ソード・ワールド2.5 リプレイ 『煌日の姫と冴月の王子』   作:弧埜新月

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うーん……ボキャブラリが死んでおる


危険な花の香り(中)

 近付いて実際に目の当たりにした集落は離れて見た時よりも更に見窄らしい有様だった。

 粗末な柵は黒々と湿気を吸った支柱が藻や苔で緑色の斑模様になっており、場所によっては根本が腐り落ちて宙ぶらりんになったまま放置されている。

 家々の壁も蜘蛛の巣が張り、虫や鼠が食ったらしき穴が散見されるような酷い様相だ。手入れが行き届いていないどころか、全く手を付けられていないのだろう。廃屋と何ら変わらない。

 恐らく、そんなことに気を回す余裕も、手を回す気力も無いのだろうな、と思いながら、シャイレーゼは門衛に立つ初老の男に目を向けた。

 いや、それは立つと言っていいのだろうか。男は他より太く丈夫な木材で建てられた門柱に丸まった背を預け、手にした槍の石突を地に突いて縋りつくように身体を支えている。剣を抜けば一息で斬り倒せる位置まで近づいてきた彼女に気付きもしない。体調が悪いのか、俯いたままただ荒い息を繰り返していた。

 

 ──よし、それじゃ、あまり威圧的にならないように……。

 

「もし、おじさん?」

 

 さりげなく両手を見せて武器を手にしていないことをアピールしながら、ゆっくりと数歩シャイレーゼは近付いた。男からは酷い悪臭が漂ってくる。脂で固まったような胡麻塩混じりの髪を見るに、身体を洗わなくなって久しいのだろう。だがシャイレーゼは欠片も表情へ出さずに笑顔を貫いた。

 

「……ん……?」

 

 声を掛けられた男は茫洋とした表情でふらふらと顔を上げる。こけた頬に色濃い隈の浮いた落ち窪んだ目。健康を損ねているのは明らかだった。

 

「ちょっと、大丈夫……?」

 

 思わず素で男に手を伸ばすシャイレーゼ。男はカッ、と目を見開くと、その顔先に槍を突きつけた。

 

「えっ」

 

 思わぬ機敏な動きに驚くも、所詮は半死半生の素人の動きだ。シャイレーゼは数歩引くことで難なく槍の届く範囲から逃れる。少し離れて様子を見ていたクルムオンとホリィが素早くその横に並んだ。

 見知らぬ若者達を前に、男は焦燥に駆られた顔をして順繰りに穂先を向けて叫ぶ。

 

「お、お前達何者だ!? なぜここへ来た!?」

 

 脊髄反射でシャイレーゼが応じる。

 

「なぜここへ来た!? と聞かれたら!」

「僕達、隣村の人達に頼まれて来たんです」

「おーい!?」

 

 姉の奇行を即座にスルーしてにこやかに話を始めるクルムオンにシャイレーゼがツッコミを入れるが、何か言葉を繋げる前にその首根っこをホリィがぐいっと引っ張った。

 

「ぐえっ」

「シャルさん、少し、裏でお話ししましょうか」

 

 額に青筋を浮かべたホリィが笑顔でずるずるとシャイレーゼを引き摺って行く。ひぃん、と情け無い声で鳴いた姉を捨て置いて、クルムオンは呆然とその顛末を見送る男へ話を続けた。

 

「何でも、以前こちらからいただいた薬のお礼がしたいとかで」

「……お礼? 薬の?」

 

 すっかり毒気の抜かれた様子の男は、遠い異国の言葉でも聞いたかのようにクルムオンの言葉を繰り返す。そうしてゆっくりと言葉を噛み砕いた男は、徐々に下がって来ていた穂先を完全に下ろしてしまうと、少し後ろめたそうに視線を落とした。

 

「……いや、そんなものはいらねぇよ」

 

 力無くそう零した男は一歩クルムオンに近づくと、声を潜めて言う。

 

「悪いことは言わねぇ、若い冒険者さんよ。ここはよそ者には厳しい村だ」

 

 彼はそう言いながらちらりと後ろを振り返る。そちらには誰もいないが、クルムオンには分かる。その先にあるのはあの毒々しい色の花が咲き乱れる畑だ。

 

