一言断りを入れ、飯田から離れていつもの席へと戻る。
突如消えると話が拗れると思い、蒼は記載済みの書類をまとめながら老人へ声をかけた。
「理由ができた。この町から出ていく」
「……理由は聞けるか?」
「巷で噂の義賊って奴と過去に色々あって、ここに不利益を齎す可能性が高いんだよね」
「あぁ、アレか」
義賊と聞いた老人は政府管轄の各現場から情報共有があったことを思い出し、その瞳に冷たい色を滲ませた。
人の身より超常が発現───もとい、光る赤子の誕生から40年近くが経過し、現代を生きる人間の大半は法の統治を知らない世代である。
義賊の行為、表層だけ見れば不当に蓄え、肥えた悪より財を奪い市井へ撒くという行いにこの時代の多くの人間は賞賛し、肯定した。
しかしこの時代を生き抜いた法治を知る人間である老人は、土台を崩しかねない義賊という存在を
その蛮行が正しいと世間が認めてしまえば法治を目指す足並みは逆行し、人治の文化へと後退していく。
かといって生涯において法治を知らぬ若者は法による抑制に期待することを知らず、それを肯定してしまうという事実に老人は歯痒い思いを抱えていて。
「そうか……時代の流れを見てきたが、ああいうのが台頭すると、もう無理なのかもしれんな」
老人は蒼の退去事由に頷いた後、酷く疲れた声で小さくそう溢す。
復興へと向けて動き、国家を立て直そうという動きそのものへ期待を抱いていた老人は、汚職とそれに伴う義賊の発生によって法治国家への回帰へ疑念を抱いてしまった。
過去の平穏を知る人間ほど直面する平和とは程遠い世界で生き続けねばならない、息が詰まるほどの閉塞感。
終わりなき地獄の中で必死に藻掻いてまで生きていく理由を見つけられず、自らの手で死を選んだ者も少なくはない。
老人は町を手の届く範囲としてできる限りを維持し、責任を負いつつ仕事の忙しさで思考を埋め、先を見ないようにこの時代を生き抜いてきた。
しかしこの状態のまま法治国家への回帰が叶わなければいずれこの町も秩序無き流れへと呑み込まれていくことを予見し、時勢からそうなっていく可能性が高まっている事を理解してしまった。
この時代ではいつ終わるかもわからないまま気を張って生き抜くしかなく、かといって折れずに生き続けるのは気力を使う。
ともすれば明日にでも死にかねないほど精神に罅を走らせた老人を前に、蒼は鼻を鳴らした。
「まあ、義賊の息もあんま長くはないと思うけどね」
「権力者側からの手出しを行えば民衆感情は悪化する。アレが支持されてしまった時点でもうダメだ」
「いやいや、止めるとかの話じゃなくてさ。アレは高尚な精神でそんな事をしてるわけじゃないから、最終的に支持を失う気はするけどねってこと」
「なに……?」
少なからず
義賊という輪郭の奥、個人へ向けた言葉は明らかにその関係が近いことを匂わせる。
蒼が端的に言い捨てた過去の因縁というものが想定よりも深い事を察した老人は、黙って続きの言葉を促した。
「───アイツはさあ、不正を正したくてこんな事してる訳じゃないんだよね」
周囲に聞こえぬよう声は小さく、しかし溜め息混じりに呟かれたその言葉には確かな実感が込められていた。
人は時間を経て思想を変えていく事はよくあるが、蒼い光への耐性を得るほどの狂気的な精神は恐らくその方向性を定めてしまっている。
義賊、張間歐児はもう
「力あるものは人を救わねばならない。これを奴は前提を問わず全てに強制する」
「……際限は」
「恐らく無い。アレの本質は狂信者だからね」
与えられた、不完全な正義を盲信する徒。
それが義賊の本質であることを、蒼は誰よりも知っていた。
