかの申請書類に関する一式だと察した蒼はゲンナリとした顔でそれを玄関に置く。
「受け取ったなら、ここにサインを貰いたい」
「……この時代に文字が書ける奴ってギリ半分ぐらいだから、拇印とかのほうがいいと思うよ」
「そうなのか?」
「まあ私は書けるけどさ……」
渡された受取票のような小さな紙に、言われるがまま願星 蒼と記したあたりでふと手を止めた。
明確に筆跡で偽名では無く本名を残したということが、あまり良くないのではないかと思い至ったのである。
一応は名字を飛ばしてアオイと名乗っている事が多いものの、時折こうしてボロが出ることもある。
「あ、間違えた。もう一枚ある?」
「そのまま横に書いても大丈夫だ」
「うわッ口に……食べちゃったァ!! オエッもう一枚ある?」
「何を……本当になんだ? 大丈夫なのか?」
「私が悪かったから善性100%の目を向けてくるな」
おもむろに口へ紙を放り込んだ蒼に対し、心配そうな目を向けた飯田。
バカにするでもなく哀れむのでもなくただ純粋な善意の目に、蒼は視覚を通さない知覚を行っているのにも関わらず、網膜を焼くような眩しさを錯覚して仰け反った。
薄汚い人間性に慣れた蒼にとって、無垢なる善意は毒も同然である。
そうして次の紙を渡された蒼は、今度は確かにカタカナでアオイと記した。
「……よし、感謝する。老人に渡しておこう」
「こういうのは仕事じゃなければなあなあでいいと思うけどね。結局町に留まるの?」
「いや、他所で国が主体となった運送会社の方を紹介されたのでそちらに行こうかと思っている」
「……はい?」
思ったよりも優良な就職先の話を聞き、蒼は訝しげに眉根を寄せた。
そちらに関する復興など何も聞いていないからこそ出た素の反応に、飯田は意外そうな表情を浮かべる。
「人を募っている話が出ていると聞いたのだが……何も聞いていないのか?」
「初耳。隠されてた……いや、不必要の方かな。まあそうか、そっちに人割くより私の能力だとここにいたほうが得か……」
老人は、港町にとって利益ある選択をする。
蒼がこの町にとって最も有用な形は現状であり、わざわざ伝える必要のない情報として処理されたのだろう。
「元より実家は運輸に関する筋だったので……まあ収まるところに収まったと言えるだろうな」
「なんでそっちとズブズブなのにここに来るまでなんにも聞いてねえんだよ」
「襲撃にあって家族離散。勤めていた親類がごっそりと……まあ、色々だ。その後……前の場所ではそれどころではなかったのもある」
「あ、裕福に見えちゃうとそういうのもあるか」
それはよくある話で、この時代では当たり前のように過ぎていく事象に過ぎない。
運輸ともなれば人との関わり合いも多く、情報の遮断は難しい事だ。
などと、そうして会話が弾んでいれば隣家の者が窓から顔を出した。
「……おっ! 話題の男!」
「───アレがご老人の言っていた異能科の医者か?」
「そうだよ。なんか不調があったら診てもらいな」
「身重なのに元気なものだな」
「ちょっと待っててね今行くから!!」
「走るなよー」
羽衣香がバタバタと外へ出ようとする物音を聞きながら、飯田は珍しそうな目を向けていた。
この時代の医術において明確に分類されているわけではないが、この町で異能由来の不調や疾患を診ていた羽衣香はわかりやすいだろうと異能科と名乗り、看板を掲げている。
羽衣香とやり取りのある医者も別の地でそう名乗り始めていると聞いており、新たな文化としていずれ根付くのだろうという気配を蒼は感じていた。
お腹を支えつつ外に出てきた羽衣香が、飯田の前で軽く頭を下げる。
「異能科の修善寺 羽衣香です。夫と混同するので、羽衣香と覚えてください」
「これはどうも、飯田です。この町に暮らすわけではありませんが、何かあればお世話になるかと思いますのでよろしくお願いします」
この時代で生き残ってきた若者からは滅多に聞くことのできない礼儀正しいその言葉に羽衣香は驚きの表情を微かに浮かべ、困惑のまま曖昧に頷いた。
「あの……いいとこの人?」
「そうだぞ」
「そうでもない。離散したから無いも同然だ」
「眼鏡持ってる奴は十分裕福に分類されんだよ」
「それは───そうか、そうだな」
蒼の何一つ飾らない言葉を受けて納得した飯田に、羽衣香は大変だったんだろうねと何度か頷き、改めて医者としての顔を飯田に向けた。
「さて、異能についてお話しようか。概略は蒼ちゃんから聞いてたけど、どんな異能か教えて?」
