可愛いは悪 回帰した悪役皇女はうつむかない   作:緋色の雪

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エピローグ

 ノクス皇帝の誕生。

 その噂が大陸を駆け巡ってから一週間ほどが過ぎたある日。私が自室のソファで紅茶を飲んでいると、そこに新たな皇帝、ノクスが駆け込んできた。

 

「姉上! 一体どういうことですか!」

「……ノクス、もう少し落ち着きなさい。いまの貴方は皇帝なのよ?」

「わ、分かっています。ですが、これが落ち着いていられましょうか。一体、なにをなさったのですか? フォルンディア連邦の部隊が撤退を開始したと報告がありましたよ?」

 

 その報告に、部屋に控えているリネットと、護衛騎士の振りをしているアルヴェルトがびくりと身を震わせた。だけど私は「思ったよりも早かったわね」と微笑んだ。

 

「やはり、姉上がなにかしたのですね?」

「ええ、なんとかすると言ったでしょう?」

「それは聞きましたが、姉上はここ一週間、部屋でお茶を飲んでいただけではありませんか」

「それはそうよ。だって、策はここに来るまでに実行していたもの」

「……差し支えなければ、なにをどうやったか教えてくださいますか?」

「いいわ。そこに座りなさい」

 

 リネットに紅茶の準備を任せ、ノクスには向かいのソファを勧める。彼はそこに座るなり、身を乗り出して説明を求めてきた。

 

「姉上、どうやってフォルンディア連邦の部隊を追い返したのですか?」

「彼らが勝手に撤退しただけよ。これ以上の戦争は敗北しかねないと思ったから」

「……敗北、ですか? 劣勢なのはこちらだったはずですが……」

「それは、ノクシリア皇国が単独で戦った場合でしょう? 噂を流したのよ」

 

 私はティーカップを手に取って紅茶を一口、上品な香りを楽しむ。水面からゆらゆらと立ち上る湯気を眺めていると、ノクスははっという顔をした。

 

「我が国が、アグナリア王国と同盟を結んだといった噂を流したのですか?」

「そんな都合のいい噂を流しても、彼らは信じないわ。私が流したのは、『アグナリア王国が鉄や食料を買い集めている。休戦協定を破り、ノクシリアに攻め込むのでは?』という噂よ」

 

 実際には、そんな事実はない。

 フォルンディア連邦が鉄や食料を買い漁っているため、不足分を揃えようと奔走しているだけだ。

 だが、食料の不足を補おうと奔走しているという事実はあるため、噂を流すのは容易かった。ヴァルター商会を使ってフォルンディア連邦に流布した。

 私がしたのはただそれだけだ。

 

「つまり、アグナリア王国が漁夫の利を狙っていると思わせたのですか? でも、それはノクシリア皇国が余計に不利になるだけで、フォルンディア連邦が撤退する理由にはなりませんよね?」

「ええ、その通りね」

「ならどうして……」

 

 不思議でしょうがないという顔をする。

 

「フォルンディア連邦は馬鹿じゃない。噂が真実か、アグナリア王国が本当に動くか、その動向を窺っていたはずよ。だから私は、アグナリア王国の騎士団を動かして、領都ウルスラに滞在させたの」

「それは聞きましたが……」

「なら、その事実を知ったフォルンディア連邦はどう思う?」

「それは……ええっと、実際には戦闘にはなってない。なら、噂はただのデマだったと思いますよね?」

「ただのデマじゃないわ。アグナリア王国はウルスラまで兵を進めているもの。まるで戦争をすると見せかけるように」

「……なにかの偽装に見えた、ということですか?」

「そう、だから彼らは疑ったのよ。噂は、アグナリア王国の真の目的を隠すための偽情報なのでは、とね」

「真の目的?」

「フォルンディア連邦に攻め込むこと。その偽装工作として、ノクシリア皇国に攻め込もうとしているという噂を流したと、彼らに思い込ませた」

「まさか、そのような情報操作が、可能なのですか……?」

 

 ノクスが驚きに目を見張る。私はティーカップをローテーブルの上に戻して微笑んだ。

 

