ソード・ワールド2.5 リプレイ 『煌日の姫と冴月の王子』   作:弧埜新月

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14,000文字超えたので更に分割することにしました。
再構成にあたり、ログそのままではなくプレイ中足りてなかった描写とかあって然るべきやり取りとかを追加しているのですが……その所為か段々と長く……

私は3部構成の場合上中下が一般的で前中後という分け方はしないと思ってたんですが、調べてみるとそうでもないようで……最初が前後編だったので今回は前中後編にしようと思います。
違和感しかないんですけどね……確かに地名にも越前、越中、越後とかあるしいいのか?



村と神殿(中)

 葡萄畑を離れ、少し街道に沿って歩くと簡素だが、かなり高さのある──恐らく家畜の逃走防止だろう、人の頭よりも高い──柵に囲われた村が見えてきた。トリスク村だ。村としてはそれなりの広さがあるが、隙間の大きい柵越しに見える村の中には建物が疎らにしかない。その分、村を囲う柵と同じような高さの空の囲いが幾つも見える。夜間はそこに羊や山羊を入れておくのだろう。今は放牧の為に外へ出ているらしく、村から山の方へ向かって広がる草原の少し離れた所に固まって仲良く草を喰んでいる羊の群れと羊飼いらしい村人の姿が見えた。

 家畜の出し入れを想定してか入り口には広い門があるが、今は開け放たれている。その横には牧草を扱う為のフォークを抱え、柵の柱に寄りかかって舟を漕ぐ壮年の男性がおり、足元には牧羊犬らしい毛の長い大型犬が丸まって呑気に寝ていた。実に平和な光景だが警戒心があまりに足りない。

 それでも近づいてくる馬車の音には気付いたのか、男性は眠気眼を擦りながら顔を上げた。犬はまだ夢の中だったが。

 

「おや……あんた方、見ない顔……んん?」

 

 一行の顔を見渡す視線がシャイレーゼを捉えたところで止まる。

 

「……姫様……?」

「エッ? ヒトチガイデハ?」

 

 シャイレーゼの口から恐ろしい程の棒読みの弁明が突いて出た。

 彼女がハイゼン公として内定したのは大分幼い頃である。その際に、新しい公女のお披露目としてこの辺りにも訪れたことがあると薄らだが覚えていた。

 それを目にし、当時の面影を目の前の冒険者に見たのか、それとも単に、王都へ行った時にたまたまシャイレーゼを見かける機会があったのか。

 男は眉根を寄せ、一度眉間を揉んでから改めてシャイレーゼの顔を見詰める。シャイレーゼは冷や汗が止まらない。いきなり領主として話を聞くと色々隠されることもあるかも知れないと、まずは冒険者として接触しようという計画が初手で崩壊しかけているからだ。

 どう誤魔化そうかとクルムオンとホリィで目配せをしていると、先に男の中で結論が出たのか苦笑して首を振った。

 

「姫様がこんな辺鄙なところにいるわけないやな。すまんねぇ、アンタ達。俺ぁ昔、シャイレーゼ姫を見かけたことがあるんだが……ほら、髪の色とか雰囲気とかそっくりだったからよ」

「ははは、お気になさらず。よく言われるみたいですから」

 

 クルムオンがすかさずその話に乗っかる。そのまま軽い世間話を始めた弟を見て話が自分から逸れたと感じたシャイレーゼは安堵の溜め息を吐いた。

 

「ほっ。何とか領主だとばれずに済んだわ」

「えっ」

 

 世間話に興じていた村人の顔がぐりんっ、と彼女の方へ向き直る。迂闊なシャイレーゼの呟きをきっちりと拾ったようだった。

 

「あ、アンタ……いえ、貴女様は、やっぱり……!」

「……キ、キノセイジャナイカシラ?」

 

 目を皿のように見開いてガタガタと震える男性から必死に顔を逸らして滝汗を流すシャイレーゼ。そのあまりの不審者っぷりにホリィは露骨に肩を落として溜め息を吐き、クルムオンは額に手を乗せて天を仰いだ。

 

「……無理がありますよ、それは……」

「何で口に出しちゃうかな……」

「ものっそい突っ込まれた! というか、そっちだって口に出してるじゃないのよ!」

 

