Fate//////X
——聖杯戦争。それは万能の願望器たる【聖杯】を巡る闘争儀式の総称であり、既に極東の島国——日本の地方都市『冬木市』で三度行われた戦いであった。
冬木式聖杯戦争では、聖杯に選ばれた七人の
「……歴史に名を残した英雄様や偉人様、その一側面を抽出してクラスという器に流し込む召喚術式か。全く、
黒いコートを羽織った無精髭の日本人——衛宮切嗣は、苦い笑みを浮かべながら召喚陣の前に立っていた。
場所は冬木市の武家屋敷——その土蔵。彼を雇い入れた錬金術の名家にして冬木式聖杯戦争の御三家であるアインツベルン——その居城では、召喚は行われなかったのだ。
本来ならば、冬木市へ向かう前に英霊召喚を行なう手筈であった。だが——
「……ごめんなさい切嗣。肝心の触媒が届かなかったばかりに」
銀髪の麗人——アインツベルンが誇るホムンクルスにして、敗退した英霊の魂を一時的に取り込む小聖杯にして、衛宮切嗣の妻であるアイリスフィール・フォン・アインツベルン——そんな彼女が口にした事象。これが全ての計画を変動させていた。
——アインツベルン現当主であるアハト翁のプランでは、コーンウォールにてかの騎士王——アーサー・ペンドラゴンの持つ聖剣の
それによる、触媒なしでの英霊召喚。呼ばれる英霊は不明確となり、クラスの事前予測すら困難と化し、召喚者と土地のコンディションに大きく左右される状態さえ発生し、確実な勝利を目指すアインツベルンの思惑は既に頓挫していた。
しかし——衛宮切嗣はそう思っていなかった。
「いや、アイリが謝ることじゃないよ。それに、この状況であれば、僕自身がある種の触媒になるとも考えられる」
「切嗣が?」
切嗣は不敵に笑い、そして続ける。
「うん、そうだよ。複数の英霊が該当する触媒の場合でも、召喚者の精神性に近い者が呼ばれるわけだから、触媒すらない時なら——どうしたって僕に近い存在が呼ばれるんじゃないかな? 僕のような英霊がいるとは思えないけど、かの騎士王様はさぞ高潔なセイバーなんだろう。どうしたって、僕との関係は瓦解する。それよりは幾らかマシな結果になるだろうね——む」
切嗣の右手の甲に刻まれた三画の紋様が鈍く光る。それこそがマスターの証——サーヴァントへの絶対的な命令権でもある『令呪』であり、それが輝いたということはつまり、英霊召喚の機が満ちたということに他ならない。
「——刻限だ。
——素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」
切嗣が召喚詠唱を進めていくにつれて、召喚陣周辺の大気が輝き始め、それはやがて迸る潮流の如き極光へと変化していく。
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ——!」
詠唱が最終節まで完遂されたのと同時に、魔力の奔流が土蔵を満たし、ついに爆発めいた発光を巻き起こす。
砂煙じみた魔力塵が晴れていく——そこには、
「——サーヴァント、アーチャー。召喚に応じ参上した」
夜闇にも映える銀の髪、そして褐色の肌、銀の瞳。
そして——赤い外套。その青年は、自身を
「——問おう。君が私のマスターかな?」
その男は——赤いアーチャーだった。
第Zero話「赤いアーチャー」
——一九九四年、十一月某日。
第四次聖杯戦争は、開戦から三日目にして既に趨勢が決まりつつあった。
初戦である、遠坂時臣邸におけるキャスターとアサシンの
「その隙を突かれた時臣めは、例の
冬木教会——言峰綺礼の自室にて、マスターである遠坂時臣を失ったはずのサーヴァント、黄金のキャスターが赤ワインを片手に、言峰相手に言葉を投げていた。
「……いや、意見などないさ。状況の整理を具申したのは私だからな」
「だが、あまりにも出来すぎている。そう言いたいのだろう?」
キャスターの言葉に、言峰は首肯する。
「初戦でアサシン、バーサーカー、そして時臣師が脱落し——ギルガメッシュ、お前は私と再契約した。そこで体勢を立て直すことにしたわけだが——」
その翌日には、冬木ハイアットホテル最上階を魔術工房化させた、『時計塔』のロード・エルメロイ率いるランサー陣営が、ホテルごと爆殺され——正確には爆破直後にアーチャー陣営の奇襲を受けて敗退——さらに本日にはライダー——征服王イスカンダルを自称——がアーチャー陣営と小競り合いになり、チャリオットを喪失するなど、恐ろしい速さで聖杯戦争が展開していた。
ここまで早期決着が現実的なものとなるのは現行ルールではあり得ないと判断し、暗躍を開始していた間桐臓硯は、アーチャーの放った宝具『
そして、今に至る。
「く、くく、ははははは! なぁ言峰、こうも展開が速いと驚くよりも笑いが勝るとは思わんか?」