「ノクス、覚えておきなさい。人は他人に与えられた情報よりも、自分で手に入れた情報の方が価値があると思う生き物なのよ」

 

 フォルンディア連邦の者達はいまごろこう思っているだろう。アグナリア王国の小細工を見破り、罠に掛かるのを未然に防いだ、と。

 本当は、好機を逃しただけなのに。

 

「やはり姉上はすごいですね」

「いいえ、こんなのはその場しのぎよ。いつまでも通用する手じゃない。だから対策を練る必要があるの。という訳でノクス、私の妹と婚約しない?」

 

 アルヴェルトがガタッと身を震わせた。だが、ノクスはそれに気付かず、私を前に小首を傾げた。

 

「……父上に隠し子がいたのですか?」

「いいえ、私を姉と慕うアグナリアのお姫様のことよ」

「アグナリアのお姫様が、姉様を姉としたっているのですか? 姉様は、アグナリア王国とずいぶんと打ち解けているのですね……?」

 

 ノクスがなんとも言えない顔をする。

 

「私の話はまた今度ね。それよりも、貴方のことよ」

「僕に政略結婚をしろと?」

「あら、私が可愛い弟妹に望まぬ結婚を強いるとでも?」

「違うのですか?」

「結婚するのは互いの意思次第よ。政略的に有効な提案ではあるけれど、当人達が望まないのに無理に結婚させるつもりはないわ」

 

 彼も許さないと思うし……と、アルヴェルトを盗み見る。彼が護衛騎士の格好で私に同行している理由が分からなかったのだけど、ノクスの品定めだったのではと不意に思った。

 

「相手はどんな子なんですか?」

「とても可愛いわよ。まあ、ちょっと悪い子だけど」

「……え?」

「誤解しないで。目的を果たすために策を弄して、敵を陥れることが出来る子ってことよ」

「……なるほど、姉上の同類ですか」

「私が悪い子みたいに言わないで」

 

 不服だと態度で示すけれど、ノクスはふっと笑った。

 

「でも、正当な理由があれば、悪事に手を染めるのも躊躇わないですよね?」

「まあ、そうね」

 

 否定はしないと肩をすくめる。

 

「……ではもう一つ、相手はこのことをどう思っているのですか?」

「会うことには乗り気よ。相手には明確なメリットがあるから。でも、それを話したら、貴方が意識してしまうと思うから秘密ね」

「……はあ、分かりました。では会ってみます」

「あら、ずいぶんとあっさりね」

「断っても、理由を付けて会わせようとするでしょう? 昔から、姉上はそういう強引なところがありますから」

「それは……ごめんなさい」

 

 ノクスの望まぬお節介をして裏切られたのは記憶に新しい。

 そのことを思い出して唇を噛むと、背後から肩を掴まれた。いつの間にか背後に移動したアルヴェルトだ。そう気付くのと同時、彼が私の肩越しにノクスに向かって話しかける。

 

「だが、ノクス皇帝陛下はそれが嫌ではないのでしょう?」

「え? ええ、その通りです」

「だそうだぞ?」

 

 これで気に病む必要はないなと言いたげな視線。私は斜め後ろにあるアルヴェルトの顔を見上げながら、「貴方も大概お節介ね?」と苦笑する。

 

「……あの、姉上。彼は?」

「あぁ、紹介していなかったわね。彼はアルヴェルト。アグナリア王国の王太子殿下よ」

「お、王太子殿下!? これは、知らないこととは言え失礼をしました」

 

 ノクスが慌てて席を立つ。

 

「いまはただの騎士だ。それに、そなたは既に皇帝だろう。私にへりくだる必要はない」

「……分かりました。それで、アルヴェルト王太子殿下がどうしてここに?」

「これがなにをするか気が気じゃなくてな。目付役としてついてきた」

 

 アルヴェルトが『これ』と言って私の肩を掴む。

 

「酷い言い草ね?」

 

 私が肩越しに振り返って睨み付けると、アルヴェルトはふっと笑った。

 

「あの……二人はどういう関係なのですか?」

「ヴェリアは俺のモノになった。だから、ノクシリア皇国には返さないぞ?」

 