 シャイレーゼが裏切り者を見るような視線を二人に向けるが、最初にどデカい自爆をかましてくれたのはこの女である。二人が返す視線は冷たかった。

 

「こっ、これは、とんだご無礼を……」

 

 一方で、目の前の少女がやはり王族だとバラされた──その後のやり取りで確定した──男性は、顔面蒼白で後退った。

 

「いっ、今すぐっ! 村長を呼んできますのでッ!!」

 

 そう叫ぶなり、彼は手にしていたフォークを放り投げると、村の中心目掛けて脱兎の如く駆けていく。フォークは呑気に寝ていた犬の顔面に直撃し、犬はギャンっ!? と悲鳴を上げて飛び起きた。

 文字通り叩き起こされた犬の目の前には、三人の武装した不審者。そして振り返れば自分を置いて逃げていく──ようにしか見えない──主人の姿。

 犬は情け無い声で物悲しく鳴くと、文字通り尻尾を巻いて主人の背中を追いかけて行った。番犬としては全くの無能である。

 見張りもなく開け放たれた状態の門の前に立ち尽くし、とりあえずクルムオンとホリィは元凶に白い目を向けた。

 

「……どうするんです、ここから」

「こうなったらやることは一つよ」

 

 シャイレーゼはこめかみに汗を滲ませたまま引き攣った笑みを浮かべると、いそいそと懐から一振りの短剣を取り出した。一目で歴史と風格を感じさせる鞘に収まったその柄には、サンクネック王家とハイゼン公爵家の家紋が金で象嵌されている。偽造も所持することも死罪に当たる彼女の身分を証明する一品だった。

 それをこれ見よがしに腰のベルトに挟んだ彼女は、腕を組んで仁王立ちする。

 

「ハイゼン公として堂々と正面からやってきたことにする」

 

 それも無理があるだろう。二人はそう思ったが、最早何も言わなかった。

 そのままシャイレーゼにとってはいたたまれない時間が暫く続いた頃、ようやく初老の男性が一人村の奥から駆けてきた。恐らく彼が村長なのだろう。相当急いで来たのか、彼は三人の前まで来ると大分広くなった額の汗を拭った。その目が目敏く動いて彼女の腰の短剣を認める。その意味は理解できたのだろう、彼は息を整えると疑うことなく大きく腰を折った。

 

「これはこれは、公爵様。この村の村長でございます。このような見窄らしい装いで拝謁することをお許しください」

「構わないわ。頭を上げなさい」

 

 鷹揚なシャイレーゼの返事に村長は顔を上げる。彼女の顔を真っ直ぐ見据えるその瞳には畏れたり上位者に媚びるたりするような色は見えなかった。代わりに人生経験の豊富さ故なのか落ち着いたその表情には、彼女を見定めようとするかのようなある種のふてぶてしさが窺える。

 

「事前に御触れをいただければ、もう少しおもてなしすることもできたのですが」

「突然の訪問だもの。気にすることはないわ」

 

 表情を変えぬまま口にされた皮肉を、シャイレーゼはさらりと流す。その堂々たるや、先程門番相手に滝汗を流しながら棒読みで目を逸らしていた人物とは思えない。

 ホリィは少し感心して彼女の背を見詰めたが、村長は眉一つ動かさなかった。小さく頭を下げる。

 

「ありがたき幸せ。しかし」

 

 村長は胡乱な目でシャイレーゼを見る。次いで出た言葉は強烈な皮肉だった。

 

「公爵様の王都でのご勇名は、この僻地にいる私共の耳にも轟いてございます。貴女様がこの村においでになるのは新公女の御披露目の時以来でございましょうか。此度はこの村に一体如何な御用でございましょうや?」

「それは……」

 

 武名ばかりで領地(自分達)のことに興味なんてなかっただろう。慇懃無礼にそう言われたシャイレーゼは、しかし図星を突かれて言葉を詰まらせた。取り繕っていた態度が剥がれて地が顔を出す。

 

「それは、アレ……お忍びで各地を巡る旅行をしているというか?」

「はぁ……」

 

 既に領主とバレているのだから率直に葡萄畑の件を問い質せばいいのに、中途半端に元のスタンスを維持しようとした所為か視線を泳がせた彼女の口から出たのはそんな言い訳の言葉だった。当然、村長の目の呆れの色は深くなる。

