宇宙世紀0079年 12月某日
宇宙要塞ア・バオア・クー ギレン・ザビ執務室にて
―私は今、自分が理解出来ぬまま動いている。
月面都市グラナダからこの宇宙要塞ア・バオア・クーへ辿り着くのにも日を要する上に会合の段取りを組むのすら骨が折れる。かなり、複雑に、折れる。なにせ実の兄とは言え、一国の政治、軍事を取り仕切る独裁者。父デギンの署名が形式上必要とは言え、実体としては思うがままに動かしているという陰謀論じみた評が的を射る。そんな男、ギレン・ザビの執務室へと通される。
「こちらでお待ち下さい。現在、総帥は予定が押しておりまして」
「時間が取れて何よりだ。いくらでも待たせて貰う」
金髪碧眼の秘書が丁寧な物腰と応対で部屋を後にする。実の兄と異性の好みが似るというのも中々気が滅入るが、今は滅入る分の気すら惜しい現実が理性を縛り付ける。戦時だから、今はその時ではないなどと言っては居られない。私達の腹の探り合いや確執にドズルの遺したラオやミネバが脅かされるなど、あってはならないのだ。
「らしからぬか、今の私は」
「意外ではないと言う言葉は嘘になります。
そして、前のめりにも見受けられますが……悪い印象はございません」
「そうか、正確な表現だ。……恥じらいは覚えるがな」
「ご英断に仕える身の私としては、誇らしい以外の言葉は持ち合わせません」
「……ふん」
副官に尋ねれば耳障りの良い言葉が返ってくる。この程度の言葉を紡ぐ程度には頭の良い男だ。私の変調にも勘づいては居るのだろう。戦争の緊張感か、あるいはコロニー落としの分解事故による想定外の大量の民間の死傷者、終戦後を見据えた各派閥の腹積もりや暗躍、老いた父の権力と意欲の低下、それらがザビ家の全てを蝕んでいる。理由や要因など地球の水の様に滾々と湧き出てくる。月の地下に封じているシャロンの薔薇。あのオブジェクトすらも何の影響を出しているかも分かったものではない。
「改めて、戦争とは兵站や技術開発はもちろんだが、此処まで事が動くのだな」
「仰るとおりで」
「やはり、熱狂が無ければこうにもならんな。父も兄上も……そして私もか」
ただ、相手を待つだけ……それだけの暇(いとま)など久しい。考えねばならんこと、出さなければいけない指示、確認しなければならない事案。兄上程ではないが私とて悠々自適など絵空事の言葉になっている。刻々と過ぎる時間、警護の関係で手持ちの端末は最小限に済ませている。まして、軍用の公務で使用する端末、機能は限定される。
「……遅いな。時間は」
「ざっと2時間ほど経過しております」
「……そうか、致し方あるまい」
そう、兄上も忙しい。これでも時間を作れただけでも良い方だ。思案する事はいくらでもある。まずは戦争に勝つ事。その後、赤い彗星の戦後の処遇、グラナダとサイド3本国との均衡、私が立つべき位置と兄上をどう関わるべきか。そんなことを考えると時間などいくらでも過ぎてしまう。結構な時間、考え込んでいたのか副官とそんな言葉を交わしたのが1時間前。
「申し訳在りません! 総統の予定が」
「構わん」
「予定は伝えてございますので……ええ、本当に大丈夫な筈だったのですが」
「良い、待つ」
と、金髪碧眼の兄上好みの秘書官が泣きそうな顔と上ずった声で頭を下げてから更に3時間経過している。ソファーに背中と尻から根を張ってしまいそうだ。腰も痛くなってきたし、端末でやれる業務はほぼほぼ片付いてしまった。流石にこちらにデバイスを持ち込む訳にもいかん。そう、手持ち無沙汰、何も出来ない……な・に・も! そう私が何も出来ず、ただただ、迎えを待つ幼子の様にただ、待つことしか出来ぬ!!!
「これは勅命だ、聞け」
「何でしょう、キシリア様」
「恐らく、私は些細な事で憤怒し、ギレン兄に何をするか分からん」
「はい。その際は私が身体を張ってお止めしま――」
「その際に拳を一発入れろ。顎か頬か、最悪腹でも良い。
睾丸を蹴り上げたら褒章をくれてやる」
「その勅命は以前にお止め下さいと申し上げた筈です」
「……玉無しめ。何のための図体だ」
「今、総統を私と同じにするのは得策ではないかと」
あんのぉクソ兄はぁ!!! そうだ、何時もそうだ! 自分の計画、其の為の根回し、人心掌握、派閥形成の手並みは見事としか言いようがない。私も学ぶべきことは未だにある。だが、逆に軽んじている相手に対してはとことんルーズなのだ! ドズルも私もどれだけ振り回された事か。その癖、可愛がっているガルマにはきっちりと甘く融通を効かせる! 軍を除隊した今もシークレット・サービスに常に監視は付けている癖に、私達には情報を一切下ろして来ない。死んだサスロ兄の機嫌が悪い時は大半がギレン兄の無茶振りと綿密な計画(事前の相談、通知、終了後の後始末一切ナシ)の所為だった。自惚れの天才気取りならともかく、実際に実績も手腕もあるのが何よりも忌々しい!