 完全にモノ扱いである。ノクスが目を白黒させているので、「勘違いしないで。参謀として欲しいと言われたのよ」と誤解されないように訂正する。

 

「その身を捧げられそうにはなったがな?」

「あ、あれは、貴方は変なことをいうからでしょう!?」

「そなたが勝手に誤解したのではないか」

 

 肩越しに振り返って睨み付けていると、ふと視線を感じた。顔を正面に戻すと、ノクスがものすごくなにか言いたげな顔で私達を見比べていた。

 

「……なに?」

「いえ、その、政略結婚、僕でなくともいいのでは、と」

 

 ノクスは物言いたげな顔で私の少し横――おそらくは背後にいるアルヴェルトへと視線を向けた。直後、アルヴェルトがソファの後ろから回り込んで私の隣へと座った。

 

「ノクス皇帝は話が分かるようだな。ヴェリアとの婚約パーティーにはぜひ参加してくれ」

「ちょっと、ノクスが本気にするでしょ?」

「なにを言う、私はいつでも本気だが?」

 

 アルヴェルトが私の髪を掬い上げ、その一房に唇を落とした。私は顔が赤くなるのを自覚して逃げようとする――が、手首を掴まれてしまう。

 私は視線を彷徨わせ、消え入りそうな声で「離して」と訴えた。

 

「不満か? そなたは私のモノになると誓ったはずだが?」

「だ、だって……」

 

 俯く私の頬が熱くなる。

 そうして恥じらう私をまえに、アルヴェルトは一瞬動きを止めた。顔を上げると、彼と視線が交差した。

 

「――ヴェリア」

 

 低く落ち着いた声の奥に、私をからかうような響きがあった。気づけば、アルヴェルトの顔がすぐ目の前にあり、私は鼓動が跳ね上がるのを自覚する。

 

「なるほど、そなたの反応を見るに、嫌われている訳ではなさそうだ」

「そ、そうは言ってないでしょ?」

 

 顔を真っ赤にして睨む私をよそに、彼は楽しげに囁く。

 

「ヴェリア、同盟が成立すれば、人質は必要なくなる。そなたが望むのなら、ノクシリア皇国に帰ってもかまわない。だが、そうでないのなら……」

「……そうでないのなら?」

「俺の妃になるのはどうだ?」

「ちょっ! 冗談でそんなことを言わないで!」

「冗談ではないのだがな?」

「また、そんなことを……」

 

 不意打ちに、顔が熱くなる。手の甲で頬を冷やして視線を泳がせると、その先でノクスと目が合った。

 

「姉上、婚約パーティーにはぜひ呼んでくださいね」

「わ、私はまだ受けるなんて言ってないわよ!」

「でもこれから言うんですよね! 姉上のそんな顔、僕は初めて見ましたよ?」

「……っ!」

 

 慌てて両手で頬を押さえる。そうして狼狽える私を見てアルヴェルトが笑った。

 

「そんなに取り乱すとは意外だな」

「からかわないでって、言ってるでしょ?」

「からかわれていると、本当に思うのか?」

「それは……」

 

 答えようとするが、なぜか口が動かなかった。動揺する私に、アルヴェルトが詰め寄ってくる。

 

「さあ、返事は?」

「……るわ」

「ん? なんと言った?」

「……持ち帰って検討するわ」

 

 日和った私に対し、アルヴェルトは声を上げて笑った。

 

「いいだろう。アグナリアに帰った後、好きなだけ考えるがいい。もっとも、逃すつもりはないがな」

「……人は、追いかけられると逃げたくなる生き物なのよ?」

 

 苦し紛れに反論するが、「逃げられるなら逃げてみろ」と笑われた。見透かされているようで悔しい。

 私は胸のまえできゅっと拳を握りしめた。

 

 ――これは、三度目の人生でようやく辿り着いた、幸せな未来へのスタートライン。

 代償は大きかった。

 けれど、その価値はたしかにあった。

 私はもう、うつむかない。これからも、みんなが幸せな未来を目指して歩み続ける。

 

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