ソファに君臨しながら、黄金のキャスター——ギルガメッシュが大笑いするのを見つつ、言峰綺礼は疑問を投げる。
「……ギルガメッシュ。お前の千里眼では見通せないのか?」
「——黒幕をか?」
問いの全貌を先取りされた言峰は、ただ頷く。
「——愚問だな。だがな言峰。
「裁定者を司るエクストラクラスを?」
「そうだ。この性質を帯びた
——聖杯に興味がない。召喚時にギルガメッシュが放った一言に嘘偽りがあるかどうかはなどは、その場を支配する圧倒的な
「故に
——エア。乖離剣エア。創世神話の具現とも言われる、ギルガメッシュの奥の手——対界宝具。その規模はサーヴァント一騎に使うには過剰なものであるが、それを躊躇いなく使う状況が、ギルガメッシュには見えたのだろう。それゆえの発言であった。
「だがな言峰。——お前は好きに動くと良い。此度、お前の望みは叶わん。だが——」
ギルガメッシュの赤い瞳が言峰を射抜き、そして——
「——次の十年を走るだけの活力を得るだろうよ」
そんな、戦いの後の話を、既にしていた。
◇
——第四次聖杯戦争、五日目。
未だ正体不明であるセイバーとの戦いで、ライダーが敗退したことにより、ついに聖杯は姿を現した。
出現場所は建設中の冬木市民会館。場所に目星をつけていた切嗣とアーチャーは、誰よりも早く到着する——そのはずだった。
そこには、会館内部の講演場には——既に黒いセイバーが立ち塞がっていた。
背後のステージでは、かつてアイリスフィールだった小聖杯が、サーヴァントを複数騎取り込んだことで——願望器としての機能を発動しようとしていた。
おそらく、セイバーが退去すれば杯は満ちる。七騎も必要ないほどに、セイバーの魔力は常軌を逸した規模だった。
黒いセイバーは、黒いバイザーと、そして謎のノイズによってその正体が判然としない。だが、アーチャーは何か見知った顔を見たかのような表情を浮かべていた。
「アーチャー、奴が何者なのかわかるのかい?」
切嗣の問いにアーチャーは首肯するも、その表情は重苦しいものだった。
「……知らないわけではない。だが、あんな姿ではなかった。それに、ここまで存在が曖昧でもなかった。
かの騎士王——アルトリア・ペンドラゴンは」
アーチャーが生前聖杯戦争のマスターだったことを聞いていた切嗣は、眼前のセイバーが自分だけでなく、アーチャーとも縁があったことに気づき、心の中で苦笑する。
「……全く、そういう縁だったのかな、僕とアーチャーは」
アーチャーの真名は欠けたまま——本人はそう言っている——それでも、切嗣は、自分でも不思議なほどアーチャーを信頼していた。
これも天啓なのか、あるいは根本的な相性なのか、切嗣はその部分を掘り下げて考えたかったが、そんな余裕がないことなど分かりきっていたため——黒いセイバー打倒の策を練る——
「——させませんよ、アーチャー」
「——セイバー!」
猪突猛進、それすら生ぬるい速度でセイバーは迫る。マスターの姿は見えず、最終手段であるマスター殺害という手札も使えない状況下——彼女の持つ黒い聖剣は、タガが外れたかのように全体から黒い極光を迸らせながら斬撃を繰り出す————!
「————……!」
——死ぬ。アーチャーはそう判断する。受けきれない、この斬撃は分厚すぎる。魔力の濃度が聖杯クラスだ……! アーチャーの戦闘経験がかつてないアラートを鳴り響かせる。——勝てない。せめて、この一撃を回避する奇跡でも起きなければ——
「——
切嗣からの絶対命令により、単独では実行不能な空間跳躍を発動させ——アーチャーはセイバーの頭上で錐揉み回転をしながら宝具を投影する!
「——
アーチャーは愛用する夫婦剣——双剣『干将・莫耶』を二対投影し、その四本全てをセイバー目掛けて投擲する。
強化魔術によりさらに強度を増した双剣は、セイバーの霊核を刈り取るべく降りかかる! それを——
「——甘い。それでは届かない」
セイバーは魔力放出だけで全て弾き飛ばした。
出所不明の長大魔力によって、生前並みに出力を戻した竜の炉心による極大の魔力放出は、それだけで強固な防御術式として機能する。まさに攻防一体。アーチャーに残された手は——
「——その隙があれば十分!」
「——何」
放出を終え、一瞬発生するクールダウン。その時、弾き飛ばされたはずの双剣はセイバーへと殺到する——
「夫婦剣——そうか、
セイバーは再び魔力放出で迎撃を試みる、だがその時既に——三対目の双剣を構えたアーチャーが眼前に迫っていた。
「鶴翼三連————……!!!」
鶴翼三連。同一の宝具を複数用意できるアーチャー独自の剣技。互いに引き合う夫婦剣複数投影による、回避不能の同時六斬撃——!!