「腸が煮え過ぎて空焚きになりそうだ。腹の底に炭がこびりつく」
「アレはやらかすと大変ですからね。一度焦げると中々、加工も剥がれますし」
扉が開き、もはや死相とはこういう顔をするのだろうという手本の様に死を覚悟した秘書官の女が深々と頭を下げて入ってくる。もはや死臭すら漂いそうでマスクを付け直す。こんな憤怒と苛立ちの顔など向けては泡を吹いて倒れてしまうかも知れん。今は耐える時だ……耐えねばならん。
「申し訳……ありません。もはや、日を改めた方が良いかと」
「構わん。私もスケジュールをこれ以上空ける訳にはいかんのでな」
「では……もうしわけ、本当に申し訳ないのですが……もう少しお待ちを」
「キシリア様。ここは一つ彼女に助言など如何でしょう?」
「何?」
「気が紛れますでしょうし、お話を始める前に空気を変えるのも悪くはないかと」
副官の言葉に意識を少し向ける。そうだ、この秘書官も大分雑に扱われているということは価値が軽んじられているという事になる。最初は良いがもう興味も対してなく、私にどれだけ圧が掛けられようが知ったことではない。上手くとりなせば良し、ダメなら別のを補充すれば良い。合理的かつ無思慮な兄上らしい事の顛末が組み上がる。そんなこともわからぬままに、赤い靴で三倍早く命を踊り終わりそうな小娘に言葉をか。
「ふむ……お前。確か名前は……セシリア、名字はアイリーンだったか」
「はい、キシリア閣下に覚えめでたい事は光栄でございます」
「ああ、兄上はあまり秘書を必要としないし激務中毒(ワーカーホリック)だからな。
そんな中で長く務めているのはめずらしい」
確かに待つというよりは幾分、気分は良いか。さて、セリシア・アイリーン、あまりにも見目が麗しい“だけの“小娘、しかも出自を問えば、どこで拾ったかも話せぬ様な馬の骨。話せば知性も感じ、礼儀作法もしっかりしている。仕込まれたのかあるいは生き抜く為に学んだか知らないが、とにかく仕上がりの結果だけは上々。多少、若さと美貌で点数が甘めになっているであろうが、首にならない程度に立ち回れている。
「いえ、たまたま不相応な幸運が巡ってきただけですので。
誠心誠意お勤めさせていただいているだけでございます」
「……ぁあ、そうだな」
故に兄上に使い潰されるのは勿体ないという副官の懸念も分かる。今はなんとか持っているのと、戦争という特殊事情故に口出しも出来ずに小間使いに徹しているのはある意味正解だ。だが、それも戦争が終わってしまえば事情も変わる。むしろ、終戦後こそが政治家の本番。いかに逃げ立ち回り、引っ剥がし、隠しくすねるかが重要になってくる。そうなった時、この小娘は上手く立ち回れるかだ。
「まず、“私は三歩後ろ歩いて支えております”みたいなのは
そのうち忘れられるぞ、ギレン兄だと」
「……はぃ?」
「あの男、自分は優秀だから周りが支えるとか手助けするのは
当たり前だと思っているし、失敗しても当人の責任は問わないが
使えないパーツとして組み替えられるだけだ」
だから、まぁコレくらいはしてやろう。若い者にチャンスを掴ませるのも年上の仕事の一つだ。戦争で散った命は多いからな。故にあの男の悪魔的な一面の対処、即ち研ぎ澄まされたエゴイズムの塊の様な思考をきちんと直視させねばならん。まずは、相手を見る事。それが肝要だ。私はもうギレン兄は見たくない。
「キシリア閣下。私程度の人間が意見を口にする事をお許し下さい。
ギレン総統は身分の低い私の才覚を見出し取り立てて頂きました」
「そこだ。ギレン兄は確かに出自や思想を問わずに人間を重用する。
お前もその一人だろうであろう……が」
「が?」
「ギレン兄は自分以外の人類は、自分より劣っていると本気で思っているし
触らない分野に秀でている者は便利な補助部品として見繕っている。
時間と意識を向ければ余裕でそいつより分野に秀でると思っているぞ」
「いえ、それは……その」
「近くにいれば、思う節はあるだろう?」
