ご飯を炊く隙間時間に書きました。
いつもの散歩コースには占い師がその店を開いている。
近くの公園にある池の周りをぐるっと回ってくるのが自分のコースなのだが、自分が入るのとは別の、向かい側の入り口からほど近い池の近くに
まだ出勤ラッシュ前の早い時間にあるいているからか、たまに誰かが気まぐれで占ってもらっているのを見かける。もしかしたら昼間に来る常連の主婦などがいるのかもしれないが、少なくとも朝の時間ではリピーターがいるようには見えなかった。
それが時間の問題にしろ占いの精度にしろ、占ってもらう気は欠片もなかった。自分が占いを信じていないというのもあるし、そもそも占いを必要とするほど悩んでいることなどないからである。
ある日、いつものように散歩をしていたら老婆の姿がなかった。
場所を間違えたかと思って辺りを見るがそんなことはなく、ここ二年ほど、自分がこの公園に足を運んだ際にはいつもそこに座っていた老婆がそこにいないというのは何とも寂しい気持ちにさせられた。
在宅ワークの自分にはあまり実感のない話だったコロナのパンデミックの話が現実の事なのだと突き付けられたような気がした。
しかしあの老婆は見るからに年を食っている。自分の見立てでは七十後半か八十代、少なくとも七十を超えているのは間違いないと思う。それなりに死者も出ていると聞くし、もしかするとくたばってしまったのかもしれない。
そんな日が三日、四日続けば少なくとも何らかの病気か事故には遭っているだろうと邪推してしまう。ただ引っ越しただけの可能性もないではないが、このタイミングだとそうとしか思えなかった。
一カ月ほどしたある日、散歩コースの先にちょっとした人だかりが見えて、おや何事だろうと思う。
見れば、昨日まで姿を見せなかった老婆がそこにいるではないか。なるほど集まっていた人たちは同じ時間に散歩コースを歩いている者たちで、皆顔には出していなかったが心配はしていたのだろうと納得する。
話を聞けばやはりコロナに罹って入院していたそうで、ようやく体調が戻ったためにこうして朝の日課を再開したらしい。ついでに日陰になっている朝の時間しかここにはおらず、日中は家で家事をしているのだという要らぬ情報まで聞いてしまった。数年越しに老婆が生業としてではなく趣味で占い師をやっていることを知ったが、稼ぎを思えばまあそうだろうなと言う感想にしかならない。
記念に占いをやってもらうという者もいたが、自分は遠慮して家に戻ることにする。
正直に言えば少しだけ安堵していた。やはり顔を知っている人間が不幸に遭うというのはなかなか苦い気分になるものだ。
願わくば自分が別のところに居を移すまでは健在で在ってくれと身勝手な願いを抱きながら帰路を急いだ。
簡単プロット
いつも男が散歩している公園には老婆が占いをやっている。
コロナの折で一カ月ほど姿を見せなかった時はおやと思ったが、最近また復活した。引っ越すまでは生きてくれと身勝手な願いを抱いた。
最近プロットを立てるまでが早い。良い傾向。
しかし三題噺としては若干お題を活かしきれていない感じがしますね。反省。
タイムは20分強なのでまずまずといったところ。クオリティは普通ぐらい。可もなく不可もなく。
若干文体を古臭くしたのが今回の意識したところ。口が悪いのはそれっぽさを求めて。