青く薄暗くトロリとした水底から浮き上がるように微睡みから浮上する。
ぼやけた思考の脳が幸せを反芻するかの様に昨晩の出来事を映写機の様に映し出す。
恥ずかしさ半分、嬉しさ半分に、あの熱に浮かれた時間を思い出す。
嗚呼、結局また恥ずかしくも乱れてしまった。
そして気が付けば、台所で何かが調理される音。
ベッドの隣には愛おしい人の気配は無く、嗚呼、あの人が台所に立っているのだと理解する。
「アコ、出来上がったよ」
ベッドルームにあの人がやってくる。私は甘える様にあの人の手に自分の手を絡める。
「駄目、アコ。ご飯が冷めちゃう」
「いけずですね…カヨコさんは」
ちょっと遅い朝食。ピリリと辛いペペロンチーノは私達の甘い非日常の終わりを知らせる合図。
コレを食べて、残りの一日を過ごしてしまえば、また私達は他人同士だ。
「恋しいなら、声を掛ければ良いだけの事じゃん」
本当にいけずな人。その一声が何事にも難しいのに。
そして私達はキッチンへと向かった。
──────────
特別じゃないコーヒー豆。
特別じゃない道具。
特別じゃない手順。
ドリッパーにフィルターを掛けて、粉を入れてお湯を注ぐ。
ぽたぽた、ぽた、とコーヒーの滴る音を聞きながらその薫り高い芳しい匂いに一時、浸る
ゆっくりと抽出を終えれば、特別じゃないコーヒーの完成。
だけども。貴女と飲むからこのコーヒーは完成する。
「出来たよアコ。私お手製の特別じゃないコーヒー」
貴女は何気ないそれを喜んでくれる。私はそれが掛け替えもなく嬉しいのだ。
────────
ざぁざぁと音を立てて雨が降る一日だった。やけに空気もひんやりと冷たく、吐く息が白かった。
「──報告は以上になります」
「お疲れ様、アコ。何時も悪いわね」
「滅相も御座いません」
アコは胸高々と言う風にヒナに言って見せた。そんなアコを、ヒナはジッと見詰める。目の前の少女の行動に、アコは首を傾げた。
「あの、委員長、私の顔に何か…?」
「ねえ、アコ。あなた…私越しに誰かを見てるでしょう?」
抽象的な…然し鋭い言葉にアコは背筋がゾクッとした。
「何を言っているのですか委員長。そんな失礼なこと」
「なら、私越しに誰かを見るのを止めて。名前も知らない誰かの代わりに私が見詰められるなんて不気味な事はされたくないわ」
話はお終い。そう言われるとアコはヒナの執務室から静かに追い出され、気落ちした。
──名前も知らない誰か。ううん、そんな事は無い。私は、私は……
蝙蝠傘を差して、アコはグレースケールの様なずぶ濡れのゲヘナの街を歩く。
キラキラと水溜まりに反射する光はまるで万華鏡のよう。
「こんばんは」
視線を落として歩いていたアコは目の前に立つ少女の足へ目が映り、ゆっくりと視線を上げていくと其所には…
「カヨコ…さん…?」
「ん。久しぶりだね、アコ」
簡素なレインコートを被ったカヨコが、元恋人が其所には立っていた。薄らとした微笑みを浮かべて。
「なん…あなた、指名手配…!」
「うん、知ってる」
「だったら如何して…!」
「最近アコの顔を見ていないから、アコの顔が見たくなった。それだけじゃ駄目?」
アコは呆然としてパクパクと口を動かした。この、顔の良い元恋人ときたら、なんて軽薄な動機に基づいた行動力だろうか。
「さて…アコの顔も見れたし帰ろうかな…」
「ちょっ…待って下さい! そんな薄っぺらいレインコートだけでこの雨の中帰るって言うんですか!」
「うん…? そうだけど。雨が降っていれば人相もバレにくいしね」
今にも踵を返して「それじゃ」と帰ってしまいそうなカヨコに対して、震える声で、震える手でアコは引き留めた。
「カヨコ、さんっ」
握り締めたカヨコの細い手は雨でヒンヤリと冷たくて。近くで見たカヨコの頬は寒さで何時もよりも白く見えて。嗚呼、本当に…彫刻の様に綺麗な顔立ちだ。
「そ、の…元恋人に会ったのなら、一晩くらい付き合ってくれても良いじゃないですか…そ、の…別れてしまいましたが、私はあなたが嫌いではありません、から…」
必死になって言葉を紡ぎ、俯く。答えを何秒待っただろうか。五秒か、十秒か、それとも一分か。
余りにも長く感じられる時間に対して、得られた答えは心地よく…自分の指先にカヨコの指先が優しく絡められた。
顔を上げれば、カヨコが優しく笑っていた。本当、憎らしいくらいに良い顔だ。