 

「……いえ、しかし、丁度良いかもしれませぬな」

 

 彼女の来訪の目的やら挙動の怪しさやらは置いておくことにしたらしく、村長は小さく溜め息を吐くと姿勢を正した。その様子にこれ幸いとばかりにシャイレーゼも揺らいだ視線を戻す。

 

「実は、この土地の領主である公爵様に、ご報告とご相談があるのでございます」

「ほう?」

「ここまでいらっしゃったということは、途中葡萄畑をご覧になったことでしょう。その件でございます」

 

 そう村長が切り出して来たことを、シャイレーゼは意外には思わなかった。やはりな、と思いつつ、彼女は視線で先を促す。

 

「あの畑は、元々神殿のものだったのでございます」

「……神殿が川を越えて畑を作ってたってこと?」

「いえいえ、まさか。彼等もそこまで無法ではありませぬ。突然、川の流れが変わったのでございますよ」

 

 そう淡々と彼は説明する。一月程前のこと、突如鉄砲水が出て畑を突っ切るように川の流れを変えてしまったのだと。幸い人的被害は無かったが、流れの間にあった葡萄は全て押し流されてしまったらしい。そして、鉄砲水が収まった後も川の流れは変わらず、そのまま定着してしまったという。

 

「古来より、神殿の領地と公爵様の領地の境はこの川の流れとする取り決めでございました。これが変わったということは、その境も新たなものになったと私共は考えております」

「まぁ、そうね……神殿側とも協議して明確にした方が良いとは思うけれど」

「取り決めは取り決めでございますから」

 

 主張を認めつつも慎重な姿勢を示そうとするシャイレーゼだったが、村長はにべもない。そのまま彼女の意見を封じるように言葉を続ける。

 

「これに伴い、『こちら側』に葡萄畑ができましてございます。今後は税として葡萄も納めさせていただこうと思っております」

「……成る程。そういった事情だったのね」

 

 僅かに眉を(ひそ)めつつも、シャイレーゼはまずは話を聞くことを優先した。

 

「見た感じ、しっかりと手入れはされているようだったわね」

「はい。早速人を選びまして、手入れをさせております」

「……そのことについて、神殿側は何か言ってきたかしら? 元々神殿の畑だったのでしょう?」

 

 彼女がそう問うと、村長は初めて眉間に皺を寄せた。

 

「公爵様は、あちら側の畑の様子はご覧になられましたか」

「ええ、見てきたわ」

「……あの手入れの状況を見れば、御分かりと思いますが」

 

 村長は一段と声を低めた。

 

「あちらのあれは、畑ではございません。藪でございます。現在のキルヒア神殿にはあの畑を切り盛りするだけの力がありません。葡萄はまともな実に育つことなく、当然のごとく、ワインの仕込みも惨憺たるものです。ここ数年、まともな出荷ができたことは無い筈」

「だとしても、よ」

 

 シャイレーゼは語気を強めて村長の言葉を遮った。その重さと込められた覇気に、今度は村長が声を詰まらせる。

 

「元々が向こうの畑である以上、これに託けて難癖付けてくる可能性がないとも言えないわ。好き勝手すれば尚更よ。この件について神殿側と一度話をしておいた方が良さそうね」

 

 このままなし崩しに村へ権利を認めるつもりはない。そんな強固な意志を感じさせる面差しに、村長は見込み違いを悟ったか少し苦い顔をした。

 

「……こちら側の畑を私共にお預けいただけるならば、豊饒な実りを得ることができるでしょう。質の良いワインや、その売り上げも税として納めることができる筈です。こちらは、これから人を選んで仕込み始めるので、しっかりとしたものが出来るのには数年掛かるとは思いますが」

「そうね。あの畑は丁寧に手入れがされていたわ。このまま貴方達に任せれば、言った通りの成果が得られるのでしょうね」

「では……」

「でもそれは、筋を通してからの話よ」

 

 きっぱりと言い切ったシャイレーゼは、そこで少し表情を緩めた。

 

「私は何も、貴方達の主張や努力を認めていない訳ではないのよ」

「そうなのですか?」

 

 意外そうに村長は目を見開く。伝え方が悪かったか、とシャイレーゼは苦笑した。

 