「今の内なら、だんれも気付いちゃいねぇ。今直ぐ帰った方がいい」

「待ってください」

 

 クルムオンも声を低める。

 

「僕達は、貴方達を解放するために来たんです。貴方達は脅されたり、何かを楯にされたりしているのではないですか?」

「……!」

 

 男は僅かに目を見開くと、まじまじとクルムオンの顔を見詰めた。そうして、ふっ、と諦めたような、自嘲するような表情を浮かべて目を逸らす。

 

「……冒険者なら、どこへ行くのも自由だろう? はよう、大きな街にでもいきなされ」

「そんな、話を──」

「──そうねぇ」

 

 食い下がろうとしたクルムオンの肩を叩いたのはシャイレーゼだった。お説教は──ホリィの不満そうな顔を見るに途中で強引に打ち切って来たのだろう。反対の手の親指で後ろを指すと顎をしゃくった。

 

「ここは戻りましょ」

「……分かりました」

 

 姉の言葉を受け入れ、クルムオンは小さく頷く。去って行く彼等の背を、男は少しほっとした表情で見送った。

 

   ◇◆◇             ◇◆◇

 

 三人は見張りの男から十分見えなくなった付近で道から逸れた。道からは見つからない程度に離れた辺りで見つけた、倒木によって少しだけ開けた場所に落ち着くと、今しがた得られた情報の整理を始める。

 とはいえ、大した情報は得られていない。

 

「──少なくとも、見張りには私達の情報が伝わっていない様子でしたね」

「そうね。あれは『普通』の対応だった」

「……彼も、自分が後ろ暗いことをしているという自覚があるようでしたね。やはり、あの畑は違法な物のようです」

 

 クルムオンは少し暗い表情をして言った。

 

「やはり弱みを握られているのでしょうか。何とか聞き出せるといいのですが」

「……難しいんじゃないかしら」

 

 シャイレーゼが眉間に皺を寄せた。

 

「多分だけど、彼、自分からその畑に関わったクチだと思う。最初から手を出したらマズい代物だって知っていたかどうかは微妙だけど」

 

 そんな顔してたわ、と彼女は言う。

 

「自分達のやってることは悪いことで、でも自分から始めたことだから抜けることは許されないとでも思ってるんじゃないかしら」

「……確かにありそうですね。隠し畑の調査をするとあんな顔をする方がたまにいらっしゃいます。お金で雇われて、開墾した後等に隠し畑であると知らされた方が多いですね」

 

 隠し畑だと知った時点で代官なりに報告すれば、収穫物による収入が発生する前なら罪には問われないのですが、とホリィは嘆息した。過去の任務を思い出したのだろう。隠し畑が罪になるとは周知されていても、その例外についてはあまり知られていないらしかった。

 

「……そう言えば、あの畑って立派な隠し畑よね」

「隠し畑に立派も何も無い気はしますが、あの規模であればそうなりますね。あのような植物は存じておりませんが」

 

 作られている作物は課税の対象になるものではないが、過去に経験した事例を振り返ってホリィはそう断言した。

 

「となると、あの村はどの道犯罪者の集落ってことか」

「言い方は悪いですが。……姫様、その」

「分かってる。事情は汲むわ」

 

 良いわよね、と目で問われたが、クルムオンに否は無い。男が根っからの悪人であるとはとても思えなかった。もし万が一犯罪者の集団なのだから討伐もやむなし、と姉が判断したならば何とか翻意させようと考えていたくらいだ。

 

「しかしそうすると、如何しますか? あの男性からこれ以上話を引き出すのは難しいように思えますが」

「そうね。こうなったら、もう……潜入作戦かしら。何処かいい場所の目星はついてる?」

「かしこまりました。こちらへ」

 

 上から確認した時に予め彼女は目星を付けていたようで、そのまま双子を茂みの奥へ(いざな)った。そのまま集落の外周を囲う柵を遠巻きに回り込むように移動する。周囲の深い薮は彼女達の姿を上手いこと隠してくれたが、木々の間から垣間見える村人の姿は実に覇気がない。柵のすぐ側を屈みながら進むだけでも気付かれずに移動出来たのではないかと思う程だ。

 

「──この辺りが宜しいでしょう」

 

