ふと、私の目にゆっくりと布のようなものが覆われた。気にすることもせず、私はそれで目から顔までを拭いた。
再び目を開けると、ヒフミさんが私の高さに合わせて、目線を向けていた。包み込むような目線だった。
「落ち着きましたか?」
「はい」
私はまだ言いたいことが残っていた。
「…ヒフミさん」
ヒフミさんは話す代わりに、私の次の言葉を待ってくれた。
「こんな私でも…また誰かを喜ばせられますか?」
ヒフミさんはまた明るい声で答えた。
「もちろんです!わからないことがあったら、いつでも私やアイリちゃんや一緒にいた人たちに聞いてください。みんな優しい人ですから、快く教えてくれるはずです!」
「はい!」
久しぶりに、自信を持って言えた気がする。
すると、ヒフミさんが曲げていた足を元に戻した。
「じゃあ、そろそろアイリちゃんの所に合流しましょう」
「はい」
そして私がアイリさんを探そうと広場を見渡したそのとき。
「あ、コユキ」
「コユキ、ここにいたんだ」
私は一瞬体が固まって、すぐに声の方を向いた。
コユキちゃんの方を向くと、緑色が入った黒い猫耳のカチューシャと尻尾を付けた、金色が混ざったような橙色の髪をショートにした子と、腰より下まである赤く長い髪に白いリボンをいくつかつけた子が、コユキちゃんの方に近づいていった。
カチューシャの近未来な感じからして、おそらくミレニアムの子たちだろう。
私が視線を向けると、赤い方の子が顔を背けて縮こまってしまった。人見知りなのかな?
すると、緑の子がコユキちゃんに向かって話しかけた。
「そっちの人は?」
コユキちゃんは急に私の方を向くと、また緑の子の方を向いて話した。
「阿慈谷ヒフミさん、です。アイリさんが紹介してくれました」
さっきまで私と話していたときより、声が速く焦ったようになっていた。手足ものんびりしていたのに、固くなっている。
その変化に二人も気づいたようで、緑の子は首を傾げて動作を止めた。赤い子はコユキちゃんの方に一歩近づいて、落ち着かせるように話した。
「コユキ、どうしたの?」
「いえ、大丈夫です」
「…顔色が良くないよ」
それを聞いて、私は二人の横に移動した。赤い子の言う通り、コユキちゃんは眉と口を曲げて苦しそうな表情をしている。
一方で、赤い子も緑の子も、頭を動かさずにじっとコユキちゃんを見ている。
それを見た私は、コユキちゃんを守らずにはいられなかった。
「コユキちゃん、何か心配なことがあったら、遠慮なく言ってください」
コユキちゃんはぽつぽつと、声を出した。
「ありがとうございます、ヒフミさん…その」
「ミドリさん、ユズさん。モモイさんとアリスさんは…今どこにいるんですか?」
手足を縮めてあたりをぎこちなく見渡すコユキちゃんの手を、私は握った。
それからコユキちゃんの方に笑顔を向けると、コユキちゃんは手を握り返して私の方に体を寄せた。
すると、ミドリさんと呼ばれた緑の子が話した。
「お姉ちゃんとアリスちゃんなら、今はゼリーズのグッズをコンプリートしようとしてるよ。多分もう少ししたらこっちに―」
続きを聞く前に、コユキちゃんが私の手を引っ張った。
「わ、私…ここを離れたいです。二人が来る前に…!」
それを聞いた私は、すぐさま二人に聞いた。
「モモイさんとアリスちゃんはどっちの方にいましたか!?」
ユズさんが若干慌てながら、向こうを指さした。
「あ、あっちの方です…」
「ありがとうございます!」
私がコユキちゃんより一歩前に出ると、コユキちゃんが走り出した。
置いてかれまいと私も走ると、二人も私たちを追って来た。
「え、こ、コユキちゃん!?」
「ど、どうしたの…?」
コユキちゃんはそれに答えることもせず、道の真ん中をひたすら走っていった。
右も左も判別しないまま、てきとうに走るコユキちゃん。その手を離さないまま、私も転ばないように石と氷と雪が混ざった道をひたすら走る。
すぐ後ろからは二人分の足音と、それに負けない二人の声が聞こえてくる。
「コユキちゃん、お姉ちゃんたちはこっちじゃないよ!?」
「どうしてこっちに…?」
本来の道は広くても、左右にあるグッズを求めている人がいるせいで道幅は三人分ぐらいになっていた。
コユキちゃんは、私より小さい体でその間を腕を縮めたり体を逸らしたりしながら、向かってくる人の間をすいすいと抜けていく。