「ええ。領地が富むのは私としても嬉しいもの。でも、それが隣人から後ろ指を差されるような物であってはならないわ。神殿側は、貴方達の主張を認めていないのでしょう?」

「……その通りでございます」

「なら、このまま貴方達があの畑を管理すれば必ず遺恨になる。それはこの地の領主としても、『ハイゼン公』としても看過することは出来ないわ」

「それは、仰る通りでしょうが……しかし、ならばどうすればいいと仰るのですか。彼等は我々の主張には耳を貸そうともしません」

「私が行くわ」

 

 沈んだ表情を見せる村長に、毅然とした顔でシャイレーゼは言った。

 

「畑と領地の扱いについて、明確にしておく必要があるわ。領主である私が赴くのが筋でしょう」

「おお……」

 

 村長の目に光が灯る。その顔には最早彼女を侮るような色は残っていなかった。期待に満ちたその表情に、シャイレーゼは頷きを返す。

 

「結果、正式に畑がこちら側の領地と認められれば、あの畑は貴方達に預けることになるわ。租税も、そうね、葡萄畑の分に関しては向こう二年は免除することにしましょう」

「私共は公爵様の決定に従います」

 

 村長は恭しく頭を下げた。シャイレーゼの出した条件が良かったからだろう。こそりとホリィが彼女に耳打ちする。

 

「姫様、宜しいのですか?」

「元々無かった筈の物よ。それに、綺麗にしたっていったって、あんなに荒れてたんだもの。設備とかの用意もないんだし、そうすぐに収益は上がらないでしょう? だったら少し猶予を持たせて、税を納めても充分蓄えが作れるように整備させた方がいいわ」

「財政はどうするんです?」

「元々無い物だって言ったでしょう。領地の経営状況だって、問題があるとは聞いてないしね」

 

 それは経営状況に興味が無さすぎて知らないだけなのでは。一瞬そんな考えがホリィの頭に(よぎ)るも、先程の話振りを思い返すと、本当に彼女は全てを理解した上で話をしているのではないかと錯覚してしまう。

 ホリィは非礼を詫びるように頭を下げて後ろに退がった。

 

「そう言えば」

 

 ふと思い出したようにシャイレーゼが言う。

 

「川の流れが急に変わることって、どのくらいあるのかしら」

「私は、聞いたことがございません」

 

 彼女の質問に、村長が首を横に振る。まぁそうよね、とシャイレーゼは首を捻った。

 

「頻繁に流れが変わるなら境に使われる訳がないし……そうすると、何か前兆のようなものはあったのかしら。例えば大雨が降ったとか」

「この辺りでは特に……でもたしか、流れが変わる直前、川が増水しておりました。上流で雨が降っていたのやも」

「ふぅん……なるほど」

 

 暫くそのまま視線を落としていたシャイレーゼは、少し思案すると小さく頷いた。

 

「神殿との話がついた後になるけど、川の整備も行った方が良いかもしれないわ。もし畑作業中に同じようなことがあったら、貴方達の命にも関わるかもしれないし」

「それは……」

 

 シャイレーゼのその発言に、村長は一瞬目を見張った後、真意を探るような視線を向けてきた。川の整備など、どれだけの人手と金が掛かるか分かったことではない。その重要性は理解しているが、命じられては堪ったものではないと言うところだろう。その心情を汲み取ったシャイレーゼは強気な笑みを見せる。

 

「新しい領地を手に入れたなら、それを整備するのは領主の役目でしょう。畑部分の領地がうちのものになったら、護岸工事なんかの治水の手配は私の方でやるわ」

「おお……」

「領地の境が曖昧になるなんてトラブルの元だもの。神殿との面倒ごとを避けるためにも必要なことよ」

「公爵様……ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げる村長。

 

「気が早いわよ。実際どうするか決めるのは神殿の出方を見てからになるし」

「そうですか……」

「ええ。万一こちらの領地にならなかったら、他所の領地に勝手に手を加えることは出来ないし」

 

 領主の言ったことが全くの白紙に戻る可能性もあると理解したのか、綻びを見せていた村長の表情が真顔に戻る。シャイレーゼは笑みを苦笑に変えた。

 