 そうホリィが囁いて双子を誘ったのは、広がった薮が柵の直ぐ側にまで侵蝕した場所であった。こんなところが残っている辺り、本当にこの集落の管理者は防諜の類に無頓着であるらしい。侵入する身としては楽でいいが。

 三人は薮の中を慎重に這うようにして集落へ接近する。

 

「……ここ、丁度柵が切れてるわね」

「……やはりですか」

 

 育った薮に圧されたようで、薮周辺の柵が一部壊れていた。薮はそのまま集落内へ続いている。上から確認した時にこうなっていると薄々察していたのか、ホリィはげんなりと額を軽く押さえていた。まさかこんな特大の警備の穴が放置されたままになっているとは信じたく無かったのだろう。そのあまりの杜撰さにはホリィだけでなく双子も渋い顔をしている。

 気を取り直して薮からそっと顔を出して見ると、そこは畑の直ぐ側であった。目の前で毒々しい色合いの花が揺れている。

 

「……なに、これ。気味の悪い花ね」

 

 思わず、と言ったようにシャイレーゼがそう零す。

 遠目からはただ目の痛くなるような桃色一色に見えていた花だったが、それは首を垂れるように少し傾いだ花冠の色のようだった。

 四枚の大振りの花弁からなる花冠の中央には、歪な形の黒い大きな花芯が見える。花芯は角を落とした三角形のような形の雌しべと、その上に細長い三日月状の雄しべが2つ、下側に大きく湾曲した弓状の雄しべが1つで構成されているのだが、どうにもそれが苦痛で歪み果てた髑髏に見えて仕方がなかった。

 クルムオンが花をじっくり眺めてから首を横に振る。

 

「僕の知らない花ですね……近似種すら思い付きません」

「私も同じく。如何しますか? このまま茂みを辿れば、あちらの畑にも近づけそうですが……」

 

 ホリィは多くの人が作業する、黒々とした実の生る畑を指し示す。

 今の所手に入った情報は思っていたよりも更に警備状態がザルであることと、気味の悪い花の詳細な見た目だけだ。ここまで来てそれだけの成果で退く選択は有り得ない。双子は力強く頷いた。

 ホリィの先導で、亀のようにゆっくりと目的の畑への接近を試みる。巡回している見張りが近くへ来ようとする素振りがあれば直ぐに足を止め、薮の中で息を殺して通過するのを待った。薮が途切れている場所があれば、見張りが十二分に離れたのを確認した上で次の茂みへなるべく音を立てないように移動し潜伏する。幸い上で見た通り、見張りは今にも死にそうな顔をして俯きがちにふらふらと歩くばかりで全く茂みやその近辺で動く影を気にしようとはしなかった。

 2度程巡視を掻い潜り、幾度か茂みを渡った頃、3人は漸く目標の畑の端に到達することができた。本当に端の端もいいところ、という場所であったが薮はそこで完全に終わっており、それ以上近づくことは難しい。とにかく情報を取るべしと、3人は大人しくその場に潜んで薮の隙間から様子を窺うことにした。

 その畑では十数人の村人が収穫作業に勤しんでいた。老若男女に別はない。上は腰の曲がった老人から、下は7、8歳位の童女まで。皆一様にいつ洗ったかも分からないような襤褸に身を包み、真っ黒な顔でノロノロと実を収穫しては手元の籠に入れている。中に敷いてあるのだろう、籠からはみ出た布が眩しい程の白さを放っていることが一層彼等の惨めさを際立たせていた。きっと休憩や食事も満足に取れていないのだろう、誰も彼もが酷くやつれていたが、にも関わらずどこか夢見心地といった表情で脇目も振らず働く様子は哀れを通り越していっそ不気味な程であった。

 

「……妙ですね。これだけ人がいて監督者がいない」

 

 彼等の動きを観察していたクルムオンが、隣にしか聞こえないような小声で漏らす。反応したのは今にも飛び出したそうに歯軋りしていたシャイレーゼである。正義感の強い彼女には奴隷のように働かされている彼等の現状が許せないのだろう。それでも弟の声量に合わせられる程度には自制できているようで、囁くようでありながら滲む怒りははっきりと感じられるという無駄に器用な声で返事を返してきた。

 

「監督者? 見張りなら3人も居るじゃないの。他は1人だったのに」

「彼等も恐らく他と同じただの見張りですよ。ほら、あそこを見てください」

 

