「いろんな音がする…」
久しぶりに出た外にはいろんな情報に満ちていた。
フレデリカは青いワンピースに薄手の白いカーディガンを羽織っている。
靴はそもそも持っていなかったので、サイズの合っていない母のスニーカーを穿いた。
現在イギリスは七月の終わり。
まだ夏と言っていい時期だが、それでも夜間は冷える。
「あの…どこへ?」
「ロンドンじゃ。取りあえずはそこに滞在してもらうことになる」
「ロンドン…ちょっと待ってもらってもいいですか?」
「よかろう」
フレデリカはぐるりと家の景観を見回した。
「四年…経ってるんですね」
家の中にいた時は時間が止まったかの様な内装のせいでいまいち実感が湧かなかったが、荒れ果てた外を見れば時間の経過を否が応でも感じさせられた。
フレデリカは庭を歩き回る。
雑草だらけの花壇、四年前とは違い空のガレージ。
(これも、まだあったんだ)
フレデリカはペンキの剥げたブランコをそっと撫でる。
ゆっくりと座ると、ブランコを支えるロープが小さく軋みを上げた。
「ちっちゃいなぁ…」
低く作られたそれは今のフレデリカが座ると膝が腰より高い位置に来た。
お尻もかなりはみだし気味だ。
「…うん」
しばらくゆらゆらと漕いでいたフレデリカだったが、ダンブルドアが歩み寄ってくる姿を見て立ち上がった。
小走りで彼の元に駆け寄る。
ぶかぶかのスニーカーがかぽかぽと間抜けな音を立てた。
「もういいのかね?」
「はい…やっぱりここは………わたしの居場所じゃないです」
「そうかね?ここが君の家であることは―――」
「いいえ」
フレデリカはふるふると首を振って否定する。
「…行きましょう?」
「………あいわかった」
ダンブルドアはフレデリカの手を取った。
フレデリカはもう一度だけ振り返った。
「では、ロンドンへ―――」
二人の姿が夜の闇に掻き消える。
その直前、フレデリカには見えた気がした。
ブランコに座り父と母に囲まれて笑う―――混じりけのない黒髪を持つブルーの瞳の少女の姿が。
フレデリカが目を開くと、そこは静かな夜の住宅地などでは無かった。
「ひっ」
ガヤガヤとした喧騒に包まれた暗い室内。
ランタンのオレンジの光に照らされながら、数人がグラスを傾けたり世間話に興じていた。
店内の人間はほとんどがローブの様なものを纏い、一般的とは言い難い風貌だ。
「おどろいたかね?」
「あ、あの…ここがロンドン?」
若干店内の雰囲気に気圧されつつもフレデリカはダンブルドアに尋ねた。
「左様。『漏れ鍋』という店じゃ。魔法界では知らぬ者はそうおらん」
「じゃ、じゃあやっぱりここにいる人たちはみんな…」
「魔法使いじゃ」
フレデリカが興味深そうにあたりを見回せば、至る所で不思議な現象が起こっていた。
客が立ち上がると同時に勝手に収納される椅子。
ひとりでにロックグラスをかき混ぜるマドラー。
空きテーブルを並んで行進する布巾たち。
カウンターに座った老婆のキセルからは猫の形の煙が出ている。
いろんな所に目をやってはびくりとするフレデリカをダンブルドアは微笑ましく思った。
「これはこれは、ダンブルドア校長!!貴方がこの店に直接来られるとは珍しい」
「トム、久しぶりじゃの」
カウンターの奥から出てきた年老いた男性がにこやかに歩み寄り、ダンブルドアと抱擁を交わした。
「ダンブルドアだって?」
「あれが…」
「アルバス・ダンブルドア…」
店内はダンブルドアの名前が出たとたんに更なる喧騒に包まれる。
皆が皆、尊敬のまなざしを彼に向けていた。