「そんな顔しないで。うまいこと話を運ぶよう努力するわ。多少ゴリ押してでもね」

「何卒、よろしくお願いいたしますぞ」

「ええ」

 

 シャイレーゼが再び頼もしい笑みを浮かべて村長へ力強く頷いて見せた。見返す村長の瞳にはシャイレーゼへの明らかな期待が見える。最初はこれまでまるでこの地に興味があるように見えなかった彼女に不信と侮りの目を向けていたというのに、だ。

 

 ──やっぱり、姉さんは凄い。僅かな時間であの男に自分を信じさせてしまった。

 

 後ろでその様を見ていたクルムオンは表情に出さずにそう感嘆した。

 姉の話術が特別巧みだった訳ではない。話の中身が優れていた訳でもない。王族や領主という立場はあれど、具体的に出来る根拠などは何も示せていないし、何なら出来ないかも知れないと言ってしまっている。少なくともこちらに不信感を抱いている相手に期待を持たせることは出来ない筈だった。

 それを姉は信じさせてしまったのだ。その真っ直ぐで鮮烈な瞳と、暖かみのあって不思議とついて行きたいと思わせる、あの声で。

 恐らく自分では──神殿関係者ということを差し引いても──同じようには行かないだろうと思う。村長の目はきっと猜疑と諦観に濁ったままだった筈だ。

 

 ──やはり、姉さんの方が王に相応しい。

 

 そして自分はその補佐をするのだ。そう決意を新たにしたクルムオンは一歩前に出ると、姉に倣って貴族然としたものではない口調で口を開いた。

 

「少し良いでしょうか」

「おや、貴方様は……?」

 

 ここまでシャイレーゼの陰に隠れており、身分の証も立てていなかったクルムオンのことは気にも止めていなかったのだろう。しかしその姉と良く似た顔立ちに気付いたか、村長は目を丸くしている。彼の気付きに裏付けを与えるように、クルムオンは頷いた。

 

「僕はクルムオン。ハイゼン公の弟です」

「クルムオン殿下であらせられましたか……! 神殿にいらっしゃったという」

 

 慌てて頭を下げる村長。しかしその瞳に警戒の色が滲むのをクルムオンは見逃さなかった。それはそうだろう。クルムオンは神殿側の人間であり、その上で弟としてある程度対等にハイゼン公に意見を言える立場だからだ。神殿に有利になるよう話を修正しようとしていると思われても仕方ないだろう。なので、彼はまず自分の立ち位置を明確にすることにした。

 

「頭を上げてください。僕は皆さんの味方ですよ。僕も荒れ放題な今の葡萄畑には思うところがあります。適切な世話を行える者が管理をした方がいいでしょう」

「そうですか」

 

 村長の目から警戒は僅かに薄れたものの、疑念は色濃く残っているようだった。

 まぁ、そうだろうな、と思いつつ、クルムオンは気になったことを訊く。

 

「葡萄畑に丸太橋があったのですが、あれはこちら側から掛けたのでしょうか?」

「ええ、そうですが。ご存知なかったので?」

「神殿では余り葡萄畑と関わる機会がなかったもので……ここ三ヶ月程はこの地を離れていましたし」

「……左様ですか。はい、あの丸太橋は、私共が架けたものでございます。元々あの辺りにあったのですが、鉄砲水で流されてしまいまして。幸い、石橋で引っかかっておりましたので、回収し、川の流れの移動に伴い移動させたのですよ」

 

 初め、シャイレーゼにそうしていたように村長は淡々とそう答えた。そこへ、シャイレーゼが口を挟む。

 

「ということは、元から川を渡れるようにはしてあったのね」

「交流が無い訳ではないですからな。よく神殿へは山羊の乳を売っておりますよ」

「そういうこと。まぁ、あの分かれ道の方まで行くと遠回りだものね」

「全くその通りで」

 

 村長がシャイレーゼに言葉を返す様子には、親密感の顕れだろう、いい意味で堅さが取れつつあった。ともすれば無礼として罰せられかねない態度だが、彼女がそんな狭量ではないと理解できたのだろう。多少胸襟を開いたようだった。

 その態度を当然として頷いたシャイレーゼはふと思い立ったように言う。

 

「だとすれば、あの橋も整備したほうが良さそうね。今のままじゃ危なっかしいし」

「して、いただけるので?」

「ええ。行き来しやすくなって商売が捗るなら、村も更に活気付くでしょうし」

 