 クルムオンは少し離れた所で作業している2人組を指した。親子なのだろう。若い女性とまだ幼さの残る少女だ。遠目だが何となく顔立ちが似ている気がする。

 二人の内、子供の方は明らかに様子がおかしかった。身を屈めるようにし、完全に手が止まっている。だが側にいる女性は少女に目もくれない。ただ黙々と収穫作業を続けている。周囲の労働者も見張りも同様で、誰も少女に興味を示さなかった。

 

「……何、あれ。大人なら声掛けるとか寝かせて休ませるとか色々あるんじゃないの?」

「それはそうなんですが」

 

 あからさまに不機嫌さを増した様子の姉に非常に言いづらそうにしながら、クルムオンはそうではないのだとばかりにゆるゆると首を振る。

 

「監督者であるならば、ここで見張り達が動かないのはおかしいんです。普通は引き上げさせて休ませるか、休むなと殴り付けるか、何らかのアクションをする筈ですから」

「……もし殴り付けようもんなら私が剣の鯖にしてやるわ」

「姫様、抑えてください。ここで飛び出されては潜入した意味が……住人達を助けられなくなる可能性も」

「ぬぐぐぐぐぐ……」

 

 シャイレーゼが握り締めた剣の柄がギシギシと軋みを上げる。諫めたホリィとしては周囲にバレないかどうか、そして癇癪に任せて殴られやしないかと気が気ではなかったが、幸いどちらもないようであった。

 

「……あっ」

 

 それは誰が漏らした声であったか。唐突にぱたりと少女が倒れた。しかし女性はそれでも少女に無関心で、まるで何も見えなかったように労働を続けている。

 

「この……!」

「待ってください、見張りが……!」

 

 飛び出そうとしたシャイレーゼをクルムオンが抑える。見れば、見張り達がノロノロと動き出して倒れた少女の元へ集まろうとしていた。流石に救助する気になったか、とその動き出しの遅さに不満に感じつつもシャイレーゼは浮かせ掛けた腰を戻す。

 だが、事態は彼女の思った通りにはならなかった。

 

「ん……?」

 

 見張りの一人が、手にした槍の石突で倒れた少女を突いたのだ。

 

「ッ!? ちょっと、何してんの──もがっ」

「姉さん、抑えて……!」

 

 吼えて立ち上がろうとしたシャイレーゼをクルムオンが飛び掛かって押さえ付け、ホリィが口を塞ぐ。相応に音が出た筈だが、付近の村人はちらりと視線を向けてきただけでそのまますぐに元の作業に戻ってしまった。少し離れた所にいる者達は顔を上げすらしない。本当に他のことに関心がないらしかった。

 もがもが言うシャイレーゼを抑えている内に、少女を突いた見張りは更に数回、軽く石突で(つつ)いた。反応がないことを確認したのか、彼等は顔を見合わせる。そうしてその内2人が手にした槍をもう1人に預けると、少女の両手と両足をそれぞれ持って持ち上げた。その動きからして1人で運べそうな様子だったが、彼等は2人掛かりで慎重に少女の身体を運んで行く。行き先は例の大きな黒い建物だ。最後の1人はそれに随伴していった。

 

「……屋内に連れて行って休ませるんでしょうか」

「どうでしょう……どちらにせよ、見張り役全員居なくなるのはどうかと思いますけど」

 

 暴れなくなったシャイレーゼから2人が退くと、彼女はギリリと歯を食いしばって眉間に深い皺を寄せた。口を固く縛った水袋が強い外圧に押されて中身を溢すように、シャイレーゼが押し殺した声で憤怒を吐く。

 

「許されないわ、こんなこと……!」

「……えぇ、そうですね」

 

 憎々しげに彼等の消えた建物を睨む姉に、クルムオンは首を縦に振って応えた。あれは断じて人に対する行いではない。その思いは彼も同じだった。

 

「──人が近付いて来ます」

 