「ジュースを飲めば走っても疲れない異能。デメリットとして脚の穴から熱気と音が出ます」
「あぁ……」
デメリットとして語られたそれに、蒼は小さく唸った。
蒼は未来から辿ることで飯田の異能が【エンジン】に類するものだと察しがつき、その上でトラックを運転した事があるからこそ排気が行われるのは当たり前だと理解できる。
しかし飯田は自らの異能が【エンジン】であると知らず、故に排気がなぜ行われているのかも理解できないのでそれを必要な生理現象ではなく、単なるデメリットとして捉えてしまっていた。
「一応、老人から【原付】と言われたのでそう名乗ろうと思っていますね。ある程度歳がいっていればそれだけで何ができるか伝わると言われましたので」
「お、わかりやすい。バイクでしょ」
「すみません、実はよくわかっておらず」
羽衣香の言葉に首を傾げる飯田。
流石の蒼も、その返答には違和感を覚えた。
蒼より少し下の羽衣香でも二輪車ということぐらいはなんとなくわかっているのに、顔付きが同じぐらいに見える飯田が全くわからないというのはおかしな話である。
「あれ、お前ひょっとして若い?」
「16だが」
「第二世代!?」
背丈は蒼どころか羽衣香すら見下ろす程高く、がっしりとした体付きは安定感がある。
輪郭のはっきりした顔は、骨格と相まって明らかに子供とは思えない。
「だいぶ老け顔じゃない?」
「……歳上なのか?」
「まあまあ歳上」
「だいぶ若作りだな」
「おん……まあ、悪口ではないか」
「悪口だぞ」
「悪口だぞ!?」
若く見えるという言い返しに対し、褒められたのかと矛を収めようとした蒼へハッキリと貶しであると告げた飯田。
想定外に硬直した蒼に、貴方が悪いと伝えるように軽く叩いた羽衣香はその表情を徐々に渋いものに変えていた。
「……飯田君、成長痛は凄かったんじゃない?」
「っ、判りますか!」
「明らかに16歳の体付きじゃないもの。それ、異能による症状の一種よ。人間の規格のままで耐えきれぬ負荷に後天的に無理やり適合しようとしているのね」
じ、と飯田の脚に視線を向けた羽衣香は、熱気を吹き出す穴が歪に変形している事に気付いていた。
成長期とはいえ皮膚線条も羽衣香が見てきた中で最も多く、急激な体格の変動を予測させる。
いずれ異能に人間の性能が追い付くという羽衣香の想定は、第二世代の現状により否定されつつある。
町で診察を行い、限定復旧した電気によって遠方と情報交換をする中で、第二世代は不安定化が強いという意見が医者の間で共通している。
異能と身体の調和が成り立たず、身体の進化に対して異能はそれを超えて強まっていくばかりであった。
「走っている最中に息苦しいと感じた事は?」
「ありません」
「走ることに適した体。つまり壊れない筋骨と、負荷に応じた心肺機能を異能に引っ張られて作らされたのね……体温調節もなんらかの変化がありそう。自覚する不調はある?」
「全く無いですね」
「それはそれで怖いけど……とりあえず現状で私から言うことはないわね……蒼ちゃんはどう?」
「あー……うん……」
羽衣香の促しに、どこまで言っていいものかと悩む。
蒼は自らの知識を言った場合、その情報が下手をすれば何を引き起こすかを知っているが故に言い淀んでいた。
───蒼の観測した未来の事柄は、それそのものが異能の大本に由来した
故に現在起こっていない、未到達点の明確な情報、またそれに太く紐付いた知識はそれそのものが単なる色という概念を超えた蒼色を帯びており、その知識を与えられただけで大本の星を想起させ、常人を消し飛ばしかねない。
当人はそれがどこからどこまでが対象であり、なぜそれがそうなるのかを理解していないが、遥か過去に起きた事故より、下手に語れば意図しない消失が発生する事を知っている。
これまでに祖先として明らかに近い異能を発現し、それに言及する事が無かったからこそ、蒼はここで初めて詳細についてどこまで口に出してよいのか迷っていた。
「……穴に何かが詰まったら異能を使うのはやめて、しっかり掻き出してから使いな。多分良くないから」
「そうなのか?」
「よくわかんないけど熱気とかが噴き出してる穴でしょ。内部で圧が高まる可能性もあるしやめたほうがいいと思うな」
悩んだ末、口に出したのはそれだけ。
トラックにて運送をしていた蒼はエンジンについて少しだけ知っており、妨害による故障とその原因も記憶している。