 目を丸くした村長に、シャイレーゼは笑顔でそう請け負った。

 

「ありがとうございます!」

「良いのよ。流石にあの石橋のようなものは無理でも、荷車を通せる位のものはね」

 

 シャイレーゼは村の中に見える二輪の荷車を見ながら言う。

 

「十分でございます。我々には勿体無い程のご配慮で……」

「今まで領主らしいことが出来てなかったのは間違いないもの。折角の機会よ。手当て出来るところはやっておきたいわ」

 

 彼女の言葉に、村長はもう一度頭を下げる。そうしてから、遠くに見える葡萄畑を見詰めて少し眦を落とした。

 

「……いっそ、神殿が葡萄全て私どもに任せてくれればいいのに、と考えたこともあります」

 

 溜め息混じりに、そう零す。

 

「貧乏性でしょうか、以前より川向こうから荒れ果てた畑や、収穫されずに朽ちる実を見ているだけしか出来ないことには胸を痛めておりました。今は、半分がこちら側になったことで手を出すことができるようになりましたが、残りは未だ手付かず。荒れ放題のままでございます」

「だから、貴方達が面倒を見ると?」

「左様でございます。私共が世話をし、収穫と醸造を行って、その収益の一部を神殿に納める。どうせ、神殿には扱いきれぬのです。私共に預けた方が、神殿側にも損にはならないのでは、と」

「そうね……」

 

 シャイレーゼは彼の発言を吟味する。が、考えるまでもなく、現状打ち捨てるだけの畑なら収益は皆無だ。ならば貸し出して幾ばくかの賃料を取った方が神殿としてもプラスの筈である。

 

「神殿側に葡萄畑をどうこうする気があるのか確認は必要だけれど……やる気がないんならこっちで何とかしちゃいましょ」

「おお……では!」

「その辺りも交渉してくるわ。期待して待っていて」

「はっ! ありがとうございます!」

 

 再三頭を下げる村長。再び顔を上げた彼の瞳には、薄らと涙が浮かんですらいた。

 

「正直申し上げますと、失礼ながら、貴女様を見縊っておりました。領地のことなどまるで興味がないとばかり……ここまで手厚くしていただけるとは……」

「だから、そう言うのはまだ早いって……でもそうね、感謝してくれると言うなら」

 

 シャイレーゼはそう宥めるように言いながら、陽光のように力強い笑みを浮かべる。

 

「貴方達が豊かになって、その分税を少し多めに納めてくれればそれでいいわ」

「はい……必ず!」

 

 村長は感じ入ったように何度も頷く。その少し震える声にはシャイレーゼへ寄せる信頼の程が感じられた。

 

「もう一つ、訊いておきたいのですが」

 

 よくもここまで、と思いながら、話の終わるタイミングを待っていたクルムオンが口を挟む。

 

「この村では、水はどのように確保していますか? 洗濯などは?」

「水ですか?」

 

 すっかり平常に戻った村長が、質問の意図が分からない、という顔をしながら首を傾げた。

 

「それは勿論、川からです。ここの川の水は綺麗ですから。洗濯も、少し下流に行ってやっております」

「成る程……確かに、トリスク川の流れは澄んでいて綺麗ですね。川の利用については取り決めが?」

「いいえ、特には。川はどちらの物でもありませんから。自分達の土地の側を流れる川を利用するのは当然のことでしょう?」

「いえ、確かに。自然なことですね」

 

 頷いて引き下がると、クルムオンは姉の方へ視線を投げた。

 

「僕から訊きたいことはこれで全部です。もう出発しますか?」

「そうね、善は急げとも言うし」

 

 村長と同じく不思議そうな顔をしていたシャイレーゼは、頷いてトロンベの元へ駆け寄ると首を軽く叩いた。応じるように小さく嘶いた黒駒は相棒と共にゆっくりと馬車の方向を転換し始める。

 巻き込まれないように下がったシャイレーゼは、村長を見て快活に笑った。

 

「それじゃ、行ってくるわ。期待して待っていなさい」

「よろしくお願いします」

 

 深々と腰を折る村長を背に、一行は神殿へ向けて街道を戻るのだった。

 

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