(やっぱり、すごい人なんだ…)
フレデリカは自分がそんな人物の隣に立っていることに落ち着かない気分になった。
「今日はどんなご用件で?」
「しばらくここを、この子の滞在先にしようと思っての。部屋に空は?」
ダンブルドアは自分の後ろに隠れているフレデリカをそっと前に押し出した。
「あるにはあるが…この子ひとりなのかい?」
「そうじゃ」
ダンブルドアが頷くと、トムと呼ばれた男性は困惑の表情を浮かべた。
この年の子が一人で、というのは流石に珍しい。
フレデリカはダンブルドアを見上げた。
「安心しなさい。ここが安全なことは儂が保証しよう」
フレデリカはコクリと頷いた。
ダンブルドアも、出会ってから半日と経っていない。
だが、皮肉なことにフレデリカにとって現在最も信頼できるのはこの老人のみなのだ。
「えと…初めまして。フレデリカ・ウィンクルムです」
「いらっしゃい。可愛らしいお嬢さん。『漏れ鍋』へようこそ」
トムはにっこりと笑ってフレデリカに右手を差し出す。
フレデリカは戸惑いつつも握手に応じた。
「彼女は今年度からホグワーツに入学するのじゃ」
「おや、そうだったのか…てっきりもっと幼いものかと…」
「あぅ」
確かにフレデリカは同年代に比べて小さい。
(だって、お腹いっぱい食べた事なんて―――)
ぐう~~っ
「おや?」
食べ物について考えたからだろう。
突然フレデリカのお腹が大きな音を立てた。
トムも目を瞬かせてフレデリカを見つめた。
「~~~っ」
俯くフレデリカの顔はゆでだこの様に真っ赤になっていた。
「はふっ」
フレデリカは割り当てられた部屋のベッドにぽふりと倒れ込んだ。
先程まで散々飲み食いしたお腹はぽっこりと膨れている。
フレデリカはその小さな体で二人前の量を平らげた。
いや、実際にはもっとかもしれない。
凄まじい勢いでがっつくフレデリカに面白がった他の客が、我も我もとばかりに食べ物を与えたのだ。
「みんな、やさしかったな…」
久しぶりに大勢の人間と接して戸惑っていたフレデリカであったが、不思議と恐ろしいという気持ちは湧いてこなかった。
ただ、困惑したのだ。久しぶりに他者から善意を向けられて、どう反応すればいいのか分からなかった。
「あした…おれい……言わなきゃ…」
大きなアーモンド型の瞳がしぱしぱと眠そうにしばたいた。
一晩で多くの事がありすぎた。
(地下室から出て、校長先生に会って…魔女だって分かって―――)
半分寝入りかけた頭でフレデリカは今日を振り返る。
ダンブルドアは少し前に帰って行った。トムが言うには非常に忙しい人らしい。
正直に言えばまだ不安だったが、これ以上手間は駆けさせたくなかった。
(だめ…着替えなきゃ…)
そう思うのだが、身心共に疲労したフレデリカは睡魔に抗えない。
空腹も満たされ体はほてっている。
ベッドのシーツは少しかび臭かったが、さっきまでいた地下室よりはずっとましだった。
なにより羽毛の柔らかさが素晴らしい。
(ふかふか…)
四年間固い床の上で眠っていたフレデリカにとってはそれだけで夢のようだった。
初めのころは地下室にもいろんなものがあった。
けれど、『治療』がエスカレートするうちに、母がこう言われたのだ。
『あまり快適な生活をさせない方がいい。悪魔が出ていくことを渋ってしまう』と。
それ以来、フレデリカの地下室は牢獄の様になったのだ。
あったのは父の置いていった本と小さなランプ、排泄用のおまるだけ。
(夢じゃないよね…?)