弱者を救う者に敬意を払い、不正を働く強者に嫌悪を示す思想は普遍的だが、それを他者へと押し付けていくのであれば話は変わるものだ。
義賊は勧善懲悪の皮を被り、自らの思う平等のために動いている。
この時代では未だ根付いた呼び方ではないものの、その
「だから……今ある不正を正し尽くせば次の粗を見つけ、止まらないままどこまでもいくよ。ゴール地点の無い正義を奴は盲信したからね」
「人間は上下無く生きることはできないだろう」
「そうだね。
「…………」
不正をした者を挫き、それが後ろ盾を失い弱者へ転じたとき、強者の座が空けばまたそこに誰かが座る。
それが不正をすればまた手を出し、不正をしない人間で席が埋まり尽くせば次の粗を探し出すものだ。
僻み嫉む弱者が強者の足を掴むとき、義賊もまた動く。
自らもまた強者と定義した狂人はその正義が故に、それがどれほど醜く歪んだ懇願であろうとも弱者の声を無視できず、不平等なまま停滞した平穏を享受することができない。
それは、
「根本から平和に向かないだろう。復興すらできたものじゃない。それは社会という枠組みを破壊する思想だ」
「革命家って呼ぶには目指しているものが歪んでるからね。転覆じゃなくて平等を目指したいんじゃないかなって感じはある」
「より性質が悪い。目標すら明確にないまま社会基盤を破壊しているということだぞそれは……!」
「だから、そうなんだよ」
声を抑えながら怒りに震える老人に対し、蒼は表情を変えなかった。
ただ、静かに老人へと顔を向けていた。
内心に燻る、
「そういう存在なんだよ」
早すぎる第二世代として風俗街の端でこの世に生まれ、骨に皮を貼ったような兄弟とその日を暮らし、砂を噛み、汚水を啜って生き抜いた。
親しい人間の命が指の合間から抜け落ちていく時代で、姉と慕う女から授けられた正義を胸に抱く男。
それが弱者の旗頭として立ってしまえば、それを知る人間ほどそこに正しさを見てしまう。
他者が、そして己が。
その存在そのものが、平穏を許さない。
正に、混迷極める時代の劣悪さをその身で現す、第二世代の寵児が義賊というヴィランである。
「けど、いつか止まる日は来る」
「世論の熱を見るにそうは思えないが」
「少なくとも支持者が離別する日が来るよ。価値観が……倫理観が違うからね。アイツは別に殺す事に躊躇しない。熱を帯びた世論は、いつ起きてもおかしくはないその凶行を見れば冷水を浴びせられたように沈静化するよ」
世間で騒がれる義賊像と実態の乖離は大きい。
未来において世直しを訴えたと言われている部分を蒼は疑問視していた。
その行いに対して他人が意味を付与し、喧伝している可能性が高い。
少なくとも当人の軸は世直しという部分ではないというのは確かである。
「まあ、悲観しなくても大丈夫でしょ。どうせアレはどっかで色々巻き込んで派手に爆散とかすんじゃない?」
「逆に楽観的すぎないか?」
「いいんだよそれぐらいで」
───どれほど基盤が破壊されようと、必ず第四世代には平和の象徴が生まれ育つのだから。
蒼は言葉を呑み込み、ただ曖昧に笑った。
明るい未来は来る。
老人の寿命でそれを見ることは叶わないと思うが、それでもいつか好転する事を知っているからこそ蒼は楽観的なまま生きてきた。
その様子を見た老人はほんの僅かに表情を緩め、精神の安定性を取り戻す。
出立の前日ぐらいには顔を出せとだけ言い、老人との会話はそこで終わった。
懐かしいとすら思いたくもない存在の在り方を改めて噛み砕き、話した事で蒼は張間に対する感情についていくつか腑に落ちたことがある。
義賊という存在へ、蒼は哀れみを抱いていた。
AFOと出生は近い環境にいて、兄弟との愛を知っていながらそれらを奪われたという明確な違い。