 周囲の警戒を再開していたホリィが上げた小さな警戒の声に、双子はハッとして意識を戻すと即座に彼女に倣って地に伏せ、動きを止める。

 ホリィの視線を辿れば、1人の老いた男性がこちらへ歩いてくる所だった。どうやら一杯にした籠の中身を置いてきた後──畑の件の建物に面した縁に、実を集めているらしき大きな籠を積んだ荷車があるのが見える──次の収穫作業場所として未だ手付かずの場所(3人の潜伏する茂みの側)を目指してやってきたようだ。

 しかし、その歩みは大分怪しい。足取りは覚束ず、視線もゆらゆらとして定まらない様子だ。

 案の定、老人は茂みのすぐ側まで辿り付いた直後、ふらついたかと思うとそのままばったりと倒れ込んでしまった。

 

「……!」

 

 老人はそのまま荒い呼吸をか細く繰り返している。しかしというかやはりというか、他の労働者達はそれを気にも留めていない様子だった。

 ただ機械のように(命じられたことしかできないのだと)奴隷のように(そんな自由は与えられていないのだと)。無言で実を捥いでは籠に入れる作業を繰り返している。

 

「……もう見ていられないわ!」

「あっ……姉さん!」

 

 今度は姉を止め損ねたクルムオンが小声で叫ぶが、彼女は無視して老人に駆け寄り、助け起こす。すぐに声を掛けようとしたところで、今度はホリィが声を発した。

 

「姫様……! そこだと目立ちすぎます。早くこちらへお戻りを!」

「ッ」

 

 ぐっ、と声を呑み、シャイレーゼは老人を抱えて茂みへ走る。老人は人の身体とは思えない程軽い。大した労も無く茂みへ戻ることができた。

 

「……全然こっちを見ませんでしたね」

 

 ほんの数秒程度であったが金属鎧を着た人間が静粛性など無視して走ったのだ。この畑にいる人なら当然気付けるくらいの音が鳴った筈だが、誰一人注意を向けはしなかった。

 

「この際好都合だわ。クルムオン、何とかできる?」

「任せてください」

 

 請け負ったクルムオンは隠れ潜みながらでかなりやりにくそうにしながらも、老人の衣服を緩めて水を飲ませる。正直現状でそれ以上の処置は出来かねたが、それでもどうにか老人は目を覚ましてくれたようだ。しかし、身体は小刻みに震えて開いた目の焦点は合っていない。予断は許さない状況だった。

 

「大丈夫ですか。僕の声が聞こえますか?」

 

 クルムオンが老人の骨と皮ばかりの肩を軽く揺すりながら耳元に口を寄せて呼び掛ける。それで老人はようやく周囲に人がいることを認識したらしい。震える手を伸ばして弱々しく声を上げた。

 

「クスリ……クスリをくだされ……」

「……!」

 

 譫言のようにクスリと繰り返す老人に、双子は顔を見合わせる。

 

「薬っていうと、例の……!」

「はい。どうやら彼等は薬の奴隷にされているようですね……」

「あの瓶一瓶二瓶程度じゃここまでにはならない筈よ。繰り返し飲まされ続けたんだわ……!」

 

 シャイレーゼは嫌悪と憤りに手甲を圧し潰さんばかりに握り締めると、弟へ強い視線を向けた。クルムオンは頷くと服の上から聖印を握り締めて老人に手を翳す。この憐れな男を救いたいと願う気持ちは彼も同じだった。神聖なる緑光が、窶れきった老体に降り注ぐ。

 ──だが。

 

「──ぁ」

 

 その祈りは、届かない。

 聖なる光は、淡い幻想だったかのように霧散する。

 彼の研鑽は、眼前の命を救うにはまだ足りなかった。

 

「駄目だ……毒が濃過ぎる」

「そんな……」

 

 クルムオンが悔しそうに翳していた手を握り締め、シャイレーゼは自分達では老人を救えない事実にそれまでと打って変わって色を無くす。

 双子が無力感に打ちひしがれた、その時だった。

 

「う……ぁ……」

 

 老人が小さく呻いた。双子はハッとして彼の顔を見る。力無く彷徨った老人の視線が、ゆっくりと焦点を結んでいく。僅かに、その瞳に正気の光が灯ったように見えた。

 

「あんた、がた……」

「おじいさん」

 

 クルムオンがその枯れた手を握る。喋らないでくれと、彼は祈った。これ以上悪戯に体力を消耗して欲しくない。それが何の気休めにもならないとしても、最早施す手のないクルムオンはそう願う他なかった。

