ヒフミさんの服を濡らしても、ヒフミさんに包まれても、ヒフミさんの暖かさを感じても。
私の喉の中を塞さぎ、胸を外から抑えつけてくる感覚は消えようとしない。
あの声。電話から聞こえてきた……とても怖い声たち。
私を逃がすはずがないと、最初からわかっていた。
―でも……。
ヒフミさんの顔を見る。ヒフミさんが目線を合わせようとしたけど、私は目線を逸らした。
―放課後スイーツ部の皆さんやレイサさん、ヒフミさんは、私の味方をしてくれた。
ミドリさんとユズさんの方に、視線をさまよわせる。二人の目線をかわしながら。
―ミドリさんとユズさんも、味方……だと思う。
ヒフミさんに回していた腕を、少し揺らす。ヒフミさんがそれに反応して、私に声をかけた。
「コユキちゃん」
ヒフミさんが背中をぽんぽんと叩くと、閉じていた私の口が開いた。
「……その」
―まだ、味方でいてくれますか?
私はそこまで話せず、ヒフミさんの方に顔を上げた。
「ゆっくりでも、大丈夫ですよ。私はコユキちゃんの助けになりたいんです」
後ろの方から、二人の声がした。優しくも、力強い、ヒフミさんと同じような気持ちがこもった声に聞こえた。
「私も、コユキちゃんを助けたい!」
「私もだよ、コユキ。私たちは、どうすればいいかな?」
それを聞いて、私にある考えが浮かんだ。絶対にできないと思っていた、唯一の救い。
私はヒフミさんを、次にミドリさんを、最後にユズさんを見て、またヒフミさんの方に顔を向けた。
そして、途切れ途切れになっていた呼吸をやめるために、深く息を吸った。
「私は……」
動きたがらない声帯を無理やりにでも動かす。
「ミネさんに」
今度は……言いたいことを言うために。
「会いたいです」
私は三人に視線を回した。すると、ユズさんが一番に口を開いた。
落ち着いた、低い口調の声だった。目線も鋭かったけど、全然怖くなかった。
「なら、音楽堂に行こう。セリナさんが音楽堂について言っていたし、ミネさんも音楽堂で演奏するって言っていたから」
続いてミドリさんがポケットからスマホを取り出して、指を何度も動かした。
それから10秒もしないうちに、ミドリさんが話した。
「道は私が案内するよ。全速力で走れば、追いつかれずに先に音楽堂につくはず」
それを聞いたヒフミさんが、まだ抱き着いていた私を離して、手をつないだ。
「出発しましょう!」
その言葉を合図に、私たちはまた全速力で冬のトリニティ・スクエアを走り出した。
四人分の足音に混じって、ミドリさんの声が前から聞こえる。
「こっち!」
「次は右!」
「次は左!」
「次はそのまま!」
それに従って、私たちは人気の少ない道をひた走る。
暖かくて雪が解けて湿った石畳の上を、まだ解け切っていないで水と混ざったぐしゃぐしょの雪の上を。
冷たい道の上で人に踏まれまくった固い雪の上を、足元を覆いつくす踏まれていない雪の上を。
道路の方に斜めになった氷道の上を走ったときは、何回か転びそうになった。
それでも、信号機以外で一度も止まらずに走り続けて、息を切らしながら音楽堂の前にたどり着いた。
すでに頭が酸欠を訴えてて、視界からの情報収集もできなかった。
だけど、いつでも私を安心させてくれる、凛とした固い声ははっきりと聞こえた。
「コユキさん、何かあったのですか?」
それを聞いた私は、疲れた足に力を入れて、声のする方にまた走って。
頭から体に飛びついて、両腕をその人の脇から背中の上に回して、絶対に離さないようにした。
その人は最初と同じように、必死で呼吸をする私を包み込んでくれた。
私は頭を上げてその人の方を見た。最初と同じように、緑から黄緑のグラデーションの目は私が私を締め付けるものを緩めてくれた。
大きく息を吸い込んでから吐き出して、静かな声で話した。
「ミネさん……」
ミネさんは何も言わずに私をハグしたまま、待っていた。私の背中に撫でられたような感覚がした。
「先輩たちが、もうすぐここに……」
私は唾を飲み込んだ。ミネさんは眉をひそめると、自身の左手で私の左手を握った。
私は左腕から肩をミネさんの左腕にくっつけて、ミネさんの手を握り返した。
それからミネさんは私の背中に回していた右腕を離して、私に話した。
「分かりました。私についてきてください」
そう言うとミネさんは歩き出して、私もそれに続いた。
ミネさんの手と腕は、誰よりも暖かく感じた。
こげ茶色の床に赤いカーペットが敷かれた床の上を、私とミネさんは歩く。
赤いカーペットの先にはこげ茶色の受付と思われる台と、かつては赤い紐が通せんぼしていた道がある。
その道の左横には「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉がある。ミネさんは受付の人と何か話すと、受付の人が関係者以外立ち入り禁止の扉を開けた。私とミネさんはその中に入っていった。
白いなんの装飾もない壁と床。天井の蛍光灯によってわずかな色の違いがあるのみで、カーペットのあった場所とは真逆の印象を感じた。
いくつか道を曲がったり階段を下りたり上がったりして、灰色に近い白の扉の前で止まった。それからポケットから鍵を取り出して、扉を開けた。