自ら終わらせたのではなく、愛を知りながらにそれらを喪い続けたという過程。
愛を理解できないからこそ夢へ邁進するAFOへ、自分勝手な出会いから対立し、その在り方を知るからこそ怒りを抱いていた蒼であったが、張間に対してはその自分勝手な対立は同じなれど、やはりどうしても同じように怒りを抱くことはできなかった。
時代の寵児。
第二世代を体現する存在。
被差別対象である異能持ちであり、生きるために売春街にて暮らさざるを得なかった人々より産まれた子供のうちの一人。
何も与えられず、夢を抱くことすらできないまま生きていただけの空っぽ。
前時代より続く不平等に怒りを覚える姿は第二世代の象徴でありながら、本質は人間性に欠いている。
否、他者を騙し脅し奪い自分勝手に生きる事を人間
「……嫌な時代」
蒼は、書類へ目を戻す。
平和のために地盤から固め、法治により弱者が暮らせるようにするための紙に、また一つ文字が、文章が増えた。
●
「え、いなくなっちゃうの!?」
「すぐってわけじゃないけど、近々ね」
家に帰り、羽衣香に出ていくことを話せば即座に大声が返ってきた。
修善寺は別の力仕事に出ているため不在。
最近では山の一部を拓き、畑にしようと頑張っているらしいので帰りは遅いだろう。
「色々あってさあ。私だけじゃなくて町に迷惑がかかるなら流石に看過できないから、出ていくことに決めた」
「……私達じゃ力になれない?」
「うーん、なれない訳では無いんだけど、そうまでして幸せを捨てて欲しくはないかな」
義賊との対立は、それだけでこの時代においてリスクを背負うことになる。
多くの民衆は義賊の側にあり、万が一討ち倒せばなぜそのようなことをしたのかと責を負わせようとしてくることは想像に難くない。
少なくとも民衆の心が義賊から離れない間は、撃破どころか敵対そのものに旨味がなかった。
もしも蒼が修善寺夫妻を頼ったとして、この町に留まった場合は蒼への糾弾に巻き込まれる事になりかねず、民衆の心が離れるのを待って逃げ回る蒼に着いて行くとなれば子供を抱えたままの移動に迫られる。
───そんな事をせずに、幸せに暮らしてほしい。
他者の幸福を願える善性の発露。
祈るようなそれを受け、羽衣香は言葉に詰まった。
異能産ではなく、目的は個性婚とはいえ愛によって子を成した夫婦がわざわざ不幸な目に遭わなくてもよいと、蒼は首を振った。
「……でも、じゃあ蒼ちゃんの幸せは?」
「そのうち手に入るかな」
「絶対に?」
「絶対に」
明るい未来を知るからこそ一瞬の迷いなく断言をした蒼に、羽衣香はこみ上げる言葉の全てを飲み込んで自らの心を納得させる。
ならば、せめてしっかりと送り出したいと気持ちを切り替えた羽衣香は寂しさを滲ませつつも息を吐いた。
「お別れの前に食事会しようよ。せっかくだから美味しいもの食べてさ」
「それは……嬉しいかも」
「肉とかあの人に頑張らせてなんとか準備するよ」
「それはすごく嬉しすぎるかもしれないね」
魚も嫌いではないが、やはり肉となれば鼻息も荒くなる。
畜産が襲撃などで壊滅的被害を受けているため肉の入手は難易度が高いものの、この時代では前の時代ほど手に入りにくいというわけではない。
第1世代の頃と異なり、農業と同時に畜産も復興の兆しが見えていた。
とはいえ一部の場所では襲撃によって生じた腐乱死体による伝染病や、脱走による野生化などによって放棄せざるを得ない地も多かったことで魚に比べて価値が跳ね上がったままではあるが。
「でも別に今生の別れって訳でもないよ。なんか気になる事とかあったら普通に帰ってくるかもしれないし、郵便がまともになれば手紙も送る。出た先の役所からメール送れるかもしれないし」