必中を察知したセイバー、その一瞬が更なる隙を生み、そして戦いに決着がついた。
重い音を立てて地面に落ちる黒い聖剣。
既に退去を開始していたセイバーは、消えゆく中でアーチャーに語る。
「——これが、全てを擲った上で放つ聖剣です。貴方が投影すべきはこの黒い聖剣。私を破った以上、聖杯は『アレ』を起こします。それを——せめて天の孔を砕くのです」
「待ってくれセイバー! 何も状況がわからないぞ、なんなんだその姿は!?」
柄になく慌てるアーチャーを見てセイバーは少し笑い、バイザーを外しながら答える。
「——少し、冬木の聖杯とは縁がありますから。冬木聖杯自身の呼びかけで、私は此度馳せ参じました。——聖杯に潜む、■■■■を倒すために」
潜む者の名は、ノイズによって掻き消える。無理のある召喚だったためか、セイバーの霊基は召喚時点で既に軋んでいたのだ。
「——とにかく時間がありません。ですが、アレが受肉を開始する瞬間しかチャンスはないでしょう。どうか、頼みましたよ、シ——」
アーチャーに望みを託して、黒いセイバーは退去した。
こうして第四次聖杯戦争における最後のサーヴァント戦が終わった。
そして——勝者となった切嗣が小聖杯に手を触れ、
「————!?」
次元が、軋む音がした。
◇
事の成り行きを見届け、そしてあわよくば衛宮切嗣との戦いの勃発を望み、言峰綺礼は決戦場である冬木市民会館のステージへと辿り着く。その時、ステージ上では、極小のブラックホール——としか形容できない何かが発生していた。
「——これは?」
言峰は思わず声を発する。自身でも信じられないことだったが、彼の声は震えていた。
「——言峰綺礼、か」
背中を向けたまま、切嗣は口を開き、そして、異様な発言をする。
「——時が、
「——何だ? 何を、言っている?」
困惑する言峰など意に介さず、切嗣は右腕に力を込める。
「——二画の令呪を重ねて命ずる。
……士郎。黒い聖剣で、天の孔を穿ってくれ」
——士郎。この場でその言葉の意味を理解した者がどれほどいただろうか。おそらくは、発言者たる切嗣でさえ、意味を把握しきれていない。だが、彼は時を見たがゆえに、集束する事象の中から、その言葉を拾っていたのだ。
アーチャーとて、その発言の真意は掴みきれていない。だが——衛宮切嗣が「士郎」と呼んだ以上、その言葉を信じない選択肢など彼にはなかった。
「——わかったよ切嗣。オレが、あんたの願いを聞き入れよう」
そして、アーチャーは市民会館の天井を突き破り、上空へと飛び上がっていった。
膨大な魔力を伴う轟音が外から聞こえてくる中、ようやく切嗣は言峰へと向き直り、そして——
「——言峰綺礼。お前の望みは、叶わない」
——残酷にして冷酷な事実のみを語り、黒い光の中へと消えていった。
その後、異常な重力変動が起こり、建設中の冬木市民会館の中心部は削り取られるかのようにこの次元から消失していった。
——いや、正確には、テクスチャが超圧縮されていった。
言峰綺礼は、根源的恐怖に突き動かされ、思わず逃げ出したことで難を逃れた。
そんな彼の隣に、若い魔術師の少年がやって来ていた。ライダーのマスターだった、ウェイバーである。
「——ウェイバー・ベルベットか。……見ての通りの惨状だ。だがあの中に、もしやすると聖杯が残されているかもしれんぞ」
言峰の言葉に、ウェイバーは首を横に振った。
「——それはできない。僕は王に生きろと命じられたから」
「フ、殊勝なことだな」
言いながらも、言峰は半ば上の空だった。
眼前には、凝縮された極小サイズの特異点にして魔術的なブラックホールが今も存在しているのだから。赤いアーチャーの宝具展開によって、すんでのところで破局は免れたのだろう。だがしかし、冬木市には致命的な事象収納が
これからどうなってしまうのか。言峰綺礼は、久方ぶりに、途方に暮れていた。
いつのまにか、キャスター・ギルガメッシュとのパスも途切れていた。英霊の座へと退去したのだ。その事実によって、言峰綺礼はようやく聖杯戦争が終わったことを実感した。
かくして、第四次聖杯戦争は幕を下ろした。
この極小事象収納現象は、後に『フェイタリティ・ゼロ』と名付けられた。
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第一話「赤いセイバー」に続く
というわけで、第一話にして第Zero話でした。ガハハ