車においてマフラーが塞がれた結果も知っているからこそ、その程度の助言に留めた。
飯田のそれは未だハッキリとしたマフラーではなく、単なる排気口のように見えるものの類似した機能を有していることぐらいはは察しがつく。
「わかった、覚えておこう。……これからの話になるが隣町へ役所からの荷物を運ぶことになっている。羽衣香女医に確認を取ったほうが良いと言われたのがここに来たもう一つの目的となる。何かあれば承りますが」
「ん、んん……すぐ行く?」
「出立は明日にはなるかと」
「ちょっと確認するから待っててね。お昼には回答するわ」
「わかりました」
そうしてその場は解散となり、後日いくつかの書類を受け取った飯田は町を出ていった。
恨み言一つ零さず、ただ人助けの為に役立てることがあるのならと。大きなリュックに多くの荷物を抱えて走っていく。
蒼はそれを、先まで血が残っているのならきっと元気でやっていけるのだろうと思いながら見送るのだった。
───そうしてそんなやり取りがあった数週間後、コンテナ船による密航者狩りを2度ほど経たあたりで飯田が帰ってきた。
役所で書類を書かされていた蒼は、パンパンのバッグを背負った飯田が入ってきた事に気付き、手を上げる。
「よっす」
「おはよう」
思ったより早い再会になったなと思いつつ、ペンを置いて飯田の方へ近寄る。
汚れたシャツと排気のためにふくらはぎの部分のみ切り裂かれたジャージという、機能性だけを求めた格好の飯田はリュックから何本もの
「予想より襲われたな」
「だろうね」
「あぁ。しかし予想外にも黒幕は役所の職員だった」
「だろ……なんで?」
「知らんが、事実だ」
汚職に関わる事件なのだろう。
役所に裏切られ続けている飯田は、疲れた顔で息を吐き出すだけでそれ以上の文句は言わなかった。
それでも、失望に近い感情が瞳の奥に揺らいでいるのが蒼にはわかる。
「栄えていたであろう街はどこもかしこも治安が悪くてな。とてもじゃないが立ち入れたものではなかったんだが……そこに私が好んで入らないように、そこから出ることを選択できない者たちも多くいた」
「まあ、そうだろうね」
「だから助けになろうと、話を聞き、物資の配達をして役立とうと必死に働いて働いて───そこでようやく人々が報われない原因に辿り着いた」
飯田は自らの思想を隠すように、視線を上げずにリュックを漁り続ける。
ただ、無心に。
感情を込めないようにした言葉は、小さく怒りに震えていた。
「原因は……殆どが役所周りだった。公務員として抱え込んだ人間と共に物資を、金銭を不当に貯え、他者を蹴落としてまで居座ろうとする醜悪さをどこに行っても見ることになった」
「……どうしてこう、育てるって発想が出ないかな」
「その発想が自然と出るのであれば世の中はもう少し良くなっているんじゃないか」
「そりゃそうだ」
種芋を植える事なく、焼いて食べるが如き愚行。
先への投資より、今この場でそれを得ねば飢えるという恐れから貧困の連鎖が始まっている。
そしてそれは環境的要因によって誘発されるものであり、単にその人の素質に起因するとは限らないものだ。
時代が、貧困という坩堝からの脱却を許さない。
緩やかな、しかし確かな社会基盤の復興がありながらも、未だ隣人への信頼を抱くことが出来ない。
異能持ちと、それに対する思想による対立は燻り続け、誰しもの心に疑念の芽を植え付けている。
故に、貧困からの脱却を試みるものはまず
それは、AFOがこの時代において限りなく成功している理由の真逆である。
カリスマ性によって人を惹きつけ、誰しもが緩やかに支配を受け入れる、
騙し、奪う強引な動きに、しかしそれが愚かだと自覚できないのは自らがその奪われた側であったから。
連鎖する貧困から力付くで脱却しようと藻掻く者へ、踏み躙られた者は限りない怨嗟を抱いてしまう。
そうして積み重なった怨恨は、制御不能な形でいずれ自らに降り掛かる。
「そういった奴等の悪事を暴き、不当な貯えをばら撒いて救済を行う者もいるという噂も聞いた。あの醜悪さが暴かれているという話には胸がすく気持ちにもなる」
「…………へぇ」
その言葉に、蒼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
───世間の、受け入れる下地が整い始めている。
時代が人々にそれを求めさせた。
強きを挫き、弱きを救けるという存在を。