「そっか……そういえば、遠くからでも連絡が取り合えるようになってきてるもんね」
「そうだよ。機器があったら、電話だってできるかもしれない」
仕事で使われているとはいえ、未だ個人間でのやり取りができるほど復興は進んでいない。
これは通信網の問題ではなく、精密機器の一般普及率が問題である。
時代が進み、技術が進歩した事で機器は機能と同時にその複雑性を増した。
内部に搭載された機器は少なくとも電力が不安定化したまま生産できるような代物ではなく、10年どころか20年以上も通信網がまともに働かない時代を経たことで誰もがそれを使用しなくなり、倉庫に眠るものも経年劣化からくる発火や故障によってその大半が失われていた。
公的機関や病院は情報の電子保管の都合上、必要だからとそれらが残されていたため、通信網がある程度復旧したことでメールのやり取りが可能となっているが、更新はできず、修理も不可能のためいつ壊れてもおかしくない骨董品にも等しい機器を慎重に扱っているのが現状である。
羽衣香も情報のやり取りをメールで行っているが、どうしても仕事で使うものという先入観が抜けていない。
通信機器の一般普及率が限りなく低い時期に生まれ育った世代のため、別れれば二度と会えないといった感覚を羽衣香は持ち合わせていた。
「せめて子供の顔は見せたいから、そのうち帰ってきてね」
「それは……そうだね。私も見たいから、そのうち帰ってくるよ」
「さて。とりあえずなんか餞別の品とか準備しないと。とはいえ私から渡せるものもあんま……あ! すぐに渡せるものあるよ!」
「別にいいよそんな」
「蒼ちゃんの尿検査結果と余ったやつ」
「本当の本当に別にいいよすぎるかも。そっちで勝手に廃棄してくれる?」
「やっぱり?」
「尿検査に詳しくないけど検査後に返却するのはおかしいと思う」
「私もそう思う」
「じゃあやめてね」
少しだけ笑い合い、羽衣香は表情を真面目なものにした。
「ちなみに結果は一応普通。エメラルドグリーンが出たらすぐ帰ってきてね」
「もちろん。尿路結石とかいう恐怖に爆泣きしながら帰ってくると思うよ」
ジョバ条件が異能の全力解放である事を問診や状況から理解している蒼からしてみれば、それが出たということはAFOや張間との戦闘を意味するものだ。
感情は未だ弾けるほどに抑圧されていないが、それらの相対以外で解放することは無いと蒼は考えていた。
AFOとの相対となった場合は繋がりが浮き上がると利用される可能性があるため連絡に気を遣うが、張間であればここから離れる理由の大部分であるためウキウキで帰ってくることができる。
少なくともつい先日、尿路結石によって痛みに叫び呻きのたうち回って吐瀉物で窒息しそうになりながら激痛によって気絶と覚醒を繰り返していた患者を見た蒼としては、本当にすぐに帰ってくるつもりであった。
「任せて、あちこちの先生と協力して全てを解き明かすからね。蒼ちゃんが嫌がるから言ってないけど、もし提出したらどの先生も大興奮で扱ってくれると思う」
「ちょっと抵抗感出たかも!」
「あれ?」
感覚の乖離から首を傾げた羽衣香だが、続けてその表情を優しげなものに変え。
「……あの人にも、蒼ちゃんから話してあげてね」
「そうだね」
随分と長い付き合いのようにも感じるが、修善寺もまた幸せに暮らして欲しいと蒼は思っていた。
未だ潔癖症に対する過激さは残るが、思想の偏りが薄いこの町にいる限りそう下手なことは起きないだろう。
「……そうだねえ」
協力者として、そして相棒として働いた期間を思い、蒼は少しだけ言葉に哀愁を滲ませた。