 だが、彼の姉は違ったらしい。静かに問い掛けた。

 

「おじいさん。教えて。誰が貴方をそんなふうにしたの」

 

 落ち窪んだ老人の瞳が、凪いだように穏やかに見えるシャイレーゼの顔に向けられる。そして、ひび割れた唇を震わせた。

 

「村長の、ブルシャ……」

「ブルシャ……そいつがおじいさん達をこんな目に合わせたのね」

「ここは……地獄じゃ……みな、働かされる……斃れるまで……」

 

 ゼイゼイと苦しげな息を継ぎながら、老人は懸命に言葉を紡ぐ。次第に微かではあるがはっきりとしたものになっていく声は、彼の末期の煌めきだろうか。クルムオンも、もう彼を止めようとは思わなかった。

 ただ黙って、窮状を訴える民の聲を聞いていた。

 

「斃れても、働かされる……あの工場で、骨にされて……」

「骨? それも、ブルシャが?」

「そうじゃ……斃れるのは体力のない、子供や老人ばかり……ここは、ほんに、地獄じゃ……」

 

 目から涙を溢れさせながら、彼は僅かに首を起こす。戦慄く口元を一度強く引き結ぶと、それから絞り出すように言った。

 

「逃げなされ、若人たち……ここは、危険じゃ……!」

 

 そう言ったきり、がくりと老人の身体から力が抜ける。

 それは、自分を、自分達を救ってくれという言葉では無かった。目の前の、未来あるであろう若者達を逃そうとする、他者への思いやりに満ちた言葉であった。

 双子はそっと老人の身体を整えると、短く黙祷を捧げた。

 

「……いい人だったわね」

「……はい」

 

 自分達は質問した他は殆ど老人の言葉を聞いていただけで、会話らしい会話はなかった。彼の人となりを知れるだけの時間も無かった。

 ただ、その根底にあっただろう善性は疑う余地のないものであった。

 

「これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかないわ」

「そうですね」

 

 こんな悲劇が、きっとここではありふれている。

 そしてこの集落が存続する限り増えていくのだ。

 もうこの集落の存在を許すことはできない。一秒たりとも、だ。

 双子は決意を込めた表情で頷き合うと、残る仲間であるホリィを見る。会話にも介抱にも加わらなかった彼女は、その間ずっと彼等の分も周囲の警戒を続けていたのだった。

 

「私達はこのままあの建物に突入するわ。止める?」

「いえ、お供します」

 

 双子のお目付役たる彼女は即答した。その、ある意味役割を投げ捨てた答えに、双子は嬉しく思いつつも目を丸くする。

 

「……いいの?」

「そう仰るということは、危険もリスクも承知の上ということでしょう。であるならば、もう何も申し上げることはございません」

 

 そう答えるホリィはいつも以上に淡々としていて、だがその声は熾火のように灼けるような想いが奥に垣間見えるようだった。彼女も、国の密偵としてこの集落の現状に、そして老人の最期に強く思うところがあるのだろう。

 シャイレーゼははっきりと頷きを返した。

 

「なら、3人であの建物を強襲するわよ。スピード重視で行くわ。ホリィ、貴女にも攻撃魔法の使用を許可する」

「ッ……! 承知しました」

 

 シャイレーゼの言葉から意志の苛烈さを汲み取ったホリィが礼を取って承諾の意を示す。

 

「目標はブルシャとやらの確保。障害は……村人は殺さないで」

 

 シャイレーゼは村人を傷付けるなとは言わなかった。傷も付けたくないのが本心であると二人にも分かっていたが、それを曲げてでも彼女は迅速且つ確実に目標を確保することを選んだのだ。

 

「他は即排除して。意見は?」

「僕からは何も」

「ございません」

「よし」

 

 二人の短い返事に満足すると、シャイレーゼは薮から抜けて身体を起こし、燃えるような視線を黒い建物へ据えた。ゆっくりと日が翳り始める中、建物はおどろおどろしい悪意で大きく膨れ上がっているようにも感じられる。シャイレーゼはすらりと剣を抜くと、臆することなく真っ直ぐに突き付けた。

 

「──攻撃開始」

 




次回、もしかしたら人によって不快に思う人が居なくもないかもしれません
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