何より時代に不都合だった事は、国の復興を務める側が挫かれる事を望まれてしまったという事実。
「───お前はその力で何を成した」
人々が蠢く街の中、手を濡らす異能の液によって壁に張り付いた男はその細面を嘲笑の形に歪める。
暗闇にて息を殺して虫のように生きる事しか出来ない弱者を背に、男は憤怒を秘めた瞳のまま嗤う。
「人を助けずして、その力は何の意味がある」
不正による貯えを盗み、奪う形での平等。
正義を強要するその瞳は苛烈な光を宿す。
その男にできることは人助けではなく、悪事を暴露し、自らの正義を押し付ける事のみ。
故にその男は、法の傘の外を往く。
日本の超常第二世代において、最も名を馳せた異能犯罪者。
歴史に名を刻む男が、その細腕で自らの抱く正義を実践するためび各地を飛び回り、その名を轟かせていた。
「───タイミング悪いな……」
飯田に聞こえぬよう、小さな声で蒼は愚痴を零す。
張間のそれが、社会的な平和への下地を崩す行いであることを蒼は理解していた。
人に寄り添うことだけが平和の道筋ではないからこそ張間のそれらは唾棄すべき行いであり、なんら擁護できたものではない。
冷徹に、時代の流れに挽き潰された人肉で道を舗装するが如き四ツ橋議員の方が、よっぽど未来の事を考えているだろう。
多くの情報が入る中で、民衆からの罵声を浴びせながらひたすらに負債を処理し、異能持ちの未来のために動き続けている事は広く知られている。
俗称として冷血議員、または異能議員。
非異能者から誹りを受けながらも、分断を埋めるために奔走する男。
国の在り方が非異能者に傾きすぎないよう、その命を賭けて政治を行う偉人。
本気で自らの正義によって未来へと託すための歩みは、義賊と異なり遅々たる進みでありながらも、確かに後の世の在り方すら変えていくものだ。
しかし世論はより過激で、より自らの欲求に近しいものへ寄っていく。
誰もが刹那的な快楽を取り、長期的視点を訴える者は止まること無き暴徒によって消えていく。
蒼はそれを苦々しく思いながらも、自らでは根本的解決へ役立つ事も出来ないことを理解している。
───共通の敵として君臨するには
物語において英雄、そして魔王の資格無き蒼はどれほど力があろうとも、結局は端役も同然だと知っていた。
既に張間は蒼い光に揺るがない狂気を宿しており、蒼から何かをすることもできない。
気付けば無意識の内に下唇を噛んでおり、蒼は顎を緩めた。
「……義賊の話、どこで出たとか聞いた?」
「なるほど、義賊と言うのか。確かにぴったりな名称だな。会ってみたいとは思ったが……一定の場所に滞在する事も無いらしいので、それ以上はわからないな」
「そっか」
時代の変わり目、人々の流れが動き、町が、引いては国が大きなうねりのなかでその形を大きく流動させる。
余所では道端に死体が転がり、闇市での略奪も日常で、争いが収まる気配がない。
それとは無縁のこの町で、それなりに暮らしていれば平穏なまま時代を超えることができるだろうと思っていた。
AFOは支配のために足場を固め、暫くは動かない。
しかし義賊は正義を成すために場に留まらず、こちらから能動的に逃げねばいつか出会う事もあるだろう。
───この町での仕事は、張間の評価する願星蒼としては不適格である。
見るだけで殺す異能。
勘違いと怨恨を含んで評価されたそれは、恐怖によって時代を纏める事さえ可能とまで考えられている。
少なくとも蒼は張間の狂気的な瞳では、何をしようともその異能に見合った救済だと評価され無いだろうと思っていた。
「……頃合いかぁ」
AFOへの嫌がらせ、裏社会における壊滅的被害を齎す決意をした時とは異なり、そこに怒りはあまり無く。
人の役に立ち、人に求められながら命を紡いでいく選択をした夫婦と深い仲だからこそ、この場を離れる時期が来たのだと蒼は悟った。
───超常第一世代はその多くが加齢により、能力を十全に発揮する肉体に衰えを生じさせ始めた。
使用され続けた異能は発達を続けるが、それを振るう筋骨は全盛期を過ぎている。
もはや第一世代の異能の出力は頭打ちと言っても過言ではなく、激動の黎明期を生き残り続けた賢明なる異能持ちは衰退を前に静かに息を潜め始めた。
異能を発現しているのは、総人口にして未だ3割程度。
しかして徐々にその比率を増やしつつある者達も、気付けば代替わりの時期を迎えていて。
第一世代を踏み台に、より因子が絡み合った異能がその力を振るい始めた。
超常第二世代の全盛期が、始まる。