そう誰もが勘違いするポイントがある。ギレン兄は確かに人を見る目はある。と言うよりも一定水準に達していない人間は本当に物品以下としか思っていない。派閥に高級官僚が多いのも、そもそもそのレベルに達する才覚か価値がある人間しか目に入らないのだ。ただ、逆に言ってしまうとどんな生まれであろうとある程度目に留まる才覚があれば、重用はされる。が、ギレン兄にとって才覚も重要性も自分が一番であると思っている。まぁ、それくらいの自信と自負が無ければ、独裁者などやっては居られんからな。
「セシリア、要するにお前は血統書が無いから派閥の影響も無い。
面倒事を担う人材として、毛艶のいいコイツにしようで選ばれている。
それが随分長持ちするので雑に扱われているだけだ」
「流石にそれはあんまりな言い方ではありませんか!?」
「キシリア様、流石にその……」
「これは女の話だ。お前は参考程度にしておけ」
「はっ、仰せのままに」
思わず絶叫に近い様な声が部屋へと鳴り響く。気持ちは分からんでもないが、此処で自覚が出来ぬと将来報われないのはこのセシリアだ。副官も思わず、口を挟んでくるが一睨みと一言で黙らせる。今にも爆発しそうなセリシアの顔を見据えながらもマスクを下ろして、自嘲気味に笑って見せる。
「私はあの男に人生の殆どを振り回された女だぞ?
現にお前は、待たせ怒らせている要人の対応を任されている。
特に助言や対応もなく、“なんとかしろ“だけしか言われておるまい」
「そ、それはそうですが」
「このままではあの男に良いように人生を使い潰されるだけだ。
お前の見目なら5年位は余裕で持つだろうが
三歩後ろなら、歩いている事すら忘れる男だ、ギレン兄は」
聡い小娘だ。顔を見せて、きちんと言葉を伝えれば意図と自らの記憶でその事実が符合する事は理解する。どこで拾ったか知らんが抜け目もないだろう。全く、ギレン兄はこういうのすら目も届くから困ったものだ。私よりよっぽどキワモノ、珍品探しが上手い。私ももっと磨かねばならんな、人を見る目という奴を。
「私にどうしろと言うのですか、キシリア閣下」
「そうだな。お前自身の人生の選択になるが
このままギレン兄の傍に居たいと言うなら
もう“自分は愛されているだけの女”として生きるしかあるまい」
「それはその……ただの愛人では?」
「その愛人すら本来、兄には必要無いのだ。
ほっといても権力狙いの雌猫は派閥の内外問わず寄って来る。
現に言い寄って来る雌猫避けにも一役買っているのであろう」
「それは……まぁ、はい」
おおよその流れは想像がつき、此処がこの娘の正念場でもあるのだろう。ギレン兄としてはそろそろ飽きたコレが上手くいなせるかで見極める所かも知れん。ダシに使われたのはあまりいい気分はしないが、女が地位を築く、特にこのジオンにおいては難しい事だ。
「なら、それを活かしていくしかあるまい。
自分は偉くも能力もないが、世界で一番秀でた男に愛されている。
誠心誠意務める、致命的な面倒事は起こさないのは当然として
些事程度の困りごとを少し起こして煩わしくない程度に
“ああ、最近構ってやれなかったか” とか
“私が優秀なのは解っているだろうに”みたいな感じで
意識に問いかけて存在をアピールするしかあるまい」
「なるほど」
「私はそんな生き方はごめん被るがな」
「キシリア様には無理でしょうね」
「当然だ。だから、私はこの地位まで上り詰めた」
自分でも随分、口が回ると思ったら私はある意味この選択肢、生きる道も無かったのかも知れんな。赤毛だろうがなんだろうがザビ家の女にして、長女だ。やり様はいくらでもあり、私はそれを選ばなかった。甘く見られた事も、妬みややっかみもあったが……ふむ。やはり、おかしいな最近の私は。感傷的過ぎるぞ? 私は今、自分が理解出来ぬまま動いている。そして、理解らぬままに、現実が先に進んでしまった。
「随分楽しい会話をしていた様だな。セシリアよく務めてくれた」
「ギレン閣下! 申し訳在りません。お出迎えが」
「気にするな」
扉が開くとともに、このジオンの全てを御している男であり、私の実の兄、ギレン・ザビと対面する。此処からだぞ? 此処からが私の正念場だ、キシリア・ザビ。
次回予定
「ギレン・ザビという兄とキシリア・ザビという妹」