フレデリカは怖くなった。
もしも次に目覚めたらまたあの地下室で…。
「すー、すー」
フレデリカは規則的な寝息を立てつつ、夢の世界へ旅立った。
「朝…」
フレデリカは窓の外で朝日が昇るのをベッドの上で眺めていた。
こうやって朝を迎えるのは三回目だが、地下室暮らしだったフレデリカには太陽そのものが新鮮だった。
彼女が漏れ鍋に宿泊を始めて四日が経っていた。
昼間は店の外…まともな人たちの世界を散歩して過ごし、早めに寝て夜は本を読みながら朝を待つ。
漏れ鍋にある本はどれも面白かった。魔法の本というだけで興味深かったが、何より読みやすかった。
というのも、地下室にあった父の本は非常に難しく、大半が理解できなかったのだ。
いくらフレデリカが賢くとも十かそこらの少女に医学書はハードルが高すぎる。
「今日は買い物をするんだよね」
パジャマ代わりの、だぼついたTシャツを脱ぎ捨てる。
クローゼットを開いて物色。
「どれ着ていこう?」
替えの靴と服を用意しなければと思っていたのだが、二日目の朝に一式が枕元に置いてあった。
トムが言うにはダンブルドアが持ってきたらしい。
フレデリカは一番動きやすそうな格好を選んだ。
軽く手櫛で髪を整えると、鏡の前で跳ねたところがないかチェックする。
念入りに、変なところがないか確認する。
「ダイアゴン横丁…どんなところなんだろう?」
今日はフレデリカが初めて魔法使い側の通りに行く日なのだ。
「おはようございます」
「おはよう」
フレデリカが階段を下ると、トムがグラスを磨いていた。
カウンターの上には朝食が用意されており、ベーコンが香ばしい臭いを放っている。
「いただきます」
「飲み物は何にする?」
「牛乳を下さい」
フレデリカは早く大きくなりたかったので積極的に牛乳を飲んでいた。
トムはマグカップに入ったミルクをフレデリカの前にコトリと置く。
彼がカウンターに置かれたトースターに杖を向けると、トーストがフレデリカの皿に向かって発射された。
「とう」
フレデリカはそれを皿に乗る前にキャッチして齧る。
(きまった…)
最初の二日間はこの飛来物に皿の上の物を軒並み吹き飛ばされていた。
「その、今日一緒に案内してくれるっていうひとはいつ?」
「昼前には来ると言っていたよ…ああ、それとこれ」
じゃらりとカウンターに置かれたのは革で作られた袋だった。
中に硬貨が入っているらしくずしりと重い。
「ダンブルドアが君に、だそうだ。手紙もある」
フレデリカは手紙を受け取り、封を切った。
‟これは学校からの奨学金じゃ。
杖や鍋、制服など必要最低限の物を買うには十分の筈。
『闇の魔術に対する防衛術』に関する教科書もこのお金でそろえなさい。
その他については学校に卒業生の残した物がいくつかある。貸し出しも許可しよう。
PS
残った分は自由にしてよろしい。
これは君の一年間に対する奨学金じゃ。よく考えて使う様に”
軽く袋の中を覗くとかなりの量が入っていた。
「あの、トムさん」
「どうした?」
「お金の価値を教えてください」
グラスを拭いていた手を止めてトムはフレデリカを見た。
「そうか、君はマグル育ちだからそこからか…」
グラスを背後の棚に片付け、トムはカウンターから出てきた。
手近にあった椅子を片手にフレデリカの隣に座る
「失礼」
「え、はい」
トムはフレデリカから革袋を受け取ると中から三種類の効果を取り出す。
そしてそれを金銀銅の順番にならべた。
「左からガリオン金貨、シックル銀貨、クヌート銅貨」
「これだけ…ですか?」
「そうだよ。覚えやすくていいだろう?」
フレデリカにとっては拍子抜けだった。
トムが言うには
一ガリオン=十七シックル=十七×二十九クヌート
だそうだ。
中途半端と思ってしまったのは内緒だ。