避けてくれた優しい人たちのおかげで、私たちもなんとかぶつからずに進むことができた。
やがてコユキちゃんは幅の広い本通りを途中で曲がり、人気のすくない狭い道を走り抜けて、建物が並んでいる住宅街らしき場所の道でようやく止まった。
コユキちゃんは息を切らしながら歩いていて、頭を左右に動かしながら周りを見ていた。建物や樹木の影には、頭が少しだけ止まっていた。
私たちは止まって肩で息をしながらコユキちゃんを見ていた。コユキちゃんは二人きりのときよりもずっと、何かにおびえているようだった。
私はコユキちゃんを握っていた手の力を強くした。痛くない程度にすると、コユキちゃんが足を動かして肩を寄せてきた。
コユキちゃんは、まだ喉の辺りが固まっているような不自然な声で話した。
「ヒフミさん…」
私はうなずいてから、なだめるように話した。
「大丈夫ですよ、コユキちゃん。今、アイリちゃんに連絡しますから」
そうすると、コユキちゃんは空いていた手で私が握っている方の腕を握った。それから、自分の肩と頬を私の肩にくっつけた。
私は空いた手でポケットからスマホを取り出して、アイリちゃんに電話をかけた。
数秒もかからずに、向こうから応答が来た。
「あっ、ヒフミちゃん!今どこにいるの?」
「私は…」
言われて周りを見渡す。人が二人三人ぽつりぽつりと歩いていて、周りを見れば同じものを何度も立てたような建物ばかり。
「あれ?ここってどこでしょうか…」
そう言った後、腕と手にあった暖かい感触が離れていった。
その方向を見ると、コユキちゃんが離れていて前かがみな姿勢になっていた。
「コユキちゃん?」
私がそう言うと、コユキちゃんは自分の両腕を脇に押し付けて、何も調子の変わらない小さい声で話した。
「あ、ご、ごめんなさい…!」
急に暗くなっていったコユキちゃんを見て、私とミドリさんとユズさんは目を合わせた。時間がやけにゆっくりに感じる。
ユズさんがコユキちゃんに微笑んでも、コユキちゃんは自分を小さくしたままだった。
「大丈夫だよ、コユキ。謝らなくてもいいから…」
ミドリさんと私がうなずいても、コユキちゃんは変わらなかった。体の重みがコユキちゃんから私の方へ伝わってくるようだった。
それはアイリちゃんも同じだったかもしれない。電話の向こうからアイリちゃんの声が聞こえてきた。
「どうしたの、ヒフミちゃん?コユキちゃんに何かあったの?」
状況を伝えようかと思った。でも、あんなに怖がっているのに、伝えられるわけがなかった。
そう思ったとき、電話の向こうから別の声がした。一つは私が知っている子の透き通った声で、もう一つは知らない子の元気なはっきりとした声だった。
「コユキに何かあったんですか!?」
「コユキ、大丈夫なの!?」
その声は大きくて、静かな通りでは私たちが聞くのに十分で…。
コユキちゃんの顔が虚ろになって、星が灯っていた両方の瞳が飴細工のようになってしまった。
それを見た私は、時計が止まったような感覚がした。
通話中なのも忘れて、私とミドリさんは同時に叫んだ。
「「コユキちゃん!?」」
ミドリさんがコユキちゃんの近くに駆け寄ってしゃがんだ。
「コユキちゃん、大丈夫だから…」
ユズさんは立ったままコユキちゃんに近づいて、かがんで頭をなでた。最初に触れたとき、コユキちゃんがびくついた。
「あっ、だ、大丈夫だよ、コユキ…」
そう言うとコユキちゃんは、自分から頭をユズさんの手に当てた。そのままユズさんが頭を優しくなでて、ミドリさんも背中をぽんぽんと優しくたたいた。
すすり泣くような声をスマホから遠ざけるために、私はコユキちゃんたちからやや離れた場所に移動した。
それから、改めてスマホに手を当てた。
「ごめんなさい、アイリちゃん。ちょっといろいろと…」
アイリちゃんの声に混ざって、いろいろな人の声が聞こえてくるけど、アイリちゃん以外はよく聞き取れない。
「ううん、全然大丈夫。それでね、ヒフミちゃん…ミドリさんとユズさんと一緒に、コユキちゃんの傍にいてほしいの」
「分かりました。それでは、いったん切りますね」
「うん。落ち着いたらまたかけて」
通話を切って、コユキちゃんの方を向く。コユキちゃんは左手でユズさんの手を握りながら立っていて、右腕の袖で顔を拭いていた。
私はそのままコユキちゃんに近づいて、コユキちゃんが離れるまでハグをした。