漏れ鍋は基本的にパブであるため、午前中は閑散としている。
客もいない事はないが、真っ昼間から飲んでいる奴らだ、大抵は一人酒。
暇を持て余していたトムはフレデリカにチェスを教えていた。
そろそろ待ち合わせ時刻なのだが…。
「やぁ、トム。ご無沙汰しているよ」
細身の男性が入店してきた。
眼鏡をかけており、お世辞にも濃いとは言えない頭髪はなんとか赤毛だと分かる。
「アーサー。案内役というのは君だったのか」
「正確には妻のモリーだよ。ホグワーツから来た娘への手紙にダンブルドアからの依頼も入っていてね。同学年だから回る場所も同じだろうと―――ああ、グレンジャーさんこっちこっち」
アーサーと呼ばれた男性は入り口でまごついていた男女に声をかけた。
店内に入りつつも、興味深そうに店内を見回している。
「そちらの方々は?」
「グレンジャー夫妻だよ。息子の同級生、その親御さんさ」
満面の笑みで二人を紹介する。
「初めまして、メネラオス・グレンジャーです。こちらは妻のヘレナ」
グレンジャー氏は帽子を脱いでお辞儀をした。
きっちりしたスーツを着ている彼はなかなかにハンサムだった。
「そちらの彼女が例の?」
「そうだ。フレデリカ、アーサー・ウィーズリーだ」
「こ、こんにちは…フレデリカ・ウィンクルムです」
フレデリカもおずおずと頭を下げる。
ウィーズリー氏はグレンジャー夫妻を手招きして一緒にカウンターに座った。
「そろそろモリーが来るはずだ。―――っと」
チリンチリンとドアベルを鳴らして恰幅のいい女性が入店してきた。
後ろには真っ赤な赤毛の可愛らしい女の子がついている。
「モリー、こっちだ」
ウィーズリー氏に気付いた二人はそのまま歩み寄り―――
「あ…」
フレデリカと目が合うとピタリと立ち止った。
緊張でガチガチに固まったフレデリカに向かって女性は声をかける。
「まぁまぁ!!貴方がフレデリカね?」
「は、はい…」
「モリー・ウィーズリーよ。この子はジニー。あなたと同い年、同級生になるの」
「よろしく」
ジニーは抱えていた大鍋を脇に抱えてフレデリカに手を差し出した。
フレデリカは差し出された手を見て、それからジニーの顔を見た。
真っ赤な赤毛は両親と同じ。少し勝気そうな雰囲気が顔に出ていた。
「ど、どうも…」
恐る恐る手を握り返し、見上げる。
ジニーはフレデリカよりも頭一つ分背が高かった。
(わたしも、はやくあれくらいに…)
「さあさあ、今日は忙しくなるわよ。なんてったって二人分をそろえなくちゃならないんだから」
ニコニコと二人を眺めていたウィーズリー夫人が声を張り上げる。
基本的に彼女の声は大きかった。
(ちょっと、こわいかも)
「お手数をおかけします…」
「そんなにかしこまらないの!!まずは制服ねッ。アーサー!!あんまり羽目を外すんじゃありませんよ!!」
そう言ってフレデリカの手をがっしりと握ると、引きずるように出口へと向かう。
ジニーもそれに続いて小走りで追いかけた。
「もちろんだよ!!」
そう返答しつつも、ウィーズリー氏は早くも興奮した様子でグレンジャー夫妻に詰め寄っていた。
『ゴムのアヒルはどういった―――』
グレンジャー夫妻はというと…。
「ご、ゴムのアヒル?」
若干引き気味だった。
「い、いってきます…」
引き摺られながらフレデリカは小さくつぶやく―――と。
「フレデリカ!!」
トムが少し大きな声で呼び止める。
ビックリした顔のフレデリカにトムはウィンクをしつつ一言。
「魔法界へようこそ」
その言葉を聞き終わると同時に、フレデリカは店の外に引っ張り出された。
登場人物が増えると難易度がががががが
グレンジャー夫妻の名前はオリジナルです。
ハーマイオニーの由来、ヘルミオネーの両親から。